魔王は心の中に

 世界が現実に戻り、魔王の間は教室に、俺たちは制服に戻ってもなお、目の前の幼馴染みはいまもまだローブに身を包んだままだった。

「いつ気がついたのよ、私が魔王だって」

 ただ一人現実へと戻ってきていない彼女は、フードを目深に被ってその表情を隠し尋ねてくる。

「……怪しいと思ったのは最初からだ。魔王病の中で飲まれずに動けるのは、事前に対処をしてある時だけだからな」

 チラリ、と自分の右腕を見る。

 俺たちだって、魔王病対処のスペシャリストである道上がいなければどうなっていたことか。

「そんな中で平然と現れ、魔術師ソーサラーとして強力な魔法を使う。アレはちょっとやり過ぎたな……」

 一方で、火宮の腕には例の銀の腕輪はない。

「でも、それだけなら偶然その職業になれる可能性もあるじゃない」

「もちろんそうだな。だから俺も怪しいとは思ったが、そのことを一旦思考の脇にどけたんだ。お前を疑ってもいい気分はしないしな……」

 疑惑を向けられた魔術師はなにも答えないし、フードの下の表情も窺えない。

 誰もなにも言わず、室内を沈黙が支配する。

 取り戻された窓から昼の日差しが差し込み、日常が戻っていることを示している。

 ただ目の前の、幼馴染みの立つ場所だけが、今なお魔王病を患っている。

「なのに今は、私を魔王と確信している、と……」

 静かに、ローブの下からそんな声が漏れてくる。

 少しだけ見える口元は、笑っているようにも、怒りが滲んでいるようにも見える。

 しかしそのどちらだとしても、それは俺の知る幼馴染みから少しずつ離れていっている気がした。

 それはまさに、だ。

「魔王だと思ったのはあの鎧剣士の正体について考えた時だな。美月がスケルトンとゴブリンしか呼び出せなかったのは、魔王の間を見ても明らかだ。では、あの鎧剣士は何者か? ランダムモンスター? いや違う。アレはものだ。あの意識を持ったような動きは、んだ。だからお前は、なんの躊躇もなく攻撃できた」

 俺がそこまで突きつけると、今度は明確、その魔王は声を上げて笑ってみせた。

「ねえ輝明、自信満々に語っているけれど、あなた、魔王病についてどこまで知っているの?」

「どこまでって……」

 魔王病には謎が多い。

 それは現時点ではまだまだ解明されていない部分もあるし、俺が入手できる情報が極々限定的なものでしかないからということもある。

「一つ、わかったことを教えてあげると、魔王病にも才能というものがあるのよ」

 その声は冷たく静かで、まだ一人、先程までの青黒い闇の中に取り残されたままのようだ。

 俺はこれまで、こんな幼馴染みを見たことがなかった。

「輝明も見たでしょう、美月の魔王病を。この学校全てを覆い尽くす、ナノマシンの改変を……」

 ローブの魔王は大きく手を広げ、既に跡形もなく消えた世界を呼び戻そうとする。

 ほんの一瞬、世界はあの時の姿をちらつかせるが、すぐに元に戻る。

 俺たちのよく知る、なんの変哲もない音楽室だ。

「私の力でできるのはこの程度。残酷な現実よね」

 自分自身を嘲笑うかのように、ローブの肩が震える。

「……ナノマシンへの干渉は、個人差が大きいですからね」

 耳に届くか届かないのかわからないくらいの声で、土谷の野郎がそうつぶやいた。

 おそらくこいつは、ここにいる誰よりもそのことを実感している人間のはずだ。

 こいつが戦っているナノ式テニスとはそういう場なのだ。

「そう、ここでも才能よ。私は、あなたたち兄妹が羨ましかったのよ。そして妬ましかった……。子供の頃からずっと……。そう、ずっとよ!」

「ずっと……」

 俺たちと火宮の付き合いはそれこそ幼稚園の頃まで遡る。

 家が近所であったこともあり、親同士の仲が良かったのだ。

 あの年代の人間関係はその影響を強く受けるものである。

 もっとも、俺としてはそこまで意識したことはなく、ただ普通に付き合ってきたつもりであったが、思い返してみると一つの違和感にぶつかった。

 俺と美月がそこまでいつでも仲が良かったわけでもないこともあり、三人でなにかをしたという記憶がほとんどないのだ。

 火宮はいつも、俺に対してなにかをするか、美月に対してなにかをしていたが、俺たち二人がいるところにはなにもしてこなかった。

 つまり火宮は、ずっと、俺たち二人を引き離そうとしていたのだ。

「だから私はあなたたちそれぞれに魔王病を教えた。あなたたちそれぞれにあの兄は、あの妹は素晴らしいと言い続けた。簡単だったわ、それは本心だもの。私にはその両方がなかったから」

 その言葉に、もっともショックを受けていたのは美月のようであった。

 俺と違い、美月は孤独だったのだ。

 それこそが魔王になった理由である。

 ある意味で、火宮の言葉こそが全てだったのだ。

「だから、ボクに輝兄さんのことを話し続けたのか……」

「そうよ、そして美月はついに魔王になった! 孤独が美月を魔王にしたのよ! 今日も遅刻して、そこの先輩と登校することを教えたら、ついに折れたのよ……!」 

 不意に、声のトーンが下がる。

 世界が、一瞬だけ明滅する。

「……でも魔王になっても、私は美月にかなわなかった……。輝明、あなただって同じよ。私が中心となって魔王となった美月を倒して力を示そうと思っていたのに、それを遥かに上回るものを持ってきた! あなたたちはいつもそう!」

 その悲痛な声は、魔王病を発症するにふさわしい、感情の塊だった。

 魔王病を発症するのは多感な精神と強いコンプレックス、そして魔王としてという欲求を持ち合わせた十代の少年少女であるとされている。

 火宮は、なにがしたいのだろうか。

「でも、今はもう違う。美月は魔王ではなくなったし、輝明もそのお友達も力をなくしてる。今度は、今度こそ、私が本当の魔王になる番なのよ!」

 叫びと共に、火宮の周囲の空気が濁る。

 それに合わせてローブが、まるで生命を持っているかのように蠢き出す。

 裾が少しずつ影となって広がり、地に着くとそのまま徐々に床を黒く塗りつぶしていく。

 先程までの美月の魔王の空間とはまったく違う、脈動パルス雑音ノイズが押し寄せる世界。

 確かに、美月ほどの世界を作り変える力はそこにはない。

 学校全体を呑み込むなど到底無理な話だ。

 しかし、いま目の前の現実は、まさに魔王の浸食を受けているのだ。

 魔王病を、目の当たりにしている。


「えっ……?」

 影がまず狙ったのは、呆然と立ち尽くしていた美月だった。

 影に飲み込まれた美月の身体はあっという間に黒に塗り潰され、立体感をなくし、そのまま影となって消えた。

「次はあなたよ、輝明!」

「美月さん!」

 言い終わるよりも早く、土谷が飛び出していくが、その動きは影から現れた巨大な質量にはじき返される。

 それは先ほどまでにも何度も見た、あの鎧剣士だ。

 しかし、状況はまるで違う。

 あのダンジョンの中ではこいつを圧倒した土谷の野郎だが、今はその手元に細剣はない。ナノマシンの加護もない。

 そこにいるのは最強最速の剣士ではなく、単なる男子高校生なのだ。

 持ち前の身体能力でなんとか凌いではいるものの、紙一重の状況である。

 そして鎧戦士はさらにもう一体出現し、今度は状況の読めないままの滝見センパイの方へと向かう。

「センパイは逃げてください! 土谷も! こいつの狙いは、おそらく俺だけなんで……」

「逃げろって言われてもだな……」

 なんとか凌いでいる土谷と違い、センパイはもう完全に鎧剣士によって抑えられている。

 それでも俺がそう言ったのは、どこか、認識が甘かったからかもしれない。

 俺は、魔王病をどこまで知った気になっていたのだろうか。

「随分と余裕ね。心配しなくても大丈夫って、輝明は思っているよね? 確かに、魔王病に飲み込まれても死ぬことはまずありえない。でも、それは魔王病がちゃんと治癒したらの話。私は、このまま魔王として生きて、死ぬ」

 フードの下から響く、静かで悲壮な声。

 道上の言葉を思い出す。

『……魔王病の魔王退治だが、魔王の生存確率はまあ、70%だ』

 その数字がどうやって導き出されたのかを俺は知らない。

 しかし、あの道上の言葉がただの脅しでないことは俺にだってわかる。

 この状況で、70%はどう変動しているのだろうか。

「そう。これは、私と、輝明の問題なのよ。だから、あなたたちに邪魔はさせない」

「勝手に当事者から外さないでもらいたいものですね。僕は、美月さんを助けないといけないのですから!」

 土谷の野郎はそう言うと、恐ろしいことに生身であるにもかかわらず鎧剣士を振り切って、影の中心に立つ黒い影に向かって突進する。

 だが、それがかえって仇となった。

 センパイを抑えこんで余裕ができたのか、影の中からもう一体の鎧剣士が湧き上がってきたのだ。

 影は立ち上がるとそのまま人の形となり、そしてあの鎧姿が形成される。

「なっ……!」

 不意に出現したその巨体には、土谷といえども反応しきれなかった。

 その、土谷の身長ほどもあろう大剣が、土谷の胴体めがけて横薙ぎに払われる。

 そこからは、まるで全てが水の中の出来事であるかのように緩慢に映った。

 とっさに左腕でその一撃を受け止めようとする土谷。

 刃ではなく、剣の平面がそこに打ちつけられる。

 もちろんその重量は左腕程度でどうにかなるものではなく、土谷の身体は押し出され、なにかが砕ける鈍い音とともに宙に浮く。

 そしてそのまま床へと叩きつけられ、何度か跳ね転がった後、黒く染まった床の上で動かなくなった。

「土谷!?」

 思わず叫んでしまう。

 だが、その声にもなんの反応はない。

 センパイも、なにが起こったのかわからないまま、その倒れた土谷を見ている。

「……お前さん、自分がなにをしたかわかってるのか」

 言葉を見つけられない俺を無視して、センパイのほうがその黒い魔王に言葉をぶつける。

「抵抗しなければ、貴方たちはそのまま逃がしてあげるつもりだったのに」

 抑揚のない声で、黒い影はそう返す。

「でももうダメ。やっぱり貴方たちも消えてもらうわ」

 再びローブが波打ち、その波が地の影へと伝わっていく。

 土谷の身体が波に飲まれ、黒く染まり、流されて消える。 

 さらに影の波はセンパイの足元にも打ち寄せ、その足を捕まえる。

「えっ……?」

 漆黒がセンパイの脚を昇る。

 そしてそのまま身体を蝕み、あっという間に全てを黒く包み込む。

 センパイだった影は少しだけもがいたが、すぐに平面のようになり、そのまま溶けてなくなった。

 今この教室に残っているのは、俺と、火宮だけだ。

「みんないなくなっちゃよ、輝明」

 ローブが嗤う。

 俺はなにも答えない。

「輝明はひとりぼっち」

 また嗤う。

「いや、違う」

 否定する。

「お前がいる」

 あえて、俺はそう答える。

「まだお前がいる」

 その言葉が怒りなのか、希望なのか、俺自身にもわからない。

「なにを、言っているのよ」

 ローブの下の声が震える。

 それに合わせて部屋一面の影にもさざなみが起こる。

 世界が、その感情に合わせて揺れているのだ。

 だから俺も、それに合わせて言葉を続けた。

「俺が、美月に優っているところがあるなら。俺の長所が、人気者だったことだというなら。それは、俺の力じゃない」

 火宮はもうなにも答えない。

 ただ、その感情を示すかのように影が荒れ狂う。

 迫り来る漆黒を、俺は必死に飛び跳ねてかわす。

 ほとばしる感情のの如きうねりを、俺はただ回避し続ける。

 そして俺は、その中で最後の言葉を叫ぶ。

「それは、お前が作ったものだ」

 叫びながら、あらゆる希望を込めて、ローブの向こうの火宮へと飛び込んだ。

 右腕を伸ばし、火宮の腕をつかむ。

「それは、あなたがすごかったからよ! 私はそれを妬んだだけ!」

 影が渦となり、その脈動が俺に叩きつけられる。

 身体が黒く染まっていくのがわかる。

 しかし、俺はそのことを恐れなかった。

 それは俺の一つの選択。

 右腕に祈りを込める。

 魔王病の特効薬は、信じることだ。

「お前は、お前を信じろ。俺を救ったのは、お前だ」

 俺の右腕の腕輪が輝く。

 影が、明るさに満ちていく。

 腕輪は、職業クラスを選べると言っていた。

 ナノマシンを制御すると言っていた。

 選べるクラスをどう決めるのか。

 念じるだけだ。

 だから俺は念じた。

 俺の最もなりたかったものになることを念じた。

 音楽室が白く染まる。

 あの時の、朝の教室に書き換えられる。

「俺を、魔王にしてくれたのは、お前だ」

 そしてローブは消滅した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます