コピーライター

「お察しの通り、私は広告制作の仕事をしています。今では大抵の方はご存知だと思いますが、いわゆるコピーライターという職種に携わってきました。広告のキャッチフレーズを作る仕事、と言えばわかりやすいでしょうか。専門用語でキャッチフレーズのことをキャッチコピー、その下に続く説明文をボディコピーといったりしますから、コピーを書く人、という意味でコピーライターと呼ばれているわけです。 要は短いものから長いものまで、広告宣伝物に書いてある言葉や文章すべてに関わり、責任を持つ役割です。私の場合、PR誌なんかに短いファンタジーのようなものを書いたりする時もあります。インターネット広告が主流となった今でこそ、コピーライターもマーケティング系の職種のひとつとして特別視されることもなくなりましたが、私がコピーライターになった頃は、結構人々に憧れられる職業でした。そうですね、もう四半世紀以上経ってしまいましたが、その頃コピーライターといえば、流行りのスポットで美女と美味しい食事をして朝まで遊び、合間にパーカーか何かの万年筆で、ちょこちょこっとキャッチコピーを一行書いたらそれで一千万円稼げる、みたいなイメージが世間に広まっていました。もちろん実際にはそんなことはなくて、とんだ誤解だったわけですが……もしかしたら本当にそんなことがあるのでは、と思わせる雰囲気はたしかにあったのです。私もそんな世界にこっそり憧れてこの世界に入ったクチでしたからね」

 そう言って男は一息つくと、ハイボールを一口すすった。

「どうですか、私の話つまらないですか」

「いえいえ、とても興味深いです。続けてください」

「では、もうちょっと」と男はコホンと軽く咳払いをした。

「コピーライターというのは、所属によって大きく二つのパターンに分かれます。ひとつは、広告代理店の社員であるコピーライター。彼らは広告主、いわゆるクライアントと直接やりとりをして、広告の方向性を決められる立場にあります。そしてもうひとつが、広告の制作実務を請け負うプロダクションに勤めるコピーライター。一部の実力のある制作プロダクションは、代理店と対等の立場でクライアントと会うことができたりしますが、大抵は代理店のクリエイターの指示のもと、クライアントと接することなく仕事を進めます。要するに下請けです。まあ、あとは、どこにも所属しないフリーランスのコピーライターというのがいますが、代理店と一緒に動くか、制作プロダクションと一緒に動くかなので、立ち位置としては二つのうちどちらかのパターンに収まることになります。で、私は後者の方で、中堅の制作プロダクションで今日まで働いてきたというわけです」

「でも、どんな経緯にしても、自分の書いたキャッチコピーがポスターなんかになるっていうのは、気持ちがいいんじゃないですか」

「ところがね、そうでもないんですよ。広告業界に限らず、ビジネスというのは発注者が神様です。ですから、クライアントの言うことを聞かなければならないのは、たとえ多少理不尽な要求であっても、なんとか腹に収めることができます。だけれども、クライアントの意向を、しっかりディレクションする立場であるとしてはばからない代理店のクリエイターの指示に従うのが、どうにも我慢できないことの連続なんです。広告制作というのは、商品の発売スケジュールとリンクしたマーケティング施策ですから、絶対に動かせない締め切りがある。広告が間に合わなくて発売が遅れたなんて、聞いたことないでしょう。そして大抵は毎回、クライアントと代理店がマーケティングの基本方針で合意し、制作物の表現コンセプトなんかが固まるのは、もうスケジュール的にギリギリになってからです。というか、誰もが多忙でギリギリにならないと動かないことに慣れきってしまっているんです。だから代理店のクリエイターが我々のところに仕事を依頼しにやってくるのは、大げさでなく、三日後にクライアントに広告表現のプレゼンテーションをしないと間に合わない、といった極限状態になった時です。そうして代理店のクリエイター、それはいわば総監督のクリエイティブディレクターだったり、ディレクターを兼ねたコピーライターだったりするんですが、彼らから今回のキャンペーンかなんかのオリエンテーションを受けて、明日の夕方五時までにざっくりとしたラフスケッチとキャッチコピーを何案か用意する、といったような約束をします。そして終電過ぎてのタクシー帰りを厭わず、一生懸命に表現プランを考え続けるんです」

 そこで一息ついてナッツをかじり、男は話を続けた。「で、翌日の夕方、同僚のアートディレクターが考えたポスターのラフスケッチに、自分が考えたキャッチコピーを組み込んだものを綺麗にプリントアウトして打ち合わせテーブルに並べ、ディレクターが来るのを待つ。ところが約束の五時を回っても彼は来ない。会社に連絡を入れても、外出先からまだ戻っていない、との返答なのでそこは待つしかない。週末のサラリーマンならとっくに夜の街に繰り出し、ほろ酔い気分になっているだろう時間になっても、グラフィックデザインの雑誌をめくって、他にもっと良いアイディアがないかなどと思いを巡らしながら代理店が来るのを待つ。まあ僕らにしても良い案を出そうとギリギリまで詰めるので、彼が時間通りにやってきても結構待たせることも多いから、時間にルーズになるのも仕方ない面はあるのですが、腹が減ってくると、やはりあてどなく待つのは辛い。そんなこんなで、今日も徹夜かな、などと諦めの境地に入り始める頃、明らかに一杯やってきたとわかる赤い顔をして、彼がやってきます。そんな風に飲んで遅れてくるときは、若い新人女性とか、我々が面識のない人間を必ず誰か連れているんです。そして、『いや、悪い悪い、ちょっとこいつをクライアントに紹介しないといけなくてね。あそこのマーケティング部長がまた、酒好きでね』とかなんとか言い訳したあと、『できてる?』なんて聞いてくる。悪態の一つもつこうかという気持ちをぐっとこらえて、『それはたいへんでしたね』などと作り笑いを引きつらせながら彼を作品を並べたテーブルに案内する。その時、連れもちょこちょこと後をついてきますが、その人間とは目を絶対合わせず無視します。アナタにジャッジしてもらういわれは全くないんだよ、と。大人気ないですが、身体がどうしてもそういう態度をとってしまうんです」

 探るような目で男は私に視線を向けてきたので私は、「ええ、よくわかります。私もそんな気持ちになる時があります。無関係の人間に、自分の職業を蔑まれた時なんかに」とフォローを入れた。

 しかし男は私の職業には興味を示さず、「わかっていただけるとは、ありがたい。で、それで、彼は言うわけです。『うーん、この案はいけるかな、ただ、キャッチはこうかな』自分のノートをカバンから取り出してボールペンでサラサラとキャッチコピーを書き、我々に見せる。『うん、この方がいいでしょ。あ、これだとビジュアルが合わないね。明日までに再考してくれますか。じゃあ、あとよろしく』と、そんな感じです。残された我々は、怒りで胃がキュッと縮む思いで修正作業に入る。代理店には逆らえないとわかっていながら、それでもまだ、もっと良いキャッチがあるかもしれない、なんて粘ったりしながらね。そうして頑張っても、もしその広告が話題になったとして、脚光を浴びるコピーライターは彼の方になります。まあ、そんな繰り返しですから、やりがいどころかストレスばかりの日々です」と、ふうっと溜息をつきながら言った。「でもまあ、それも実は昔の話。思い返せば古き良き時代だったのかもしれません。インターネット広告全盛の昨今では、例えばキャッチコピーを十本作ったら、それを喧々諤々一本に絞るのではなく、十本とも世の中に送り出すんです。あとはテクノロジーが、最も効果の高いキャッチコピーを自動的に選び出して配信してくれる。おかげで徹夜も無くなりましたが、それはそれでまた淋しいもんですよ」

 男はそこで自分の肘の下になっていた例の広告三十年史を取り上げて、「この本には、そんな時代に我々が一生懸命に制作した広告が載っているんです」と言った。

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