第2話 彼女との暮らし

 彼女と暮らすようになり僕の生活は変わった。

 朝、昼、晩、カップラーメンだったのに彼女が料理を作ってくれたし、夜、仕事帰りクタクタになって倒れ込んでそのまま寝てしまっても目覚めるといつの間にか、自分のベットの上だったり、何もない僕の部屋に彼女の好きなぬいぐるみが置いてあったりと僕の生活は、彼女が暮らすようになりガランと変わったのだ。

 それを嬉しく思っていたり、それとは逆に少しだけめんどくさい気持ちにもあった。

 仕事から帰ってきてドアを開ける。

 「おかえり~!!」

 エプロンをつけた彼女がいつもどうり内股で走ってきて

 「今日のご飯はカレーだよ~」

 と言ってニコッと笑う。

 あの頃の彼女とはずいぶん違う。彼女らしい笑顔だ。僕も彼女に対しては本気で笑った。彼女と見たベタな恋愛映画で泣いたこともあった。

 でもそれは本心じゃあない。悲しくて泣いたわけではないのだ。

 たぶん、彼女は僕の弱い部分を1つも知らないだろう。



 「うまい!」

 僕は彼女が折りたたみ式のテーブルに置いた、少し入れ方が雑なカレーを食べ始める。

 「そう?ありがと~」

 彼女もそこの近所のコンビニで買ってきたらしい福神漬けをカレーのはしに大量にのせて食べ始める。

 するとガタッと彼女がしっかり座った瞬間テーブルが揺れる。

 「このテーブルつぶれてるのかなぁ~」

 彼女は、テーブルの下をのぞくとガタガタとテーブの足の部分を触りだす。

 「ちょっ!!!それけっこう古いんだから!!!」

 僕はあわててテーブルを押さえると彼女が

 「ゴメン、ゴメン」

 って笑う。

 可愛かった。彼女の長いまつげが揺れて、女性はたぶん自分の本当の姿を隠すために化粧をしているのだと思った。人はみんな、自分の心の中を簡単に人に見せようとしない。自分と心を合わした人だけに見せる自分の中身は、ときどき相手を傷つける刃になる。

 そして人はまた孤独になってく。

 彼女もきっと僕と同じでなにかを隠しているのだ。











 彼と暮らすようになって自分の生活が変わった。

 「働かなくていい。僕が養う」

 彼が次の朝言ってくれたのもその1つだ。私は、バイト先に「やめます」と電話で伝えると一気にどっと疲れを感じた。

 ずっと、人に自分の表情を見せてこなかった自分にとっていつの間にか、感情表現が落ちていたらしい。もう働かなくていいんだと思うと今までにたまっていたものがどっと押し寄せてきたのかもしれない。

 とりあえず一安心だ。

 私は、仕事から帰って来る彼のために料理を作ったり、掃除をしたり、玄関から戻ってこない彼をベットに運んであげたりーー

 そんな生活をしていると彼の些細な行動が気になったりと彼のことを考えるようになった。

 なんでだろうか、似ているからだろうか?



 「僕、よく怪我するから」

 彼がそう言っていたのを思い出す。

 ある日、彼が仕事で外に出ている間、僕は掃除をしながら傷の手当をしてくれた時に彼が持ってきた救急箱を開けてみた。もちらんそこには

包帯や盤倉庫、消毒液などいろんな怪我を手当てする時に使うものが入っていたが、その中で唯一必要の無いカミソリが入っていた。

 ピンクの花がついたなんともかわいらしいものだ。私は手に取ってみる。いかにも女の子が使いそうなものを何故彼が持っているのだろう。

 私は疑問に感じた。でもそれを彼に聞いてしまってはいけないと思った。彼に家を貸してもらっている自分にとって、勝手に彼のものをあさるのも悪いことだし、これ以上知ったら彼の奥深くまで知ることになると思うととても怖かった。

 自分は恐がりだ。

 そのカミソリをもとの場所に戻すと救急箱のふたをしめる。

 見ないふりをしよう。

 私はこれ以上、誰かに嫌われたくない。










 僕は夜の公園が好きだ。

 月に照らされた公園は、まるで宝石のようにキラキラ光る。

 それに公園は空が大きく見えるからいい。

 僕たちは、夜の公園を散歩した。二人で外に出ると彼女が

 「さぶっ!!」

 と言う。

 相変わらず彼女はワンピースだ。最近、夜が肌寒くなってきてるというのに彼女はいつものように白いひらひらのワンピースを着ている。

 「上着着てくれればいいのに」

僕はいつものパーカーを着て、寒そうにしている彼女を見る。

 「私、ワンピース好きなの。それに今の季節に合う上着なんて持ってない!」

 「パーカー、僕のだけど持ってこようか?」

 彼女が上着が無いというので提案してみると彼女に即答で断られた。



 夜の三時。

 誰もいない道を二人で歩く。

 彼女は眠いらしく何度もあくびをして目をこすっていた。

 「目をこするとばい菌が入るらしいよ」

僕がそう言うと、彼女はムッとした顏をして

 「知ってる」

 と怒り口調で呟いた。

 「なんかさ~こうして君と一緒にこうしさくだらないこと言い合ってるのなんか恋人通り越して家族みたいだよね~」

 怒った彼女にそう呟いてみると、彼女は

 「だね~」

 と曖昧な感じに返してくる。

 「言葉のキャッチボールって知ってる?」

 僕がその彼女の曖昧な返答に訪ねてみた。

 「ん~?なにそれ~」

 彼女は夜空を見ながら答える。僕も彼女と同じく空を見て言う。

 「あれだよ、言葉のキャッチボールってさ、相手の気持ちを読み取るためにあるもんなんだよ。質問されたり話しかけられたら、相手が言ってほしいと思うような回答をするんだ、それで口にする。これが出来ないとこの世界で生きていけないんだよ。きっと。人間関係もこんなものだ」

 僕は自分がいったい何を言っているのか分からないまま、そうだらだらと呟いた。

 彼女は

 「嘘だ~」

 と言って笑った。

 くだらない、僕はそう思う。

 きっと言いたいことがたくさんあるのに、彼女に言えない僕はきっとそこらへんに転がっている小石のように小さいんだ。自分はいったい何を伝えたいんだろう。まるでブラックホールみたいにその考えが吸い込まれて永久の謎のように思う。

 いつも僕は、本当に言いたいことを言わずにくだらないことを彼女に伝えてしまうのだ。

 すぐに傷ついてしまう僕はたぶん彼女が自分に愛想つかせて離れていくのを恐れているのだろう。



 コンビニの光が僕たちをてらす。

誰もいない公園の中に入る。

夜になるととても怖い。

 二人でベンチに座ると彼女がいきなり呟いた。

「月は、あんな高いところで光っていて寂しくないのかなぁ」

僕はあまりにおかしくて大笑いした。

彼女がまた言う。

「だって、ここからもっと遠いんだよ~太陽中心でグルグル回ってさ~それがずっと続くんだよ~。私絶対耐えられない‥‥‥

孤独はいや」

彼女は空を見ながら足をバタバタさせる。まるで子供みたいだ。

僕は彼女の言った言葉についてバカみたいに考いていた。月になりきって、僕は冷たくなった手をフードに突っ込んだ。

「みんなが気づいてくれているから、寂しくないんだよ」

彼女に言う。

すると僕の言葉にしっくり来たようで

「そっか~」

と言って彼女は納得する。

「私も気づいて欲しいな~」

「どういう意味?」

僕は聞く。

「こうしたら気づいてくれるかな~」

すると彼女は立ち上がってグルグル回り始めた。

「なんだよそれ」

僕は笑う。

スカートが月の光に照らされて、ヒラヒラなびく。

きれいだなと一瞬思った。グルグル回る君も、そのスカートも。

始めて感じた胸を少し締め付けるような感覚は驚いたけど、いつの間にか受け入れていた。



きっと僕は彼女のことが好きなんだろうな。


 そう思ったら、急に心が軽くなってさっき切った手首の傷も柔らかな感覚に包まれた。

 彼女はもしかしたら救世主なのかもしれない。

 僕を孤独から救い出してくれるもの。


 僕は、彼女の回るスカートを見つめながらそう感じた。









 なんでだろう。

 彼と二人で夜の公園を散歩していると、私は月を眺めて馬鹿なことを思った。そんなこと今まで思わなかったのに、彼といるとこんな些細なこともくっきりと見えるようになる。

 声に出したら、笑われるかなと思いながら私は言ってみた。案の定、彼は大笑いだ。その姿があまりにも可愛くて、私の居場所はここなんじゃないかと思ってしまう。

 ベンチに座りなおすと彼が月の光で光って

 「君本当、変だよね」

 そう言ってカラッと笑った。

 「こんな私を受け止めて、ずっとあのアパートにいていい?」

 冗談のように真剣に言葉にすると

 「いいよ、ここにいなよ」

 彼が私のほうを向いて、真剣な顔で言うのだ。

 その瞬間、私の世界はまるで宝の宝石みたいにきらきらと輝いた。ずっとぼんやりしていた世界が、くっきり見えて。


 あっ、私彼のことが好きなんだな。


 そんなことを思った。







 それから彼と暮らし始めてから、何ヶ月経った朝。

 私がカーテンを開けると、朝の光がさしこんで部屋に入ってきた。

 「う‥‥‥っ‥‥‥んっ‥‥‥」

 彼がうなるように毛布を掴んで深くかぶる。

 「ほら!もう起きないとだめだよ~!!」

 私は無理矢理、彼のかぶった布団をもぎ取ると彼を揺らした。

 「喉が痛い‥‥‥」

 彼がガラガラの声で言う。

 「風邪をひいたの?」

 私が聞くと

 「そうみたい」

 喉の痛みのせいか、苦しそうに彼が言った。

 「熱は?」

 「う‥‥‥ん、あるような無いような‥‥‥?」

 「ちょっと、まって」

 私はいつもの定位置に置いてある体温計を持ってきた。

 「ありがとう」

 彼は受け取って脇にはめた。私はベットの端に座って、彼がはかり終わるのを待つ。

 途中、毛布を外してしまったのを思い出して彼にかぶせる。しんどそうだ。私は思った。

 今日は仕事だけど、休んだほうがいいかもしれない。言ったほうがいいだろうか。彼はまじめだから、きっと無理にでも仕事に行くと言い出すだろう。

 ピピピと音がして、私は振り返った。

 「熱ある?」

 私は聞いてみる。

 彼は、「んーー」と私に体温計を渡すと、がばっと起き上がった。私は体温計を見る。

 38、5度

 「あるじゃん‥‥‥熱」

 そうポロリと口にだすと

 「うん‥‥‥でもたいしたことじゃない」

 そう言って、彼は起き上がって廊下のほうに歩いていく。フラフラとした彼の歩き方によけい心配になる。

 「どこいくの?」

 「風呂」

 「えっ‥‥‥でも熱ある時は入っちゃだめなんだよ‥‥‥」

 「知ってる、でも汗だくだし‥‥‥」

 そう言って、彼は風呂場のドアをバタンと強くしめた。

 彼は相当、イライラしていることが分かる。


 風呂から上がってきた彼に

 「仕事いくの?」

 と聞いてみる。

 「うん」

 即答で返事が帰ってきた。どうやら本当に会社に行こうとしているらしい。

 「行かないほうがいいんじゃない?」

 「‥‥‥」

 彼は、黙る。本当は行きたくないのだ。私は彼の表情を見て思った。

 「本当に行くの?」

 「‥‥‥だって、休んだらまわりに迷惑が掛かるし‥‥‥でもよくよく考えるとオレのやっている仕事は、周りの人にも簡単に出来ること  で‥‥‥あの職場にオレがいようといなかろうと変わりはないんじゃないかって思う‥‥‥」

 すぐマイナスに考えてしまう彼も可愛いが、私はときどき心配になる。彼が無理していないか、辛そうな顏をしていたり悲しそうな顏をしない彼をちゃんと止めてあげなくちゃいけない。

 彼は

 「うーん‥‥‥うーん‥‥‥」

 と唸りながらそれでも、ハンガーにかけてあったシャツと着てネクタイを結んでいる。

 最近、彼の手の甲に何故か無数の切り傷が見えるようになった。私はシャツのボタンをしめている彼の手をじっと見る。

 「その傷‥‥‥どうしたの?」 

 あっ、聞いてはいけないことを聞いてしまった‥‥‥その傷の意味を知ってるのに‥‥‥。

 「猫に引っ掻かれた」

 「猫‥‥‥」

 「ねえ?」

 彼は私を睨みつけた。

 あっ、怒ってる。

 彼は、熱のせいで顏が赤くなっていた。息も荒い、もしかしたらさっきの私の言葉のせいで彼は苦しいかもしれない。きっとそうだ、謝らなきゃーーー

 「あっ‥‥‥ごめーーーーー」

 「それ以上、僕の中に入らないで」

 私の言葉は切られて宙に上がってった。そのかわり彼の怒った声が狭い彼の部屋に響く。そのあとのシーンと痛いほどの沈黙もナイフを胸に突き刺したぐらい痛い。

 「君には関係ない‥‥‥」

 いつもの彼の口調じゃなかった。



 何も言い返せなかった。涙さえでてこなかった。

 今の彼にかける言葉なんて存在するのだろうか?


 あるなら、教えて‥‥‥?



 黙ったままの私を放っておいて、彼は鞄を持ってドアを開ける。

 冷たい空気が入り、彼を吸い込むようにドアが閉まる。私は、呆然とその一瞬の光景を見つめながら思った。



 彼は、これ以上私に近寄ってほしくないんだ。私は彼のそばに一番にいたのに彼の弱い部分をなんにも知らなかった、聞こうともしなかった。

 私は馬鹿だ、弱虫だ。彼はなにかに恐れてる。



 それはなんだろう。


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