第4節

 ここ、惑星ル・カインは、砂漠の星。街はそれぞれ透明なドームで覆われ、街と街を透明なチューブがつないでいる。

 街の外れのバス停に少年が立っているところに、二人乗りの小さな車が止まった。中から現れたのは『旅人』だ。

 『旅人』が声をかける。

「やあ、カイル君、首都の礼拝所に行くんだろう。乗ってくかい?」

 カイルと呼びかけられた少年は、『旅人』とすでに顔馴じみのようだ。

「乗せて行ってください。助かります。」

 カイルを車に乗せてすぐに出発した。車は自動運転のようだが、『旅人』はハンドルを握っている。その動く感触がおもしろいらしい。

「お兄さんの出発を見送るんだね。辛いね。」

「ええ。僕は今でも反対です。こんなわけのわからないプロジェクトにどうして兄は志願する気になったのか。」

「いや、立派なことだよ。歴史を確定させていくことは、存在を確定させていくことなんだ。いずれこの星のためになるだろう。」

「そんなふうに断言できる人の数は多くありません。やはりあなたは導かれた者……いや、神からの『旅人』らしいから、導くほうの人なんですかね。兄の決定を思うと、私には信仰は恐ろしいことのように思います。」

「信仰を真剣に受け取めるのは善い徴候だ。お兄さんと同じ道を歩まなくていい。でも、信じる人になりなさい。」

 カイルは憮然とした表情で、フロントガラスに映る景色を眺めた。


 車が礼拝所に着いた。礼拝所は宇宙船の発着所を兼ねている。ル・カインから宇宙へ行くには物理的な推進力のほかに祈りが必要とされた。祈りがなければ天圏に到達してもそこを移動できないのだという。

 礼拝所に入る階段を昇って入口をくぐると広い待ち合い室があり、正面の奥に講堂があった。『旅人』とカイルが講堂に行こうと歩きはじめると向こうから、老人が一人、近付いてきた。互いに一礼したあと、老人が二人に話しかけた。

「やぁ、よく来たね。カイル君。お兄さんのお見送りだね。お兄さんを困らせるようなことがないようにね。こちらの方は、例の『旅人』さんだね。お待ちしていました。」

 『旅人』が答える。

「外からやってきました『旅人』です。興味深い話をうかがっております。惑星ハ・アベルでしたか。私も知らないわけではないのですが、そちらから詳しい話を教えていただけませんか。」

「わかりました。講堂のほうへ行ってお掛けください。カイルくんはどうしますか。」

「彼も一緒に来させて話をさせてください。時間をもらうよ。いいね、カイルくん。」

「ええ、わかりました。」


 講堂で話を聞いた。

 惑星ル・カインが惑星探査に乗り出したのは千年以上前のことだという。彼ら自身もどこかの星からやてきたという伝説があるが、それは歴史以前のこととされている。

 七十年ほど前、大きな発見があった。ある恒星系にハ・アベルという人が住める惑星が見つかったのだ。しかし、そこは彼らの「科学」力では観測はできるが行き来はできない星であることがわかった。正確には行くことはできるが帰ってくることはできない星であることがわかったのだ。

 やがて、決死隊が結成されて、ハ・アベルに人が送り込まれた。そのとき不思議なことがル・カインに起こったのだ。ル・カインの歴史書が書き換わり、どうも他の事物も影響を受けたようなのだ。

 当初、そのことはニュースとなって、熱狂が続いたが、やがて、歴史書が書き換わったことは人々の記憶違いという説が強力となり、すべては記憶違いとして処理されるに致った。

 老人は語った。

「しかし、真実は最初のニュースが正しいのです。記憶は霊の支えがあるためか、すぐに書き換わることがなかっただけで、ハ・アベルへの干渉は、ここル・カインへの歴史の干渉であったようなのです。その後、信仰組識が記憶の書き換えに抵抗する体制を整え、何度か決死隊を送り込みました。すると、影響を受けた時代は様々ですが、ル・カインの歴史が改変されたのです。」

 『旅人』は尋ねた。

「つまり、ハ・アベルはル・カインの昔の姿だというのですね。」

「単純に言えば、そのように考えるしかありません。時空の壁こそ我々の行き来をはばむ壁だったのです。我々はハ・アベルに干渉するなら自らを破壊しないように注意しないといけません。」

 そこにカイルが口を挟んだ。

「過去に直接、干渉しているとは限らないでしょう? ル・カインがハ・アベルに干渉したのを見て何者かが、ル・カインに干渉したのかもしれません。」

 老人と『旅人』は顔を見合わせた。『旅人』が答える。

「おもしろい着想だ。神のなさることは偉大だからね。そういうこともあるかもしれない。」

 老人は、『旅人』とあとで会う約束をしてその場を離れた。


 カイルは話を続けた。

「そもそもこの星の科学には祈りが欠かせません。でも、どうもそれは本物の科学でないような気がします。僕は、そもそも僕達が巨大な何者か……神なのかな?……の夢なんじゃないかと考えることがあります。誰かの夢だから、祈りが通じるのでしょう。」

 『旅人』が微笑んだ。

「ここは誰かの夢の世界ではない。確かにそういう面もあるかもしれないが、君は単なる夢ではない。肉体がある。それは私が約束しよう。」

「肉体があるってどういうことですか。」

「肉体は、最後の審判の際には復活し、裁きにあう。」

「僕達の伝説では、最後の審判という裁きがあって、本来は、洪水で死んだ人がこの星に肉体を得たとあります。」

「肉体を得た者の世界には最後の審判がある。再び、いや三たび、ある。」

「それでは『最後』じゃないじゃないですか。」

「最後の審判で復活した肉体と、このような世界の肉体は別のものだ。前者は永遠の裁きの対象となるが、後者は、誰かの夢のようなものが神の特別な恩恵により肉体を持ったもので、その世界で死に、最後の審判を待つことになる。『このような世界』にとっては終りに一度、最後の審判があるのみだ。」

「それは世界全体が復活するということですか。」

「そうではない。現に真実の世界、そんなものがあったとしてだが、……それとこの世界はまったく違う物になっている。似た部分も多少はあるが、言ってみれば別の世界、別の宇宙だ。君は、この世界のことだけを考え、しっかり生きればいい。」

「『生きる』ですか……。」

 カイルは少し考えてから、『旅人』に尋ねた。

「兄はどうなるんですか。ハ・アベルに決死隊として向かう兄は、『生きる』ことになるのですか。」

「この世界とは違った摂理で生きる。それも一つの生き方だ。」

「それは死んでいるということではないのですか。」

「難しい質問だ。」

 『旅人』はあとは答えをはぐらかしながら、時間を待った。


 礼拝所の奧の祈祷所にやってきた。カイルの兄、ヨクタンが司令官に敬礼したあと、『旅人』とカイルのほうに近付いてきた。

「『旅人』さん、先日は興味深い話をありまとうございました。ますますこの任務の重要性が理解できました。カイル、これからは寮生活だな。しっかりやれよ。」

 ヨクタンとカイルは二人暮らしで、祖母が死んでからはヨクタンがカイルの面倒を見てきた。

「兄さん、机の上に時計があったけど、これが形見ってこと。いやだよ、こんなの。」

「ヨクタンは、時計技師として選抜されたそうだね。時計は技術は古い技術もギリギリ残っていた分野だ。おもしろい選択だと思うよ。カイル、今のその時計をしっかり霊に記憶しておくんだよ。」

 ヨクタンは二人に敬礼した。カイルが泣いていたので、ヨクタンも少しもらい泣きしたようだった。


 発着場でヨクタンが宇宙船に乗るのをガラス越しに見ながら、『旅人』はカイルに話しかけた。

「さっき、この星の科学が本物の科学じゃない気がするって話してたね。確かに、この星には、本来、物理的には不可能な物がある。それを少し違うと思うのは、理性があるからなんだろうね。理性は『真実の世界』での実感をもとにつくられているから、この世界では何か齟齬そごを感じとるのかもしれない。でも、人の理性は十分、可塑的だから問題はないはずなんだが……。」

「僕は、兄さんの気持ちがわかる気がする。この命が嘘に近いものでも、命をささげるという心は真実だろうから、真実に殉じるのが正しい行為、実践的な信仰なんだと思う。」

「この世界は、神がお認めになった世界だ。嘘じゃない肉体がある。それにヨクタンが志願したのも心の真実のためだけではない。この星はいってみれば、今、歴史を作っているんだ。はっきりとした歴史ができ、現実感が確定的になれば、非物理的要素もなくなって落ち着いていくかもしれない。科学的真実のためにもヨクタンは志願したのだよ。」

 宇宙船が旅立って行った。カイルも『旅人』も祈りに参加した。


 カイルを送ってヨクタンと二人で暮らしていた部屋まで『旅人』はやって来た。カイルは語る。

「これからは学生寮での寮生活になるんですね。食事、どうしますか。軽く何か作りましょうか。栄養バーだけでいいならもちろんありますが……。」

 『旅人』は答えた。

「今は配給制の栄養バーがある。凝った料理というのも存在する。これらがちゃんとした資源から働いて生産されるようになり、つじつまを合わせる日が来る。」

「えっ、何かの預言ですか。今はつじつまが合ってないんですか?」

 強がりに微笑ほほえむカイルを、『旅人』ははげましているつもりなのだ。

「カイルくん、ハ・アベルを目指さないでも、ここだけでも、なせることはいろいろあるんだ。ここで肉体として生き死ぬことも大事なんだよ。これからよく考えなさい。」

 カイルは台所から勉強部屋に移って、あの時計を見た。時計はなぜか輝きを増していた。

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