第9話

 

    一


ここで時を少し遡る。

 第三種装甲探偵亜波根灯果とうかはその日も水道橋駅前、雑居ビルの軒先にある喫茶店に入った。その日も、と言うのは、彼女はここ数ヶ月の間、平日の四時頃必ずその店を利用するからであった。

「いらっしゃい」カウンター越しに声をかける中年女性の表情は、初めての客に向けるものよりいささか親しみがこもっている。「亜波根さん。いつものブレンドでいいかしら?」

 灯果は頷くと、迷わず店の一番奥の席に座った。

 待っていましたと言わんばかりに、エプロン姿の女性がトレイに乗せた水を持ってくる。

「ちなみに、まだ電話は来てません」

「すいません、夏子さん。毎度ご迷惑をかけます」小さく頭を下げる灯果に、夏子と呼ばれた女性は慌てて手と首を振った。

「いいのよ! お世話になったのはこっちなんだから」

 言うと、パタパタと靴底を鳴らしながら夏子はカウンターの中に戻っていく。

 この喫茶店は二人がけ用の机が2つ、カウンター席が3つと、非常に手狭な作りであった。切り盛りするのは夏子一人で充分といった風である。

 夏子はかつて灯果の顧客であった。昨年この店に相次いで嫌がらせの類が起きたが、それを灯果が解決したのである。捜査をを進めて確保した犯人は常連の中年男性だったのだが、被害が大したことでなかったという夏子の優しさにより、警察に突き出さず、二度と近寄らないことを誓わせてその場で放免とした。代わりに灯果が犯人を散々脅しつけたのだが、お陰で今日まで何事もなく済んでいる。

 そんな縁もあって、ブレンドコーヒー一杯を家賃にして、灯果はこの店を第二の拠点としていた。

「はい。どうぞ」

 灯果の席にコーヒーが置かれたのと同時に、店の入口に備え付けられた電話のベルが鳴り出した。

 夏子はパタパタと電話まで走る。灯果はコーヒーを冷ましながら、しかし嫌な予感を覚えていた。

(定時連絡には少し早い筈だ)

 夏子が受話器を取り上げ、二三相手と言葉を交わすと「太刀川さんから」灯果に向けて受話器を差し出す。

 相手は春陵女学院の教師、太刀川華子であった。何を隠そう、彼女も灯果の顧客であったのだ。彼女が朱音と同じ学校の教師であったのは全くの偶然で、そのため灯果が華子に協力を依頼していたのであった。情報の入手の仕方は探偵によってそれぞれだが、こうして昔の顧客に協力を仰ぐのは決して珍しいケースではない。もっとも、客と探偵に信頼関係あってこそ、である。かように、灯果はビジネスライクなタイプに見えるが、顧客の不安を取り去るのに熱心なところもあり、特に同性からの信頼が篤かった。

「もしもし。太刀川さん?」

「亜波根さん」電話口の華子の声は震えていた。「今日、そちらが百目木さんを迎えに来る予定はないですよね?」

「ありません」嫌な予感が灯果の中で一気に膨らむ。「どうしました?」

「ど、どうしましょう。私」

「落ち着いて。あったことを、一つずつ」

 相手を落ち着かせるためにあえて口調の速度を落とした灯果であるが、次に受話器から聞こえてきた言葉には、流石に心臓の鼓動が跳ね上がった。

「百目木さんと、双馬さんが、校門の前で車に押し込められて」

「何」咄嗟に時計へと目をやる。もうとっくに下校している筈の時間だった。何故今校門から出るのかと、混乱しながらも灯果は考えを巡らせた。

「それから、羽邑先生が、すごく大きい二輪車でその後を」

「羽邑?」聞きなれない名前に灯果は訝しがったが、すぐに記憶が蘇った。

「確か、この間赴任した新任の教師でしたか」

「そうです――ああ、時期的に怪しいと思ったのに! あの人、そう言えばさっき二人を呼び出していた!」

 ヒステリックな華子の声が遠くなりそうな程、灯果の脳が後悔に支配された。

(その男、洗っておくべきだった)

 考えが逸れたのも一瞬、灯果は目を瞑り呼吸を整える。

「――連れ去られたのはいつですか」

「今です。ついさっき」

「車の特徴は? ――いや」熱を持つ額を掌で冷やしながら、発想を変えようとした。

「その羽邑というのが、大きい二輪に乗っているのですね」

「え、ええ、そうです。凄い音を立てていたから、分かりやすいと思います」

「羽邑の年齢と身長を教えてください」

「ええ、私より若くて――24くらいと聞いています。身長は、たぶん180くらいはあるかもしれません」

「ありがとう。今から追います」

 灯果は受話器を置くと、急いで席に置いたバッグを取り上げた。

「お代は次のときでいいから」間髪入れず、夏子が言った。「急いでるんでしょ! 早く行ってあげて!」

「――すみません。次回、必ず払います」

「いいから! 無理しちゃだめよ!」

 ドアを開けると、ベル代わりの鳴子が乾いた音を立てる。

 道路に出た灯果は、その全身を白色の装甲で包み、空へと一直線に飛び上がった。


    二


 壁へ吹き飛んでいった灯果、そしてそれが巻き起こした轟音と土煙の激しさに、朱音と燐の顔が恐怖に引きつった。辺りが急に埃っぽくなり鼻を覆わんと試みたが、両手が縛られており、彼女たちは顔を背けるので精一杯だった。

 一方椎名と家城は揃って渋い顔をしている。

「とっさに反転したか」

 やるな、と弐子が仮面の中で呟いた瞬間、立ち込める土煙を吹き飛ばしながら再度灯果が突っかかってきた。

 が、その姿が今度は彼の眼前で突然消失する。

「上だ!」

 椎名が叫んだその時、既に灯果はムーンサルトじみた跳躍により弐子の背後を奪っていた。勢いを殺さず地面を蹴りつけ、弐子の脊髄目掛けもう片方の爪先を跳ね上げる。急襲は功を奏し、今度は弐子が壁目掛けて吹き飛んでいった。灯果のに比べて倍近くの大きさがある弐子の装甲が、軽々と吹き飛ぶ。

「おいおい、ここが潰れちまうぞ」

 椎名がぼやくが、燐は本気でそれを心配し、轟音に目を瞑り耐えようとしていた。その顔の傍を瓦礫の欠片が掠めていく。ひゅうと風を切る音に驚き思わず目を開けた彼女に向かって、今度は欠片と言えないサイズの礫が飛んできた。悲鳴を上げる直前、それは突如四散した。察知した家城が即座に動き、叩き落としたのだ。石が割れる乾いた鈍い音で、燐はそれを悟った。

「俺達の後ろにいろ。離れるなよ」

 おっとり刀でやってきた椎名が呟く。言われるまでもないと、朱音は心中で頷いた。

 灯果は攻撃の手を緩めることなく、得意の機動力を活かしアウトボクシングを続ける。彼女の装甲は三種で定格出力二万ワットとごく一般的なものであったが、主材料にアルミ合金であるジュラルミンを採用、そして肉厚を薄くすることで軽量化し、結果中距離の飛行を可能とするまでに至っている。飛行は本来二種以上の装甲が有する定性的な機能である。それを三種装甲が獲得するためには、強度や安定性を犠牲にした特別な設計が不可欠であった。

「ぬっ」

 弐子が珍しく呻いた。

 灯果は背中のスラスターからプラズマを噴射した。反動で地を滑る様に装甲が飛行し、弐子の膝目掛けて体当たりを仕掛ける。突然背後から突っ込んできたそれを躱す術はなく、弐子は床に叩きつけられる。

(これ――ひょっとして、このまま勝っちゃうんじゃない?)

 灯果の装甲は目で追い切れず派手な音だけが朱音の耳に届いていたが、おおよその状況は理解できており、朱音は緊張の中にも確かな期待を抱いた。さもあらん、状況は一方的な攻勢である。優勢なのは無論灯果であり、弐子はその巨体故か全くついていけずにいる。

 そうなると、あちらは大丈夫。問題は自分達だ、この二人に人質に取られている様なものだから、隙を見て脱出を――

 そう考えてちらりと椎名を見た途端、彼はぎょろりと目を動かし、逆に視線を合わせてきた。

「今何を考えた、お前?」

 朱音は芯が凍った様な気分を覚えた。それは気を抜いた時に身体へと差し込まれた恐怖で出来たつららの剣であった。

「わかるぞ、どうせ隙を見て、俺達を出しぬいて逃げ出してやろうと考えていたんだろう。お前らの探偵がそこそこやる・・様だからな。

 だがな。そりゃあ、全く無駄な考えだ」

 椎名の下卑た笑みに、朱音はそれでも挑戦的な視線を向けた。

「……へえ。ま、そう思ってるんならどうぞご勝手に」

「生意気なクソガキだ。言ってられるのも今の内だぞ。

よく見ておけ。お前が雇った探偵がくびり殺される様を」

「ころ……」

 剣呑な言葉に、絶句する朱音。背筋が寒くなり、交錯する二人の装甲に目を向ける。

 素人目には灯果の立ち回りに鈍重な弐子がまるで追いつけておらず、状況は変わっていない。椎名の宣言とは真逆の光景である。しかし、朱音の思考から恐怖が払拭されることはなかった。

 そして彼女の悪い予感は直に的中した。

 

    三


「なるほどね」

 幾度目かの灯果の蹴りつけに、地面に倒れこんだ弐子がそのまま呟いた。一方的な攻撃を受けておいて、その口調は冷静そのものである。

「三種にしては速い」

 言いながら平然と身体を起こすその不気味さに一瞬たじろいだ朱音であったが、すぐさま追撃を加えようと再び跳躍を仕掛けた。空中で反転し、弐子の背後に迫る。その瞬間、くるりと弐子の首がそちらを向いた。当てずっぽうに近い先読みによるものである。

 慌てた灯果は急停止をかけて飛び退ったが、

「!」

 1メートルも離れずについてくる弐子を見て、驚きに声を漏らした。見れば地面がめくれ上がっている。弐子の装甲による爆発的な脚力で蹴りつけられたためだった。灯果は跳躍し一旦距離を取ろうとスラスターを吹かせたが、弐子が追いすがり、遂には足首を捉えた。

「捕まえたぞ」

(しまっ――)

 灯果の全身を恐怖が覆ったのは一瞬だった。足首を掴んだ弐子が、そのまま力づくで彼女を地面へと投げ飛ばしたのだ。モルタルの床が自身の装甲に挟まれて砕ける音を、灯果はどこか遠くの方で聞いていた。叩きつけられた衝撃で意識が薄まったのだ。

 彼女は転がりながらも何とかその場から離れる。途端、先程まで灯果が嵌っていた穴目掛けて、上空から巨大な炎の塊が降り注いだ。弐子の装甲が作り出した、最高で三千度にまで到達する圧縮プラズマ弾である。モルタルが一瞬で融解・赤熱し、仄暗い屋内を赤く照らし上げた。

 慌てて立ち上がる灯果。熱の放射を装甲越しに感じながら、天井の手前でホバリングする弐子を睨みつけた。

「なかなかだ。俺より機敏なヤツはここ数年見ていない」

 不遜な弐子の言に、灯果は仮面の下で顔を歪ませた。

「――いちいち苛つかせる」

「褒めているんだ。どうだ、これが終わったらうちの面接を受けてみないか? お前の年齢次第だが、三種でこれだけ立ち回れるなら」

「お断りだ。その上から目線が最高に気に入らない」

 聞いた瞬間、椎名は甲高い声を上げて笑った。

「振られたなあ、弐子!」

 家城はそんな椎名を不快そうに横目で見ていたが、緩んだ口元から、椎名の気持ちに同調しているのが見て取れた。

 身内の思わぬ反応に、弐子は溜息を吐いた。

「どいつもこいつも」

 半端な癖に、一人前に口だけは達者だ。

 そう呟くと弐子は空中で反転し、灯果の装甲目掛けて鷹の様に急降下した。灯果は咄嗟にその場から離れようとしたが、先程叩きつけられた衝撃で装甲の一部に不調をきたしたのか、弾ける様な跳躍は見る陰もない。砲弾もかくやとばかりの速度で迫る弐子に肩を掴まれ、地面へと引き倒された。

「う……!」

 肺から漏れた空気を取り戻そうと呼吸を試みるが、腹を殴られ、再び灯果の意識が遠のく。全身に力が入らない中、首から下が突然重さを持ちだした。弐子が倒れていた灯果の首を掴み、宙に持ち上げたのだ。

「もういい! やめだ!」

 凄惨さを増す光景に居ても立ってもいられず、朱音が叫んだ。

「決着はついてるだろ!」

 しかし弐子の声色は低く、

「それは都合が良すぎるだろう。俺は今回の件、本当にがっかりしているんだ」

 灯果の首辺りから嫌な音がして、朱音は再び絶叫した。

「気を持たせるようなことを言うからだ」

 弐子の口調は静かなものだったが、強いサディズムを感じさせるもので、朱音は絶望に目を剥いた。

「君は言ったよな? 俺の望みは叶うと。結果がこれだ。この虚脱、到底受け入れられるものではない」

 苛立ちを隠さない弐子だったが、その耳が微かな笑い声を捉えた時は流石の彼も驚いた。笑い声は、目の前のボロボロになった装甲の中から発せられていた。

「……笑っているのか、お前」

 痙攣するかの様な笑い声を、灯果は確かに上げていた。

「合点が行った」

「合点?」

「お前は強い。私達の誰一人として、敵うことはないだろう」

 弐子の掌から、灯果が顎を動かし、何とか喋ろうとする動きが伝わってくる。圧倒的に不利な状況の筈なのに、灯果が平静を保っている様に見えるのが、弐子にはわけもなく不愉快であった。

「そして、お前があの男に負けたと言うのも、よく分かった」

「……何」

 その瞬間、弐子の声色がはっきりと変わった。

「ここに来るまでに、私は一度、あの男に敗北している。信じられるか。装甲なしの、生身の男に、だぞ」

 仮面で表情を伺い知ることは出来ないはずだが、灯果が愉快そうに笑っているのを、弐子は確信していた。

「どういうことだ!」

「退屈な思いをさせて済まなかった。――そら、気を取られている間に、待ち人来たり、だ」

 灯果の言葉に、弐子は弾かれた様に振り返る。

「貴様……」

 弐子の声色で尋常ではない何かが起こっている事に気づいた椎名と家城だが、時既に遅し。首筋にぴたりと何かが添えられ、二人は振り返る事もできずに身を縮こめた。

「動くなよ。こいつらの延髄を挟み潰すぞ」

 朱音は突然現れた人気に驚き、声の方に振り向く。

 二人の装甲探偵の頚椎に手をあてがいながら、いつの間にか羽邑燕次がそこに立っていた。

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