第3話 ヒミツのすみか (完結)

 「今日の飲み会、広田行くよな~?」

 上司の朝倉という男性に後ろから声をかけられた。

 頭が痛い。職場着いてもその痛みはひどくなる。いつものパソコンがそのせいでグニャグニャになっていた。

 「ええ。ぜひ、行かして頂きます!」

 それでも、愛想笑いを忘れず僕はまるで本当に行きたいように感情を操る。

 仕事では、人間関係が大事なものでよく飲み会がある。人間関係とは難しもので、二度三度断るとあとあと面倒なことになるのだ。仕事に行きづらくなるのはなるべく避けたい。

 愛想笑いを繰り返し、熱心に聞いているふりをしながら感じのいいところで相槌をうつと

 「じゃあ、あと5人集める」

 と言って、朝倉先輩の話は終わる。


 ここはとても生きづらい世界なのだ。

 『頑張れ、自分』そう心の中で呟いてみると、楽になるかと思い唱えてみる。しかし頭の痛さがひどくなるだけだった。


 あの先輩は正直言って苦手だ。自分の嫌いなやつには嫌がらせをし、失敗すると大声で怒鳴る。みんながみんなあの人に調子を合わせるのだ。

 嫌われないために。

 僕は、パソコンにむかう。

 「お茶、どうぞ」

 隣から手が伸びて、お茶を置いてくれる。

 後輩で、派遣社員の中村さんだ。

 僕は、彼女に「ありがとうございます」と微笑むと彼女ははにかむような笑顔を作ってぺこっと頭を下げた。

 「これたのむよ~」

 僕がまたパソコンに向き直ると、今度はドサッと山積みの資料を置いて上司の今里さんが頼んでくる。

 資料は山積みだ。いったいどれだけさぼったらこんなにたまるのだろう。

 「これ今日までじゃないですか!?」

 僕は言うと

 「そ‥‥‥そうなんだよね~。君こういうの得意なんだから頼んだよ」

 相手の返事を待つこと無く、資料を置いたまま彼はさっていく。


 僕は、今日やることを反芻する。この山積みの資料も整理しないと行けない、先輩の飲み会の席も用意しなくては。

 僕は、頭の中で整理するとトイレにむかう。個室に入り壁にもたれため息をつく。

 『頑張れ、自分』

 その言葉は、僕を傷つける。

 手首を見た。

 傷だらけのその手首から仕事前、彼女を傷つけた時に切った傷があった。血が止まっていなかったらしく、その傷口から漏れた赤黒いものはしわだらけの僕のシャツを染めている。何も感じることなく僕は静かに涙を流した。

 毎日がこれの繰り返し。上司の機嫌をとり、まわりに愛想笑いをし、そして大量の仕事を背負う。残業をして、仕事をなんとか終わらしてもまた明日、また明日とやることがどんどんつのっていく。

 職場の息苦しさと人々の視線が怖い。

 自分がどう思われているのか、それを知ることも、誰かに話しかけられることだって怖くてたまらない。

 そして何より、そんなことを想像して嫌われないように愛想笑いをしてる自分が嫌い。

 「もうむりだ」

 そう呟いてもなにも解決しないのは分かってる。それでも、そう呟くと少しは楽になるのかと願っている自分がいた。


 彼女のあの時の顏を思い出す。

 僕が言った、あのキツい言葉を思い出す。

 「君には関係ない‥‥‥」

 そう言った僕を見た、彼女の悲しそうな顏。何倍も傷つく彼女に何故あんなことを言ってしまったのだろう。謝らないといけない。あんなことを彼女に言いたかったわけじゃない。もっと言いたいことがたくさんある。


 孤独。

 そう、僕も彼女も孤独なのだ。あのアパートにいても、僕が近づかないかぎり心が通い合うことも無い。

 僕はなにかを恐れている。 

 彼女にもときどき愛想笑いをしている自分がいる。

 この手首の傷も、自分の心の中も隠そうとするせいで彼女を傷つけてしまう。







 いったいどうすれば?











 あの頃の私は、自分の言葉がこんなにも人に傷つけるものだとは知らずに、何気ない日々の中、自分と関わる人すべてに自分らしく笑ったり話したりした。でもいつぐらいからだろう、友達が「キリコといると本当疲れるんだよね~」そんな冷たい言葉を言われた。

 「君といると疲れる」

 「なんでそんな事が言えんの?」

 「本当に目障り」

 「もっと人のこと考えたら?」

 私は、それいらい人となるべく関わらずに生きていくようになった。仕事でもなるべく話さないように接し、愛想笑いをしてそして一人家に帰って泣いた。

 自分の家だけが居場所だと思った。でも違った。自分の家こそが私の孤独を膨らませるものだった。


 一人でいるのが辛い。でも人と関わりでもしたら相手を傷つけてしまう。

 私の居場所なんてどこにも無い。そういって一人この町に逃げてきた。家もまだ決まっておらず、それでもゴロゴロキャリーバックをひいて。

 そして彼に出会った。

 「ここにいなよ」

 そう言ってもらえたときとても嬉しかった。

 ここが私の居場所なんだと、本気で思った。でもここも違ったらしい。

 あの冷たい彼の表情を思い出す。

 「君には関係ない‥‥‥」

 確かに関係ない、だって彼のことは他人で恋人でも家族でもないのだから。

 私は、玄関の隅っこに置いてあるキャリーバックを持ってきた。もう使わないと思っていたキャリーバックはホコリがかぶっていて、私はそのホコリをはらいのけると彼のベットにボスンと置いた。

 チャックを開け中を見る。何も入っていないその中にタンスから取り出した私の衣服や日用品などを詰め込む。涙がポタポタと落ちた。

 まわりの見ている景色がにじみ、拭わないと見えなくなった。その涙は止まらずにまるで蛇口をひねった水道の水のように流れ落ちた。


 私はここを離れようとしている。これ以上いると彼を傷つけてしまう。そんなの嫌だ。もうあんな彼の表情は見たくない。

バタンとシーンと静まり返った部屋に響く

 「広田くんの馬鹿っ‥‥‥」

 そう呟いてみると、それも痛いほど静かな彼の部屋に響いた。  

 ケータイを取り出して彼宛にメールを打った。もしかしたら、気づいてほしいと思っていたからかもしれない。

 彼のせいで私の心は締め付けられるように痛いのだ。

 私は逃げていた、この世界にも、彼にも私自信にも。

 『私、アパートから出ていくね』 

 彼に送信する。

 ケータイをなおそうとするとすぐに彼からメールが来た。開いてボタンを押す。

 『なんで?』

 彼のメールはとてもシンプルだった。冷たくも温かくもある彼の言葉。また痛い。


 ズキズキ何度も襲ってくる痛みは、私の心を溶かしていく。

 『私、広田くんのこと傷つけちゃったから』

送信する。するとまた彼からの返信が来た。

 私は立ったまま、そのメールを読んだ。彼も同じようにしているんだろうか。彼も私と同じように涙をこらえこのメールを読んでいるのだろうか。










 彼女からメールが来た。 

 それは飲み会が始まってすぐの事だ。朝倉さんがお酒が入って少し顔を赤くして集めた会社の人たちと話す中僕はこっそりとメールを送った。

 『なんで?』

 少し怒りも含めた短いメールを送る。焦りは無かった、不安と苦しみだけがそこにはあった。ついに恐れる事が起こったのだ。なんとしてでもこのメールで彼女が言ってしまう理由を知りたかった。言葉には出せない彼女の心を。

 彼女もメールを見ているのだろう、すぐに返信が返ってきた。

 『私、広田くんのこと傷つけちゃったから』

 泣きそうになった。ぐっとこらえた。朝倉さんにお手洗いに行きます。と言ってから席を立つ。

 トイレの個室に入ってまたメールを打った。

 『傷ついてないよ。』

 送信する。また彼女からのメールが来る。

 『私、すぐ人を傷つけちゃうの。君の傷ついた顔を見るのが嫌なの。たぶん世界が滅ぶよりもいやだ。

 だからもう行くね。』

 画面にポタポタと涙の雫が落ちた。声を殺して泣いた。

 やっぱり彼女は傷ついてる。


 たぶん僕よりずっと。


 『まって。』

 返信する。

 『いや』

 『どうして?』

 『ここにいると、苦しくなる。私の居場所はここじゃなかったんだ。』

 『すぐ帰るから待って!』

 『さよなら』

 僕は急いでメールを打った。


 『公園で待ってる!すぐ行くから。』


 僕は、トイレの個室を飛び出した。朝倉さんのところに戻ると椅子にかけてあった鞄を掴む。

 「おい!帰るのか?」

 見てたのか、怒り口調で朝倉さんが聞いてきたので、

 「すいません。すこし急用ができたので帰ります!!」

 そういって深く頭を下げた。まわりにいる会社の人はぽかーんと口を開けている。ありえない。たぶんそう思っているのだろう。

 それを見ながら、僕は急いで鞄を背負って走り出した。

 「おい!!広田まだ終わってないぞっ!!!!」

 後ろから怒鳴る朝倉さんの声がしたがかまうものか。

 僕は、彼女がいてくれくれないとだめなんだ。

 諦めたくない!諦めたらきっと後悔する。彼女を助けたい!


 外に出ると土砂降りの雨が降っていた。彼女が公園にいたらきっとべちょべちょに濡れているのだろうか。

 それだったら彼女に悪いので、傘をささず飛び出した。心臓はバクバクしてる。こんな感情は初めてだった。そしてとても新鮮に思える。


 コンビニを抜けて高級住宅地を走り抜ける。スーツはべちょべちょで傘を握りしめる手は傷のせいでひりひりしてる。すこし自分がカッコ良く見えた。


 分厚い雲は僕の心を閉ざそうとしているのに彼女を思うと何故かそれ以上の気持ちが押し寄せてきて平気だった。 



 公園の中に入る。立ち止まってあたりを見る。木々が雨のせいで激しくざわめきあたりはとても暗く感じた。

 彼女はきっと待っていてくれている。焦っているにもかかわらず僕はそんなことを根拠なしに思った。



 いた!!

 公園のベンチにちょこんと座っている君はうつむいて土砂降りの雨の中、びしょびしょに濡れているのが分かった。

 僕は傘を開く。そして一直線に彼女のもとに歩き出した。

 もう覚悟は出来ている。僕の事を全て話せる覚悟。

 歩いていくと彼女は気づいたのか真っ直ぐに僕を見た。泣いていたのだろうか。目元が腫れている。



 僕も君もなにかを隠して生きていたんだ。

 だんだん近づいていく彼女の目を見つめながら僕は心の中で思う。

 自分の感情も押し殺して、満足に自分らしく笑えずに。それでも生きていこうと一生懸命前を向いて。

 僕は君に壁を作ってた。それももうすぐ割れて君に近づける。

 そう。もっと近づいて君に触れられるように。


 あのアパートは僕らのヒミツのすみかなのだ。

 あそこで笑い合おう。泣いたり、怒ったり、ご飯食べたり。

 誰にも知らない、二人だけの空間で。




 「風邪引くよ。僕の傘使ってくれたら良かったのに」

 僕は彼女に傘を差し出した。

 「壊れてた」

 「うそっ!あれけっこう気に入ってたのに‥‥‥」

 「ごめん。私が君と喧嘩した時、知ってて壊した」

 「君らしいね」

 僕は笑う。

 彼女は笑わずに、僕を見た。彼女の瞳には僕がしっかりうつっていた。あっ、やっぱり諦めなくてよかった。そう思った。

 「座っていい?」

 「濡れちゃう」

 「もう、濡れてるよ」

 冷たい彼女の手を握った。

 「どうしたの?」

 彼女が言う。

 「人は孤独に襲われそうになった人の温かさに触れたくなるもんだよ」

 僕は言う。

 「冷たいね」

 「うん」

 雨が小雨に鳴ってやがて分厚い雲の中から青空が見えた。うっすらと7色の虹が見えた。

 彼女は目を輝かせていた。


 カワイイ、そう思った。


 そんな彼女に僕は言う。

 ドキドキした。でも言わないと君が離れていってしまう事を知った。

 君がいなくなる事は、死ぬ事よりたぶん怖い。



 「僕、君から逃げてた」

 「うん」

 彼女は静かに頷いた。 

 雲の隙間から光が漏れる。その光が彼女を照らす。

 「怒らないの?」

 「うん。怒らない。私も逃げてたから」

 彼女が言う。

 僕は空を見上げた。公園がきらきらと輝いている。それはまるで僕らのこの瞬間を待っていてくれたように、綺麗だった。



 「僕、もう逃げないから」 

 「私も」



 彼女は笑った。

 僕も笑う。 


 君の笑顔に値するなにかが出来るとしたら、僕は全力でやるだろう。

 気づけば、僕の頭の中は君でいっぱいで、いつも君の事を考えていた。

 そして君の事が好きだった。

 いつかそんな僕自身も好きになるだろうか。

 なれたらいいな。そう思った。



 「帰ろっか」

 彼女が言う。

 「うん」

 僕は頷いた。

 立ち上がるとあとに立ち上がった彼女が

 「あっ!!」

 と大きな声を出す。

 「どうしたの?」

 「ウーパールーパーを買おう!」

 「えっ!??なんで?」

 僕は驚いた。

 「君の部屋になにかが足りないと思ったの」 

 「それで、ウーパールーパー?」

 「うん。たまたま立ち寄った熱帯魚屋で店員にオススメされてね、でね見たらすごく可愛くてね」

 「じゃあ、買おうか」

 「えっ!?いいの??」

 「うん」

 「そういえば、熱大丈夫?」

 思い出したかのように彼女が僕に聞く。もしかしたらウーパールーパーのことを話したくて忘れていたのかもしれない。

 「雨に打たれたからひどくなったかも」

 僕が言うと

 「じゃあ、ロキソニン飲もう」

 と彼女は言う。

 「なんだそれ~」

 僕は笑った。

 君によって出来上がる僕。

 僕らは公園を出た。いつの間にか手をつないで、くだらない事を言い合って。

 僕らは、心から笑い合っている。




 キミとボクのヒミツのすみかにむかって歩きながら。

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