第7話

 

    一


鉄の馬がけたたましく嘶き、瀝青アスファルトが敷かれた狭い道路の上を駆ける。

 馬――つまり、燕次の駆るバイクであるが、それは通常のシルエットとはかなり異なるものであった。まず大きさだ。バイクと言っても幅や全長は二人乗りの自動車のそれに近い。車輪も前後ダブルタイヤを採用しており、伸び上がる多数のマフラーがマッシブな印象を強く与えていた。実際重量もかなりのもので、それが時速100キロ近いスピードでコーナーに突入する様は恐怖の一言に尽きる。

(クソ、どっちだ)

 共鳴器の反応をちらりと見ながら、燕次は心中で毒づいた。共鳴器とはそもそも単純な造りで、一本の細いガラス管を更に引き伸ばして何重にも折り返した内に圧縮したプラズマを封入したものである。通常プラズマは希薄な状態で内側をゆっくり漂っているだけであるが、ある条件下でのみこれらが凝集し、かつ細管内を高速で移動し始める。そして一定の速度を超えると特定のスペクトルを持つ電磁波を放ち、光の点滅という現象として現れる。

 これでもし同じ共鳴器が近くにある場合、互いに電磁波を授受し共鳴条件を保持するため、プラズマ温度が下がるまで勝手に光を放ち続ける。これこそが共鳴器と呼ばれる所以であるが、加えてもう一つ特徴がある。点滅する周期が共鳴器間の距離に比例しているのだ。つまり互いの距離が近ければ点滅が早く、ゆっくりの場合は遠くにある。

 そして今、バイクのハンドルに括りつけられた共鳴器の点滅周期は、かなりゆっくりなものであった。

(時間からして、朱音との距離はせいぜい3キロかそこらのはず。問題は、彼女がどっちに行ったかだ)

 電波干渉や雑音ノイズの影響を受けやすい共鳴器である。左右どちらに朱音がいるかは何となく燕次もわかるが、例えば前と左方向の区別は実に難しい。重いバイクを振り回しながら朱音を探索するのは至難であった。

 しかし彼の労苦も長くは続かなかった。狭い道を抜けて国道15号に出た途端、彼の行方を遮るかの様に、空から一体の鉄の像が夕日を背に受けながら落ちてきた。急にブレーキをかけた燕次に後方の車が慌ててハンドルを切ったのか、タイヤが擦れる音が辺りに響いた。

 像ではない、と燕次はすぐに思い直した。それは着地と同時に姿勢を沈め、自身にかかる衝撃を和らげようとした――つまりそれは像でなく、装甲であり、装甲探偵であった。白色で、腰と手足が細く、背に生えた翅の様なラジエーターが特徴的で、燕次はその姿からジガバチを連想した。

 尖った顔を上げたそれは、女の声を発した。

「馬脚を現したな」

「なに?」

「お嬢様をどこへやった?」

「お嬢様?」燕次は混乱しながらも、何とか冷静を保とうと努めた。「朱音のことか」

「よくもやってくれたものだ。だが早く居場所を吐いた方が懸命だぞ。お前をとっとと捕まえて拷問にかけ、地獄を見せるのも吝かではないと、本気で思っている」

 目の前の女探偵が吐く声色は剣呑で、ところどころ怒気に震えている。

 燕次は身を固くした。

「待て。君は百目木の探偵か? 朱音を誘拐したのは俺じゃない。それに俺も朱音を探している最中だ」

「俺じゃない?」

「そうだ。今急いで後を――」

「そんな安い嘘、信じると思うか」

 装甲を通じて、女の殺意が空気を侵食する。燕次は顔を歪めながらも、相手の装甲を凝視した。が、橙の逆光が深い陰を落とし、細部の造りが見え辛い。

(サイズからして三種のはずだ。が――今、こいつ空から落ちてきたよな)

 燕次が確証を得られていないのには理由があった。二種と三種の違いというのは無論装甲の出力の差なのだが、より分かりやすい定性的な違いとして、二種装甲は連続しての飛行が可能であるのに対し、三種は跳躍のみに限られる。出力が弱く、高高度を維持することが出来ないのだ。

 にも関わらず、目の前の装甲は空から落ちてきた。確かに原理上は可能である。つまり、三種装甲が飛行能力を獲得するためには、規定以上の軽量化と、時間制限付きで定格以上のプラズマ燃焼を持続させる、という必要がある。

 ならばと燕次が考えたその時、目の前の装甲が動いた。同時に燕次はすぐさまバイクを反転させるとフルスロットルで飛ぶようにその場を離れ、最初の交差点ですぐに曲がった。

 ちらりと後ろを見遣る。予想通り、装甲が大理石で造られたビルの間を、宙を舞いながら追ってきている。

(すぐには追いつけないだろうが、こちらも逃げ切れるわけじゃない)

 燕次は方向転換を繰り返し、ある小さな神社に逃げ込んだ。夕刻、人気はない。無作法を心中で詫びながら、彼は石段をバイクで駆け上がると境内の真ん中で反転し、シートから腰を離した。

 白蜂の装甲はすぐに上空から、今度はゆっくりと地面へ降りてきた。

「お前、装甲探偵か?」

 女の問いかけに、燕次は口を歪めた。

「ああ、そうだ」

「装甲はどうした」

 今ここにはない、とは言えない。だが相手の女探偵は、それを察しているのだろう。口調から焦りが消え去っている。

 しかし燕次はここで、あえて不敵に振る舞ってみせた。

「あんたにはなくてもいいだろう。誤解を解いてる暇もない。とっとと倒してから、朱音を追いかけさせてもらう」

 バイクを降り、上着をシートにかけてシャツとサスペンダー姿になった燕次は、足を開いて腰を軽く落し、両手を女探偵へと向けた。

「生身で装甲の相手をするつもりか?」

「そうだ。遠慮はいらないぞ」

「――いい覚悟だ。だが安心しろ、元から私に遠慮など無い」

 女探偵は地面を蹴ると、驚異的な速度で燕次に迫った。

 

    二


 顔を覆っていた麻袋が突然取り払われ、朱音はまず慌てて深呼吸をした。そして周囲を見渡すと同時に、自身が今どんな格好をしているか――具体的にはスカートがどれだけ乱れているかを確認した。幸い、際どく捲れていたが下着が露わになっている様子はない。首を振って顔にかかる髪を払うと、彼女は再び辺りを見渡した。

 朱音は自身がどうやら古い工場か倉庫の中に放り込まれたのだと理解した。鉄骨がそのままむき出しになっており、そのまま数年放置された様で、とにかく埃っぽい。天井のガス灯が生きているお陰で、夜にも関わらず辺りがよく見えた。退廃的なその光景は、彼女が先月買ったばかりの舶来品、ジャズバンドのとあるレコードのジャケットを彷彿とさせるものであった。

 目の前には同じく燐が麻袋を被せられている。一人の男が近づくと、それを上に引き上げた。瞬間彼女は身を捩ったが、視界が晴れ、小さく声を漏らした。

「燐」

 朱音は彼女に声をかけた。「大丈夫か」

 燐は驚きと恐怖、そして顔の袋が外された事による安堵と三種の感情に支配され、息も荒く激しく狼狽えていた。

「おい、燐」

 燐は身を震わせ、目を剥いて朱音の方を見た。

「大丈夫か」朱音が再度声をかけると、燐は小さく何度も頷いた。

 ひとまずの安堵の後、朱音は改めて周囲を見遣った。工場の中には、朱音たち以外に男女が一人ずついた。朱音たちを拉致した二人――倉間探偵事務所の椎名と家城である。

 油断した、と朱音は改めて後悔に歯噛みした。

 校門で二人に自身の名を呼ばれた彼女、そして燐は、戸惑いながらも促されるまま自ら車内へと入っていった。そこに女性である家城がいたのも、彼女らの警戒心を解く大きな一因であった。しばらく彼女らは自分たちが拉致されたことに気付けず、車が小さいトンネルに入った瞬間そ家城に突然頭から袋を被せられ、手足を縛られ、後部座席の足元に転がせられ、文字通り手も足も出なくなって、そこまで至って漸く拉致されたのだと気付いたくらいだった。

 あの時は燕次に事件の解決を告げられ、全ての警戒心が切れていた、と言っても過言ではない状態にあった。緊張から弛緩へ一気に心理が振れた瞬間でもあり、彼女にとってはあまりにタイミングが悪かった。百目木を狙っている勢力は脅迫文とは関係なく確かに存在し、朱音の背後にまで音もなく接近していたのだ。

(油断した。油断した。マジで油断した……!)

 後悔してもし足りない。自分はまだいい。だが百目木と関係のない燐を巻き込むのはあまりに申し訳が立たない。彼女は悔しさに顔を歪めた。

「離せよ! お前ら、何なんだよ!」

 朱音が叫ぶと、椎名が眉を顰めた。

「元気だなあ。若いって羨ましいぜ」

「ざけんな!」

「騒ぐなよ、何もしねえって。目当てはお前らじゃないからな」

 気の抜けた男の言葉に、朱音は毒気を抜かれた様な表情をした。

「どういうことだよ」

「まあしばらく俺たちに時間をくれよ。今日中にはお家に帰してやる」

 たった今女子高生二人を誘拐したとは思えないくらい気だるげに言ってみせる椎名に朱音が眉を顰めたその時、「勝手な約束をしないでくれ」と別の男の声、そして靴音がその場に響いた。

「弐子」入ってきた男に、椎名は不満そうに名を呼んだ。

「今日中に終わるかどうかなんて分からない。

……もっとも、君たちの協力次第ではある」

「協力?」

「そうだ」

 弐子は朱音の眼前にあったドラム缶に腰を下ろした。

「百目木の雇っている探偵について知りたくてね」

「生憎だけど、あたしは何も知らないぜ。全部親父がやっていることだからな」

 朱音が涼しげに言った瞬間、弐子は座っていたドラム缶から降りると、それを蹴り飛ばした。けたたましい音がしてドラム缶は5メートル程宙を飛ぶと、地面に落ちて転がった。

「つまらないことを言うもんじゃない」

 弐子は表情を変えずに言ったが、その目が怒りに満ちているのを、朱音は悟った。恐ろしい力、これが装甲探偵――彼女は小さく身を震わせた。

「俺が知りたいのは最近入ってきた新入りのことだ。君の家と専属で契約している装甲探偵は先月まで五人だったはず。それが今月、間違いなく一人増えている」

 朱音は口を一文字に結んでいたが、一人増えた装甲探偵のことを聞いた瞬間、それが僅かに波打った。そして第二種装甲探偵である弐子は、決してそれを見逃さない。

「知っているな。誰だ」

「知らねえよ」朱音は気丈に返したが、弐子は彼女がその探偵について知っていると、充分すぎるくらいに確信していた。

「早めに言ったほうがいい。そうでなければ、生きているのを後悔するくらい痛い目を見ることになる。

……椎名さん。あれを」

 言われた椎名は、弐子に苦い顔を向けた。

「あれって、お前が昨日言ってたやつだろ」

「そうだ」

「そうだじゃねえって。いい加減こういうことに使わせるのやめろよ。俺は探偵で行き詰った時のために、真面目に勉強してたんだぜ」

「いいから。大体、このために椎名さんを連れてきたようなものなんだ」

 んだよそれ、と悪態を吐きながら、椎名は場を離れると、程なく戻ってきた。手にはボールペンを肥大化させた様な、正体不明の木製の棒が握られている。胴には滑り止めの溝が何本もついており、両端は片方が少しだけ鋭く、しかしどちらも丸く削られていた。

「いいか、百目木のお嬢さん。君のところの新入りの探偵について、知っていることを洗いざらい吐いてもらう。協力しなければ、」弐子は首だけ振り返ると、「あちらのお嬢さんに痛い目を見てもらう」

 顔を向けられた燐は、小さく悲鳴を上げた。

「やめろ! あいつは関係ない!」

「ならちゃんと話してくれ。お友達に迷惑をかけたくなければ」

 突然のことに、朱音はいたく混乱した。目の前の燐と、どこかにいる筈の燕次。彼女はどちらかを救うというより、どちらかを見捨てるという選択肢を突き付けられた。冷徹に考えれば、燐を庇う意味はない。彼女は朱音を脅迫した相手で、クラスメートとは言え今日までろくに縁も所縁ゆかりもなかった。

 しかし、彼女は冷徹な人間ではない。何より負い目があった。何の関係もない燐を百目木の争いに巻き込んでしまったという負い目である。それに、燐はか弱い女の子で、燕次は仮にも装甲探偵である。荒事は燕次が専門であるが、彼の同意を得ずに情報を洗いざらい吐いてしまうことにも抵抗があった。彼が知らぬ間に裏切りを行っている様で、その結果信頼を失いたくない、という、朱音自身気づいていない躊躇いが、混乱の渦を更に複雑にしてしまっていたのだ。

 斯思考の袋小路に迷い俯いてぶつぶつと呟く朱音。そんな彼女をしばらくじっと見ていた燐であるが、

「百目木さん」

 何かを決意した様な強張った表情で、辛うじて震えた声を発した。

「大丈夫。私、大丈夫だから」

 全員の視線が燐に集まる。

「ちょっと、お前、何言ってるんだ」朱音は慌てて言うが、燐は聞こえないと言わんばかりに、

「気にしないで。私は貴女に謝らなくちゃいけない。でもどうやって謝ればいいかわからなかった――だから、これで、おあいこにしてくれると、嬉しいかしら?」

「バカ言うんじゃねえよ!」朱音は身体を激しく動かすが、手足の縄は解けない。「おあいこになるわけねえだろ!」

 しばらく二人の応酬を眺めていた弐子だったが、にやりと笑うと、「いい覚悟だ、お嬢さん」言って、椎名に頷いた。

 椎名は顔を顰めると、

「……いいけどよ。俺が悪者みたいになるの、すげえ不本意なんだよな」

「悪者だろうが! ふざけんな!」

「全く失礼な話だぜ。……ま、一度味わってみてくれよ」

 朱音の罵声が仇となったのか、椎名は燐の前に立つと、彼女の靴、そして靴下を両足とも乱暴に剥いだ。燐は恐怖に身を縮めるが、決して悲鳴を上げない。強い決意が、彼女の口に蓋をしていた。

「クソ、お前、マジで、」

「だったら早く言ったほうがいいぞ」

「言う、言う、言うから!」

 朱音の必死の懇願にも耳を貸すことなく、椎名は淡々と木の棒を彼女のそこ・・にあてがうと、

「優し目にしているつもりだけどな。それでも大抵のヤツは叫び声を上げる。

――君も我慢する必要はないぜ」

 先端が、柔肌に食い込む。

 燐と朱音の悲鳴が、場にこだました。

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