33.白ひげさんの来る夜《街コン》

 吹きすさぶ雪があたりを白く染め、つま先から寒さがこみ上げてくる。僕は、車の暖房を強め、白い息を吐いた。


 その日は、大館市役所に勤めて最初の冬で、アメッコ市を明日に控えた夜だった。


 アメッコ市は、秋田県の北部、大館市で毎年二月の第二土曜日と日曜日に行われる小正月行事。


 木の枝に色とりどりの飴が飾り付けられ、多くの飴の露店が立ち並ぶ。


 この日に飴を買うと風邪をひかないと言われており、無病息災を祈って毎年十万人以上の人が飴を買おうと訪れるそうだ。


 その日はいつもより帰るのが遅く、近道をしようと、車のヘッドライトの明かりだけを頼りに暗い農道を走っていた。

 すると急に小さな人影が飛び出してきて、思わずブレーキを踏む。


「大丈夫かい?」


 人を轢いたのではと思い、慌てて車の外に出ると、そこにいたのは十歳くらいの男の子だった。


 細い目に、色白の肌。ぽっちゃりとした頬は赤く染まっている。いかにも田舎の子供といった風体だが、よく見ると愛嬌があって可愛いと言えなくもない。


「オラは大丈夫だ。それより、源三じいさんが大変なんだ」


 聞き覚えのある名前だった。


 僕は少年に促されるがままに田んぼの真ん中にある一軒家へと急いだ。


 家の中には、白いひげを蓄えた見覚えのある老人が倒れている。飴職人の源三じいさんだ。この老人を市の広報で取り上げるため少し前に取材したばかりだった。するとこの子供は源三さんの孫なのだろうか。


「お父さんとお母さんは?」


 首を横に振る少年。


 源三さんの手を取る。脈はあるようだ。


「救急車は?」


 少年はまたしても首を横に振る。小さな子供だし、動転してそこまで気が回らなかったのかもしれない。


 僕は病院に電話をかけた。だが病院によると、吹雪による視界不良と渋滞により、ここに来るまでに二時間ほどかかるという。さらには雪で道幅が狭くなっており、狭い路地には入れないのだという。


「僕の車で源三さんを病院まで運ぼう。その方が早そうだ。えーっと、きみ、名前は?」


「小太郎だ」


「よし、小太郎。一緒に源三さんを運ぶぞ」


 僕たちは、協力して家の前に停めた車へと源三さんを運び込んだ。玄関の前に積もった雪の上、大人の足跡と子供の足跡、二つの足跡が仲良く並ぶ。


 病院まで車を飛ばす。後部座席では、小太郎は源三さんに寄り添ってすやすやと寝息を立て始めた。


 吹雪は、どんどん強くなってくる。


 暗闇の中、フロントガラスにどんどんと向かってくる白い雪を、冬用ワイパーが左右に寄せていく。僕は源三さんを取材したときのことを思い出していた。


「今年は暖冬ですね。アメッコ市の日も張れるでしょうね」


 その日は、今日の大雪が嘘みたいに晴れた日で、積もった雪が解け、地面が見えるほど暖かかった。


「晴れるものかね」


 源三さんは、飴を切りながら渋い顔をした。


「アメッコ市の日は、雪と相場が決まってんだ」


「そうなんですか?」


 就職とともにここに越してきた、殆どよそ者と言っていい僕に源三さんは教えてくれる。


「アメッコ市に飴を食べると風邪をひかねぇっつう話は聞いたことがあるな?」


「はい」


 源三さんによると、その他にも、この地には白髭大神伝説という伝説が伝えられているのだという。

 伝説によると、毎年アメッコ市の日に、白髭大神という神様が近くの山から下りてきて飴を買い求めるのだが、彼が帰る際に、その足跡を消すため吹雪を起こすのだという。そのため、アメッコ市の開催期間中はいつも雪になるのだそうだ。


 言い伝え通り、本当に吹雪いたな。


 そんなことを考えているうちに、車は病院にたどり着いた。

 受付に事情を説明する。担架で運ばれていく源三さん。


「ご家族の方は?」


「あ、お孫さんが一人」


 僕は言いかけた。が、気が付くとそこには小太郎の姿は無かった。

 車の中にも、病院の中にもいない。綺麗さっぱり姿を消してしまったのだ。

 

 ほどなくして、源三じいさんが意識を取り戻した。

 もう少し発見が遅れていたら危なかったそうだ。


「小太郎が知らせてくれたんですよ」


 僕の言葉に、源三さんは不思議そうな顔をする。

 病院からの知らせを受けて駆けつけた、近所に住む娘夫婦も不思議そうな顔をする。


 彼らが言うには、小太郎という名前の孫は居ないのだという。


 



 翌朝、僕は源三さんの家の前に車を停めた。


 庭に行くと、そこには「コタロウ」と書かれた大きな犬小屋がある。

 

「コタロウ!」


 僕が呼ぶと、のそりと眠そうな顔をした秋田犬が出てきた。

 白いひげと金糸の分厚い毛皮が、朝日を浴びてキラキラ輝く。

 

「お前昨日、人間に化けただろう」


 僕は尋ねたが、コタロウは素知らぬ顔をしてそっぽを向いた。


「証拠だってある。昨日、源三さんを運ぶときに着いた足跡が」


 玄関先を指さすも、折からの吹雪で足跡はすっかり消え、残っているのはついさっき付けた自分の足跡だけだった。


「まあいい。入院している源三さんの頼みでな、今日はお前をアメッコ市に連れていくぞ」


 僕はコタロウに餌をやると車に乗せ、アメッコ市の会場へと向かった。

 会場には、茶色や白、灰色、といった色をしたモコモコの毛皮の眠そうな顔をした大きな犬がひしめいていた。

 

 アメッコ市名物の秋田犬パレードだ。


 パレードが始まると、マイクからこんな声が聞こえてきた。


「一番後ろにいるコタロウくんという大きなワンちゃんは、昨日飼い主の方が倒れたところを近所の人に吠えて知らせて命を救ったという、忠犬なんだそうですよ」


 その時のコタロウの写真が表紙になった市の広報を、僕は退院したての源三さんに見せた。


 桃色や、うぐいす色の飴で飾られた木の下、金色のモコモコした秋田犬がにぃっと不敵な笑みを浮かべている。

 それを見て、源三さんと、その膝の上に顎を載せた忠犬は、嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る