70%に勇者は集う
「お、おい、退治ってなんだよ!? お前、輝明になにをさせるつもりだ!?」
道上のその言葉に真っ先に滝見センパイが再び声を荒げた
無理もない。退治という言葉はあまりに刺激的すぎる。
「いや、まあ、言葉のアヤってやつですよセンパイ」
だから俺は自分のショックを脇にどけて、まずは横でわめきたてる人物をなだめることになってしまった。
魔王病が幻想病でも現実侵食病でもダンジョン病でもなく魔王病と呼ばれる所以は、ひとえにその解決方法にある。
ひとことでいえば、魔王は勇者を待っているのだ。
勇者が、魔王の用意したダンジョンに潜り、魔王と対峙し、退治する。
それがこの厄介極まりない現代病のもっとも有効とされる治療方法である。
もちろん本当に殺したりするわけではなく、魔王となってしまった感情が、勇者という存在が自分の元に来ることによって満たすことにより解消される……ということになっている。
そんな風に説明する俺に対しセンパイはわかったようなわからないような顔をしていたが、俺が気になったのは、それを横でじっと聞いていた道上の、どこか鈍い光を宿した眼と表情であった。
「なんだよ道上、なにか言いたいことがありそうだな」
「……ワザとなのか本当に知らないのかはわからんが、その説明ではせいぜい五十点、ようするに落第だぞ、
どうにかして言葉を軽くしようとおどけているようであったが、それでも、そこに籠る深刻さは隠しきれず漏れ出している。
そして少しの沈黙のあと、道上はあらためて正解を告げ始めた。
「俺は、俺の責任で、お前に真実を伝えねばならん。だから言うぞ。……魔王病の魔王退治だが、魔王の生存確率はまあ、70%だ」
そう言い切って、道上は表情を消し口を真一文字に結ぶ。
俺たちも同じようになにも言えなくなる。
それは言葉を奪うには充分な現実だった。
70%
それが高いか低いかでいえば、そこまで低くはない。あくまで客観的事実としては。
しかし、それが人の命だとすると、途端に脆く感じてしまう。
ましてや、それが自分の妹ならば。
「70%? それだけあれば充分じゃないですか」
だが、恐ろしい現実を前に縮こまってた俺の背後から、そんな脳天気な声が飛んできた。
無駄にさわやかな声。
自らのこの世への勝利を疑わない、どこを切っても自信に満ちた声。
俺は、その声の主を知っている。
振り返りたくないが、振り向き、言葉を返す。
「……なんでお前がいるんだよ、土谷」
俺のクラスメイトであり、一年生ながらテニス部で事実上のエースを務める男であり、学校でもトップクラスのイケメンであり、俺にとってはある事情から、もっとも避けたい人物の一人である。
ただ、こいつはいたって真面目な生徒であるからして、普通なら俺や滝見センパイのようにこんな時間に登校して来るはずがないのだが。
「今日は肘の定期メンテナンスで朝から病院に行ってましたからね、こんな時間になってしまったんですよ。そうしたらこうなっていたわけで。まあ、これも僕と美月さんの運命ってことでしょうね」
土谷の野郎はそう言いながら左手で前髪を撫でてみせる。
こういう仕草が様になるからこいつは腹立たしいのだ。
「お前と美月に運命なんてねーよ」
「まあそう言わずに、お兄様。これを運命と呼ばずしてなんだというのですか」
「お兄様言うな」
その言葉だけで背中から上がってきた悪寒で首筋までこわばるようだ。
そもそも同級生、誕生日的には五月生まれのむこうのほうが年上とさえいえるのに、なぜこいつはこうも堂々と兄呼ばわりしてくるのか。
「まあ、正式にお兄様と呼べるようにするためにも、美月さんを助けないといけませんからね。その70%を完璧にするのが、僕の役割にして運命というわけです」
「こいつは……」
だが言葉や感情とは裏腹に、俺の深層心理は、こいつが現れたという運命に溢れんばかりの感謝を歌い出しそうになっていた。
この学校で
大気ナノマシンを利用することを前提としたナノ式テニス界において、目下最強の高校生とさえ言われる男。
元々の身体能力の高さに加え、大気ナノマシンとの波長を合わせることにも長けており、他のプレイヤーは次元の違う幻影球を駆使することができるのである。
一般的な高校生プレイヤーがせいぜいボールに炎をまとわせる程度なのに対し、土谷のプレーは、コートにさえ干渉する。
俺も一度のそのプレーを見たことがあるが、もはやテニスどころか同じ人類の技とさえ思えなかった。どうしてテニスのプレーで背後に騎士が現れるのか。
つまり、それだけの身体能力とナノマシン干渉力を持つ男を、美月の迷宮に挑むパーティに加える算段が立ったというわけである。
これほどありがたいことはない。
それがこの土谷剣でなければいうことないんだが。
「土谷……、お前もこの迷宮に挑んでくれるのか……?」
流石にスーパープレイヤーの土谷剣様相手になると、道上の態度も俺やセンパイに対するものとはまったく別物だ。機嫌を損ねまいと慎重に言葉を選んでいるのが俺にもわかる。
しかし当の土谷の野郎は、道上の態度などハナから歯牙にもかける様子もない。
「途中から聞いていましたが、ようするに、あの城の奥にいる美月さんを助ければいいんでしょう。ええ、ええ、臨むところです。たとえお兄様が怖気づいても、僕が一人で挑みますよ」
薄く釣り上げた口元は、敗北を知らない者だけが作れる自信そのものである。俺にはひっくり返っても無理なやつだ。それでも、こいつに好き勝手やらせるわけにはいかない。
「待て待て、勝手に話を進めるな。行くよ俺も行く、俺が行かなくてどうする。そもそも、お前と美月を二人きりになんかさせてたまるか」
「あれ、知らないんですか?」
不意に、土谷の笑みが自信からなにかを含んだようなものに形を変える。
「僕、この前美月さんと二人でゴミ捨てに行きましたよ。掃除当番で」
「な、な、なんだと!」
「いや、あんたらの夫婦漫才はもういいからな」
見るに見かねたのか、俺と土谷の間に滝見センパイが割って入ってきた。
「それで、その迷宮に挑むっていうのはどうすればいいのさ? アタシらでどうにかなるものなのか?」
「まあ、そこに下駄を履かせるのが俺の仕事というわけだ」
俺たち三人を見回した後、道上はローブの下から腕輪を取り出した。
そのローブ姿に似つかわしくない、いかにも工業製品然とした白い金属製の腕輪だ。
「こいつは魔王の作った空間内でも一定のナノマシン制御を可能にする器機でな、言うならばチートアイテムだ。これがあれば通常ならランダムで決まるそれぞれの
聞きながら俺たちは腕輪を受け取り、それぞれ身に付ける。
俺とセンパイは右腕、土谷だけは左腕だ。
「というか、センパイも行くんですか?」
「当たり前だろ、あの叢雲美月をぶん殴れるかもしれないチャンスだぞ。見過ごせるわけ無いじゃんか」
「そんなこと考えたんですか!?」
冗談めかして手を振っているものの、俺にはそれがこの滝見茜という人物の奥底にあった心情にしか思えなかった。
「僕の美月にあまり手荒な真似は勘弁してもらいたいですがね」
「お前のじゃない」
「まあ、そのあたりはたどり着いた時にお前らで直接話し合ってくれ。で、一応の
道上の即席レクチャーを受け、俺たちはそれぞれの
土谷の野郎が当然
服装も制服の上に金属鎧や革鎧、ローブなどそれっぽいものが形成され、身格好だけならまさにゲームの中の冒険者のようである。
「うーん、アタシはお医者さんってガラじゃないんだがなあ。泥棒とかのほうが向いてる気がする……」
「その意見には一理ありますが、俺のヒーラーのほうが問題ありますんで……。それに俺、この土谷の野郎の回復とかしたくないですし」
「うーん、将来の弟に向かって酷いですね、相変わらず」
「誰が弟だ誰が。その態度が気に食わないと言っているんだ」
「だからもういいっての」
そんな風にして準備を整え、俺たちは道上の案内で迷宮と化した校舎へと向かう。
大気ナノマシンが作り出す瘴気に満ちた紫の草地を抜け、たどり着いたのは推定、特別棟入り口だ。あまりにも知っている場所と雰囲気が異なっているので確証が持てない。
「おそらく叢雲美月は四階の音楽室にいるはずだ。なら、正面玄関よりはこっちのほうが近い」
元の面影もない、黒く重々しい扉。
ドアノブは奇妙な取っ手に変わっており、どうやって開くのかさえもわからない。
「よし、叢雲輝明、早速だがこのドアの罠を解除してみろ」
「へ?」
いきなり指名されたことに驚きつつ、俺はその扉の前に立っていた。
もちろん、これまでの人生において錠前破りなどしたこともないし、今後もする予定などなかったはずだ。
しかし、人生はどこでなにがあるのかわからないものである。
俺ではなく、なぜか美月が魔王になるくらいなのだ。
「知識とかなしでも大丈夫なのか?」
至極もっともな質問をぶつけるセンパイ、こういう時にズバズバ切り込んでいけるのがこの人の凄いところだ。
「そのへんはナノマシンの力と
いい加減なことを言う道上の言葉を右から左に流しながら、俺はそのツールとやらを扉の隙間に滑りこませていく。
先を曲げた針金と細くしなやかなワイヤー。
このナノマシンの架空現実の世界が生んだ道具は、まるで自分の身体の一部のように動かすことが出来る。
そうやって、隙間の中を少しずつ探っていく。
どれが罠で、どう繋がっていて、どこを動かせばどう機能するのか。
手に取るようにわかる。
(ここ、か……?)
隙間の中、先端が小さに違和感に触れた。
確信はあった。
「余裕そうじゃないか、兄貴の力を見せてやれよ!」
しかし、滝見センパイのその言葉で、迷いが生まれた。
今、この城の全てに、美月の眼が光っているのだろうか。
そこに思い至ったとき、なにもかもが信じられなくなった。
この違和感こそが、罠なのではないか。錯覚ではないか。
「あっ……」
自分の身体の一部のように動かせても、そもそも自分自身を信じられなければ意味は無い。
引っかかっていた部分を滑べらせて、なにかが逃げていく感覚が伝わってくる。
「おい、なにやってるんだ!」
すぐさま異常に気付き、俺を押しのけるようにして道上が割って入る。
そして小さな爆発。
「おい、その……、だ、大丈夫か?」
センパイのその声は、俺に向けられたのか、道上に向けられたのか。
「……まあ、命はな……。叢雲は……?」
扉の前でうずくまったままの道上が声を絞り出す。
「俺は……無事です」
実際、俺には傷らしい傷はほとんどなかったが、それでも道上以上にその声に力が込められない。
センパイが道上に駆け寄り、ヒール呪文らしきものをかけているのを呆然と見ているだけだ。
「……なにがあったんです?」
俺の方には土谷の野郎が寄ってきて声をかけてきた。
だが、一体なにを答えろというのか。
黙っている俺に、土谷剣は、この自信の塊のような男は、もう一度、さらに言葉をぶつけてきた。
静かだが、重い言葉。
「……なにを迷ったんですか?」
「なんだろうな……」
俺は自分の中に答えを探していた。
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