32.猫の手、貸します!

 チョコと言うのはチョコレートの略だというのを最近知った。


 チョコレートとは吾輩の名づけ親であるミヨ子という中年女が休日になると決まって貪り食うあの茶色い物体のことで、人間が食べる分には問題ないが、我々猫にとって大変危険な毒物なのだそうだ。


 申し遅れたが、吾輩の名はその危険な毒物と同じチョコ。猫である。そして「猫の手事務所」という事業を手掛ける社長でもある。


 ミヨ子は夫と子供を送り出した後、自分もパートとかいう仕事に出かける。ミヨ子が出勤した隙を見計らってに吾輩も仕事を始める。


 その隙を見計らい、ろくに使いもしないのに高性能なミヨ子のパソコンを開け「猫の手貸します!」という謳い文句のホームページを開く。


 今は誰もがネットで稼げる時代。猫がネット社会でビジネスをしても何ら不思議ではないのだ。昔から言うではないか。

 猫はネズミを追いかけるものだと。要するに、それが生きたネズミからマウスに変わったと思って貰えればいい。


「ふむ今日も依頼が来ているな」


 我輩は依頼のメールを開く。どうやら『招き猫』の仕事のようだ。


 吾輩は伸びをすると、のそのそと依頼先に向かった。しばらくすると今にも崩れ落ちそうな木造の商店が目に入ってくる。依頼先というのは隣町の駄菓子屋で、要は店番をしろと言うことだ。


「にゃーん」


 吾輩はいつものように駄菓子屋の前で鳴いた。年々開きにくくなる立て付けの悪い引き戸がガタガタと音を立てやっとのこと開く。


「あらまあ与三郎ちゃん、よく来てくれたわねぇ」


 年配女が目じりにいっぱいの皺をため、満面の笑みで出迎える。彼女は吾輩を抱き上げると、駄菓子屋の隅にあるカビ臭い座布団の上に乗せた。


 与座三郎というのはこの老女が我輩に勝手につけた名前である。我輩にはチョコという名前があるのだが、言っても通じないので我慢して座布団の上に座る。


「あー! 猫ちゃんがいる!」


 我輩が座布団の上で欠伸なんぞをしていると、小学校帰りの子供たちが蟻の大群よろしく店の中に入ってきた。我輩の頭や背を撫で、髭や尻尾を引っ張る子供たち。我輩は素数を数えて平常心を保つ。


「やっぱり与三郎ちゃんはいいわ。ぶすっとしていて貫禄があって。ご利益がある気がするわ」


 老婆が笑う。それは褒めているのか? 招き猫をするには黙って動かないことと、平常心を保つことが何より重要なのだ。そうすれば客は黙ってても寄ってくる。


 今にも死にそうな柱時計が五時を告げる。子供たちは一斉に帰りだす。我輩もそのころを見計らって帰ることにしている。


「あら、帰るの? また来てね、与三郎ちゃん」


 老女は言う。寂しげな瞳だ。


「でも、不思議なこともあるものね。前にうちで飼っていた与次郎が死んで、途方に暮れていた時に『猫の手貸します』のページを見て、メールをしたら本当に猫が来るんですもの」


「にゃーん」


 我輩は返事をして店を出ると、そのまま帰宅した。


 不思議なのはこちらだ。あの老女はどうやら猫の気持ちが分かるようなのだ。

 他の人間どもはあの老女をボケていると思っているようだが、吾輩からしたらボケているのは彼ら「普通」の人間どもだ。

 何しろ物事の本質を見ようとしないのだから。





「じゃあ、パートに行ってきましゅからね~! おとなしくしてるんでちゅよ!」


 あくる日も、ミヨ子が猫なで声で我輩に声をかける。玄関が閉まる音を聞いた我輩は、急いでパソコンの前へと向かった。


 「ふむ。今日は『猫かぶり』の注文がきているな」


 「猫かぶり」とは、3Dプリンターで我輩の顔をスキャンし、マスク化したもので、文字通り猫をかぶれるマスクのことだ。これが案外好評で、吾輩は今月の売り上げににんまりとする。


 だが、そんなときでも油断は禁物である。我輩はガチャリと玄関が開く音に身を震わせる。


「やだ! お財布忘れちゃったわ!」


 ミヨ子の恐竜みたいな足音がドスドスと近づいてくる。我輩は慌ててホームページを閉じ、素知らぬ顔でそこで寝ているふりをした。


 ミヨ子はキーボードの上で丸くなっている我輩を見つけるとにやにやする。


「まあ! またキーボードの上で寝てたの? ここは暖かいでしゅからねー」


 ミヨ子は我輩の頭を撫で、財布を持って再び家を出た。吾輩はほっと息をつく。

 

 全く、愚かな人間だ。我輩だったらもしパソコンの前に誰かが居たらそれは暖を取っているのではなくパソコンを使っていると考えるのに。


 考えてもみてほしい。ネットを使うのは人間だけだと誰が決めた?


 この広いインターネット上で、画面の向こうにいるのが猫ではなく人間だと誰が言い切れるのか。


 ひょっとして、このパソコンの画面の向こうにはすでに無数の猫たちが吾輩と同じように事業を始めているのかもしれない。


 吾輩はぺろりと舌を出す。

 気をつけられよ、人間ども。気づかない間にも、我々は着々とそのテリトリーを広げているのだ。


 

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