第11節

 街角を歩いている『旅人』は、目の前で人が死んだことにショックを受けるとともに、後悔の念にかられて憔悴しょうすいした様子だった。

 『旅人』はつぶやく。

「私は正しいことをしたに違いないが、自分自身の内心をだました。」

 『旅人』はふとゲームセンターに立ち寄った。そこにはおかしな動きをする若者がいた。目を細目にし、両手の指で枠を作って右から左に動かしている。

 『旅人』が若者に尋ねる。

「失礼ですが、何をなさっているのですか。」

「光魔法です。光を意識に転写してその光の残像をあちらからこちらに移しているのです。わからないでしょう? ほっておいてください。」

 次に若者はマンガを読みはじめた。見ていると、ときどきページをわざと飛ばしてはまた元のページに戻るという読み方をしている。

 『旅人』が若者に尋ねる。

「またまた失礼ですが、それに何か意味があるのですか。」

「時魔法です。ページが離れて会えない者が会えるようテレパシーの交信を助けているのです。狂ってると思いますか? ほっておいてください。」

 次に若者はゲームをやり出した。溺れている者を救うゲームだった。そのゲームの指示に若者は大袈裟に反応している。

 『旅人』が若者に尋ねる。

「そこまでしなくても。相手はただのコンピュータゲームですよ。」

「神々の世界に時間をささげているのです。神々の世界は今やゲーム上に移されて、プレイの時間だけ再生されることを待ち望んでいるのです。さぁ、ここまでこの世界にとって本質的でない『ダミー行動』をとればデバッグが必要という目印になったはずです。」

「デバッグというとプログラムの間違いで起こるエラーを直す作業だったように記憶していますが。」

「そうです。この世界は神の他にプログラムに支配されています。そのプログラムに特別な介入を許すのです。ただし、誰の介入を許すかは先に光魔法で指定しました。さぁ、デバッグモードに突入しますよ。」

 そういってる間に、世界が止まった! 街を歩く人の歩みは止まりシーンと周りが静まりかえり、電子音だけが響いている。

 そこに空間を引きいて、空中に六人乗りのミニバンが現れた。中から男が声を掛ける。

「呼んだのはお前かい。それともあちらのおっさんか。二人同時とは珍しいな。とにかく、仕事をする気があるんなら、付いて来い。デバッグモードが終る前に早く車に乗りな。」

 若者が『旅人』に語りかける。

「あなたがまだ動けるとは驚きです。魔法に参加していたように見えなかったのに。」

「異次元作用系の現象には慣れているのです。事態は飲み込めませんが、あなたはかなり思い詰めてる様子でした。よろしければ、手助けさせてください。私も付いていっていいですか。」

「私には何とも言えませんが、この場面を見てどこかに行かれるよりも付いてきてもらったほうが安心です。」

 ミニバンの男が叫んだ。

「話はまとまったかい。早くしてくれ。」

 若者と『旅人』はミニバンに乗り込んだ。ミニバンが出発すると、デバッグモードは終ったらしく、世界は前の通りに動き出した。

 ミニバンは高速道路らしきところを走っている。

 ミニバンの男が声をかけた。

「俺の名はギャレットという。よろしくな。そっちは。」

 若者が答える。

「カールです。」

 『旅人』が答える。

「『旅人』です。」

「『旅人』とは変わった名前だな。ところで俺達の仕事はどういうものかわかって呼んだんだよな。」

 カールが答える。

「時間ドロボウですよね。空間から突然介入し、本物である必要のない物、その役割りを終えた物を複製品レプリカに変えていく……という。」

「そうだ。俺達はサタナエル様から仕事を請け負って時間ドロボウをしている。」

 『旅人』が口を挟む。

「サタナエル! 堕天使サタンが回心した名というサタナエルとは! ここはそういう世界なのですか。」

「詳しいことは知らんね。ただ、世界コンピュータのせいでどこも『本物』の霊性が不足するようになって、そのリサイクルが必要となった。その仕事を無償で引き受けているのがサタナエル様で、さらにサタナエル様がお金を払って我々を雇ってくださるというわけだ。」

 カールが真剣な面持ちでギャレットに言う。

「仕事はきっと真剣にやります。でもお給金の前借りとして、まず、一人の女の子を助けて欲しいのです。彼女を助けるには時間ドロボウに頼るしかない、そう思ったからこそ噂でしか聞いたことのなかった時間ドロボウに近付いたのです。」

 『旅人』がカールに尋ねる。

「女の子は仲の良い子なのですか。あと、じゃあ、光魔法や時魔法というのは、あのとき使っただけなんですね。」

 カールが答える。

「ドロア、女の子の名前ですが、は僕の幼馴染です。魔法はネットで情報を知って、練習は何度かしましたが、デバッグモードにまで行ったのは今日がはじめてです。」

 ギャレットが言う。

「そのドロアちゃんだって? その女の子を助けるのは俺達の仕事じゃない。そういうことに俺達のミニバンは使えない。」

 カールが言う。

「ドロアは、革新の処女なんです。」

「なんだって! どうしてそれを早く言わない。お宝が手に入るかもしれないぞ。」

 『旅人』が尋ねる。

「『革新の処女』とは何のことでしょう。」

 ギャレットが答える。

「この世界には神的パワーを持って生まれたかわいそうな二人の女性がいる。それが『王の嫁』と『革新の処女』だ。王の嫁は、時間の正しい位置を忘れたがゆえに未来や過去を覗き見ることができる。そこで歴代の王は、彼女を嫁として側女として迎えることで絶大な権力をふるっている。革新の処女は、彼女と結婚した者に発明品をもたらす。しかし、発明品を届け終った瞬間に死んでしまうって話だ。」

 『旅人』がカールに尋ねる。

「ドロアが革新の処女だということになったのはどういういきさつですか。」

「王家の方が突然やって来てそう告げたのです。ドロアを側室にもらっていく……と。何か重要な革新が次に起こるはずだからというのです。」

「サタナエル様の情報だと、次の革新はサイボーグ義手のようだ。複雑そうな技術だ。これをお前が手に入れたって、産業化なんて無理で、俺達に盗まれるのがオチだぜ。この世界には発明なんてものはなくなって久しい。新しい物はみな『革新の処女』が持ってくるってわけさ。それを技師や魔法師が解析して世界に広めていくんだ。それができない者のところに本物が置かれたら、そっと俺達がそれを複製品レプリカに替えて、本物を別のチャンスがある者のところに持っていく。世界はそうやって成り立っている。」

 カールが言う。

「いえ、ドロアに革新をさせる前に救い出し、あとは僕がずっと革新なしで面倒を見るつもりです。協力していただけませんか。」

「協力って言ってもなぁ……。結婚の近付いた革新の処女を探せるかと言えば、答えはイエスだ。でも、今はお宝レーダーにも引っ掛からないんだよ。もう誰かのプライバシー領域にあるのだろうな。プライバシーを侵害してまでは基本、探せないんだよ。残念だったな。」

「そんな……。」

 『旅人』が二人に割って入る。

「サイボーグ義手というと心当りがあります。この灰はある霊のこもった像を焼いてできた物なのですが、その霊が、そのサイボーグ義手の発明者かもしれません。発明者の権利は強いと聞きます。この灰があれば、発明者の権利によってプライバシーの権利の弱い部分は突破できるのではありませんか。」

 ギャレットが言う。

「そんな都合のいい話があるものか。が、まぁ、聞いてやるよ。灰をミニバンの物質判定装置に入れて……。あぁ、サタナエル様ぁ。」

 ギャレットが通信をしはじめる。ナビの画面にアニメ調の銀髪の人物が表示される。

 銀髪の人物、おそらくサタナエルが答える。

「なんだ。」

「今、物質判定装置に入れているのが、発明者らしいのです。それがあるから、今度の革新の処女の位置を教えて欲しいということなのですが。」

「珍しい申し出だな。だが、検討してみる。……。わかった、どうもそのようだ。今、位置を教える。」

「それで革新による宝を盗むのではなく、死ぬ前に救い出したいとのことなのですが。」

「わかった。そちらの事情は検討の段階で把握した。救い出すことについてもそれを仕事として認めよう。健闘を祈る。」

 通信が切れた。

 ギャレットが言う。

「驚いたな。位置がわかったよ。これは王宮の一室だ。」

 カールが言う。

「じゃあ、救いに行ってくれるのですね。」

「ああ、今、聞いた通りだ。しかし、何で救うのまで認めてくれたのかなぁ……。」

 『旅人』が口を出す。

「王宮ということなら『王の嫁』もそこにいるのですね。ならば、いっしょに救い出しましょう。」

「そんな無茶な。」

「その仕事は私がやります。このミニバンで遠くに運ぶのだけ手伝ってください。」

「まぁ、チャンスがありそうならな。」

 王宮では仮面舞踏会が開かれていた。そこに若者と『旅人』が紛れこむ。王宮の一室からドロアが連れ出されるのが見えた。

 カールがつぶやく。

「しまった。遅かった。」

「どうも祭儀場に向かっているようですよ。追いましょう。」

「なんてことだ。今日、結婚式を挙げるつもりなんだ。結婚式に仮面舞踏会なんて非常識な。側室ですぐに死んじゃう予定だからなのか。」

「死を目前にする者は恐れるものです。少しでも緊張を解きたいのかもしれません。」

「『旅人』さんは彼らの肩を持つんですか。」

「いや、そういうわけではありません。この状況だと、少し大胆に行くしかないようですね。光魔法を使っていてください。時魔法と神々へのささげものは私がなんとかします。」

 そういって『旅人』はどこかに行った。

 カールがあたりをキョロキョロしていると、式がはじまった。見ると段上に神父として立っているのは、『旅人』である。

 カールはとにかく光魔法をはじめた。右の光を目に焼き付けて、左の光まで持っていく。これで鍵は開いたはずだ。

 『旅人』が式辞を読み上げる。

「汝、健やかなるときも、ともに励み……あっ、ページを読み飛ばしてしまいました。」

 そのとき祭儀場のすべてが止まった。ミニバンが空中から現れる。

 ギャレットが叫ぶ。

「このデバッグモードの時間は短い。さぁ、早く!」

 『旅人』とカールがドロアをかかえて、ミニバンに乗り込んだ。そうするかしないうちにミニバンが出発。祭儀場は、花嫁が突然消えたことに騒然となった。

 ミニバンは高速道路のような道に出た。

 カールが言う。

「うまくいきましたね。でも、あんなに早くデバッグモードになるとは、驚きました。神々へのささげものはどうしたんです。」

 『旅人』が答える。

「私が神々への式辞を読んだことが、そのスジに大変受けたのでしょう。」

 ギャレットが言う。

「そのスジって。あんた一体何者だ。」

「『旅人』です。混乱に乗じてもう一仕事しなければなりません。ちょっと車を止めてください。」

 止まったミニバンから出た『旅人』は空間をつかんで足を入れた。

 ギャレットが言う。

「あんたすごいな。装置なしで次元間移動ができるのか。ますます何者だ。」

 『旅人』は、そこから異次元を走って、『王の嫁』の部屋の空間からニョッキリ侵入した。そこには美しい『王の嫁』がいた。

「驚かせてすみません。しかし、ここから逃げるお手伝いをしようとやってきたのです。」

 『王の嫁』は微笑して答えた。

「あなたが来ることはずっと以前からわかっていました。それがいつかはわからないまま、ずっと心待ちにして来ました。でも、警備は厳重ですよ。どうやって逃げるのです。入って来たときのようにどこからともなく逃げられるのですか。」

「あいにく次元移動は一人用なのです。特定の場所どうしをつないだりはできるのですが、ここはそういうことのできる場所ではありません。しかし、外は仮面舞踏会で浮かれていました。仮装の準備を持って来ました。」

 そういって、空間からゴソッと鎧を取り出した。

「ある男によると『ジャングル黒べえ』のキャラクター衣装です。露出が多くて申し訳ないが、これで逃げましょう。あっ、着替えに衝立ついたても出しましょう。」

 そういって衝立ても空間から取り出した。

 『王の嫁』が着替え終ったところで、彼女の元の衣装と衝立てを空間の向こう側に投げ入れた。

「魔法を使ってくださいと申し上げたら、『うらうらべっかんこー』と言ってあかんべぇをしてください。それでは急ぎます。部屋を出ますよ。」

 部屋を出るといきなりお付きの者に出会った。

「まぁ、どうしたのです。その格好!」

 『王の嫁』が答える。

「ジャングル黒べえです。少しの間、楽しみたいのです。許可はもらっています。」

「でも、今、賊が入ったらしくて大騒ぎになっています。多くのお客様は余興として楽しんでおられるようですが。」

 『旅人』が促す。

「ここで魔法です。」

「うらうらべっかんこー。」

「まぁ、はしたない。少しの間ですよ。」

 そう言ってお付きの者は去った。

 次に衛士に会った。

「どなたか知りませんが、侵入者がありました。ここから先は行けません。」

 『旅人』が答える。

「侵入? これはエヴァンゲリオン三号機、むしろ侵入されているのはこの方なのです。」

 『王の嫁』が言う。

「うー、乗っ取られた。乗っ取られた。」

 衛士は言った。

「まぁ、冗談はそれぐらいにしてください。くれぐれも気を付けてくださいよ。」

 衛士は去った。

 中庭の扉の近くには記者達がいて、『旅人』と『王の嫁』をとり囲んだ。

「中で何が起こっているんですか。」

 『旅人』は語った。

「この方は偉大なるビッグ・ブラザー、監視者である。お前達を調べに来た。」

 記者達は動揺した。

「ビッグ・ブラザーだって、これがあの? ビッグ・ブラザーに栄光あれ!」

 そういって記者達は道を空けた。


 二人は中庭に出た。

 『旅人』は言う。

「私は光魔法とやらが今一つわかりません。しかし、この星明かりを動かしてみたいと思います。一つの光を取って、右から左へ持っていく……。」

 すると、キキーッとするどいブレーキ音が鳴って、ミニバンが空間上に現れた。

 ギャレットが言う。

「なんだ。今のデバッグモードは、かなり大きなバグが発生した様子だったぞ。これでは本物のデバッグ要員も来てしまう。『旅人』さん、早く乗ってくれ。」

 ミニバンは高速道路のような道を通っている。

 ギャレットが言う。

「ここまで来れば安全だ。ちょっと止まって『お宝』の確認をしようか。」

 パーキングエリアに止まって、五人、皆が車から降りた。

 『旅人』が『王の嫁』に促す。

「元の服に着替えましょう。その服は少し刺激が強過ぎるようです。」

 『旅人』は空間から彼女の元の衣装と衝立てを取り出して渡した。

 その間にカールが皆にお礼を言う。

「どうも皆さん、ありがとうございます。先ほどからドロアと話していましたが、私達は結婚しなくても二人で力を合わせてこれから生きていきます。」

 『旅人』が、喜びつつもこれからの運命を思って少し沈んでいる二人に声をかける。

「いや、結婚なさるといい。革新の処女の呪いは今、解いてあげましょう。ドロアさん、こちらへ。」

「はい。」

 ドロアを横に立たせところで、『旅人』はドロアの頭の上から、アシェラを焼いた灰を振り掛けはじめた。

 ドロアがそれを両手で受け留めていると、灰が光り出し、手の中の灰は、ガラスの靴に変わった。

 ドロアが言う。

「まぁ、どういう魔法なのですか。でも、この靴は私の足にはちょっと大きいようです。」

「それを履くべきなのは彼女です。」

 そう言って『旅人』は着替え終った『王の嫁』を呼び寄せた。彼女にガラスの靴を履かせるとピッタリだった。

 『旅人』は言う。

「このガラスの靴で、時間を守ることができるようになるでしょう。あなた方の正体はシンデレラだったのです。二人で一つの存在だったのを神々が分けたのです。『王の嫁』はシンデレラとして、これから天国に住んでもらいます。『革新の処女』だったドロアさんは、カールと結婚して幸せになってください。」

 『旅人』が指を鳴らすと、どこからともなく、かぼちゃの馬車がやって来た。

「さあ、シンデレラはかぼちゃの馬車に乗ってください。」

 彼女は馬車に乗って出発した。天国に向かうのだろう。

 カールは言う。

「ああ、これで結婚できるのですね。何とお礼を言っていいか。」

 ドロアも言う。

「私、最後にこんな風に夢がかなうなんて思ってもみませんでした。」

 『旅人』が言う。

「最後ではありません。これから始まるのです。私には複雑な愛欲のもつれは理解できませんが、このような純真な愛ならば、喜んで祝福できます。」

 そこにギャレットが割って入った。

「喜んでいるところ申し訳ないんだけどな。時間ドロボウとして働く契約はまだ有効なんだ。これからしっかり働いてもらわないとな。」

 『旅人』が言う。

「その心配はいりませんよ。『革新の処女』と『王の嫁』を救い、その呪いを解いたことに関し、先ほど、サタナエルからクレジットの入金がありました。」

 ギャレットが驚く。

「なんだって。あっ、本当だ。こいつはすごい額だぞ。」

「あなたの額とは比べられないほどの額が、私には入金されています。サタナエルは報酬を山分けにするタイプではなく、努力に応じた支払いをするタイプのようですね。」

「しかし、契約は契約だ。働いてもらわないと……。」

「私とカールは、このクレジットを使って、自分自身を身請けします。ドロボウ稼業なんてものは、働けば働くほど借りが増えていくものです。ギャレットさんにはもう遅いかもしれませんが、得たクレジットは身請けのために使うのが一番なのですよ。」

 ギャレットは悔やしがった。

「畜生!」

 カールは『旅人』に礼を言った。

「何から何までありがとうございました。今後は時間ドロボウのことは忘れてまじめに働いて彼女を支えるつもりです。」


 『旅人』はその世界を去った。振り返るとたくさんの天使達が何とかしようと、その世界に関与していた。デバッグモードの介入の光は出たり入ったりして、まるで火が燃えているようだった。その世界の姿はまるで、何者か……サタンか、イエスか……が十字架で燃やされているようだった。


 そして『旅人』は天国への道を歩いて行った。彼は疲れていた。地獄の豊かさに圧倒されていたからだ。

 天国に帰り着いて『旅人』は驚いた。天国は地獄の何倍も豊かだったのだ。彼はそれに気付いていなかっただけだった。彼は旅に出されてはじめてそれに気付いた。彼は旅に出された理由を納得した。

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