20.新宿コロッケ【時空モノガタリ入賞】

 出張でたまたま新宿に来ていた私は、ふとどこからか漂ってきたコロッケの香ばしい匂いに、昔のことを思い出した。



「東京は観光するには良いが、人の住むところじゃない。ごみごみしていて、人は冷たいし料理はまずい」

 母は常々そんな風に私に言っていたので、私は何となく東京は住みずらいところで、大概の人は職場は東京にあっても千葉だとか埼玉に住んでいるのだと思っていた。

 なのでNが東京生まれの東京育ち、しかも実家が新宿にあると初めて聞いた時は驚いたものだ。新宿に人なんか住めるのかと。私の新宿に対するイメージは新宿2丁目に新宿鮫に椎名林檎、それ位しか無かったから。


 Nは以前務めていた会社の同僚で、うちの支店に転勤になるまではこんな東北の辺鄙な田舎になんか来たことが無かったそうだ。

 彼は小学生ころから有名私立大学の付属幼稚園に通い、大学までエスカレーター式に上がって来たのだという。

 「凄いね」と私が言うと「普通に高校や大学受験を突破してきたあなたの方がすごい」と彼は答えた。私は嫌味なのかと少しイラっとした。田舎の大学の偏差値なんか見たこともないからそんなことを言えるに違いない。

 彼は本当に、どこまでも都会人のお坊ちゃまで、1度も車の運転をしたことがないので、初めて乗る営業車で縁石に乗り上げたり、広がる田園風景を見ては「わあ、こんなに沢山の田んぼ、見たことがない」と言ったり、雪なんて降ろうものなら子供みたいにはしゃいだ。彼のそういう反応を見るたびに、私はなぜだかとてつもなくイライラした。


 しかし初めのうちは田舎の暮らしを楽しんでいた彼だったが、次第に田舎の人間はよそ者には厳しいということを思い知るようになる。

 新宿生まれで東京の有名私立大学出の彼は明らかにこの地で浮いていた。言葉も分からない、どこへ行っても胡散臭い目で見られる彼は一向に営業成績を上げられず、上司に怒られる日々。日に日に彼の元気が無くなっていくのは誰の目にも明らかだった。そしてある日、彼は無断で会社を休んだ。携帯にいくら上司がかけても繋がらず、私は彼の家を見てくるように言われた。


 彼の家に着き、インターホンを押すと彼は意外にもあっさりと出てきた。

 パジャマ姿の彼が言うには風邪をひいたのだという。聞くと彼は、自分の家から片道30分以上ある飲み屋街まで歩いて行ったのだという。

「コロッケが食べたかったんだ。お肉屋さんのコロッケが。学生の頃、学校帰りによく食べたんだけど、ここに来てから1度も食べてないから」

 そう彼は言った。

 彼曰く、仕事帰りにあんまり帰り道が暗いので、不安になって辺りを見回したところ、丘の向こうにキラキラとした明かりが見え、あそこになら食べたかったコロッケがあるんじゃないかという考えが突然思い浮かび、明るい場所へ向かって無我夢中で歩いて行ったらいつの間にかそこに着いていたのだという。

 私は呆れると同時に、友達も知り合いもいない暗く寂しい土地で、コロッケを求めて僅かな明かりだけを頼りに歩き、飲み屋街へたどり着いた彼の孤独な姿を想像し涙が出そうになった。そう、彼は孤独だったのだ。


 とりあえず上司に具合が悪くて会社に行けないらしいと電話した私に、彼は一つ頼み事をした。

「お肉屋さんのコロッケを見つけたら買ってきてくれないか。スーパーのお惣菜じゃなくて」

 私は途方に暮れた。シャッター通りと化した寂れた商店街に、肉屋さんなんて見たことがなかった。食材はスーパーで買うのが当たり前だと思っていた。

 私はやむなく、お母さんに電話して手作りコロッケを作ってもらい会社帰りに彼に渡した。彼は美味しいと言って食べたが、きっと彼の食べたかったコロッケとは違っていただろう。それでも彼は次の日には何事も無かったかのように出社した。


 それからしばらくして私は会社を辞め、彼も他の支店に転勤になり、私たちは会うことは無くなったが、あの時彼にお肉屋さんのコロッケを食べさせてあげられなかった事がずっと心残りだった。


「コロッケ下さい」


 私は新宿で彼が食べたがっていたであろう、お肉屋さんのコロッケを買った。

 湯気が出ているホカホカのコロッケにかぶりつくと、サクリと子気味よい音。ホクホクとしたジャガイモの風味と肉汁の旨みたっぷりのひき肉の味が口いっぱいに広がる。


 私は思う――新宿は確かにゴミゴミしていて空気も臭いし、夜なのに変に明るいところも気に入らない。それでもよそ者だろうが何だろうが受け入れてくれるこの街は、ある意味田舎よりずっとあたたかい。そして何より美味しいコロッケがある、彼の故郷なのだ。

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