第10話

 

    一


 椎名は自身の首筋に走るちりちりした火花のような何かにあてられ、全身を強張らせた。無理もない。一つ間違えば燕次の指により頚椎は握りつぶされ、二度と自分の手足が使えなくなるという状況にあるのだ。それは家城も同じで、いつもは冷めた表情の彼女がすっかり恐怖に怯えていた。

(畜生、いつから居やがった……!)

 弐子と灯果の戦い、そして人質である朱音と燐の挙動に気を取られており、彼が他の事象に注意を払わなかったのは事実である。しかし椎名は本来調査や備考といった情報に関する活動を主とする探偵で、その彼が燕次の侵入に一切気付けなかったというのもまた事実である。家城も気付けなかったことを鑑みれば、この状況は異常の一語に尽きる事態であった。

 驚いたのは二人だけではない。素人である朱音、そして燐も、突然の燕次の出現に目を丸くしていた。

「先生……?」

 教師としての燕次の顔しか知らない燐は、目の前に立つ男が先日赴任してきた冴えない風体の男と同一人物であるということに確信が持てず、それこそ他人の空似でも見ているような気分であった。

 そしてそれは朱音も同じであった。当然彼女は燕次が装甲探偵であることを重々承知していたつもりであったが、彼がその本性を剥き出しに戦う様子を見たことはない。だからこうして粘性を伴う殺気を纏い立つその姿は、いつもの飄々とした書生風の雰囲気とはかけ離れたものであり、

「燕次?」

 安堵より、戸惑いの吐息が漏れた。

 そんな二人をちらりと目の端で見遣った燕次は、

「待たせた。遅れてすまない」

 その声色はいつもの彼のもので、一気に気が抜けた朱音と燐の目から涙が溢れた。

「ホントだよ、ばか」

 朱音は虚勢を張り何とか悪態をついたが、目は喜色に歪んでいる。

 燕次は二人の様子を見てごく小さく笑うと、改めて目線を先に向けた。

「まずは彼女を下ろしてもらおうか」

 じっと燕次に視線を向けたまま微動だにしなかった弐子であったが、要求に無言で応えるかの如く、灯果を掴んだ手を開く。1メートルほどの距離を落下した灯果の装甲がけたたましく鳴った。

「歩けるか」

 燕次の声に、蹲りながらも灯果はじりじりと身体を起こし、全身を引きずりながら朱音達の方に動き出した。そう遠くない距離であったが、満身創痍の灯果の一歩は小さく、朱音はいつ弐子が翻意して、又は椎名達が燕次の拘束を逃れて自分達に襲い掛かってくるのではないかと気が気でなかった。

 実際のところ、朱音の心配は当たっていた。椎名と家城は幾度となく隙を見て逃げ出そうとしていたが、

(動けない……!)

 身じろぎした瞬間、皮膚に燕次の指が食い込むのだ。後ろから覗き込めば、彼らの首筋にはくっきりと燕次の指の痕が赤くついているのが分かる。紐の一つも用いず、燕次は二人の装甲探偵を無力化していた。

 静かな攻防を他所に、灯果が漸く朱音たちのところに辿り着く。その場に倒れ込むように膝をつく彼女に、燕次が呆れたと言わんばかりに溜息を吐いた。

「どうして先走ったんだ。同時に乗り込むという話だっただろう」

 燕次の言葉に、朱音は首を巡らせた。

「え、知り合い?」

「百目木が雇った装甲探偵は実に忠義深い。攫われた君を追いかけたら、彼女が俺が犯人だと勘違いしてね――危うく殺されかけた」

 仮面の奥で、灯果が喉を鳴らして笑った。

「よく言う。殺されかけたのは私の方だ。目を覚ましたら手足を縛られていた時は、流石に貞操の危険すら感じたぞ」

「え、なにそれ」

 朱音が疑念に満ちた視線を燕次に向ける。ただ燕次はそれに気づくことはなく、

「第一君が先走ったせいで強襲するはずの予定が大幅に狂った」

「そうか、それは知らなかった。一刻も早くお嬢様の無事を確認したかったのでな。

時間稼ぎくらいにはなっただろう」

「……確信犯とはタチが悪い」

 余計なおしゃべりを続ける二人に、朱音は何故かふつふつとしたものを覚えた。

「ちょっと、そろそろ腕痛いんですけど」

その皮肉交じりの言に、燕次は肩をすくめてみせた。

「動けるなら二人の縄を頼む」

 灯果は緩慢に上体を起こした、かと思えば腕が閃き、装甲の端で朱音と燐を縛った縄を皮一枚で切断してみせた。

「わ、わ」

 慌てる燐の体に、朱音が手を伸ばして支える。

「――悪い。大丈夫か」

「うん、大丈夫よ。

……先生も来てくれたし」

 二人は再度、同時に燕次を見上げた。既に先程まで漂わせていた柔らかな雰囲気は消え、表情は淡白であったが、その裡に苛烈なものが渦巻いているのを、朱音も燐も感じていた。

「――さて」

 燕次が三度、前に向き直った。

 弐子は先程から変わらず、彼の方に首だけ向けて、眺めるように見つめている。仮面に隠れてその表情は伺い知れない。

「特に用が無いのなら、夜も遅いし、彼女たちを家に帰そうと思うんだが。

いいかい? 先輩」

 燕次が挑発するように言った瞬間、弐子から強烈な殺気が放出された。目に見えない、実体がない筈のそれは奔流となり、その場にいた全員を貫いた。装甲探偵の四人は当然無事だが、朱音、そして感受性の高い燐は真に受け、呼吸の仕方を忘れたように喘ぎ始めた。

「……いいぜ。正直、俺にとってそいつらはどうでもいい」

 ゆるりと、弐子が動いた。

「だがな、牛頭。お前は駄目だ。お前は残れ」

 弐子の右掌が開き、天を向く。

 それを見た椎名は、誰の目にも明らかなくらい狼狽え始めた。

「ま、待て、弐子」

「大して役にも立たねえ上に、人質に取られる? よくもまあ、さんざんっぱら足を引っ張ってくれたな、お前ら」

 弐子の掌に埋め込まれた奇妙な形、近いもので言えばカメラのシャッターのような形状のバルブが開き、そこから青色の炎が吹き上がった。それは三メートルは届くかという高さにまで立ち昇った後に螺旋状の竜巻と化し、大きく広がったかと思えば、最後は一つにまとまり、球だけが残った。珠と言っても、人が一人すっぽり入ってなお余る程の大火球である。圧縮プラズマから造られたその火球の眩しさに、朱音や燐は思わず目を背けた。

「歩けるか?」燕次は灯果に声をかける。

「ええ」

「二人を連れて離れてくれ。見ての通り、相手は派手好きだ」

 言うと燕次は、家城と椎名をクッションでも扱うかのように放り投げた。

「ぬおっ!」

 悲鳴を上げながら、しかし椎名は瓦礫の上で身を翻し、上手く着地を決めた。逆側では家城も同じく着地を決めており、装甲探偵としての面目を保っていた。

「――奇遇だな、先輩。俺もあんたに用があった」

 大人二人をこともなげに放り投げた燕次はそう言って不敵に笑うと、爪先だけの動きで瓦礫の塊を一つ蹴り上げた。ふわりと胸元まで浮いたそれに、間髪入れず指で弾くように打撃を加える。地面に再度叩きつけられた瓦礫は一瞬で砂塵となり、あたり一面を灰色に包み上げた。例外は弐子の周りである。火球が作り出す上昇気流が、砂埃を巻き上げていた。

(煙幕か!)

 弐子が圧縮プラズマ弾を撃ち出した。朱音達から見れば砂埃を通して何か光が踊っているといった具合だったが、その光があからさまに大きく、近づいてくるのが分かる。ただその中に、人影が一つ残っていた。燕次のものだ。しかしそれが徐々に違うものへと変質していく。体躯は一回り大きく、所々に昆虫のような角が生まれている。最後に頭から角が二本生えたのを見て、「ああ、本当に装甲探偵なんだ」と朱音は場違いな感想を抱いた。

 光がいよいよ近づき、煙越しでも直視が困難になる。だが眼前でそれが二つに割れ、朱音達の左右後方に吹き飛んで行きそれぞれが着弾した。当たったのは壁と床であるが、どちらも赤熱し、どろりと溶けてすらいる。

「プラズマって割れんのかよ……!?」

 驚いたのは椎名である。プラズマとは即ち炎や雷であり、特性は気体のそれに近い。装甲探偵達の扱う圧縮プラスマは炎よりはるかに密度は高いが、綺麗に二つに切断してみせるというのは困難を極める。当然理屈の上では起こりうるのは分かるし、第一種探偵がそういう真似をしてみせたというエピソードも聞き知ってはいたが、目の前で実際に起きている現象は俄に信じがたいものだった。

 煙が晴れる。そこには見慣れぬ物体があった。表面は炭のように黒く、同じ黒でも弐子のそれより更に深い。そしてやはり頭部に生えた二本の角、或いは牙が目立つ。朱音はそれを見て、何故か昔に寺で見た古い仏像を想起した。

「やっと出てきたなあ、お前!」

 心底嬉しそうに、弐子が叫んだ。

 燕次は小さく、しかし鋭く息を吐いた。かと思えば一足で間合いを詰め、弐子の巨大な装甲を蹴り飛ばす。その動きは実に滑らかで、その場にいた全員の度肝を抜いた。

「俺もあんたに用があった。

――どんな理由か知らないが、女の子を二人さらうようなやつを野放しにしておくのは探偵の流儀に反する」

 瓦礫に埋もれる弐子だが、すぐさま身体を起こして跳躍し、再び燕次の前へと降り立つ。

「お前を引きずり出してくるためなら、女子供の命の一つや二つ、厭わないと腹を括ったぜ、俺は。

幾らなんでも二種の俺が、三種以下のお前に負けたままじゃいられねえんだよ」

 場に渦巻く濃密な殺気に、全員が息を呑んだ。

 

    二


 しばらく微動だにせず互いに見つめ合っていたが、先に動き出したのは黒犬、つまり弐子の装甲だった。掌を燕次の方に向けると、そこから小さな圧縮プラズマ弾を連続で十発程撃ち出す。しかしその全ては容易に弾かれた。燕次はまるで紙風船でも相手をするかのように、炎の球を爪で弾くのだ。全く異質な光景に椎名ら三種探偵はただただ瞠目していたが、

「――成程な」

 弐子は呟くと、今度は一発だけ、弾を撃ち出す。燕次は同じく安々と受け流すが、弐子はそこで確証を得たらしく、小さく頷いた。一種に限りなく近い、と倉間辰比古に評された二種探偵の弐子の頭脳がそのからくりを看破するのに、それは充分すぎる時間であった。

「指の先から圧縮プラズマを噴射するバルブを仕込んでいるな。相当小さいヤツだ。強度から考えるとミリ、いやサブミリ台といったところか」

 サブミリ、とはミリの10分の1の単位を示す。

「つまり小さい出力を一点に集中させることで、単位面積あたりのプラズマ強度を稼いでいるんだ。それで俺の作ったプラズマ弾に亀裂を入れて、なおかつ互いに渦の流れを作り出させ、発散しないように回転を加えている。

違うか?」

 弐子の指摘に、その場に居る全員が理解できないと言わんばかりに目を瞬かせたが、燕次は肩を竦めて、

「別に隠す程のことじゃあない。けど正解だ。流石二種、お目が高い」

 弐子はそれを聞いて、「それだ」と燕次を指差した。

「俺は確かに二種だ。この装甲を一目見りゃあ分かるよな。

じゃあ実際のところ、お前は何種なんだ? お前の装甲、三種以下の、無免用の装甲にしか見えねえんだよ」

 弐子はここに来て燕次の実力が装甲と異常に乖離していることに気付き出した。燕次の芸当は理論上は可能であり、出力が小さい装甲にこそ有利な機能であるが、その分圧縮プラズマの調節が頗る困難であるという明確な欠点を孕んでいる。それを可能とするには精密に造られたバルブと調整のためのメカニズム、そして探偵の卓越した視力と頭脳である。適切なタイミングで適切な量のプラズマを撃ち込まない限り、飛来するプラズマを弾く、或いは分断するといった真似は絶対に出来ない。差し出した手がプラズマに灼かれ、装甲の中で蒸し上がって炭化するのがオチである。

 だが燕次は「さあ」と嘯くと、

「少なくとも、俺は免許を持っていない。三種以下ってのは素直に認めるところだ」

 不敵に言ったその燕次の言葉に、弐子の装甲から奇妙な笑い声が漏れた。

「よく、よく分かった。お陰で迷いが消えたよ」

 強烈な突進に燕次は避ける間もなく吹き飛ばされる。そのまま掴んで地面へ叩きつけようとしたが、弐子の手から燕次はするりと抜け、手刀を相手の肘へと叩き込もうとする。が、すんでのところで上体を屈ませると、先程まで顔があった位置を弐子の巨大な裏拳が唸りを上げて通過した。期せずしてがら空きの胴を前に、燕次が拳を握った。三発を見舞ったつもりが、二発の手応えは小さい。弐子が背のスラスターからプラズマを噴射し、後ろへ一気に後退ったのだ。

(早いし、硬い……)

 冷静を装っていた燕次であったが、実際は渋面に満ちていた。それもそのはず、幾ら燕次とは言え装甲の出力差は絶対であり、また二種と三種の差も本来は絶対で、この二つの力関係が逆転することはなく、まして三種以下などあり得ない話である。

(彼女たちがいなければ尻尾を巻いて逃げるんだが――そうも行かないか)

 横目でちらりと、灯果、燐、そして朱音を見遣る。彼女たちを助けに入ったのだから、助けない限りはこの場を離れられない。何より犯人である弐子を倒さずに、彼女たちの安寧は保証されない。

 燕次の装甲、その角から鮮やかな緑のアフターファイヤーが噴き上がった。同時に圧縮プラズマ炉が唸り声を上げる。その様は異形の神像が魂を込められ、現世に肉を持ったかのようで、底知れぬ不気味さに朱音と燐は背筋を震わせた。

 燕次は彼女たちの視線を背中に受けながら、しかし弐子の眼前で宣言した。

「俺はあんたを屈服させるためにここに来たんだ。

仮にも同業である装甲探偵に、二度とこんな狡い真似をさせないためにな」

 弐子が再度、燕次に襲いかかった。

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