破綻者
寂しがり屋の一人好き
うさぎは寂しいと死ぬ。
ああ、何だかいつも震えているもんね。白うさぎは目が赤いし、泣き腫らしたみたいだし。
そんなところで誰かが言い出したのかもしれない。
えっ? あ、某ドラマで某女優さんが言っていた台詞が発端だって? そうか、だからあの歌が出来たのかな。あの、えげつない替え歌が流行ってしまったあの……。
これ以上は自主規制しますので、興味がある方はご自身で。
話は逸れましたが、うさぎが寂しいと死ぬのは、
間違いです。
このように、認識を誤って覚えることはよくある。
誤解が多いのは、B型にも言えることだ。
傍から見ると支離滅裂で、その日で気分をコロコロ変える身勝手な人間だと思われがちだが、実は芯となる部分がちゃんとあって、その信念に基づいて動いているだけなのだ。
B型は寂しいと死ぬ。
もちろん死ぬわけはないのだが、死んだも同様な心境となる。死んだ心境なんて言葉自体が矛盾していて意味がわからないが、とにかく寂しいのはイヤだ。
では誰かが常にいてほしいかと言われれば、迷わず首を振るだろう。
「四六時中、誰かと一緒にいるだなんて、考えただけでも死んでしまいそうだ」と。
自分が寂しいと感じない程良い立ち位置で傍にいてほしいだけだ。ベッタリは困る。離れすぎても困る。ちょうどよい場所はどこなんでと問われても、答えには詰まる。「時と場合による」としか言いようがないからだ。
中学、高校と、親友と呼べる友人が出来た。
一緒にいると楽しいし、話も合う。
相手も私を好いてくれているのがわかった。
しかしある日、私はその友人に
「悪いけど、しばらく話しかけないでくれる?」
と言い放ったことがある。
ケンカもしてない。嫌いになったわけじゃない。
ではなぜそんなことを言ったのか。
相手に好かれすぎて、自分を見透かされるのが怖くなってしまったのだ。
この感覚は誰にも理解出来ないかもしれない。私はあまり自分の面倒な性格が好きではない。心のまま動いてしまうと、人に迷惑をかけることを知っているからだ。
私は常に何かを演じていて、薄い膜のようなもので覆われているような感覚がある。
相手と親密になればなるほど、その膜が破れてしまい、自分の醜い自分をさらけ出し、嫌われるのではと考えてしまうのだ。
これで終わりというタイミングを相手から出されることほど恐ろしいものはない。だったらその前に距離をおいてしまおう。
それが私の結論だ。
完全なる早とちりだし、そもそも薄い膜などあるわけもなく、一方的にそんな要求を叩き付けられた友人は、さぞかし混乱していることだろう。
だが私は互いのためだと本気で思い、一定の距離を死守するのだ。
B型が一人になる時は、一人が好きだからではない。
どうか温かい目でそっと見守ってやってほしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます