第5話

 

    一


 三鷹は井の頭公園を源、隅田川を終端とする神田川は、帝都東京をぐるりと囲みながら横断する川である。同時に区の境界も担っており、例えばそれは神田と西新宿を分かつ。

 新宿中央公園から北西。神田川の一角、狭い路地に多くの自動車が物々しく顔を付き合わせていた。周囲には朝も早くからヘルメットを被った肌の浅黒い男たちが大勢ひっきりなしに土砂を運んでいる。見れば川の石垣にぽっかり巨大な穴が空いており、そこの奥からもう一つの川が神田川に水を運んでいた。普段人目につくことのないこの川は神田川の支流であり、帝都の近代化に応じて暗渠化された和泉川である。この合流に、多くの男達が群がっていた。「道路工事につきご迷惑おかけ致しマス」と書かれた金属の看板が、雑然と道路に置かれている。

 暗渠の壁にかけられたランタンが蝋燭の灯りを点々と奥まで導いており、さながら坑道の様相を呈している。その入口でじっと奥を見やる男が立っていた。武蔵野ディアマン設計課課長を名乗っていた龍見である。彼はふと肩を叩かれ不機嫌そうに振り向いたが、相手を見て飛び出でんばかりに目を丸くした。

「く、倉間さん」

「お早うございます。調子はどうですか」

 ヘルメットを被り上半身はタンクトップ一枚、ツナギに長靴という出で立ちで川底まで降りてきていた倉間は、そこにいるどの作業員よりも目立っていた。二本の腕、首周り、脇。筋肉のシルエットはあまりに異常で、皮肉なことにそこにいる誰しもが彼を同業ではないと内心断じていた。

「ええ。お陰様で順調そのもの」

「ははは。そりゃあ何より」

 龍見は倉間の笑い声につられて顔を歪ませたが、それは決して喜びによるものではない。

「しかし、どうされましたか。私がここにいる、とよくわかりましたね」

「ご存知の通り、うちのビルからここは目と鼻の先です。気づかないわけがございません」

「さすが、装甲探偵」

 龍見は口元だけで笑顔を作った。

 直接は俺には言わないが、部外者がここに居座るのが好ましくないのだろう。肚の内ではそう思っているに違いないと、倉間は横目で龍見をじろりと見た。

(どこ行っても俺は鼻つまみ者か)倉間は内心そう嘆息した。

「それで、ご用件は」

「んん、ええ」

 彼にしては歯切れが悪く、一度咳払いをしてみせた。

「せっかく近くにいらっしゃるのだから、ご挨拶と簡単にご報告をと思いましてね」

「報告、ですか?」龍見の眉間に刻まれた皺が深まった。「良い方の話ではなさそうだ」

「ご明察で。実は、先日うちの探偵が一人、こっぴどくやられましてなあ。百目木の新たに雇った装甲探偵の仕業だそうで」

「新たに雇った?」

「ご存じない?」

 龍見は首を振った。

「初耳です」

「そうですか。となると、まずいことになりますなあ」

 倉間の呑気な口調に、龍見が顔をしかめた。

「倉間さん。言いたいことがあるならはっきりと仰って下さいよ」

「いやねえ、龍見さん。純粋に、百目木は油断ならない相手だってことです。こうして龍見さんの裏をかいて探偵を用意している」

 確かに、と龍見は首肯した。

「まあご安心ください。担当の弐子は優秀な探偵です。二種なんですが、あの実力は準一種と言ってもいいくらいだ。それに何となれば、最後には私がいますから」

 なはは、と大きく口を開けて笑う倉間に、龍見は顔を引き攣らせながらも笑顔を返す。

 実際のところ、第一種装甲探偵である倉間が出てきた時点で百目木が何人二種の探偵を揃えても勝ち目はない。それほど第一種と言う存在は絶対的なのである。その分莫大な金がかかってしまうため、依頼者クライアントは滅多に頼ることがないのだが――

「ところで龍見さん。こいつぁ何ですか」

 倉間は暗渠である和泉川の出口を指差した。途端、龍見の表情が強張った。ぽっかり空いた穴では絶えず人の往来があり、一人が土砂を外に捨てたかと思えばH鋼を二人がかりで抱えて入っていく有様である。

「……倉間さん。幾ら倉間さんでも、教えられないことがある」

「ええ、ええ、構いません。依頼者クライアントのご要望に沿った解決を見るのが我々装甲探偵の本懐です。ただ我々も守秘義務というものがあります。いいですか、龍見さん。我々の守秘義務は絶対です。例え一種だろうが二種だろうが、これを破るときは探偵を辞めるとき。大げさにいってるんじゃあありませんよ。

 ――だからね、龍見さん。我々にご相談したくなったら、どんなことでも結構です。いつでもお気軽にどうぞ」

 ニンマリと笑みを作った倉間は龍見の肩をぽんと叩き、そのまま石の護岸にかけられた梯子を登って、街角に消えていった。

 龍見は倉間の背中を苦々しい面持ちで見やっていたが、額の汗を拭うと、すぐに暗渠に向き直り、奥へ向けて歩き出した。

 

    二


 授業と翌日の準備、学校行事打ち合わせと栞の作成。

 一通りをこなしたら、燕次が事務所に戻ってきたのは9時を回った頃だった。

 教師であれば(褒められないとは言え)普通のスケジュールかもしれないが、彼は装甲探偵である。燕次は延ばし延ばしにしていた己の装甲のメンテナンス作業に、漸く重い腰を上げることにした。

(この先、鉄火場を迎えるのも一度じゃ収まらないかもしれないしな)

 彼は幾つかの工具を抱えると事務所から出て、5分ほどガス灯に照らされた夜道を歩いた。その先には古びた煉瓦造りのガレージがあった。中に入り、ガス灯を点ける。そこには彼の装甲が、器具に固定される形で直立していた。表面は黒く、ガス灯により輪をかけて暗い影を落としている。弐子に牛頭うしあたまと称された独特のフォルムは、周囲の退廃的な様子とも相まって真に禍々しい有様だった。

燕次はスーツとネクタイだけをを脱いで、それらをポールハンガーにかけた。シャツとパンツ、サスペンダーという出で立ちになった彼は慣れた手つきで工具を手に取り、装甲をバラし始めた。ネジを緩め、外板エクステリアを取り外すと内部が顕になる。外側のつるりとした様子とは裏腹に、内側にはぎっしりと金属製のシリンダや配管が詰まっている。燕次は数枚の板を外した状態で胸部付近のパーツに鍵を二本差し込み、両方を同時に捻った。途端、中央の円形のガラス窓から緑の光が溢れかえった。内側では同じ色の炎が踊っており、これこそが圧縮プラズマ炉が連続燃焼状態に入ったという証拠である。

 それを見た燕次は装甲の四肢にそれぞれ潜ませた小さな圧力計を順に見て回った。左腕から時計回りにチェックし、右腕で終わる。と同時に彼は眉を顰めた。

「圧が高い」

 ぼそりと呟くとマイナスドライバーを工具入れから取り出し、右腕の付け根辺りにあるネジを回し始めた。が、様子に変わりはない。試しに銀色の配管をコツコツ軽く叩くが、値は高いままだった。

 再び二本の鍵を同時に、今度は逆方向へ捻ると緑の炎はついと消えた。燕次はマイナスドライバーを工具入れに戻すとすぐさまスパナを二本取り出し、配管の継手を外そうと試みた。外径6ミリの細管である。慎重に一つを緩めると、今度は逆側。漸く一本の継手が外れ、燕次はガス灯の傍で内側にルーペを当てた。

 思わず天を仰ぐ。黒い粉が配管の内側にこびりついており、その量たるや向こう側が見えなくなるまでであった。

 要するに、詰まっていたのだ。

 よくあるケースではある。ちゃんとプラズマが流れていれば粉も焼かれプラズマ化するはずなのだが、どうしてか内側で一旦詰まると、プラズマを幾ら送っても斯様に意味のない状態になる。

 燕次は部屋の隅から長い金属管を取り出すと、外した配管と同じ長さに切り出し、一度ブロアで埃を吹き飛ばして、新品の配管を両サイドにねじ込んだ。それをベンダーで軽く曲げると外した場所に付け直し、再度エンジンをスタートさせる。が、今度は予想だにしない事態が発生した。

「げ!」

 燕次が思いがけず奇妙な声を上げたのも無理はない。空気が漏れる、甲高い音が出始めたのだ。試しに少し継手を締め直しても結果は変わらない。

 彼は紙コップを掴むと慌てて洗面所に行き、粉石鹸をその中に一摘み入れ、倍以上の水で薄めた。泡立つそれを持って引き返し、指先で掬いながら新しくつけた配管に塗りたくった。するとある点で極端に泡がぶくぶく吹き出した。ここだ、と燕次は顔を歪めた。ベンダーで曲げを入れた箇所だった。そこから亀裂か何かが発生したのか、とにかく内側から圧縮プラズマが漏れているのだ。

 装甲のエンジンを再度停止させ、同じように金属管を再度切り出し、曲げて取り付ける。結果は同じだった。安いからと安易に飛びついた結果、とんでもない不良品を掴まされたのだと気付き、燕次は天を仰いだ。つまり、最低でも明日一日は装甲が使い物にならない。

 時計を見る。気づけば0時近い時間帯だ。逡巡したが、燕次は壁にかけられた電話のハンドルを回すことに決めた。

 

    三


 高籏織音たかはたしおんは寝ぼけ眼で枕に埋めていた顔を上げた。遠くで不快な音が鳴っている。彼女は布団から這いずり出ると、家全体が真っ暗な中、ジリリと鳴る電話を探して壁を頼りに音源を探した。近所迷惑になるから早く受話器を取らねばという焦り、そしてひょっとするとという期待が眠気の中に小さく浮かんでいる。実際、時々彼女の家ではこういうことがあった。ガス灯も点けず玄関先のそれを探し当てると受話器を上げ、耳に押し当てた。

「はい、高籏商事れす」

 回らぬ舌で社名を告げる。織音の父である高籏藤一郎とういちろうは小さい商社を経営しており、織音は一社員としてその手伝いをしていた。

「織音さんですか。夜分すみません、羽邑です」

「あ、羽邑君!」

 織音は声を弾ませた。

「いえいえ、羽邑君なら丑三つ時でも大歓迎! で、こんな時間ですから私に良いお知らせなんですよね?」

「当然悪い知らせです」

「ですよねー」

 燕次はこの時間に何度か高籏商事に電話を入れている。その全てがクレームと、朝一での対応要求であった。織音も半ば覚悟していたが、一縷の望みに縋りたいのが人の性。

「先日納入頂いたSUSサスパイプ。安物とは言えとんでもない不良品だ。曲げたら亀裂が入って中のガスが漏れました」

「ええー……マジすか」

「今時あんなのに当たるとは、運が良いやら悪いやらとは思いますが」

「いやレアだよね。羽邑君そういうの得意だよね」

「こういったことがあると、今後そちらとの付き合いも考え直さなきゃいけません」

「ちょっ!」

 織音の眠気が一発で吹き飛んだ。

「ご、ごめんなさい! 埋め合わせするから、ね?」

「まず明日までにちゃんとしたものを納め直して下さい。明日中です。それ以上はまかりならぬと思って下さい」

「うんうん!」

「頼みますよ。モノは事務所の前にでも置いておいて下さい」

「分かったわ! 迅速かつ良品をお届けします!

それでね羽邑君、お詫びも兼ねて今度私とご飯に行かない? 吉祥寺ジョージに美味しい伊太利風の小料理屋さんが――って」

 織音は受話器を耳から話して、じっと見つめた。「切れてるよねー。そうよねー」溜息をつきながらフックに戻した。「おっとりしてる様に見えて本当にクールだよねー。お姉さん正直泣いちゃいそう!」

「うるさいぞ織音! 近所迷惑だろう!」

 織音の絶叫を窘める怒声が、天井から降ってきた。父の声は天の声である。

 彼女はさめざめ泣きながら、ひとまず朝までふて寝を決めることにした。

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