河岸を変えて

 赤、青、黄、オレンジ。

 思わず手をかざしたくなるほど眩いネオンが、通りを彩っている。行き交う人たちは、皆一様に夢を見ているかのような足取りで、声高に談笑していた。

 私の家から一番近い繁華街。ここには居酒屋、パブ、クラブ等、現実を忘れ一夜だけの夢を見させてくれる店が、ひしめき合うように並んでいる。

 その中の一軒、赤い大きなちょうちんが目印の居酒屋『八双はっそう』は、安い、美味い、店員の笑顔とサービスがいいという三拍子揃った店で、うちの大学でも有名だ。打ち上げや新歓、サークルでの飲み会など、大勢で集まるときには、高確率でこの店を利用している。

 かくいう私も例に漏れず、友人としばしば足を運んでいる。

 薄汚れた暖簾をくぐり、昭和を思わせるガラスの引き戸を開けると、店員の発する威勢のいい声が出迎えてくれた。

 そんな華やかな雰囲気を、一気に引き下げる暗い声が、私の斜め後ろから聞こえてくる。

「煮物が無駄に・・・・・・もう少しで夕飯の準備が済むところだったのに・・・・・」

あおい~。お願いだから許してよ。明日の朝食にするし、お弁当にして持っていくから、ね?」

 葵は、じっとりとした粘っこい視線で私を絡め取る。こんなにも陰湿な彼女を見る機会はそう多くない。

 私は慌てて視線を外すと、新しい話題を探して脳をフル回転させた。

「そうだ。ここは料理がすごく美味しいの。しかも店長が気さくな人だから、聞けば気軽にレシピも教えてくれるんだ。葵の料理の腕に磨きがかかるかもよ」

「え? そうなんですか?」

 興味をそそられた葵の目に、いつもと同じキラキラとした輝きが戻ってきた。

 危ない、危ない。

 葵がへそを曲げて帰ってしまうと、芋づる式に翔太かなたさんや颯介そうすけくんまで帰ってしまう。

「やあだ! しおりんじゃない!」

 しおりん?

 一瞬、自分のことを呼ばれた気がして、私は眉を顰めた。

 声の主を確認する為に、ぐるりと店内を見回す。

 この辺りの店にしては、広めの店内。右手には厨房とそれを取り囲むカウンター席が設えられ、テーブル席はゆうに二十組はある。

 平日のせいか店は比較的空いているものの、それでも席は半分が埋まっている。堅苦しそうなスーツ姿で、客の殆どが仕事を終えた社会人であることは一目両全だ。

 その酔漢たちが起こす嵐のような談笑をぬって、例の声が再び私の耳に届いた。

「おーい。こっちこっち。しおりんったら、どこを見てるのよ」

 忙しなく働く店員に時折姿を隠されながら、奥のテーブル席で手を振る美女が見えた。

 あれは・・・・・・


      さん!」

「『茜』  先輩!」

         !」


 私たち四人の声がハモる。

「あっはっは。そんなところにボーっと突っ立ってないで、早くこっちへ来て座りなさいよ」

 あかねさんは、びしん、ばしんとテーブルを叩きながら、上機嫌でこちらへ手招きをしている。

 私は苦笑いで小さく手を振り返した。

 あー。面倒くさいのが、もう一人増えた!

 茜さんとは、葵と出会ったばかりの頃に銭湯で出会った。彼女もヒューマンシッターの一員で、葵と同じ家政婦課に所属している。

 見た目はモデルのように綺麗な人だが、ちょっと性格に難あり。

 言うまでもなく、当然『忍』だ。

 本人は、家政婦という表の職業をあまり良く思っていないらしく、自分の力は秘書課でこそ発揮されるべきだと思い込んでいる。そういった訳だから、仕事に対してもイマイチ積極的ではないらしい。

 ま、私にはどうでもいいことだけれどね。

「なに、なに、しおりん~。異色の四人組じゃない。しかも我が社のイケメン、トップ2と一緒だなんて、女性社員が聞いたら蜂の巣にされちゃうゾ~」

 渋々席に着くと、途端にアルコール臭をふんだんに含んだ息を吐きかけながら、茜さんがしな垂れかかってくる。

「ちょ! 冗談じゃないですよ。止めてください。これには複雑な過程と、人間としての純粋な欲望が絡んでいるんです。出来ることなら、私だって家で葵の作った煮物を食べていたかったんですから」

「え? なあに? しおりんの言ってること、難しくて良く解んない」

 茜さんはとろんとした目で上目遣いにこっちを見てくる。顔だけでなく、首まで赤くなっており、これがこの人の通常の酔い方なのかは不明だが、酔っ払っているのは確かなようだ。

 法被を着た店員が近寄ってきて、笑顔でお通しとお絞りをテーブルに並べる。私は「とりあえず生四つ」と注文を出しておいて、メニューを手に取った。

 六人がけのテーブルには奥から茜さん、私、葵が座っている。その正面には翔太さんと颯介くんが座っているわけだが、二人は依然むっつりと黙り込んでいるだけだった。

 茜さんが先に座っている以上、この席順でなければどちらかが葵の隣に座ることになる。不必要な争いを避けたい私は、公平を喫するためにも、男性二人には並んで座ってもらうしか手が無かった。

 どうして。どうしてここまで私が心を砕かねばならないのか。

 心の中でひっそりと溜め息をつきつつ、葵にメニューを回す。

「詩織様。この『ゲソックイカ様天国の舞』ってどんなお料理なんですか?」

「はああ? 何それ」

 顔を葵に寄せてメニューを覗くと、確かに今月のおススメ欄に不穏な文字が並んでいる。お値段は税込み百三十円とかなり安い。

「それと、この最後にある『あなたと共にワルツを』というのは?」

「えええ?」

 眉を顰めて目を凝らす。今月だけの限定なせいか、ぺらぺらの紙には文字だけが印字してある。写真も無く、字面からは何を使用した料理なのかも解らない。

 私はメニューを穴が開くほど見つめて、考え込んだ。

 ここの料理の味は間違いない。メニュー名は馬鹿げているけれど、それほど酷いものは出てこないだろう。

 ただし、信頼はあるけど保障がないのが怖いところ。値段には目が眩むが、他の料理だって、高いわけじゃない。

「美味しくない、とは思わないけれど、もっと無難なものもあるじゃない。そっちにしなよ」

「でも、気になります」

 葵は右拳を口元に添えて悩み始める。

「なによう、安いんだから頼んじゃいなさいよ」

 茜さんが酒臭い息と共にぐいぐい私にもたれかかってくる。お陰で、左肘が完全に茜さんの胸に埋没してしまっている。

「ちょっと、茜さん。ムネがあたるんですけど」

「やあだ、しおりん。女の子同士じゃない。胸くらいなんだって言うのよ。私たち、同じお風呂にも入った仲でしょ」

 うひひ。と卑猥に笑って、茜さんはテーブルの上に置かれた銚子から、手酌で猪口へと日本酒を継ぎ足した。

 ああもう! 回りの人が聞いたら、誤解するじゃない!

 私が懸念したとおり、茜さんの正面に座っている翔太さんが、怪訝そうな表情で身を引く。

 そこへ、店員がビールの注がれたジョッキを持ってきた。

 ビールをなみなみと注がれたジョッキは良く冷えていて、回りに細かい水滴がついている。それが、店内の照明に照らされてキラキラと光っていた。

 私たちはジョッキを手にすると、誰からとも無く、そして音頭さえも無く乾杯のようにジョッキをぶつけ合う。

 そりゃあ、ここまでの経緯を考えたら、乾杯なんて言えないよね。

 一通り食べ物のオーダーを取った店員は、再びプライスレスな笑顔で去って行った。

 私はジョッキの持ち手を握り締めて口をつける。

 こういう時は、さっさと酔っ払うが勝ちってね。男性二人のギスギスとした雰囲気も、多少はほぐれるでしょ。

 舌の上にビールの苦味がサッと広がり、炭酸の強烈な刺激が喉を通り抜けていく。

「ぷあー。やっぱり、ビールは一口目が一番美味しい!」

 ジョッキの三分の一ほどを消化して視線を落とすと、しかめ面をした颯介くんと目が合った。

「もしかして・・・・・・ビール苦手でした?」

「えっと・・・・・・実はちょっとだけ。どうもこの苦味が好きになれないんです」

「ごめんなさい。いきなり頼まずに、飲み物のオーダーも聞けばよかったですね。もし良かったら、残りは私が飲むので、新しいの頼んじゃってください」

「いえいえ。そこまでしていただくわけにはいきません。それに、飲めないわけではないので」

 ちょっぴり気まずそうな笑顔で颯介くんが答える。それを横目で見ていた翔太さんが、ふんと鼻先で笑った。

「ビールの味も解らないとは、沢田は本当に子供だな」

 翔太さんは、茜さんのオーダーしていた漬物盛り合わせから茄子を摘むと、ひょいっと口へ入れた。

 こんなに葵が近くにいるのに喧嘩を吹っ掛けるとは、翔太さんはつくづく颯介くんが嫌いらしい。葵を巡る対立の他にも、何か確執がありそうだ。

 右隣をそっと見ると、葵はすでにジョッキを空けていて、お通しに箸をつけようとしていた。

 彼女の目は期待に満ちており、小鉢の中にある蕗の煮物をじっと見つめている。

「葵ってば、お通しなんて見つめちゃって、どうしたのよ?」

「この季節に蕗が出るなんて、不思議じゃありませんか? 詩織様」

「そう、かなあ」

「そうですよ。春に採っておいたものだと思いますが、こんな季節はずれに客へ出すなんて、よっぽど腕に自身がないと出来ないことです」

 言いつつ、葵は慎重に箸を割る。

「いざ!」

 蕗を一つ取って口に入れ、暫く咀嚼する音だけが聞こえた。

 しゃく、しゃく、ごくん。

 葵は俯くと、白くほっそりとした指で箸をきちんと揃え、テーブルに置いた。

「詩織様。ビールを一口頂いてもよろしいですか?」

「え? あんまり残ってないけど、どうぞ?」

 差し出したジョッキを両手で抱え、葵は喉を鳴らしてビールを飲む。一口、といっていた割には、かなり量の多い一口だ。

「―――しい」

「は?」

「ものっすごく、美味しいです! この季節にこの味が出せるなんて、奇跡です! しゃきしゃきとした歯ごたえ、あっさりとした味付けなのに、蕗の芯まで味がしみ込んでいます」

 大きな瞳に喜びの光をめいっぱい湛えて、葵はジョッキをドカンとテーブルに置いた。

「詩織様の仰っていた通りですね。こちらの店主はとても料理がお上手です。先ほど頼んだ『ゲソックイカ様天国の舞』と『あなたと共にワルツを』も期待出来ます」

 あの怪しい料理、頼んだんだ・・・・・。

 私はちょっとげんなりして、葵から視線を外す。反対隣では、茜さんと翔太さんの同期コンビが仲良さそうに話していた。

「まったく、いい歳して居酒屋で一人酒か? 茜」

「うるっさいわねえ。人には飲みたい時だってあるでしょう」

「お前は酒に弱いんだから、一人で飲み歩くな」

「あれあれあれぇ? それってぇ、私を心配してくれているのかしらぁ?」

「馬鹿言うな。お前が酔っ払ったら、回りが迷惑だっていう意味だ。この間の同期での飲み会だって、一人でベロベロになった揚句、隣のテーブルに乱入して、最終的にはサラリーマンを一人のしただろう」

「そうだっけ?」

「忘れるな! 警察沙汰一歩手前で、大変だったんだぞ!」

 茜さん、酒乱なの?

 隣でこっそり会話を聞いていた私は、心持ち茜さんから身を遠ざける。すると、今度は左手から颯介くんと葵の会話が耳に入ってきた。

「これ、本当に美味しいですね。蕗って調理するのも手がかかって大変なのに・・・・・・すごいですね」

「だよね~。後でこっそり作り方を教わりに行くつもり」

「あ、僕もご一緒していいですか? 山菜の調理、苦手なんです」

「そうなの? 早く言ってくれればいいのに。うちの課にも山菜料理が得意な人、沢山いるよ。明日、教えてくれるように頼んでみるね」

 私は、葵から戻ってきたビールを飲み干しながら、それはないだろうと思う。

 そこは、私が教えてあげるよって言うところでしょ。ってか、颯介くんは、絶対にそういう返事を期待していたはず。

 薄々感づいていたことだけれど、葵はたぶん二人の好意に全く気がついていない。そのことが原因で、二人の仲が悪いことさえも気がついていないだろう。

 罪な女よの~。

 それにしても、と私はジョッキを置いた。

 社会人っていうのは、いいなと思う。仕事は責任も伴うし大変だろうけど、こうして同じ苦労や喜びを分かち合える人がいるのは、素直に羨ましい。

 私にも、年に一度だけバイト先での飲み会がある。人間関係は良好だから、それはそれで楽しいけれど、やっぱり社員さんとは立場が違うので、話しに入れない部分も多い。

 そんな時、私とは決定的に違う場所で、彼らは毎日働いているのだなと思い知らされる。

 そりゃあ私だって、もう何年も経たない内に就職して社会人になる訳だけれども―――私は、まだ顔も名前も知らない未来の同僚と、こんなふうに語り合うことが出来るのだろうか。

「詩織様、どうかなさいました?」

 黒目勝ちの大きな瞳が覗き込んでくる。ぷっくりと少し肉厚な唇が、弓形に反って笑みを作った。

 少女のような彼女でさえ、社会の一部として生きているのだ。

「んーん、なんでもない。それより料理はまだかしらね」

「へい! おまち~」

 タイミングよく、頼んでいた料理が運ばれてくる。私はすかさず出羽桜でわざくらを注文しながら、並んだ料理を見下ろした。

 揚げ物、焼き鳥、サラダの他に、不審な物が二皿ある。

 いぶかしむ私をみとめて、店員は笑顔で皿を一つずつ指差した。

「こっちが『ゲソック』で、こっちが『ワルツ』ね」

  『ゲソックイカ様天国の舞』は見た目、何の変哲も無いイカフライに見える。うちのスーパーでも、おつまみ三袋 よりどり二百九十八円で売っているような、所謂かわきものと称されるイカフライだ。

 『あなたと共にワルツを』に至っては、ただの焼いた野菜とディップ用ソースがついているだけ。

「値段に惹かれて注文されるお客様が多いんですけど、こっちとしては、料理名を言うのが恥ずかしくっていけません。でも、味は保障つきです。どのお客様からも褒めていただいてますよ」

 店員は苦笑しつつ、空になったジョッキや皿を下げて去って行く。

 右隣から、目を爛々と光らせた葵が、稲妻のごとき速さで『ゲソック』を一つ摘み上げた。そうして目の前で回転させつつ、じっくりとイカフライに見入っている。

「イカフライで何かを挟んである・・・・・・これは、クリームチーズ?」

 真剣な様子で呟いた後、イカフライを口へ運ぶ。

 途端に、葵の瞳が驚愕に見開かれた。開きすぎて、ビー玉のような瞳が零れ落ちそうだ。

「軽く炙ったイカゲソを細かく刻んでクリームチーズと和えてある。濃厚なのに、さっぱりとした後味。仄かに柑橘系の香りがする」

 葵は眼光鋭く、『ワルツ』の皿を見やると、目にも留まらぬ速さで野菜を口へ放り込んだ。

 今、ディップを掬った?

 私は酔いの回り始めた目元を、ごしごしと拭う。

「はーい。出羽桜ね」

 先ほどと同じ店員が、一升瓶を片手に枡へ入ったガラスコップを持って現れる。葵は店員が酒を注ぐか注がないかの内に、椅子を盛大に鳴らして立ち上がった。

「店長様に合わせてください! この『ゲソックイカ様天国の舞』といい『あなたと共にワルツを』といい、すばらしいお料理です! 是非、アタシにご教授を!」

 頭突きを食らわせんばかりの葵を、店員は華麗なバックステップで交わし、平然とコップに酒を注ぎ始めた。それを見ていた茜さんと翔太さんが、小さな声で「いい動きね」「ああ、うちにスカウトしたいくらいだ」とか言い合っている。

 一仕事終えた店員は、笑顔のまま頷くと「では、こちらへ来ていただけますか」と言って、葵を連れ去ってしまった。

「あ、僕も一緒に―――」

「沢田、ステイ!」

 慌てて腰を浮かした颯介くんに、茜さんの鋭い声がかけられた。茜さんの目は、完全に据わっている。

 口答え不可能と悟った颯介くんは、未練たらたらな視線を葵の背に送りつつ、座りなおした。

「颯介くんは、犬か!」

 そんな彼の姿を見て、私は思わず噴出してしまった。さっき届いたばかりの日本酒(出羽桜)は、もう一口分くらいしか残ってない。

「おにーさーん。同じもの追加ね~」

 忙しく横切る法被に、鷹揚に手を振って注文をする。茜さんも銚子を持ち上げて私と同じ注文をした。

 そして猪口を一気に呷ると、テーブルに叩き付けた。

「私には解っている。この奇妙な取り合わせの理由を。茜様の明晰な頭脳にかかれば、君たちの顔を見ただけで解ってしまうのだよ」

めい探偵、茜様。して、その推理とは!」

 私も残りの一口を飲み干して、茜さんを煽りながら『ゲソック』を噛み砕いた。

「あら、おいし」

「ちょっと、しおりん。これから私の華麗な推理が始まるんだって」

「ん? ああ、すみません、すみません」

 新しく来た銚子を手に取り、彼女が握り締めている猪口へと酒を注ぐ。

「邪魔者もいなくなったし、心置きなく話せるわね。推測するに、葵がらみね」

 これが漫画だったら、茜さんの目元がキラリと怪しく光っていただろう。けれど実際は、目の据わった酔っ払いがぐふっと笑ったに過ぎなかった。

「翔太と沢田が葵を好きだなんて事は、会社中の誰もが知っているところよ。大方、葵の後でもつけて、しおりんの家に上がりこんだんでしょ~」

「おおー! さすが酩探偵! その通りでございます」

「ふ、ふふふふ。あんたたちが、会社からこそこそ葵の後を追っていったのは、この茜様が見てたんだからね」

「それって、推理って言わないじゃん!」

 ぎゃははと私と茜さんの笑いが重なる。翔太さんは、苦虫を噛み潰したようにビールをちびちびと飲んでいた。

「お前ら、早いピッチで飲みすぎだぞ」

 渋い低めの声は、音量が小さくとも喧騒をやぶって心地よく耳に届く。聞く人が聞けば、うっとりする声音に違いない。

「そ、そうですよ。それに・・・・・・その、皆知っているって本当ですか?」

 眉を完全にハの字に曲げ、涙目で茜さんを見つめる颯介くん。

 背後にシャボンと花畑が見える。

「かぁっわいい♪」

 ほうっと溜め息をついた私の肩を、茜さんが肘で押してきた。

「いやん。しおりんってば、沢田派~? もう、葵だけで満足しなさいよ」

「茜さんは、解っていませんね。葵とは違った可愛さがあるんです。見てくださいよ。この子犬のように打ちひしがれた姿。写真に撮って、飾っておきたい」

 うっとりと呟く私の言葉に、颯介くんの涙は決壊寸前になった。長い下睫に支えられたダイヤモンドは、暖色系の温かい光を受けてキラキラと輝いている。

「沢田。お前って、結構可哀相な奴なんだな」

 私と颯介くんを交互に白眼視して、翔太さんがキュウリをぽりぽりと食む。その馬鹿にしたような横顔に、私は思いっきり舌を出した。

「上から目線。やな奴! 貴方が葵の彼氏になって、彼女の隣を歩く可能性があるっていうだけでムカムカするわ。ま、葵が貴方を選ぶなんて無いだろうけどね」

「お前ごときに、そこまで言われる筋合いはない!」

 バン! と力強く、翔太さんがテーブルを打つ。茜さんが、手酌でコンスタントに飲みつつ、にやりと笑った。

「まあまあ、しおりん。落ち着いて~。口が悪いだけで、翔太も結構いい奴なのよ。外見だけなら葵と並んでも遜色ないじゃない―――ま、ちょっと親子みたいだけどさ」

「見目形は関係ありません! それに、颯介くんと葵なら小動物ペアって感じでピッタリじゃないですか」

「それって、完全に見た目だし! デートに行ったら、二人ともあっさり補導されそうよね~」

「茜さん。痛いところを突いてきますね」

 私はぐいっと日本酒を飲み干す。

「でも、翔太さんよりマシです。翔太さんが葵の彼氏になったら、この人だけは家に上げません!」

 びしっと指を指して、翔太さんを睨みつける。茜さんは、腹を抱えて「マシって酷い」と笑っている。颯介くんといえば、私が自分の味方なのか、はたまた敵なのか判断がつかなくてオロオロしていた。

「誰がお前の家に上がるか! 今日の事だって不可抗力だ。葵に気づかれなければ、家に上がる気など毛頭なかった」

「気付かれないわけないでしょ。葵を馬鹿にしてんの? ああもう、帰ったら掃除して除菌しなきゃ」

「俺はバイキンか!」

 ギリギリと睨みあう私たちの横で、茜さんがけらけらと笑う。

「二人とも、落ち着けって~。しおりん、プライベートの翔太は、とんでもなく不遜な奴だけれど、こう見えて後輩には慕われてるのよ~。仕事は出来るし、面倒見はいいし、意外にも親切」

「茜さんと正反対じゃないですか」

 言うが早いか、がしっと左肩を掴まれる。

「何か言った?」

 妖艶な笑みが視界いっぱいに迫り、肩の骨がミシミシと音を立てている。私は高速で頭を横に振った。

「いいえ。何も言っておりません・・・・・・さっきから聞いていると、茜さんは翔太さんの味方なんですね」

「味方というか~。同期のよしみで応援? しおりんが沢田の味方じゃ、翔太を応援するしかないでしょ~」

 ぽいっと『ワルツ』を口へ放って、茜さんは静かに手を上げた。私も彼女にならって手を上げる。

『同じもの、追加~』

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