第166話 吾輩たまにはアンニュウイを装ってみる

吾輩は目を覚ました。こうもりが話しかけてくる。

「旦那、お目覚めですか?」

「ふぅ・・・秋が泣いてる」

「へっ?」

「秋が泣いて、葉っぱが泣きはらしたように顔を赤くしているね・・・」

「・・・」(アカン・・・こうもりなのに・・・鳥肌立ってもうた・・・)


吾輩はアンニュイを装ってみる。


誰かが言った。成功したものはみな努力をしていると。

成功したものは言った。こうすれば成功をすると。

人々は成功者の言葉を使いまわした。成功の秘訣これだと・・・。


成功してない者が使う言葉には重みがない。

そこには想いがない。人の言葉を使って、ごまかしているだけだ。

その者は何もしていない。何かを経験して得たわけではない。

まがい物の言葉を本物の様に使う。


成功したものは経験論に基づき語る。そこにはその人の経験がある。

ただ、それも経験してない者に確実に伝えられるものではない。

3行や5行の言葉に秘訣があろうと、それだけでは、ないはずなんだ。


置かれた環境、人間関係、能力。エトセトラ、エトセトラ・・・・・・。

それら全てがあって、成功者は成功したんだと思う。

その状況にないものは、成功できるとは限らないのだ。

そして、時代があったから成功したんではないのか?

二番煎じでうまくいくなら、皆うまくいく。


成功者の言葉に比べて、それなら学問を信じる。

学問は確立されたものだから。人々の積み重ねた実績であり真実である。


結局のところ、成功の秘訣なんて言葉自体がまがい物だと吾輩は思う。

たった、1回うまくいったことを論理のように語ろうとも、

それは詭弁である。虚偽である。

そして、それは自己分析の果てに行われる。空想が入るに決まっている。

いつでも、英雄はおおげさにものを語る。


成功したものが語る言葉に価値を見出すとすれば、憧れ。

それだけかもしれない。

夢を見してくれる。そういう言葉。中身を求めちゃいけないものなのかもしれない。

成功なんてものは、ほんの一握りしかないのだ。

成功と人々に認められるものは。


失敗続きの人生。

それが人の生き方である。一握りからこぼれた、一億握りの人間たちは皆失敗者である。

だから、みな失敗している。

失敗など日常茶飯事であり、そこらかしこに空気のように溢れている。

失敗こそが人の生きる道。普通の道なのだろう。


ありふれたものに囲まれ生きていく。

ただ、ひたすらに。

失敗を積み上げて、また失敗の山を気付く。

それが正解なのだ。

成功者も成功以外の部分は失敗している。

失敗しない人間などいない。


人間とは失敗の本質なのである。

そして、失敗とは人間が作った定義である。

自分で自分を失敗作という。


それが人である。







「疲れた・・・行き当たりばったりで書いたが・・・アンニュウイっぽいよね?」

「う~ん・・・。旦那!」

「なに?」

「キモイっす!!」

「くぅ!!」


吾輩は眠りにつく。


≪つづく?≫

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