第5節

 竹林を抜けたところに寺があった。『旅人』が靴を脱ぐのをイヤがると、庭にまわって縁側に座るよう促された。寺の和尚の名は天鶴あまつるという。下男なのか弟子なのか、清次という男が寺の雑事をこなしている。

「すると、お前さんは死んで霊が別のところで産まれることはあるが、それは転生ではないというのじゃな。」

 天鶴の問いに『旅人』が答える。

「ここは地獄で本来の肉体は罰を受けているのです。そこから夢の体として他の世界に生き、その世界で死ねば、元の罰に戻る。そしてそこから別の夢の体、例えば赤ん坊の体に向かうことはあります。しかし、そこの夢の体の罪で産まれる場所が異なるようなことはないのです。裁きはすでになされているのですから。」

「ここは地獄のようなものだというのにはうなづくが、夢の体とやらでの行いで本来の肉体の状態が変わるということはないのかね。」

「それは多少はありますが。」

「それならば、長い目で見れば救いはあるということじゃ。それになんじゃ、夢の体が肉体を持つときはまた別の話、ということじゃったろう。その肉体が死んで最後の審判、じゃったか、それを待つ間、霊はどこにおるんじゃ。」

「地獄の罰に戻っているものと思います。」

「はっきりせんのう。戻ってきたものはじゃあまた別の世界に転生することはないんじゃな?」

「いえ、その、別の夢の体を持つこともあります。」

「だとすると霊が分かれるのかのう。部分霊というやつじゃ。」

「そうなりますか。」

「死なないかぎり夢の体から本来の肉体に戻ることはないんじゃな?」

「いえ、そうではありません。」

「ということは、生き霊も可能ということか。」

「ある面から見れば、そう見えることもあるかもしれません。」

「生き霊が体にあるということは憑依みたいなもんか、守護霊のようなもんか。」

「いや、そこは何というか。肉体が最後の審判の対象となるということが大事なのです。」

「お前さんの言うことははっきりせんで、信じ難いのう。」

 天鶴はお茶のお代わりを持ってくるよう清次を呼んだ。


 清次は二人分のお茶のお代わりを持ってきて、それを天鶴と『旅人』に渡し、帰ろうとしたところを天鶴が呼び留めた。

「今日は少し変わった修行をしようと思う。清次も見ていきなさい。」

 清次が「はい、先生」と言ってかたわらに正座した。

「今からわしは生き霊として過去に転生し、戻ってくることにする。」

 『旅人』が尋ねる。

「過去にですか。それは転生と呼べるのですか。」

「霊は過去に行くことはできませんかな。」

「それは難しいところです。可能なのかもしれません。」

 天鶴は手を合わせて、何かの経というより呪文のようなものを唱えはじめた。

「むにゃむにゃ。ハッ。儂は今、猿になって木の上に寝そべっておる。」

 『旅人』があっけに取られていると、清次が尋ねた。

「先生は何をご覧になっていますか。そしてどうなさりたいのでしょう。」

「雌猿どもが争っておる。儂はそれにイヤ気がさして雌とは交尾しない生を生きとる。自分がもっと強く、戦うことが巧みなら、もっと子孫が増やせたのにと夢に描いとる。そうこうしているうちに無為のまま、猿として死んでしまった。」

 『旅人』が怒気を荒げる。

「人として生を受けたものがどうして動物などに生まれようとするものですか。動物は人に支配されるものです。神が人を支配するように、人は動物を支配するのです。動物は動物で神から与えられた生を懸命に生きているのです。子孫が増やせたらなどと考えず、自然にまかせているのです。」

 清次が『旅人』をたしなめる。

「あなた、動物が人より劣るとなぜ考えるのですか。すべてのものは霊を平等にもって転生しているのです。先生、言ってやってください。先生!」

 天鶴は合わせた手をさすり、さらに呪文のようのものを唱えた。

「むにゃむにゃ。儂は猿として死んでさらに過去に向かって転生しようとしておる……。むにゃむにゃ。ハッ。儂はアメーバとなった。アメーバとなって縄張りを広げようとしておる。今、枯れた木を覆い、食いかかったところだ。」

 『旅人』はまた声を荒げた。

「アメーバ! ひょっとして単細胞ではなく、群れで一つの霊を共有しているのですか。何たる罰当たりな。」

 今はアメーバのはずの天鶴が答える。

「先にお前さんは、赤ん坊や子供が最後の審判のときどうなるかについてあいまいな答えをしとった。」

「ええ、そのときの状態で判断されたり、もしくは他に移されてそこで生きたのちに審判にあうのかもしれないと答えました。」

「多くの赤ん坊の霊が一つの霊として育ち死ぬことがあるのじゃ。そのように儂はアメーバの多くの細胞を一つの霊として生きているのじゃ。」

「それは、私の知るところではありません! なんでそんな風に断言できるのですか。」

「儂はアメーバとしても存分に生きて、生物の進化に協力し、死んだ。そして見よ。むにゃむにゃ。ハッ。その進化によりなった体に、ここにこうしてこう再び転生して来たのじゃ。」

「そんなむちゃくちゃな。アメーバのような霊もあるかわからない物からどうやって霊が集められるのです。その転生の秩序を誰が守るというのです。神はアメーバの霊も天から迎えに行くというのですか。」

 清次がチャチャを入れる。

「あなたの言う神には不可能なことなのですか?」

「神は全能です。しかし、それを人の意志で望むことは神を試すに近い罪となるでしょう。」

 天鶴はお茶をすすった。

「清次もよかったら、お前ようにお茶を持って来なさい。」


 清次が一端お茶を下げ、今度は三人にお茶を配ったところで、天鶴が口を開いた。

「今度は普通に未来に転生しようかの。」

 清次が軽口をいう。

「先生の未来と言えば、涅槃ねはんに達しているでしょうか。」

「ほっほっ、そうじゃなぁ。涅槃にいるべきところじゃが、涅槃の境地から地上を哀れんで菩薩ぼさつとなろう。そして菩薩として過去に向けても善い結果を残そうとしようか。おっと、その残照が今の儂ということになろうかのぉ。ほっほっほっ。」

 『旅人』は苦々しいという顔をして言い放つ。

「涅槃とはつまり天国のことでしたね。天国に行った者は地獄をかえりみません。それは天国に導いて下さった神の御念慮を無視する僭越な行為です。」

 清次が言う。

「神は慈悲深いんじゃなかったんですか。それか、天国に行く善人には慈悲深さは必要ないということですか。」

「罰は罰で厳粛なものなのです。それは受ける価値のあることなのです。」

 天鶴が答える。

「ほう、そこまで言えるものなのかのぉ。大したものじゃ。そこは納得できるのぉ。」

 『旅人』はそう言われて、むしろ「しまった」という顔をした。そして言った。

「天国に行ったものが地獄に行ったり、人として生まれた者がアメーバになろうとしたりすることは、世界をやがて無秩序に向かわせます。無秩序は神と反対にあるものです。」

「誰かの秩序ではないということも儂には大事なことのように思えるがのぉ。」


 清次が天鶴の後ろにある杖を指して言った。

「今、あの錫杖をこの畳の上で打てばどうなりましょう。」

「ほう、うーむ、埃が立つのう。それとも立たぬように掃除していると申すか、清次よ。」

「いえ、その埃こそ、平面にあったものの次元を一つ上げた姿、新たなる秩序への導きなのでございます。」

「そうか、うーむ、うーむ。清次、埃は立てずに歩くものだ。無理に埃を立てた責任、汝に問うて良いか。」

「わたくし、その埃を過去に転生させ、先ほどの先生のアメーバに協力し、進化を促してみせます。」

「これっ、清次ごときにそこまでできるか。ほっほっ、『旅人』さん、冗談が過ぎまして、申し訳ありません。」

 しかし、『旅人』は真剣な顔をして答えた。

「神には次元を上げることなど造作もないでしょう。錫杖のたてた埃が霊となり、過去へ下り、何か生きる物の祖先となる。そのようなことも可能なはずです。」

 天鶴は、困った顔をしてうつむいた。そして『旅人』が落ち着くよう声をかけた。

「ここは天国ではありえまいが、天国のように落ち着いたところでしょう。争いといっても口先だけじゃ。平和に暮らしていくことが一番ですからな。」


「先生、過去と未来に転生なさった、ということは今、現在にも転生可能なのでしょうか。」

 『旅人』の熱情に辟易していた天鶴は、清次の申し出に乗ってみることにした。

「うーむ、では、やってみるかのう。一人黙って小説を読む者に転生してみよう。彼がおもしろくもないと思うものをおもしろいと評価するように意識を集中させて……どうじゃろう?」

「先生、そんなことなら、その者のところに行って、おもしろいことを説いてやったらいいじゃないですか。それが彼の為になることですよ。」

「どうも、そのほうが徳があるようじゃ。これはハメられたかのう。『旅人』さん、どうやら、儂は清次にやられたようじゃ。」

 『旅人』は真剣な顔をしたまま答えた。

「聖霊は促すだけです。信仰によってのみ、その現れを知るのです。どのようにかして現れ、心に響いたこと、それは大切なことなのです。」

 天鶴と清次が困った顔をして見合っているところを、『旅人』はさらに続けた。

「あなたがたはまるで何でも知っているかのような顔をする。ひょっとすれば、ここは天国か、というぐらい落ち着いてらっしゃる。しかし、あなたがたがさっきお認めになったようにここはどちらかと言えば地獄だ。あなたがたが本当に転生しているなら魂は焼かれていっているのだ。そして、今のあなたがたには何と言っても肉体がある。この世界には終りがある。ずっと未来に転生していけるわけではない。」

 ゴォォンと鐘のような低いラッパのような音がした。それは腹から、むしろ「霊」から響いたような音だった。『旅人』は二人に告げた。

「さあ、その最後の審判のときがやって来たのです。」

 清次は反発した。

「何をまた、そんなことを。いきなりそんなことがあるはずがない。肉体が復活するようなことなどあるものか。あの音はどこかで鐘が落ちでもしたのだろう。」

 しかし、天鶴の意見は違った。『旅人』のほうに向かって言った。

「いや、儂は信じるぞ。ほれ、今、やって来てお前さんの後ろに立ったのは、儂のじい様じゃ。」

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