熱心な面倒くさがり

 片付けが出来ない。


 主婦としては致命的だ。

 それでいて、子供には「ちゃんと掃除をしろ」と叱る、迷惑な母親だ。悪い見本が傍にいるのだから、仕方がないことなのに。


 ここからは言い訳だが、私は片付け自体が出来ない子ではない。と思っている。ただの思い込みなのはわかっている。

 一旦片付けを始めると、無感情でモノを捨てていく。『思い出の品』というものは基本的に存在しない。

 その結果何が起こるか。


 必要なモノまで捨ててしまうのだ。


 お掃除あるあるで、使わないだろうと判断したモノを捨てた途端必要になるなんて話があるが、私の場合それが顕著だ。

 片付けてよかったと思う試しがない。

 そう思うこと自体が片付けが出来てない証拠だ! と言われてしまえば、ぐうの音も出ないのですが。

 とにかく私は片付けが恐怖なのだ。


 それに、一見散らかっていように見えていても、私はその位置を把握している。そのが私なりの『置き場所』になっているからだ。

 だから、下手に動かし収納してしまうと、途端に見失ってしまう。そして、それを探すのにあちこちモノを動かし、あっという間に散らかってしまうのだ。

 これでは本末転倒だ。

 だったら初めから片付けなんてするもんじゃない。


 旦那は片付けられる人だ。

 私の片付け下手と、それによる子供たちの将来を不安に感じ、休日には一家でのお掃除タイムというのが設けられるようになった。

 以前、清掃の仕事にも就いていたように、学校の掃除当番もそうだが、やるべきことが予め決まっていると、驚くほどに片付けが進む。

 割り当てられた箇所を掃除する時は、見違えるほどの仕事ぶりだと自分でも感心する。

 あっという間にピカピカに仕上げて、他の作業をしている家族を見ては、「そこ汚れてるよ。全く、雑な仕事だなぁ」と文句すら言っている。一体お前は何様だ。


 このように、B型は直近の何か一点の作業には凄まじい才能を発揮する。

 だが、遠くを見据えた気の長い話を持ち掛けると、具体的なイメージが浮かばず、あっという間に投げ出してしまうのだ。


 ちなみに、これはやることの順序を本質的に理解しているかが重要になってくる。

 小説のネタを探す時なんかは、あふれんばかりのイメージが浮かび上がってくる。

 しかし、ポロポロとパーツで降ってくる材料たちは、多くがガラクタのまま眠ってしまっている。これが小説となるには、一点一点慎重に組み立てていくしかないのだ。

 少しでもずれると癇癪を起こし、壁にぶちまけてしまう。適当にスカスカな材料を持ち出してくると、すぐに飽き飽きしてしまって放り投げる。

 このやっかいな性格のおかげで、何度お蔵入りになった作品があることか。今でもまだ日の目を見ずに、頭の中を駆け回っている。

 

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