30.ヒーローはつらいよ
「おやきマーン! 助けてー!」
田舎くさい女の叫び声。全身黒タイツの男は笑った。
「はーっはっは! 来るわけないさ!」
「いいえ、来ますわ! おやきマンは必ずきます! みんな~! みんなの力でおやきマンを呼んで! おやきマーン!」
棒読みな女の声に応え、閑散とした観客席の子どもたちが「おやきマーン」と呼ぶ。
女は何度かもっと大きな声で呼ぶように子どもたちに呼びかけるのだが、声は相変わらずまばらだ。
しびれを切らした俺が、ステージに上がる。おやきを型どったヒーローマスクは黄ばみ、よれよれのヒーロースーツはツギハギだらけ。これがここ田畑市のローカルヒーロー、おやきマンだ。
「待たせたな!」
ガラガラ声で叫ぶ。昨日酒をのみすぎたんだ。精細を欠くキックと力のないパンチで悪役を倒すと、チラホラと拍手が鳴る。俺は言った。
「正義は必ず勝つ!」
「どうしたんだよ、最近たるんでるぞ」
ヒーローマスクを脱ぎため息をつくと、悪の怪人マスクを脱いだ田中が俺を叱る。
「だって、観客も全然いねぇしさ」
俺はご当地ヒーロー「おやきマン」の中の人をしている。
おやきマンは俺と田中が大学時代にご当地ヒーローブームに乗っかり、一から企画したプロジェクトで、俺たちはそれぞれバイトやほかの仕事をしながらヒーローショーを続けてきた。
「今月の食費もピンチだし、これじゃ力も出ないよ」
俺はそう言い放つと控え室を出た。ヒーローショーの売り上げはほとんど無い。
初めはやる気に満ち溢れていた俺だったが、今では何故ヒーローを続けているのか分からなくなっていた。
「あーあ、もうヒーローなんて辞めちまおうかなあ」
どんな時でも駆けつけてくれる、正義のヒーロー。
でも大体、正義ってなんなんだ?
いま俺が蹴った悪の怪人だって、それなりの信念を持って戦ってんじゃないかね。奥さんや小さい子供なんかがいるかもしれない。
誰かの正義が誰かにとっては悪になるかもしれない。
結局正義ってのも、自分の価値観の押し付けなんじゃないのかね。
そんな事を考えながら銀行に入った。
「チッ、母さんまだ振り込んでないのかよ」
通帳を穴が開くほど眺めて舌打ちをする。昨日生活費がピンチだって電話したから振り込んでくれたかと思ったのに、考えが甘かったか。
すると銀行のカウンターの方から叫び声が聞こえた。
「キャー! 強盗だー!」
見ると、目出し帽を被った、いかにもな強盗が女性客にナイフを当てている。
「動くな!! 動くとこいつを殺す! 早くその鞄に金を詰めるんだ!」
銀行内は騒然となった。俺もATMの陰に慌てて身を隠す。
急いで鞄に金をつめる行員と、固唾を飲んで見守る客。
その時、小学校低学年くらいの子供がこう叫んだ。
「助けてー! おやきマンー!」
側にいた母親が慌てて口を塞ぐ。
「こら!あんたはこんな時に何を!」
「だって、おやきマンはピンチの時に駆けつけてくれるんだ! 困った時にはいつだって、助けに来てくれるんだよ!」
俺の額に汗が流れた。傍らの鞄を見る。そこには、先ほどショーで使ったヒーローマスクが入っていた......。
翌週、ヒーローショーの観客席は満席になっていた。
「凄いな、あのニュースのおかげだよ!」
田中が驚きの余り目を見開く。
俺はスマホでニュースサイトを開いた。そこには「ご当地ヒーローに扮した謎の青年、銀行強盗を撃退」と書かれている。
このニュースが全国区になったおかげで、おやきマンは一躍人気者になったのだ。
「名乗り出ないのか? 強盗を倒したのは自分だって」
田中がニヤニヤと笑う。
「まさか」
俺は頭を掻いた。
「正義のヒーローってのはさ、中の人なんか居ちゃいけないんだよ。本物ってことにしておくさ」
スマホを置き、ステージ横にスタンバイする。大きな歓声。「おやきマーン!」の掛け声と共にステージに上がる。
「待たせたな!!」
観客席を見ると、あの時の子供がいる。俺は小さく右手を挙げた。
怪人と戦いながら思い出す。
あの時、銀行強盗にあったとき、俺は怖かった。逃げようかと思った。
でもその時、あの子供の顔が、ヒーローに憧れてた子供のころの自分に重なったんた。そこからはもう無我夢中。
「正義は必ず勝つ!」
決めポーズをすると、割れんばかりの拍手。あの少年も目を輝かせている。
ステージを降りながら、俺は考える。
正義が何かなんてよく分からない。けど、これだけは分かる。
世界には――子供にはヒーローが必要だ。困った時にいつでも駆けつけてくれくれる存在がさ。それが俺の正義。
例え呼んでくれるのがたった一人の子供だって構わない。駆けつけてやるのがヒーローってもんなのさ。
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