全部アイツのせい

秋桜ヒロロ / 桜川ヒロ

全部アイツのせい

 婚約をしていた彼氏が失踪した。


 端的に言えばフラれたんだと思う。

 会社の先輩で恋人だった彼は、社内で彼と噂になっていた私の同僚と姿を消した。もうここ一ヶ月連絡が取れない。会社の方も無断欠勤である。


「この空はきっと青いんだろうなぁ」


 会社の屋上で大の字に寝そべった私は溜息をついた。

 あの日から全てが色を失ったようだ。勿論、色を認識できなくなったわけじゃないけれど、心の中の風景はあの日からいつもモノクロだ。

 食事も上手く喉を通らないから体重が五キロも落ちた。仕事ももちろん手に付かず、事情を知っている上司には少し休むように諭された。正直、あんな同情的な視線を向けられるなら叱られる方がましだ。


 全部、全部、アイツのせい。


 世界に色がないのも、体の調子が悪いのも、仕事が手に付かないのも。


 全部、全部、アイツのせい。


 睡眠不足の瞳を閉じれば、楽しかった日々が蘇る。たった半年だ。半年付き合っただけだが、私は彼の真面目な人柄と、笑った時の目尻の皺が大好きだった。だから結婚しようと思った。お互いの両親にはもう挨拶に行って承諾も得ていたし、あとは婚姻届けを提出するだけだったのに、最後の最後で裏切られた。

 思い返してみれば私の男運は最悪だ。

 浮気で別れた彼氏は三人、私の財布から金を盗んでた男もいたし、痴漢で捕まった奴もいた。

 そして、そんなダメ男たちの言い訳はみんな一緒だ。

「俺はやっていない!」

 俺はやってます! なんて言う奴がいるかよ。

 ハートマークの付いたSNSのメッセージや、大学時代から一緒で信用できる友達からの証言、スーツのポケットから見つかるラブホのレシート。それらを突き付けると狼狽える男たちを蹴飛ばして、やっと出会ったのが彼だった。

 彼となら幸せになれると思っていた。


 なのに彼も居なくなった。


「愛されたいなぁ…」

 誰かに心から愛されたい。変わらぬ愛がほしい。

 どんな障害を乗り越えても私と一緒に居たいと思ってくれる人がほしい。

 そんな私は少女漫画の読みすぎだろうか?


「先輩、こんなところで寝てたら風邪ひきますよ」


 ふと声がして、そちらの方を見る。屋上の扉の前で困ったように笑うのは私の大学時代からの後輩、武藤 和義むとう かずよしだ。ふわふわの茶色い髪の毛におっとりとした猫目の彼は密かに女子社員の人気を集めている。

「昼休憩でしょ。放っておいて」

 寝転がったままぶっきら棒にそう言って私は顔を背けた。武藤はそんな私の隣に座りながら私の頭を優しく撫でる。

「先輩、まだあの人の事気にしてるんですか? もう一ヶ月ですよ」

「まだ一ヶ月よ」

「も、う、一ヶ月です。半年で結婚しようと思うからこんなことになるんですよ」

「もうちょっと時間をかけて相手を吟味しろって? 私もうすぐ三十なんだけど。そもそも、私の男運のなさがいけないのよね。出会う男、出会う男、ダメな男ばかりだわ」

「浮気男に、泥棒男、痴漢男でしたっけ? 先輩まだ二十八ですよね。ゆっくり探したっていいじゃないですか」

「武藤にそんな事話したっけ?」

「飲み会の席での先輩の嘆き様、再現しましょうか?」

「あーごめん。やめて…」

 飲み会でよく記憶がなくなる私は、相当泣き上戸らしい。飲み会の次の日には上司に同僚に冷やかされるので最近は飲み方をセーブしている。どうやらその時にかこの男の事を泣きながら話したのだろう。武藤が知っているという事は他に知っている奴も少なからずいるという事だ。

 私は肺の空気を全て出し切るようなため息をついて空を見上げる。

 空には相変わらず色がない。


 ほんとに全部アイツのせいだ。

 なんで私がこんなことで揶揄われないといけないのだ。


「手っ取り早く男見つけたいなら、僕なんてどうですか? 若手のホープだし、優良物件ですよ」

「……それは、もう断ったじゃない」

 武藤は大学生時代から事ある事に私にアプローチをしてくれる。もうかれこれ八年、冗談なのか本気なのかわからない告白をもう何度も聞いた。その告白に私は決まって、「私の理想は年上で包容力のある彼なの」と答える。


 最初は本気だった。本気で断っていた。誰にでも振りまく軽薄そうな笑みが気に入らなかったし、年上で包容力のある彼、という私の理想とは正反対な彼が何度も告白してくることに辟易していた。

 『じゃぁ、俺がそれ直したら付き合ってくれますか?』

 毎回断っている理由を話した時、武藤はそう言った。真剣な顔で真面目にそう聞いてきた彼にときめいたのが最初だった。

 それから彼は誰にでも笑みを振りまくことは止め、真面目に私の理想を叶えてくれようと必死になってくれた。

 私がタバコが嫌いだと言ったら次の日にはタバコをやめた。私が一緒に趣味が出来る男が好きだと言ったら、慣れないテニスを一生懸命練習してくれた。星が見たいと言えば天体観測に連れて行ってくれたし、誕生日には欠かすことなく花が届いた。

 もう断る理由は『年上』しかない。

 気持ちという側面で言うなら、もう武藤でいいかな。ぐらいには絆されていた。


 だけど、長年断ってきて今更、はいいですよ。と言える図々しさを持ち合わせていなかった私はやっぱり断り続た。


 そして、彼に出会った。


 おっとりとした草食系男子の彼はいつも仕事に熱心で、真面目で、笑うと出来る目尻の皺が最高に素敵だった。朗らかな性格で私が泣くと一緒に悲しんでくれるし、笑うと二倍笑ってくれた。

 思いが通じ合って、付き合って、プロポーズされて、……そしてフラれた。


「僕なら、先輩を泣かしたりしませんよ」


 物思いにふけっていると真剣な声が降ってきた。見上げる先にはいつもと違う真面目な顔の武藤がいる。

「私は年上が好きだって…」

「生まれた年までは変えられません。けど、それ以外なら何でもできます」

「なんでもって…」

「なんでもですよ。先輩を手に入れる為なら何でもできますし、してきました。僕がアプローチしてる間に何人も彼氏作って、振って。正直僕じゃダメなのかと何度も問い詰めたくなりましたよ。さんざん煮え湯を飲まされてきた僕の気持ちも考えてください」

「……はい」

 悪いな、とは思ってるので正直にうなずく。それを見て、武藤は満足そうに笑った。

「では、正直に答えてください。僕と付き合うの嫌ですか?」

「嫌…ではないです」

「僕のこと好きですか?」

「好きか、嫌いか、なら好きです」

「じゃぁ、見込みがあるって事で、今日から僕と付き合いましょう。嫌ならいつ別れ話を持ち出してもかまいませんから。ね?」

「でも、まだ一ヶ月しか…」

 まだ彼がいなくなって一ヶ月しか経ってないのだ。正直気持ちは冷めているし、戻ってきたところでやり直す事は無いのだろうが、これは変わり身が早すぎやしないだろうか。

「だから言ったじゃないですか、もう一ヶ月ですよ。もう帰ってこない奴の事なんか忘れてください。僕はもう数秒だって待ちたくないんです。もう八年待ちました。だからどうか大人しく僕の物になってください、センパイ」

 切なそうにそう言われて、ぐっと言葉に詰まった。


 誰かに心から愛されたい。変わらぬ愛がほしい。

 どんな障害を乗り越えても私と一緒に居たいと思ってくれる人がほしい。


 先ほど願った言葉を思い出す。

 あぁ、そうか、こんな近くにいたのかとなんだか納得してしまった。

 八年間も変わらぬ愛を囁き続けてくれた彼の事を愛しく思ったことはあれど、憎く思った事は無い。


「はい。よろしくお願いします」


 体を起こして少しはにかみながらそう言うと、彼は私を抱きしめて本当に嬉しそうな声を出した。

「やったぁっ!! もう絶対、絶対、離してなんかあげませんからね! 大好きです! 先輩!」

 ようやく空に色が戻ってきた気がした。


 

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