第12話


    一


 弐子の掌から火球が放たれた。前にした燕次は眦一つ動かさず、右の人差し指と中指を突き出す。先端には溶接機のように眩い電弧アークが、こちらもただならぬ光量を放っている。最早二つのプラズマを直視するのは耐え難く、場にいる全員は薄目で何とか地面の影を追うのが精一杯だった。

 接近する二つの光――そして遂に、大火球と燕次の指先が接触する。瞬間、火球の表面が波打ち、渦を巻き始めた。

「うおっ!」

 飛び散る炎が顔をかすめ、椎名が思わず仰け反る。溶けた金属が玉になって、橙に光りながら地面を走る。その光景はまるで溶鉱炉そのものであった。

(しかし、本当に圧縮プラズマを二つに割ろうってか……)

 事ここに至っては信じざるを得ない。椎名も家城も、眼前で起こるであろう二度目の奇跡を見逃すまいと目を凝らす。

 一方の燕次であるが、最初に弐子の圧縮プラズマ弾を割いてみせた程、軽々しく手品を再現出来てはいなかった。

(まずい――でかいぞ、これ……!)

 理由は二つ。火球が更に巨大化したこと、そして燕次の装甲が蓄えるプラズマ量の底が近づきつつあるからであった。特に後者は出力の不安定さにも繋がるため、精密な集中照射に悪影響を及ぼすのである。

 全身に広がる強烈な熱の放射を受け、燕次は歯を食いしばりながら、指先が震えないよう固定しつつもバルブを慎重に調節する。派手に見える光景の中、燕次が行っていたのは地味な、泥臭いとも言える作業であった。

 しかし彼の行為は少しずつ実を結んでおり、火球はみるみるうちに炎を剥ぎ取られ、小さくなっていく。再び燕次が弐子を打ち破るのは時間の問題に見えた。

「……?」

 炎の向こうで、弐子が妙な動きをしているのを見て、朱音は声を上げようとした。その瞬間、火球が突然一際大きく波打った。巨大な炎の蛇が二匹、燕次を中心にのたうち回り、無数の花弁となって散っていく。火球が切り裂かれたのだ。朱音と燐は彼の勝利を確信したが、橙の炎の向こうに、灯果は新たな脅威を見た。

(プラズマ弾!)

 弐子の笑みが、装甲越しに透けて見えるようであった。

 彼は初弾の巨大な圧縮プラズマを囮に、後から小さいプラズマ弾をわざと遅らせて撃ち込んでいたのだ。一発目を弾き飛ばすことに全力を注いでいた燕次がそれに気付いたのは、もう目と鼻の先にまで飛来してきてからであった。着弾するかと思われたその時、燕次は手首をくるりと返してそれに触った。

 一つは弾いた。

 しかし、プラズマ弾は、もう一つ。

 火花に混じって燕次の死角を突いて、左腕に着弾する。

「お、お――」

 装甲が赤熱する。

「おおおおおお!!!!」

 腕をかばいながら絶叫を上げ、身体を曲げて悶え苦しむ燕次。

 嗅いだことのない嫌な匂いが、あたりに立ち込める。

 凄惨な光景に、朱音の顔から血の気が引いた。


    二


 のたうち回った燕次は、首元のクランプを外し、角の生えた頭部の装甲を脱ぎ捨てた。途端、隙間から蒸気が溢れ出し、天井へと立ち上る。夥しい量の白い煙が消えた頃、燕次の顔が現れた。蒸し焼き状態になっていたからか、新鮮な空気を求めて喘ぎ、肌は赤みを帯びている。

「対策はしていたか」

 弐子の哄笑が響いた。「残念だ。そうじゃなきゃあ、お前の腕の皮と肉、焼けて装甲の内側にひっついている筈なんだが――」

 弐子の言うところの対策というのは、装甲の内側、服との間にたっぷり水を含ませたタオルを巻くことであった。万一高強度のプラズマ弾を受けた時に水を気化させて過熱を防ぎ、自身へのダメージを極力軽減させるためである。気化熱により装甲の温度は急激に下がるが、代わりに高温高圧の蒸気が内部に充満する。腕こそ失わずに済むが、地獄の苦しみに晒されるのには違いなかった。

 跪き、荒く呼吸を繰り返す燕次。濡れた前髪が額に張り付き、顎から水が滴っている。一方で、首元からは変わらず湯気が立ち昇っていた。

「これが見たかった」弐子が嬉しそうに言い、椎名達の方を振り向いた。「これが見たかったんだよ、俺は」

 弐子の狂気じみた執念に、椎名は寒気を覚えつつも、心中で拍手を送っていた。

(流石だ、弐子――)

 かたや地に膝をつき、かたやそれを見下ろす。分かりやすい勝敗の構図である。それもこれも、燕次が弐子のプラズマ弾をもろに受けたからだ。生身なら骨まで焦げ上がる、超高温の火球を。

 普通なら勝負ありだが、燕次はギリギリ意識を保っており、一方的に嬲れるこの状況が、弐子の持つ残虐さに火をつけようとしている。どこかで割って入らなければどうなるか――椎名が迷っている間に、燕次が口を開いた。

「参った」

「……何?」

「参った。俺の負けだ、降参する」

 息も絶え絶えそう言った燕次を、絶望、或いは諦観をもって全員が見つめた。あれだけの啖呵を切ってみせ、途中まで弐子を追い込んでいた燕次であったが、やはり二種と三種――いやそれ以下の差は如何ともし難いものがある。それが如実に現れた、そういうことなのだろうと、椎名は内心頷いた。

 傍から戦いを見ていた彼は二つの思いを抱いていた。一つは弐子の勝利への安堵であり、もう一つは落胆であった。ひょっとすると無免許の探偵が二種を打ち破るのでは、という大金星への期待を、心のどこかで抱いていたのであった。三種装甲探偵である椎名の、弐子へのコンプレックスがそうさせていた。

 彼はちらりと勝者である弐子を見やった。装甲に覆われた表情は伺い知ることができないが、椎名は嫌な予感をひしひしと感じていた。

 弐子はしばらくじっとしていたが、ふいにその装甲から笑い声が漏れてきた。

「バカにしているのか、お前は」

 燕次は首を振った。首から雫が滴り落ちる。

「虫が良いのを承知で頼む。俺達を見逃してくれ」

「わかってるじゃねえか。虫が良すぎるんだよ」

 風船から空気が漏れるような音がした。燕次の腕からである。火球を受けて脆くなった配管からプラズマが漏洩しているのであった。燕次は音が出ていると思しき箇所にもう一方の手を突っ込んだ。音はすぐさま止まった。亀裂の入ったと思しき配管を、指で押して潰し、封止したのである。

「ボロボロだな、もう」

 さも愉快そうに笑う弐子に、

「見逃してくれ」

 燕次は再び、命乞いをした。

「あはははは」

 甲高い声で、弐子が笑った。まるで子供の笑い声である。聞いたことのないトーンに、椎名と家城はぎょっとした。これが弐子か。あの、倉間探偵事務所のエースである、一種に限りなく近いと言われた男の本性か――普段は見えない弐子の暗い一面を見た様で、二人は身を縮めた。

 そうして一頻り笑うと、弐子はくるりと背中を見せて歩き始め、

「だからさあ――」

 しかしすぐさま反転すると、

「虫が良すぎるっつってんだろ、この三下ぁ!」

 気炎を吐き、燕次向かって飛びかかる。二回り大きい弐子の装甲、その掌が、燕次の頭をねじ切ろうと伸び上がる。燕次はやはり跪いたままである。誰もが一方的な殺戮を予感し、息を呑み、或いは目を背けた。

 だがその瞬間、椎名だけは一人奇妙な寒気を感じた。理由は分からない。だが彼は確かに違和感を覚えたのだ。うずくまったままの燕次に、得体の知れぬものを感じていた。その得体の知れぬ圧迫感は、第一種装甲探偵の倉間辰比古が作り出す雰囲気に似ている。

「待て、弐子――一人で行くな!」

 装甲は外していない。椎名は逡巡しつつも、同じく燕次に飛びかかった。

(邪魔だっ、こいつ――)

 しかし弐子はそれを疎んじた。そのため、ほんの一瞬だけ気が逸れた。文字通りの瞬き一つ分である。

 間隙に、燕次が動いた。

 弐子はそれを視界の端で捉えた。

 彼と椎名が意識を失ったのは、その直後である。

 

    二


 一体何が起こったのか、灯果はすぐには理解できなかった。

 弐子と椎名が飛びかかった直後、どん、とけたたましい音を立てて、二人の装甲が吹き飛び、視界から消え去った。まるで見えないパチンコで飛ばされたようだ、と灯果は思った。助走もなく、引き絞られたゴムが二人の装甲を打ち払ったようであった。朱音と燐に至ってはそれすら分かっておらず、舞い上がった砂煙を前に呆然としていた。中心では、燕次が変わらず喘いでいる。

 ただ、家城の目は一部始終を捉えていた。

「……恐ろしい人」

 彼女の肩は震えていた。

「見逃してくれだなんて、とんでもない詐欺……」

 燕次の装甲は完全に潰れた訳ではなかった。残った片腕、更にそこへと仕込まれていた無数のバルブを開閉し、自分の身体を高速で回転させていたのだ。そうしてさながらジェットエンジンの様に加速した燕次が、弐子と椎名の胴体にそれぞれ一撃を見舞ったのであった。家城はそう推測した。推測というのはつまり、あまりの早業に視認が出来ていなかったのだ。

「あなたは、全部分かっていて私達を手玉に取ったのね」

「そうでも、ないさ」

 言いながら、燕次がよろめく。装甲は半壊し、今度こそ満身創痍という有様であった。

「あれは最後の手段だ。お陰でプラズマは尽きた。もう炉は動いていないし、装甲はただの甲冑になった――だからあんたがまだやる気なら、今度こそ俺は死を覚悟しなきゃならない」

「それでも、あなたはまだ勝てるって思っている」

 家城の言葉に、燕次は肩を竦めた。「五分五分だよ。俺もそこまで豪胆じゃない」

 とんでもないことだ、と家城は思った。だがあり得ない話ではない。何せ、この男は先程百目木の探偵を倒してからここまでやって来たらしいのだから――それも装甲なしの生身で。

「で、あんたはどうするんだ」

「……遠慮するわ。私まで負けたら、この人達を運ぶ人が居なくなる」

「そうか。じゃあ、ここまでだな」燕次が深く安堵の溜息を吐いた。「正直助かったよ。今日は、もう、沢山だ」

 燕次が家城から視線を外し、灯果、燐、そして朱音の方を向き、歩き出した。足取りは不確かであったが、一歩ずつ、皆のもとに向かう。

「燕次……」

 朱音が走り出す。倒れそうになる燕次を支える様に、無骨な装甲へと抱きついた。

「すまない。間に合わなかった」

「ううん、私は無事。それに――生きてくれてて、良かった」

 涙混じりに微笑む朱音。しかし燕次の表情は厳しいままであった。

「いいや。間に合わなかった」

 彼は首を振ると、

「今頃、百目木洋行は、もう君のお父さんの会社ではなくなっている」

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