29.その菓子の味は

 甘くて、可愛くて、キラキラしていて、若い女性が好むお洒落なお菓子、それが「ドゥ・フィーユ」のスイーツだと先生は言った。


 だが俺にとってスイーツとはそんなに甘くてお気楽なもんじゃない。人生をかけた、血と涙の結晶、それが俺にとってのスイーツだ。


 思えば俺の人生はスイーツ漬けだった。幼稚園児のころにはすでに、お菓子作りの好きな母の手伝いでクッキーの型を抜いたりしていたのを覚えている。


 小学校に上がるころには、自分でケーキを焼き始め、高学年になるころには、様々な種類のケーキを焼けるようになっていた。

 小五のバレンタインに女子チョコを貰ったことがある。そのチョコを溶かして固めただけの不格好なチョコに、俺は「世の中の女子と言うのはこんなチョコしか作れないのか」と衝撃を受けた。


 それでもお返しにと、俺がホワイトデーに自作の小さなマフィンを渡したところ、その出来栄えにクラスの全員が衝撃を受けた。その時初めて、俺はケーキを焼く男子小学生が普通ではないことに気づいた。


 中学を卒業すると料理科のある高校に進学し、高校を卒業すると、パティシエの専門学校に進学した。


 高校では、本気で料理人やパティシエを目指している人は少なく、花嫁修業や食べるのが好きだからと趣味で料理をやっている女子が多かった。だが、俺はそんな「自称・料理好き女子」を馬鹿にしながら毎日ケーキを焼いていた。


 パティシエ専門学校でも俺に並ぶような腕前のパティシエはおらず、当時専門学校の教員を務めていた人気パティシエの岡崎先生も「ここにいるよりは海外に出て本格的に修行した方がいい」と勧めてくれて、その言葉の通り、俺はスイーツづくりを学ぶためフランスへ留学した。


 しかし、そこで待ち受けていたのは、世界各国から集まったパティシエの卵たちの煌めく才能だった。田舎の料理専門学校では並ぶ者はいなかった俺だけど、世界には俺よりも才能に満ち溢れている奴は、数えきれない程いたわけだ。


 俺はそこで、これと言った成果を出せずに帰国した。そして帰国後、岡崎先生のケーキ屋で働くこととなった。

 

「ドゥ・フィーユ」で働き始めて三か月、俺は、徐々にスイーツを作る気力を無くしていた。自分が何のためにスイーツを作っているのか、完全に分からなくなっていた。

 スイーツを作れる自分は選ばれた特別な人間だと思っていた。そんな自分に、酔いしれていただけだったのだ。


「パリから帰国したばかりのパティシエがいるらしいわよ」


「本場で修業しただなんて、さぞかし凄いケーキを作るに違いないわ!」


 店に入ってきた二人のマダムたちが囁き合う。


 俺がぼんやりショーケースの前に立っていると、一人の女性がチョコレートの前でうんうん唸っている。小柄でショートカットの、二十歳前後の女の子。


「お悩みですか」


「あ、いえ!」


 声をかけると、彼女はびっくりしたように飛び上がった。


「これ、買います!」


 一万円札を財布から素早く取り出す彼女。俺はチョコレートの箱を袋に入れ、彼女に手渡した。


「九千四百円のお返しです」


 すると彼女はきょとんとした顔をする。


「えっ!? このチョコ、四千五百円じゃないんですか!?」


「え? 六百円ですけど」


 俺が不思議に思いショーケースを除くと、値札がずれていて、隣のホールケーキの値札がチョコレートについてしまっている。


 いや、値札がずれているにしても、箱にたった三個しか入っていないチョコが四千五百円なわけないだろうが。一粒千五百円だぞ。


「申し訳ありません。それで悩んでいたんですね。すみません、たった三粒のチョコがこんなに高いわけないのに」


「はい! でもそれだけの価値があると思ったので……」


 そう言って笑う彼女の顔を、俺はまじまじと見た。本気だろうか? この子は本当に俺の作ったチョコレートを一粒千五百円の価値があると思った? 


 自分の作ったチョコレートを見つめる。

 確かに「惑星」をテーマに作ったこのチョコレートは一粒一粒違う微妙な配色のチョコレートをマーブル状に混ぜ、ピカピカに磨いた渾身の一作だ。この土星の環なんて、下手をしたら折れてしまいそうなほど細い。


「本当ですか?」


「だって、すごく美味しそうじゃないですか! 可愛くて、キラキラしてて……あの、私、今日就職してから初めての給料日だったんですよ! だから自分へのご褒美に、これを買っていきたいなあって。あっ、六百円だったらもう一箱買いますね!」


 そう言って嬉しそうにチョコの包みを持って笑う彼女。


 品評会では「技術が高い」だの「工夫が凝らされている」だのそんな言葉は何度ももらったが、「美味しそう」だとか「美味しい」というシンプルな一言には決してかなわないのだ。


 去っていく彼女の後姿を見ながら、俺は無性にケーキが作りたくなった。たった一人、名も知らぬ女性の為に焼くケーキ。シンプルで純粋で、だけれども、その笑顔を思うだけで、最高のケーキが焼けそうな予感がした。

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