第二章 迷宮編

モンスター対テニスの剣士様

 青白く、薄暗く、どこまでも生を感じない奇妙な質感の壁と、同じような青白いタイルの敷き詰められた、チリひとつない床。

 校内のダンジョン内部は、外から見ていた印象とはまったく異なる、不気味なまでに静かな空間であった。

 内部の構造にはどことなく元の校舎の面影もあったが、障害物や元々は存在していなかった壁の出現によって、辿る道順は記憶の中の校舎とはまったく異なるものとなっている。

 そうしてこの薄気味悪い廊下を俺たち三人は進んでいく。

 先頭は土谷の野郎で、真ん中に滝見センパイ、そして殿しんがりで警戒を続けるのが俺である。

 そう、だ。

 俺たちをけしかけた張本人である道上は、このダンジョンの中まではついてきていない。

 爆発での怪我もあったのかもしれないが、本人が言うには、外で待機してこのダンジョンに人が近づかないように見張る必要があるのだという。

 平日午前の学校にも、なんだかんだで校外からの来訪者が少なからずやってくる。

 それらの人々のダンジョンへの不用意な侵入を防ぎ、適切に誘導するのが道上の本来の仕事であるらしい。

 もともと、そのための監察官エージェントとしてこの学校に配属されていたのだという。

「アンタ、やっぱり教師じゃなかったんだな」

 とのセンパイの嫌味に対し、

「いや待て、まあ待て、確かに魔王病の対処のための監察官エージェントが本職ではあるが、ちゃんと教員免許はあるからな? れっきとした教師だからな?」

 などと弁明をしていたが、センパイだけでなくあの土谷の野郎さえもそれを鼻で笑っていた。もちろん俺もである。

 あの場はそんな流れになったこともあり、俺は結局、土谷の質問に答えることもなくそのままこうしてダンジョンに挑んでいるのである。


「しかし、本当に倒してしまって大丈夫なのかねえ、このモンスター……」

 撃退され、消えていく骸骨戦士の残滓を見ながら、滝見センパイはいまさらにそんな疑問を口にした。

「まあ、癪ですがそこは道上の言葉を信じるしかないでしょうね……」

 このダンジョンに入る前に道上に一点確認したのは、魔王病のダンジョンにおけるその他の生徒の扱われ方だった。

 データの少なさもあって俺自身も実態は把握できておらず、道上の情報に従うしかないのが現状である。

 その道上曰く、魔王病のダンジョンに出現するモンスター的な存在は、中の生徒とはまったく無関係な、魔王病発症に伴うナノマシンの自動的反応によって生み出されたものであるという。

 元々はゲームや教材等のデータとして設定されていたものが、なんらかの形で流出してしまったものらしい。

 魔王病によって形成されるダンジョンが『魔王の間』以外が似通ったものになるのもそのためだ。

 そんな量産型のモンスターゆえ動きも単調で、まともにやりあえば恐れるに足らない存在でしかない。

 ではどこからが魔王、つまり美月の意思が反映されているのか。

 このあたりは魔王病のまだ解明しきれていない謎の部分であり、魔王病の発症者とはまた別のなにかの作用があると考えられているのが現状であった。

 しかし今の俺たちにはそんなことを考えている余裕はない。

「どうやら、また来たみたいですよ」

 少し先に進むと、無機質な廊下に不釣り合いな、不気味でおどろおどろしい怪物たちがまた奥から出現する。

 古ぼけた装備に身を包む骸骨戦士に、知性を感じさせない小学生くらいの大きさの小鬼。

 スケルトンとゴブリンだ。

 このダンジョンに入って以来、既に何度も遭遇している、いわゆる標準的な雑魚モンスターである。

 それがそれぞれ三体ずつ。計六体。

 だがこの程度なら土谷の前では物の数にさえ含まれないし、俺やセンパイでも一対一なら特に問題なく相手にできる程度の敵でしかない。

 そしてまた戦闘が始まった。


 わかっていたことだはあったが、土谷の野郎はその自信に違わず、やはり圧倒的なまでに強かった。

 なにも考えずに突進してきたゴブリンを、まるで弱いサーブでも捌くかのように軽く細剣を振るい、ステップと手首のひねりだけで袈裟懸けに斬り伏せる。

 剣をどう扱えばどういう軌道を描くのか、そしてそれでどこを斬ればいいのかを知り尽くした、あまりにも効率的な立ち回り。

 高速で飛んで来るテニスボールに比べれば、プログラムのようなゴブリンの突撃など、それこそどうとでも叩けるボーナスステージのようなものかもしれない。

 そして返す刃が瞬く間に銀の弧を描き、今度は迫り来るスケルトンの首を跳ね飛ばした。

 後ろから見ていてもまったく無駄のない動きである。

 一方で俺とセンパイも、土谷が相手にしきれなかった他のモンスターの相手をすることになる。

 魔王病の中に設定された職業クラスはどれも戦闘が可能であるらしく、盗賊シーフの俺には土谷の剣よりもだいぶ短いショートソードが、治癒師ヒーラーであるセンパイにさえも片手で扱えるメイスが用意されている。

 それぞれこの武器で目の前の敵と戦うのである。

 もちろん、俺もセンパイも土谷のようには戦えない。

 単調な動きのモンスター相手に対して、素人そのものの動きで対抗し、どうにか斬りつけたり殴りかかったりするのが精一杯である。

 自分で動いてみてわかったことは、事も無げに行われている土谷の動作がどれも別次元のものということだ。

 それぞれの職業クラスでの補正などもあるのかもしれないが、まず身体の使い方からしてまったく別物だ。

 リズムさえ感じさせる足の踏み込みと運び方。

 剣と一体であるかのような腕と手首の使い方。

 なにより戦いの中での効率的な身体の捌き方。

 同級生でありながら生きてきた時間が違うとさえ思えてしまう。

 実際、遅刻してまで肘の定期メンテナンスで病院に行くような生活をしているのだ。生きてきた時間が違うというんはそのとおりかもしれない。

 美月と並び、この学校で名前を知らない生徒がいないということの意味を、あらためて思い知る。

 やはり本来なら、俺のことを兄などと言っているような立場の奴ではないのだ。


「おっと、また新手ですか……おや?」

 雑魚をあっという間に殲滅した土谷が視線を向けたその先には、また新しいモンスターの姿がある。

 今度はたった一体。

 そこに現れたのは、全身を覆う漆黒の鎧兜と、その手に己の身長ほどもあろう大剣を携えた、人間のような存在。

 だが、なにより特徴的なのはそのである。

 一歩ずつこちらに向かってくるその鎧の動作には、プログラムめいた動きしかしてこなかったこれまでの雑魚モンスターとは異なり、明確な意思というものが感じられるのだ。

 降ろされた兜のバイザー奥は確認できないが、このモンスターの中身は

「なあ、あいつ、本当に倒してしまって問題ないんだろうな……」

 そんな今までとまったく異なる雰囲気の敵に、さすがにセンパイも戸惑いを隠し切れないようであった。

 当然といえば当然だろう。

 もし本当に人間だった場合、一歩間違えばことさえ考えとして浮かんでしまう。

 道上の奴は、このような状況についてはなにも語っていなかった。

 おそらくこの規模の魔王病自体が過去にほとんど無かったため、そもそもデータ自体が足りないのだ。

 魔王病にはまだ謎が多いのである。

「なんとも言えませんが、たぶん、大丈夫でしょう……」

 その言葉とは裏腹に、俺は迷いの中、どのように対処するか考えを巡らせる。

 なんとかして兜を弾き、その中身を確認すべきか?

 それとも動きで人間、もしくはそうでないという確信を得るべく誘導するか。

 どちらにしてもそう簡単には行きそうにない。

 だがそんな俺の思案や迷いを気にすることもなく、先頭に立つ土谷は既に戦闘意識を漲らせ、その細剣の切っ先は鎧の喉元を狙いながら静かに揺れている。

「まあ相手がどこの誰であれ、僕と美月さんの前に立ちふさがる障害であるなら、斬り裂いて道を作るまでですよ」

 一切の迷いを感じさせないその言葉は、頼もしくもあり、恐ろしくもある。

 自分が負けるということなどまったく考えていないし、最悪の場合は殺すことも厭わないという、圧倒的な自信。

 この男にはそれだけのことを言い切れる力があることを、俺は既に知っている。

 一方の鎧の剣士も、少しずつ、こちらへの威圧感を放ちながら迫ってくる。

 その動きは確実に、俺たちを敵と認識し、重圧をかけようとしてのものだ。

 それには流石に土谷の野郎もこれまでとは違う雰囲気を感じたようで、先程までの余裕は影を潜め、警戒心を隠すことなく剣を構える。

 ゆっくりと、空気を震わせながら二人の間合いが詰まり、やがて気配が透明の壁にぶつかったかのように静止した。

 俺もセンパイも、ただそれを後方で見ているだけしかできない。

 相手が人間かどうかという迷いもあったが、それ以上に、自分たちの力では付け入る隙がない。これまでの戦闘がどうにかなっていたのは、意思のない木偶の坊のようなモンスター相手だったからにすぎないのだ。


 双方が様子をうかがい合うじれた空気の中、先に動いたのは鎧剣士の方であった。

 重い鎧が軋む金属音を鳴らしながら、黒い巨大な質量の塊が走る。

 そして、空間そのものを削り取るかのような勢いで大剣を横に薙ぐ。

 だがその動き自体、土谷の野郎には想定の範囲内だったようだ。

 鎧剣士が動き出した頃には既に土谷の身体は避けることに重点が置かれた体勢となり、薙ぎ払われた大剣は計算通りに土谷の眼前を通過する。

 数センチのところでの回避はもちろん、即座に反撃に出るためだ。

 大剣が戻されるより速く、土谷の細剣が黒い鎧の隙間、振り切ってがら空きになった右肩へと突き立てられる。

 白銀の線が滑るように鎧と鎧の間へと吸い込まれる。

 よろめく鎧、そしてすぐさまそれを払おうと大剣が振り戻されるが、もちろん既にそこに土谷はいない。

 バックステップであっという間に間合いを離し、何事もなかったかのように剣を構え直している。

 鎧剣士は体勢を整えなおして再度斬りかかるが、ハッキリと言ってしまえば、相手に意思があろうとやはり土谷の野郎は格が違った。

 振るわれた大剣は今度も土谷の目の前をかすめるが、そのほんの僅かな差が、しかし絶対的な距離であるのが俺にも見て取れた。

 そして再び、そこに生じた一瞬の隙を土谷の細剣が攻め立てるのである。

 その一撃は重くはない。

 しかし確実に、土谷と鎧剣士の間の差を広げていく。

 さりとて鎧剣士の方がどっしりと構えて膠着に持ち込もうとすると、土谷は容赦なくその速度を活かして連撃を打ち込み、無理やり隙を作り出すのである。

 その一撃一撃はどれも重さはないが明確に繋がっており、きっちりと防がねば次の攻撃はそこに生じた隙間を確実に攻め立てるのだ。

 それらの攻撃は確実に鎧剣士の身体を傷付け、そしてそれ以上に心へとプレッシャーをかけ続けることだろう。

 さながら、テニスのラリーのようである。

 パッと見では平然と続いているように思えても、土谷は少しずつ、しかし確実に流れを手繰り寄せているのだ。

 雑魚相手の派手な戦いぶりよりも、この魂の消耗戦のような状況を平然とこなし続けることこそが、土谷剣という人物の真の恐ろしさかもしれない。

 しかし、事態は突然、あらぬ方向から変化がもたらされた。


「避けて! 剣士の人!」

 何処か、廊下の奥の方から女の声が響いてきた。

 そしてそれとほぼ同時に、高い熱量を持った球体が廊下の奥から飛来し、鎧剣士に背後からぶつかって爆発する。

「うわっ!」

 その爆風を間一髪のところで転がりなんとか避ける土谷。

 どれだけ鎧剣士が押し込もうとしても作れなかった隙が、その一撃で生まれたのである。

 一方でその鎧剣士の方は、爆発の衝撃をモロに受け、そのまま横の壁まで吹き飛ばされる。

 そこにさらに数発、先ほどの火球が飛び、鎧剣士の姿は爆風に飲み込まれる。

 俺たちが人間かどうか悩んでいたことさえ馬鹿馬鹿しくなるような無慈悲な連打。

 そして煙が晴れた時には、鎧剣士は他のモンスターと同じく、ナノマシンの残滓となって消滅していっていた。


「いやー、危ないところだったわね。なんとか倒せてよかったわ」

 そんな声とともに火球が飛んできた方向から歩いてきたのは、紅色のローブに身を包んだ人物だ。

 右手に持ったねじ曲がった木の杖といい、先ほどの火球といい、それはまさに典型的な魔術師ソーサラーである。

 まったく、危ないのはいったいどちらか。

 もちろん、それを最も訴えているのは立ち上がった土谷の視線である。

「ずっと来てくれるの待っていたのよ、叢雲輝明むらくもてるあきくん」

 だがそんな抗議の視線をまったく気にすることもなく、魔術師はそう言いながらフードを脱ぐ。

 その下にあったのは健康的なショートカットヘアに、少年のような無邪気な笑顔。

 しかしそれでいて、眼も、唇も、頬も、どれも少女特有の柔らかさに満ちており、彼女が少女であることをこの上なく主張する。 

 

「なんでお前がここにいるんだよ、火宮麻夕かみやまゆ

 それは他でもない、俺の幼なじみであった。

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