第7節

 初老の男性が、二個の木のハンガーを使って踊っている。

 始めは、鳥の羽、絵で見る天使の羽のように背中にハンガーをつけ、それを上に移動させて鹿の角のようにし、今度は下げて胸の前で交差させてゴリラのような動きをした。次は、ノドを棒で支えて、馬かキリンのふり、そして腰に羽を生やしたようにして鶏かダチョウのふり、片方を口に片方を背に持ってきてペリカンのふりをした。同様の動作が続いているところに『旅人』がやってきた。

「リーさん、それは何ですか。」

 リーという名らしい初老の男性が答える。

「動物の踊りだ。健康のためにやっているんだ。天使が失った羽をどこに付けるかで動物達がいろいろ試しているという『天使算』という物語だ。」

「リーさんは、一人暮らしでいろいろ家事をこなしているんですから、そんな適当な運動、効果ありませんよ。」

「いちいちうるさい男だ。今日もいつもの話かね。」

「ええ、そうです。今日こそ決心してもらいますよ。」


 リーは、生前、旧約聖書で書かれているようにユダ王国を滅ぼさないと約束しながら結局滅ぼした神が「唯一神」であるわけがないと思い、そう公言していた。その神を唯一神と信じることは、本物の「唯一神」を信じないことと等価であると信じていたのだ。そのことが罪であるとして最後の審判ののち、この「地獄」に彼は生きている。

 リーは『旅人』に語る。

「実際、最後の審判のラッパが鳴り響いて自分が復活したのには驚いた。唯一神への信仰は正しかった。でも、その神が聖書のあの神であるとはまだ納得がいかないんだ。」

「納得できなくてもいいのです。神様からあなたを天国に招くよう仰せ付かっております。」

「天国に行ったら納得できるようになるのかね。」

「天国に行けば体も霊も変化します。しかし、変化したから納得するわけでもなく、麻薬のように意志に反して納得するわけでもありません。しかし、あなたは納得するようになるでしょう。」

「俺の仲間には唯一神自体への信仰をなくし破滅した者もいる。」

「破滅できるほどの自由を神はお与えになっているのです。」

「神は自由にまかせているのか。最後の審判のラッパを聴き、ここまでの奇跡ができるのを見て不思議に思う。そういう人々になぜ唯一神は、何もしなかったのか。私にはどういうことかわからない。」

「神の業ははかりがたいのです。」

「唯一神が広まる前には、多神教の神々への信仰があった。最後の審判がはじまったときにそういう神々への信仰も残っていた。そのことの意味もこの先、納得できるようになるのか。」

「そういう部分があればこそ、唯一神がイスラエルからはじめたことが納得できるのです。」

「意外だな。神々への信仰は否定されるとばかり思っていた。」

「否定されます。しかし、ある意味で肯定できるように世界を創造されています。例えば、地獄でならば、悪夢でならば、魔術が使えることがあるかもしれません。そのように、神々を信仰したことを後悔とともに肯定しうるよう存在する者もあるでしょう。」

「複雑だな。この複雑さも予想外のことだった。」

「神は欲張りな方なのです。多くを救おうとなさっているのです。」

「でも、俺は間違った。俺がそう簡単に救われるのは間違いじゃないかとも思う。」

「あなたのような者は実は数少ない。あなたはこのままだと一人きりだ。」

「俺は一人でもいいんだよ。」

 『旅人』はリーの手を取った。

「あなたのようにお話の上手な方が、一人、この世界に留まっているのはそれだけで損失なのです。淋しいのも地獄の苦しみの一つですよ。地獄の苦しみから抜けたいと思いませんか。」

「それが地獄と知って留まろうとしてはいけない。天国があると確信して、なおもそれを目指さないわけにはいかない。昨日、風呂に入っているときそんなふうな考えが頭に浮かんだよ。」

「そうです。その通りです。」

「それが正直というものなのだろうな。俺は正直であろうとしてきた。」

 リーは『旅人』の手をどけながら言った。

「わかったよ。負けたよ。天国に連れて行ってくれ。」


 『旅人』はリーに目隠しをして、道を降らせた。降り道が終って道を昇り始めたとき『旅人』はリーに声をかけた。

「目隠しを外します。とてもまぶしい光が見えるでしょう。でも、太陽の光と違ってずっと見つめていても目がつぶれない光です。しばらく、耐えて見てください。」

 目隠しを外したリーは手で光をさえぎりながら、薄目で天国を見た。薄目でもとても眩しかったが、徐々に目を開いていっても目は痛くならなかった。

 そこには新約聖書の『ヨハネの黙示録』に描かれた天国=エルサレムが建っていた。

 リーは『旅人』に語った。

「こんなことをいうのは罰当たりかもしれないが不安だ。光に焼け溶けてしまうんじゃないかとすら思う。」

「あなたの不安は、信仰が不完全であることの不安です。誰でも神の前には不完全なものです。自信を持ってください。」

「思えば『地獄』に来てから孤独だった。だから誰かに見せるために天国を目指したのではない。それでもたった一人の人間でもそこを目指すことに意義があると説く者が現れた。それで決心ができ、回心もできたのだと思う。それこそ、そこが天国であるという証だろう。私は神を信じたい。」

 リーは天国への道を登って行った。

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