第3話

 

    一


 椎名攻しいなおさむは不機嫌そうに煙草の箱を叩き、それをジャケットの胸ポケットに仕舞い直した。彼がいるのは西新宿にある倉間ビル――倉間探偵事務所が丸ごと入った自社ビル――の四階のとある一室である。そこは部屋と言ってもパーテーションで区切ってあるだけの、机が一つに椅子が六つだけ並べられた、手狭な簡易会議室であった。周りには他にも同様の会議室があるが、誰も使っておらず椎名のみその場で時間を持て余していた。

「遅れてすみません」

 再度煙草の箱に椎名の指先が触れた時、部屋に一人の女が入ってきた。

「遅えぞ、家城やしろ

 家城と呼ばれた若い女性――家城花蓮かれんはしかし、全く悪びれた様子もなく「だからすみませんって言ってるじゃないですか」と椎名の顔も見ずに言葉だけの謝罪をして、パイプ椅子の一つに座ると短い髪を弄り始めた。

(毎度のことながら、なんて女だ。可愛げなんてレベルじゃねえ。人格破綻だ)

 椎名は心中で家城を罵ったが伝わるはずもなく、代わりに近頃白髪の混じりだした自分の頭を掻いた。

「呼び出したあいつは。張本人はどこ行った」

「知りません」

「ああ、そう」

 椎名の気分は石が坂から転がり落ちるように悪くなった。(外に出て、一本吸うか)そう考えた矢先、ドタドタと音を立てて弐子が部屋に入ってきた。額には髪が汗で張り付いており、小脇にはファイルを抱えている。

「すまない。待たせたな」

 椎名は肩をすくめてみせた。家城は顔色をまるで変えず、弐子の存在すら興味がなさそうだった。

「で、俺達に何の用だ」椎名は口を噤んだままの家城を横目に言った。

「あんたらがヒマだって聞いたんでね」弐子は椅子に座ると、机の上にファイルを置いた。「俺の仕事を手伝ってもらう」

 弐子の言に、椎名はあからさまに嫌そうな顔を向けた。

「ヒマじゃねえよ」

「分かってる。たまたま身体が空いてるってことだろ」

 言い方に、椎名は眉を顰めた。

 元々椎名は一方的に弐子を嫌っていた――と言うより、苦手意識を持っていたという方が正確だろう。椎名は今年30になるという中堅どころだが三種持ちどまりであり、技量を考えれば今後二種の取得はかなり厳しい状況である。一方順調にキャリアを重ねてきた弐子は二種を取得後、いつの間にか主任探偵の肩書きまで授かっていた。つまり直属ではないにしろ、弐子は椎名の上司にあたる存在となっていたのだ。年下に追い越され、椎名はここ数年彼は惨めさと諦めの間でふらふらと彷徨うばかりであった。

「俺が担当している案件については知っているか」

「知らねえよ」

 椎名は間髪入れずに吐き捨てたが、家城は「真空会さんの件ですよね」と頷いてみせた。

「真空会? 何だそりゃ」

「顧客の名前だ」

「老人の仏教サークルか何かか?」

 それ以上は語らず、弐子は机の上に置かれたファイルを開いた。そこには朱音の父が経営する会社の情報――所在地や従業員数に資本金等、ごく基本的なものが記載されている。

「要請された内容は幾つかあるが、俺は今、この百目木洋行という商社を切り崩しにかかっている」

「おいおい、物騒じゃねえか」

「実際物騒だ」

 椎名は眉を顰めたが、弐子は意に介さずページを捲った。

「連中も探偵を揃えて俺達に対抗してきているが、はっきり入って大したことはない。相手の戦力については事前の調査で分かっていた――が、ここに来て俺達が把握していない新たな装甲が出てきた」

「そりゃお前、把握していないってのは、お前らが準備不足って、それだけなんだろ」

「……結果だけ言えばそうなる」

 椎名の言に、あからさまに弐子は声のトーンを落とした。(珍しい、良い気味だ)椎名の口角は自然上がったが、「それ、結果論ですよね」と家城が口を挟んできたことで、再び下がった。

 弐子は構わず続けた。

「兎に角コイツが厄介だ。もう一度百目木の家と会社を調べたが、そこに所属している形跡はなかった。つまり遊軍だ。俺達を背後から叩くために百目木が新たに用意した探偵だと考えられる」

「へえ」

「何とかしてコイツを引き摺り出してぶっ叩かないと、また俺達は不意打ちを食らう」

「また? ちょっとまて、お前、この装甲に負けたのかよ」

 弐子は椎名の目をじっと見ると、ゆっくりと頷いた。

「おいおい、じゃあそいつは……まさか、一種サマってことか?」

 日本にたった百人しか存在しない第一種装甲探偵を想像し、椎名は怯えた。

「いや、それはあり得ない。あの装甲のサイズから考えると、三種以下であることは間違いない」

「何だそりゃ。お前、そんなのに負けたのか。不意を打たれたか何だか知らねえが」

 軽口を叩く椎名に、弐子は「この際だから正直に話す」と前置きすると、

「汚名を雪ぐために俺に与えられた時間は一週間きりだ。その間に俺はコイツを完膚なきまでにぶっ飛ばして、かつ依頼を完遂しなくちゃならない。それが出来ないと俺は今度こそ倉間所長に殺されて、ここをクビになる」

 弐子の告白に、流石の椎名も息を飲み、家城は目を丸くした。

 だから俺は必死なんだ、と落ち着いた口調で話す弐子に、椎名は今度は「良い気味だ」とは思えなかった。

(俺より若造のこいつは命を懸けて仕事をしている。なのに、俺と来たらこのザマは何だ)

 惨めな気持ちになり、彼は押し黙った。

 

    二


 しばらくの沈黙を破ったのは家城だった。

「で、私は何をすればいいんです?」

 弐子は一瞬だけ言い淀んだが、目を伏せながらも淡々と語った。

「隠れている探偵――仮に、そうだな、」弐子は少し考えると、「牛頭うしあたまだから、牛頭ごずと呼ぼうか」その探偵の装甲の形を思い出し、仮の名前をつけた。

「こいつを焙り出すために、百目木を混乱に陥れる。まず俺達が百目木の家族を拉致、間髪入れずに本社に攻撃を加える。恐らく、連中は家と会社の守りを固めるのに専属の探偵全員をつぎ込むだろう。あそこには二種が一人、三種が四人待機している」

「つっても、派手にやりすぎると警察が出張ってくるぞ」

「だから静かに、かつ素早く事を済ませる必要がある。元々あの家にはある程度の圧力をかけ続けているから、すぐには警察に駆け込まず、まず自分たちで解決しようとするだろう。そうなると十中八九、連中は拉致された家族を取り返すために牛頭を送ってくる。唯一こちらを退けることに成功した探偵だ。これを迎え撃つ」

 ふうん、と椎名は頷いた。彼は冷静を装っていたが、内心は動揺していた。拉致に攻撃。倉間事務所は所長を筆頭にかなり武闘派の装甲探偵を揃えてはいるが、ここまで激しい作戦を立てたことは未だかつてない。

「迎え撃つ、となると場所が必要だ。椎名さん、良い場所を知っているか?」

「お前とその牛頭が派手にぶつかっても良い場所ってことか」椎名は苦笑した。「そんな広い場所、この辺にはないぜ」

「多少離れてもいい」

 椎名は腕を組むとうーんと唸って、「東京湾沿いの埋立地。開発が放棄されたところなら、しばらく邪魔は入らないだろう。後は……多摩の方まで行かなきゃならないか」

「埋め立て地か」弐子は小さく頷いた。「多摩は遠い。じゃあ椎名さん、そっちの方で良い場所を見繕っておいてくれ」

「ああ」顎で使われているような気がして少しだけ苛立ちを覚えた椎名だったが、事態が事態だと気にしないことにした。

「あとは誘拐だな」弐子はファイルのページを捲った。そこには老若男女、数人の顔写真が貼られている。

「これが百目木家ね」

「そうだ。社長の百目木冬弥とうや、妻の茉子まつこ。以下息子と娘」

「で、誰を狙うんです?」

 家城の問に、弐子は黙ったまま一枚の写真を指差した。


    三


 ボランジェのシャンパン――給仕の男がグラスに注いでいるボトルを横目で見る限りそうに違いない――で喉を潤した百目木鋭吉えいきちは、炭酸と共に溜息を吐いた。

(このパーティはハズレだ)

 大口の取引先が主催する対外向けの創立50周年記念パーティーは、港区のとある有名なホテルで開いただけあって豪華ではあったが、鋭吉にとっては退屈極まりないものであった。何しろ女っけが全くない。幾分はいるが、どれもトウの立ったご婦人ばかりである。コンパニオンでも呼べばいいのに気が利かない連中だ、と鋭吉は心中でぼやいた。

 何せ元々呼ばれたのは彼ではなく彼の父、百目木洋行の代表取締役である百目木冬弥だ。鋭吉はそんな父の代理、悪く言えば子供の使いである。取引先の専務と名乗る男も扱いに苦慮したのか、最初は歓迎の素振りを見せていたが鋭吉のそっけなさにいつしかそそくさと退散し、今はどこぞの連中と歓談に興じている。独りになった彼はすることもなく酒を呷り続けていた。それもこれも、父が自分に経営の一角すら預からせてくれないからだと、彼は苦い顔をした。少ないとは言え株主の一人なのに、重要な決定には何一つ参加させてもらえていない。このパーティーがつまらないのも、つまらないパーティーに出席してしまったのも、そのせいに違いないと彼は思った。

「おい、君」

 鋭吉は給仕を一人捕まえると「マティーニを」とだけ言った。給仕は小さく微笑み「畏まりました」と言うと、そのまま広間を出て行った。

 マティーニが来るまで、さっきのシャンパンで口をごまかすか。そう考えてグラスが並ぶテーブルに近づこうとしたところ「おや」と鋭吉は突然横から声をかけられた。

「あなたは百目木さんの息子さんじゃないか」

 振り向いた鋭吉の前に、一人の男が笑みを浮かべて立っていた。歳は鋭吉と同じかそれ以上、30歳かそこらと言ったところだろう。オールバックにぎょろりと大きい目が印象的で、鋭吉は蛙を連想した。

「どこかでお会いしたかな」鋭吉は話しかけてきた男に心あたりはない。ただ彼自身記憶力が良くない――と言うより、興味のない相手の顔をいちいち覚えない――ことは自覚している。知っている素振りすらせず、彼は問いかけた。

「ええ、と言ってもこちらが一方的に知っているだけです。以前御社を訪問させて頂いたことがある」

「へえ」

「申し遅れました。私、武蔵野ディアマンの龍見たつみと申します」

 龍見と名乗ったその男は懐から名刺を取り出した。鋭吉は無造作にそれを受け取り、覗き込む。

「設計部の課長さんね」

「お会いできたのも何かの縁。折り入って、ご相談に乗って頂けませんか」

「俺に?」鋭吉は薄笑いを浮かべた。「何にもならないよ」

「とんでもない、鋭吉さんのことは存じています。海外の大学を卒業されたと」

「ああ」金で買った学位ではあるが、彼はそれなりの努力をして論文を書き上げ、卒業に漕ぎ着けていた。

「優秀でいらっしゃるとお噂はかねがね。ええ、愚痴の様なものです」

「……良いよ、聞くだけなら」

「恐れいります」龍見は笑みを浮かべると、それはますます蛙の様に見えた。

「じゃあ遠慮無く」龍見が話しだそうとしたその時、「お客様」と鋭吉に声がかけられた。

「お待たせ致しました。マティーニでございます」先ほどの給仕である。トレイには十ほどのグラスが乗せられており、とろみのある液体の中にオリーブが一つだけ沈んでいた。

「どうも。龍見さんも良ければ」機を制された龍見はむっとした顔をしていたが、鋭吉に勧められグラスを一つ取った。鋭吉がグラスを小さく掲げてすぐさま飲み干したのを見て、龍見もそれに倣う。

(まあまあ。合格)心中で、鋭吉はマティーニの出来をそう評した。天邪鬼の彼がそう言うのであれば、このホテルのバーテンはそこそこの腕を持っているということになる。

「続けても?」

 アルコールの強さに顔を顰めた龍見に、鋭吉は薄く笑って頷いた。

「ああ、ええと何を話そうと――そうそう、ご相談したいことがありまして。うちの会社は名前の通りガラスの製造販売をやっておるのですが、市場が頭打ち感が否めなくて、販路を拡大したいと考えているのです」

「へえ」

「国外市場に打って出たい。お手伝い頂けませんか」

「あんた、設計の人じゃなかったの?」

「昔は営業にいました。それに、うちみたいな小さい企業は部署の枠に収まるだけの仕事をしてちゃ回らないんです」

 ふうん、と頷きながら、鋭吉は腕を組んだ。

「つっても、ウチは輸入がほとんどだからね。輸出は現地で付き合いのある連中から注文が来るやつしか対応しない」

「そこを是非。御社にもメリットがあるかと」

「悪いけど、龍見さん。そこまでするのはリスクがでかい。この話はお断りするよ」

 手のひらをひらひらと振る鋭吉に、「それを決めるのは鋭吉さんですか」と龍見が聞いた。

 鋭吉の目が据わった。「何が言いたい」

「存じてます、と言ったでしょう。貴方は百目木洋行でお飾りの役員をやっているに過ぎない」

「お前、何だよ」鋭吉は声のトーンを抑えつつも、鋭い口調で詰め寄った。「喧嘩売ってるのか。じゃあ何でこの話を俺にしている」

「喧嘩はこれから売るのです。貴方と一緒に」

「……はあ?」

「鋭吉さん」龍見の広角が釣り上がり、相貌はますます蛙じみてきた。

「百目木洋行、貴方のものにしませんか」

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