気の進まない出会い

 次にその男に会った時、男は同じ店のカウンターの一番端の席に腰掛けていた。その日は商店街の中程にある神社の秋祭りの日で店はいつになく混んでいて、テーブル席は既にすべて埋まっていた。空いている席は男の隣のカウンター席だけだったため、私もやむなくそこに座る事になった。カウンター席は丸いスツールで背もたれがないため、どうしても前屈みの姿勢になってしまい、私としてはあまりゆっくりした気分になれない。とはいえ今から店を変える気にもなれず、今夜はあまり長居しないかもしれないな、と思いながらテーブル席を回り込んで高めのスツールにちょっと爪先立ちする感じで尻を乗せた。

 このところ通い詰めているにも関わらず一向にフレンドリーにならない初老のマスターが無言で席のところまでやってきて目でオーダーを促すので、いつものように瓶ビールを頼んだ。片肘をついて横の壁の前のコンパクトなオーディオセットの上に立てかけてある今流れている音楽CDのケースを見上げる振りをしながら、チラリと男の方に目をやると、ちょうど男の方も私の顔を見た。

 至近距離でガッチリ目が合ってしまったため、私は思わず、「今日は混んでますね」と何か間抜けな感じで男に話しかけてしまった。

 仕事以外で初対面の人間と世間話をするのがあまり好きでない私は、その瞬間しまった、と思ったが男はさりげなく視線を外して前を向き、「ええ、賑やか過ぎるのはこの店のルールに反するのですが……」と正面の棚に並ぶウィスキーボトルとカウンターの間の空間に向かって呟いた。

 音楽に集中するためという理由から、昔は『私語厳禁』と壁に貼られたジャズ喫茶がよくあったと聞くが、この店はそこまで厳格でなく、特に夕方以降は普通のパブのように利用する客も多い。とは言っても、音楽を熱心に聴いている人間が周りにいた場合には気を遣ってひそひそ声で話すものだが、今夜は祭りの興奮からか、音楽と張り合うほどの高笑いが狭い店内のあちこちから響いてくるのだった。

 もちろんその風貌からある程度あたりは付いていたが、男がベラベラ饒舌に喋りまくるタイプでないことに私は少なからず安心した。カウンターで隣り合わせたからといって自分のプライヴェートなことを根掘り葉掘り聞かれ、答えなければ気まずくなるような状況に追い込まれるのはごめんだった。

 男の方でも私に同様の気性を感じたのか、変に気を使うでもなくそのまま黙ってしまった。今日はこれ以上口をきかずに終わるかな、と思いながら私もそれ以上話しかけることなく、しばらく自分のビールに専念することにした。

 曲の合間に、店の喧騒をぬってドン、ドンと祭の太鼓が遠くから響いてくる。次の曲が始まると、自然に耳はオーディオの音を捉えようと働き、太鼓の音は意識の外に知らぬ間にはみ出てしまう。

 それにしても、アナログの塩ビ盤ではなくCD音源を時代物の大型JBLで聴くというのは、いかにもアンバランスな感じに思えてくる。時代はコンパクト化に向かっているのだ。おそらくレコードプレイヤーが、今では壁面を飾るインテリアと化した塩ビ盤とともに引退した後、スピーカーだけがまだ老体に鞭打って頑張っているという過渡期なのだろう。もしこのスピーカーが機能しなくなった時にまだこの店があれば、次は高音質の小型スピーカーが天井から吊るされることになるはずだ。

 そんなことを考えながら、ふと意識を隣の男に戻すと、前回と同じようにミックスナッツとハイボールを並べた男の手元に、一冊の大判のハードカバーが置かれているのに気がついた。インクの匂いがしそうな真新しいカバーは全面に気持ちの良さそうな青空の写真がレイアウトされていて、この店に常備してある古びたミステリ小説とは違う空気を醸し出していた。それは明らかに男の私物だった。タイトルは酒好きなら大抵の人間が知っている焼酎のブランド名に続けて『広告三十年史』と白抜きの文字で書かれてあった。著者は××酒造宣伝部となっている。

 私がその本を見つめていることを目の端で感じたのか、男の頬がわずかに引きつったように思えたが、構わず見つめ続けていると、ついに男はこちらに向き直って再び口を開いた。

「広告に興味がありますか?」

「いえ、まあ、表紙の青空がとてもきれいだったもので」なぜその本に興味が湧いたのか自分でも定かでないまま私はあやふやに答えた。そして、「広告の仕事をなさっているんですか」などと、つい余計なセリフを口にしてしまった。広告業界に関係のない人間が買うには内容が専門的すぎる。

 すると男の目の奥の光が一瞬輝きを増したかと思うと、「実は、この広告史には私の作品が載っているんですよ」と言って少しはにかんだように目をそらし、すぐまた戻すと、気持ち上目遣いに私の顔を見た。

 なるほど男はそのことを少なからず自慢したいのに違いない。どうせ今夜は祭の喧騒でじっくり音楽を聴く環境ではない。私は覚悟を決めて、ここはひとつ男の話を聞いてみようかという気持ちになった。

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