第一章 集合編

坂の上の魔王城

 残暑の日差しの中、桜の花びらの舞う坂を登る。

 九月末にもかかわらず舞い散る桜吹雪を眺めながら、俺は一人、悠々と自転車を押していた。

 我が母校、私立大安西おおやすにし高等学校へと続く最後の難所、常桜坂じょうおうさか

 散布された大気ナノマシンによって一年通して満開の桜並木を保つという、風流という概念に真正面から喧嘩を売っていくことを示す名だ。

 一時間ほど前には登校する生徒で溢れたこの坂も、今は他に人影もなく静かで、登校ラッシュ時とはまったく違った顔を見せる。

 これこそが遅刻者の特権である。

 真面目な美月みつきは、ご苦労にも朝の集団の中を登校したことだろう。同じ双子でもやっていることは正反対ではないか。

 しかしすぐに、そんな優雅な登校も終わりを告げた。

「いよう輝明てるあき後輩、相変わらずの重役出勤だねえ」

 声に振り向いてその光景を見た時、悔しいが、俺は現実でありながらそれを映画のワンシーンかと錯覚してしまった。

 桜の花びらの中、自転車を押し、優雅に坂を登ってくる一人の女子生徒。

 その姿が風景の中にあるだけで、遅刻さえもこの状況を作るための必然だったように思えてしまう。

 少し茶色のその髪の下にある整った顔立ち。

 出るところは主張しつつもしなやかな身体つき。

 なにより、一つ一つがどこか浮世離れしているその所作。

『彼女は幻想の存在ではないのか?』

 誰だってそう思うことだろう。

 だが一つ、よく見れば誰もが大きな違和感に気付くはずだ。

 眼である。

 その気怠げな目つきは彼女に対するイメージとのズレとして強く印象に残り、それだけで、映画がただの遅刻してきた女子生徒に戻ることになる。

 そんな女子生徒こそが、声の主である元・天才少女、滝見茜たきみあかねセンパイである。

 俺の双子の妹である現・天才少女の叢雲美月むらくもみつきが頭角を現すまでは、滝見茜といえば街でも知られた才女であった。

 しかし、叢雲美月が今年春に同じ大安西学校に入学した後は急速にその存在感は薄れ、いまではこうして遅刻の常習犯となってしまっているのである。

「センパイ、今日も遅刻ですか?」

「アタシはいいんだよ、これまでの貯金があるからさ。お前さんこそ、そんなことじゃあの天才の妹ちゃんにいつまでたっても追いつけないんじゃないのかい」

「もとより勝つ気はないですよ」

 天才少女・叢雲美月によって人生を狂わされたのは滝見茜だけではない。

 誰よりも叢雲美月の存在に影響を受け続けた人物。それが俺、叢雲美月の双子の兄である叢雲輝明むらくもてるあきなのだ。

 物心ついた時、あるいはその前には既に、俺と美月の間には明確な差があった。

 先に立ったのも、先に歩くようになったのも、先に喋ったのも、先に文字が書けるようになったのも、全て美月の方であり、俺はいつも少し遅れてそこにたどり着いたものである。

 だから俺は、いまさら自分が美月に勝てるなどと思いもしない。

「ハァ、情けない兄貴だね」

「兄といっても、双子の間にそんなものなんてあってないようなものですって」

 両親がなにをどう考えたのかは知らないが、少なくとも戸籍上は俺が兄で美月が妹ということになっている。が、それがなんだという話である。

 一説によれば、双子は後に出てきたほうを兄もしくは姉にするということもあるらしい。なんでも、体内で先に誕生したほうが後に出てくるからとか、なんとか。

 ようするに、双子の兄か妹かなんてそんないい加減な決め方なのだ。その程度の兄になんの優位性があるものか。


「なあ、ここ、アタシらの学校……だよな?」

 指差しながら、滝見センパイは俺にそう同意を求めてきた。

「たぶん……」

 だが俺も、目の前の現実が信じられずにただ呆然とそう答えるのが精一杯だった。

 坂を登り切ったその先にあったのは、俺たちのよく知る白く無機質な校舎ではなく、青黒く禍々しい、まるでファンタジーの城のような存在だった。

 そう、校門の向こう側は、世界がのだ。

「ああ、そうだ。ここはお前たちの、そして我らが学校だとも」 

 立ち尽くす俺たちの疑問に答えたのは、なんとか原型を保っている校門の脇に立つ影のような男だった。時代錯誤な長ローブ姿は、校門よりもその奥の禍々しく歪んだ世界のほうがよく似合う。

「遅かったじゃないか。待っていたんだぞ、遅刻王」

 そこまで聞き、俺はその声の独特の低さと口調の軽さで確信した。このローブの男は、生活指導の道上照みちがみてらしだ。

「道上……? いや、あんた、なんて格好してるんだ?」

 正体がわかると、呆然としたような、思わず吹き出してしまうような、そんな複雑な感情が湧き上がってくる。

 なにしろ道上の普段の姿といえば、くたびれたあずき色のジャージが定番なのだ。

 それが今はどこか荘厳な雰囲気を醸し出し、黒に近い紺色の長ローブに身を包み、碧い水晶球の付いた杖を持ったコスプレめいた奇妙な格好で立っているのである。

 これを見て笑ったり呆れたりするなという方が無理な話だ。

 それになにより、フードの下から覗く無精髭の顔がジャージの頃よりもよく似合っているのが腹筋によろしくない。教師もどきよりもむしろこちらのほうが天職なのではないだろうか。

「道上、だろうが。まあそんなことはどうでもいい。俺はな、お前を待っていたんだぞ、選ばれし遅刻王よ」

「はあ……」

 妙に雰囲気を出そうとする道上の言葉についていけず、俺はぼんやりと気のない返事を返すばかりである。

 しかし、そんな俺とは違い、もう一人の遅刻者は黙っていなかった。

「いやいやいや、なーにが『待っていたんだぞ、選ばれし遅刻王よ。キリッ』だよ!」

 滝見センパイはものすごい勢いで俺と道上の間に割って入り、すざましい勢いでまくし立てる。

「アンタのそのふざけた格好といい、この校舎の有様といい、まずはそこをちゃんと説明しろよな!」

「わかったわかった。わかったから落ち着け、な」

 道上は気迫に押されてすっかり素に戻り、興奮するセンパイをたしなめるようにして押し返す。

「じゃあ早速今から説明してやるんだが、魔王病、という言葉を聞いたことが……あ、すまん、まあ、ないわな……。じゃあまずはそこからか……」

 言いかけた言葉を途中で切り、道上は話の組み立てを再構築すべく、悩ましげにため息を吐いた。

「魔王病? なんだそりゃ」

 滝見センパイはなんのことかわからず不思議そうな顔をしているが、俺は複雑な表情で道上を見ることしかできなかった。

 なにしろ俺は、その単語魔王病のだ。

 すぐさま、道上も俺のその態度に気がついたようだ。

「おっ、叢雲兄よ、お前、どうやらだな?」

「え、なんだよ、輝明後輩。なにか知ってるのかよ!?」

 センパイの反応も無理はない。

 魔王病は通常、高校卒業後にその存在を知らされることになるものだ。

 ではなぜ、高校一年生の俺がその魔王病を知っているのか。

 それを口にするのは、俺にとっては現在進行形の黒歴史そのものであった。

「フム、じゃあ叢雲兄、ちょっと魔王病について説明してみろ」

「なんでだよ……」

「なんだよ輝明後輩、もったいぶるなよな」

 しかし今の俺は、それを語るべき状況に近づいていっている。

 なにか言いたげな道上の目と、期待と好奇心の入り混じった滝見センパイの眼差しが向けられる。

 その視線から逃げられず、意を決して、俺はゆっくりと言葉を探る。

「わかった、わかったよ……。えっと、魔王病とは現代病の一つとされる現実拡張性症状の一種であり、正式名称は『過剰適応性現実拡張病』。思春期まっただ中の十代の若者にごく稀に現れる症状で、この症状を発症した場合、患者はその想像力によって大気中のナノマシン侵食し、周囲の現実そのものを塗り替えその中に拠点を造り出して引き籠もるようになる。大気ナノマシンによって様々な事象を制御している現代社会だからこそ起こりうる、まさしく現代病である。これでいいか?」

「おー」「上出来、上出来」

 言い終えると、二人が拍手と歓声で迎えてくれる。この程度のことだが、まあ悪い気分ではない。

「えっとつまり、この悪趣味な城はその魔王が造り変えた校舎ってことでいいのか?」

「まあそういうことだ。とはいえ、普通は影響が出るのは教室一部屋程度なんで、さすがにここまでのレベルとなると破格だがな。それにしても叢雲兄よ、よく調べているじゃないか。これなら八十点くらいやってもいいレベルだぞ。なんでそんなに詳しいんだ?」

「……憧れてたんだよ、魔王病に……」

 吐き捨てるようにそう口にする。

 魔王病について知ったのはほんの偶然だったが、その断片的な情報だけですぐに惹かれていき、情報を漁ったものである。

 だが今は、その症状のもたらす圧倒的な変化を目の当たりにしてしまい、俺は自分の想いを隠す気も無くなってしまっていた。

 魔王病も遠くになりにけり、だ。

「なるほどな……、だが俺は教師として、そしてエージェントとして、そんなお前にさらに二つ、とても残念なお知らせをしないといけない」

「なんだよ……」

 なにか言い返そうとしたものの、俺はその道上の顔を見て言葉を失った。

 口調はあくまでいつもどおりのおちゃらけたものだったが、一方でその表情は、恐ろしいほど真剣なものになっていたのである。

「まず一つ目だが、今回の魔王病の発症者は、だ」

「なっ……」

 その名前を聞いた瞬間、俺は、目の前が真っ白になったように錯覚した。

 あまりの衝撃に、一瞬意識が失っていたのかもしれない。

 叢雲美月。

 よりにもよって、ここでもまたその名前が出てきてしまったのだ。

 そもそも俺が魔王病に憧れるようになったのは、美月に無い物を手に入れたいという想いからだった。

 魔王病を発症するのは多感な精神と強いコンプレックス、そして魔王としてという欲求を持ち合わせた十代の少年少女であるとされている。

 発症サンプルのデータ自体が多くないため確定ではないが、少なくともこれまでの事例はどれもそうであったらしい。

 魔王病について情報操作が行われている理由もここにある。

 魔王になりたいと具体的に思う事自体が、魔王病の発症の要因に繋がるのだ。

 なにかを手に入れたい。

 世界に自分を認めさせたい。

 それらこそがとなる。

 だから俺から見れば、美月は、魔王となる動機を持っているようには思えなかったのだ。

 才能に恵まれ、しかし、それゆえに様々なものに縛られることになった天才少女。

 決して単純に『天才だから幸せ』などということはないだろうが、手に入らないモノに対する想像力の暴発である魔王病には縁がないだろうと思っていた。

 しかし現実として、美月が魔王になったと道上は語った。

 そしてもう一つ、そのローブを着たエージェントは非常な現実を俺に告げた。

 それは、妹が魔王になったと聞いた時から、俺が最も恐れていたこと。

「そしてまあ、こっちが本題になるんだが……」

 道上の言葉が区切られる。決定的なひとことが遅れる。

 しかし、それは少し間を置いて、ついに発せられた。

「叢雲輝明、お前が今回の魔王を退するんだ」

 それが道上の命令だった。

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