3.貝の風鈴
ちりん、ちりんと夏の音がした。
カラン、カランと日差しを浴びて揺れる風鈴は、海の音色がした。
なんてきれい。
風太がくれた風鈴を見ながら、私は目を細める。
キラキラ光る、青や、水色の透明なビーズに、白い貝がら。
海へ行ったことはなかったけれどそこからは、確かに海の音色がするような気がした。
「もう秋なんだから、風鈴はしまったほうがいいんじゃない?」
お母さんが笑う。
確かに、日差しはまだ暖かいけれど、風は少しずつ、肌寒い秋のそれに変わりつつある。
「そうだね」
目を閉じ、風太のことをゆっくりと思い出す。
風太と出会ったのは、小学五年生の時。
何となく顔は見たことがあったけど、クラス替えで同じクラスになるまで名前すら知らなかった。
そんな風太を始めて意識をしたのは、たまたま朝早く学校に来た日のこと。
「誰かがやらないと、枯れちゃうだろ」
教室の戸を開けると、偶然、風太が教室の花に水をあげている場面に出くわした私が「花係なの?」と尋ねると、風太はそんな風に答えたのだ。
活発で、いつだっておどけていて、明るくて――とても植物が好きなようには見えなかったから驚いた。
「花は、水をやり過ぎても駄目やらな過ぎても駄目。難しいからさ」
くしゃりと、子犬のような笑顔で笑う風太。
風太はそんな風に、よく周りを気遣う男の子だったように思う。
それから私は風太のことをよく目で追うようになった。彼を観察してみると、確かによく気が効くし、他人のために率先して行動していた。
掃除のときも、給食の時も、ふざけながらも誰よりも早く準備を始めていた。
授業で誰も手を上げずに先生が困っていると、率先して手をあげとんちんかんなことを言って皆を笑わせていた。
そして私は、そんな彼を密かに尊敬していた。
風太を観察し続けて数ヶ月が経っていた。季節は夏。八月の晴れた日だった。入道雲が眩しかった。もうすぐ秋だというのに夏の過ぎ去る気配もない暑い日で。
その日、私と風太は風太と誰もいない放課後の教室で二人きりになった。
当たり障りのないことを少し話して帰ろうとした時、風太はランドセルから何か袋を取り出した。
手元をちらりと見ると、そこにあったのは白い貝殻でできた貝の風鈴。私はその風鈴に釘付けになった。
「それ、図工の時間に作った風鈴だよね? 綺麗たね。こういうのを家に飾っていたら、家が涼しくなるだろうな」
「ありがとう」
風太は少し照れた笑いを浮かべる。
風鈴の材料に使った貝がらは、家族と海に行った時に自分で取って来たのだという。その時の話を風太は楽しそうにしてくれる。
「これ、気に入ったのならやるよ」
風太は貝の風鈴の入った袋を私に押し付けてくる。
「いいの?」
「いいんだ」
半袖からのびる日に焼けた腕にじわりと汗が浮かぶ。セミの声が、夕日に染まった教室を包んでいた。ふいに、風太は言った。
「俺、転校するんだ。親の仕事でさ、二学期から他の小学校に行くことになる。だからお前に、その風鈴を持っていてほしいんだ」
「どうして、私に?」
風太は、大きく息を吸い込んで、私を真っすぐに見据えた。
「お前のことが、好きだから」
時が止まったように思った。体中が熱くなる。
全身から、汗が噴き出したように思った。混乱する頭の中。それは、全く予期せぬ言葉だった。遠くで、セミの音だけがただひたすらに世界を支配していた。
少しの間、風太は私の返事を待っていたように思う。でも私はあまりに突然で、何も言うことができなかった。ふう、と風太は息を吐き出す。
「……そういうわけだから。じゃあな」
黙ってしまった私を置いて、風太はそのままランドセルをひっつかみ、走り去ってしまった。
貝でできた風鈴は、オレンジの光を反射し、キラキラと輝いていた。
風太と会えなくなってから、もう五年が経った。
連絡先も交換しておらず、この五年、私は風太と全く関係のない日々を送っている。
風太がいなくても、なんの不都合もない世界。
それでも時々、こうしてふとした瞬間に思い出してしまう。
この思いは、風太に対するものなのだろうか? それとも、ただ単に、夏の終わり、というセンチメンタルさに心を動かされているだけなのか。
立ち上がり、冷蔵庫を開け、麦茶を取り出す。一気に飲み干すと、キンキンに冷えた麦の味が喉を勢いよく通り過ぎる。麦茶の似合う季節も、もうすぐ終わる。
「今年の夏は、どこへも行かなかったね」
そうねぇ、と母親が答える。私はその背中に向かって呼びかけた。
「ねえ、今度海に行こうよ。泳げなくたっていい。白い貝殻の取れる、綺麗な海へ」
海に行けば分かるだろうか。この押し寄せる波のような感情が。白い貝のようにきらめくこの思いの名前を。
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