カモメの鳴く島で(2)

 淡い桃色の石畳の広がる道沿いの一番端、そして海のすぐそばに、マリナの家はあった。カモメの住む岩場がすぐ近くにあり、あちこちからカモメの鳴く声が聞こえている。


 サダカは海岸に人が立っているのを発見してそちらを見ると、水色のワンピースを着た黒髪の女性が、肩上くらいまでの短めの髪をなびかせ、カモメに餌をやっていた。


「……いた。彼女が例のマリナさんだ」

 ソマルはなぜかマリナの家の壁に隠れ、ひそひそ声でサダカに教える。

「言っとくが、素敵な女性だからって惚れるなよ。まあ、オマエはリンカにぞっこんだから大丈夫だろうと思って連れてきたが……」

「なっ、何言って……俺のことは今関係ないだろ。というか、惚れるなって注意するってことはやっぱり兄貴はあの人に惚れてるんじゃ……」

「う、うるせぇ! そんなんじゃねぇよ!」

 ソマルはサダカの言葉を遮るように言う。そしてマリナの後ろ姿を眺めながら、しばらくその場に留まり、どうやら少しもじもじしているような様子だったが……意を決した様子で顔を上げ、マリナに近づき、声をかける。


「マリナさん、お久しぶりです」

 マリナがこちらを振り返る。

「まあ、戦士様。また来てくださったんですか? わざわざすみません……」

「いえいえ、俺が来たくて来てるんですから、お気になさらずに」

 ソマルはそう言った後、ここに来たいという本音を言ってしまったことを悟ったのか、思わず顔を赤くして少しうつむく。


 サダカはマリナの顔を見る。控えめな様子だがほがらかな女性といった感じで、さわやかな笑顔がかわいらしい印象だった。

(でも……素朴なって感じで、リンカの持つ美しさには及ばないと思うけどなぁ。……兄貴は俺と違って、あんな感じの女性が好きなのかな)


 サダカがそんなことを思っていると、ソマルがサダカのことをマリナに紹介する。

「ああ、こいつは警備戦士見習いの……弟のサダカです。剣の腕も性格もいい、俺の自慢の弟なんですよ」

 サダカは目を丸くして兄を見る。また弟扱いされている気はしたが、今の褒め言葉については……サダカは素直に嬉しかった。

「そうなんですね。よろしくお願いします、サダカさん」

「あ、よろしくお願いします……っていっても、今後そんなに会うことはないかとは思いますが……」

 サダカが思ったことをそのまま言うと、ソマルに小突かれる。

「なーに言ってんだ。せっかく紹介してやったのに、失礼だろうが」

「で、でも……そうだろうなと思ったから」

「……もしかしたら、また会うことがあるかもしれねぇだろ。俺はよくここに来るんだし、またオマエを連れてくる日もあるだろうよ」

 ソマルのその言葉を聞いて、サダカは兄がこの女性に対してどうやら本気なのだということを感じて焦る。


「で、でもあの、兄貴には戦士島せんしじまに、いいなず……」

 サダカは兄には許嫁いいなずけがいることをマリナに言ってしまおうとするが、ソマルの手が横から伸びてきて口が封じられる。

「もがっ」

 サダカが突然ソマルの手によって言葉を奪われた様子を不思議そうに見ながら、マリナはソマルにおずおずと声をかける。

「もしかして、また来てくださるんですか? でも……あの、さすがにもうこれ以上お世話になるわけには……。戦士様はお忙しいでしょうし、私なんかのために……申し訳ないです」

「や、大丈夫ですよ。任務のほんのついでで……いや、ついでなんて言うとマリナさんに失礼ですよね。違います、本当は任務の方がついでです」

 ソマルは緊張からか、わけのわからないことを言いだしている。そしてそんな自分に気が付いたのか、またも顔を赤くする。それを見たマリナも、つられて赤面している。


 サダカは盛大に溜息をつく。

(なーにやってんだよ兄貴……。思えばこんな感じの格好つかない兄貴の姿って、初めて見た。それくらい、このマリナって女性に対して本気なんだろうな……)



 その後も、ソマルは度々任務のついでにカモメとうを訪ねていたが、前回サダカがソマルの許嫁いいなずけの存在を漏らしかけたせいか、それとも二人の仲が進展しているためか――――前のように、サダカがマリナの元へ連れていかれることはなくなった。ソマルがおそらくマリナの家を訪ねていると思われる時間は、サダカはソマルの船で待機する手筈てはずとなっていた。


(あの時はまだ二人ともよそよそしい感じだったけど、もしかして……今ではずいぶん仲良くなって、もうすっかり二人の世界に入ってるんじゃないだろうな……)

 許嫁いいなずけがいる身で、マリナとの逢瀬おうせを重ねているソマルの様子を想像すると気が気でないサダカは、ソマルのことを船で待っている間、船から不安そうにカモメとうを眺めて思う。

(次来た時は何が何でも兄貴に連れてってもらって、マリナさんに言わないとな。兄貴には許嫁がいるから、これ以上会わせるわけにはいかないって……。そうしないと、リンカが……悲しんでしまう)



 ある日、ソマルが再び任務の帰りにカモメとうに立ち寄り、船を停めているところで、サダカは意を決して兄に意見する。


「兄貴、今日こそ……いい加減ちゃんとしろよ」

「何をだよ」

 眉をひそめてそう言ったソマルは、いつもより不機嫌な様子であった。自分に対して兄がそんな態度を見せたことは少なかったため、サダカは少し驚いた様子で兄を見るが、ここは簡単には引き下がれないと考え、兄に食ってかかる。

「マリナさんのことだよ。許嫁いいなずけがいるってそろそろ言わないと、向こうにも悪いだろ。兄貴が言わねぇなら、俺が代わりに……」

「……もう言ったよ」

 サダカはソマルが自分の言葉を遮ってそう言うのを聞いて、目を見開く。

「言ったのか? じゃあ彼女は何て……」

「それなら仕方ないねって……言われた」

「……それって……兄貴のこと諦めてくれたのか?」

「……たぶんな。正直ショックだった。どうやら、他でもない俺が諦めきれてねぇんだ。だから……リンカにも言った。好きな人がいるから、許嫁いいなずけだって前々から決められてるけど一緒になれねぇって」

 サダカはさらに目を見開く。

「嘘だろ? そんなこと言ったのか……? で、リンカは何て……」

「ぶたれた」

 ソマルはそう言って左の頬を見せる。ぶたれて間もないわけでもないのに、まだ少し腫れている様子であった。

「当たり前だ」

 サダカは兄の腫れた左頬を見て溜息をつく。

「あのリンカのことだ、そんなこと言われて怒らないはずないじゃないか。第一、それを認めたら、将来長おさの妻がよそ者の女性ってことになるだろ? そんなの流石に戦士の間では認められないよ」

 ソマルはそれを聞いて大きく溜息をつく。

「ブレイズ家だとかよそ者だとか……正直面倒くせぇ」

「でも、兄貴はおさになりたいんだろ? それなら……決まりには従わないと」

「……それはわかってるつもりなんだ。でもよぉ、こればっかりは……」


 そう言いかけているところで、向こうから駆けてくる女性たちが目に留まり、ソマルは口をつぐむ。その女性たちが、何か起こったのか焦った様子で……そしてどうやら自分を呼んでいるようだと勘づいたソマルは身を乗り出し、女性たちに向かって尋ねる。

「どうした? 何かあったのか?」

「戦士隊長さん、早く来て! マリナの家に大勢の男が来て、マリナが男たちに連れていかれそうで……」

「‼」

 ソマルはそれを聞くと、まだ足場も出していない状態の船の上からパッと飛び降り、猫のように身軽な動作でストンと着地すると、一目散にマリナの家の方に駆け出していく。

「隊長!」

「兄貴!」

 サダカはソマルの部下たちとともに兄を呼び止めようとするが、兄には一切聞こえていない様子なのを見て、そばにいたソマルの部下の戦士に言う。

「一応、俺が追いかけるよ。皆も、準備ができ次第来てくれ」

「了解しましたよ、サダカのぼっちゃん」

 サダカは戦士がそう答えるのを聞いて頷き、マリナの家までの道のりを思い出しつつ、兄の行方を追う。



 サダカがマリナの家に辿り着き、兄の姿を見つけた時には、既に事件は解決したようだった。コテンパンにやられた賊たちがあちこちで地面に突っ伏していて、借金取りと思われるこの事件の首謀者らしき男が、ソマルに縄で縛られているところだった。その男の顔は……殴られたのだろうか、ひどく腫れているようだった。

(これ、一人でやったのか? 兄貴……。借金取りの男が雇いでもしたのか、賊みたいなやからが何人も倒れてるけど……)

「……いいとこに来た、サダカ。こいつらまとめて戦士島せんしじまに連れ帰るぞ、手伝え」

 ソマルは呆気にとられているサダカを見ると、静かな声でそう言った。その声は、ソマルが本当に怒っている時に出す声色だった。その様子だと何があったのか、なんて気軽に聞けないなと思ったサダカは、黙って兄の言う通り、賊を縄で縛る作業に徹することにした。

「俺は……ちょっとマリナの様子を見てくる」

 ソマルはそう言うと立ち上がり、マリナの家に入っていく。サダカは、いつの間に兄は「マリナ」と呼び捨てするようになったんだろう……とぼんやり考えながら、ソマルを見送る。



 そのまましばらくソマルはマリナの家から出てこなかった。サダカは追いついてきたソマルの部下の戦士たちとともに賊を縛りあげる作業を完了し、戦士たちが賊を船に運んでいくのを見送ったあと、兄たちのいる家の様子をうかがう。


 特に大声で話し合う様子もなく、何の音も聞こえない静かな家の様子を見たサダカが、中で何が行われているのだろう、と思いを巡らせていると、突然バタンと扉が開き、ソマルが半ば強引にマリナの手を引いて家から出てきた。手を引かれたマリナは戸惑いの表情を浮かべている。

「こんな思いをするのは……もうごめんだからな」

 ソマルはマリナに向けそう言った。そして今度はサダカを見て、言う。

「マリナも、これから戦士島せんしじまに連れて帰る」

「えっ……? 兄貴、何言って……」

「こんなことがあって、もう、この島に一人残して行けるわけがない」

「でも、首謀者はさっき捕まえたからさ、もうこの一件は解決したんじゃ……」

 そう言うサダカにソマルは苛立ちを隠せない様子で反論する。

「そういう問題じゃねぇよ。……もう彼女を離れたところに置いておけないって言ってんだ」

「でも、じゃあマリナさんの家族は……?」

「彼女の母親、この前亡くなったんだ。だから彼女は、今この島で一人きりで暮らしてる」

 ソマルはそう言うと、マリナの方を振り返り、勢いよく頭を下げる。

「頼む、俺の元に来てくれ。俺……オマエを一人この島に置いておくのは不安で仕方がねぇんだ。これからはもう、俺のそばを離れないで欲しい」

「でも……私が行ったら、あなたの家の方々のご迷惑になるんでしょう……?」

 マリナはそう言ってソマルを見つめる。

「……心配するな。俺がなんとかする」

 ソマルは顔を上げてそう言うと、マリナの体を引き寄せてそっと抱きしめる。サダカは自分がそれをまじまじと見てはいけないような気がして、慌てて目をそらす。



 ソマルがマリナを島に連れ帰り、彼女と結婚すると宣言すると、戦士島せんしじまは大混乱に陥った。サダカの恐れていた通り、リンカは相当怒った様子でソマルにわめきちらしたが、ソマルは頑として受け入れなかった。そしてこの一件で、彼女は相当傷ついた様子だった。

許嫁いいなずけだっていうは周りに決められていたことで、兄貴のことが好きだったのかどうかはわからないけど……それでも、よそ者の女に自分の将来の夫……それに将来のおさの妻の座を奪われたってだけでも、プライドの高いリンカには相当響いただろうな……)

 サダカはそんな傷心しているリンカを見て胸が痛み――――早く警備戦士見習いを卒業して一人前になって、リンカに自分の想いを伝えよう、と決意する。

 それは彼女の失意を好機にリンカを手に入れたいといったよこしまな気持ちではなく――――兄はリンカの気持ちを考えてやれなかったが、せめて自分はリンカを一番に想っているということを伝えたかったからだった。


 その後、ソマルはマリナとの結婚を認めなければ自分は警備戦士を辞めて島から出ていく、と脅したことで――――マリナのことを周りに強引に認めさせ、二人は結婚することになった。



 それから数年後、怪我の後遺症のために早めに引退した父親の跡を継いで、ソマルがおさになった年――――サダカは警備戦士隊長になった。


 そうして一人前になったサダカは、すぐさまリンカに想いを伝え、求婚した。


 その時リンカは、もう数年前の出来事は過去のこととして引きずってはいないようだった。あっさりとした様子で「いいわよ」と答え、いたずらっぽく微笑んでみせる。

「サダカ、ずっと私のこと好きだったでしょ。だからそろそろ言ってくれると思って……結婚せずに待ってたわ」


 全てお見通しのリンカに、サダカは呆気に取られた様子で立ち尽くす。リンカはそんなサダカの様子を気にせず話を続ける。

「あの時はなんで気付かなかったんだろ、どう考えてもサダカの方が性格もいいし、私のこと大事にしてくれそうなのに……あの時はおさの妻になりたいって思いに囚われすぎてたのかもね。おさの妻って、ブレイズ家の女性皆の憧れだから」

 リンカはぽつりとそう言うと、大袈裟に溜息をついてみせる。

「とはいえ、女は結局自分を幸せにしてくれる人の元にいくのがいいって……誰かさんのせいで思い知ったからね。いろいろあったけど、あのまま結婚してたと思うとゾッとするから……今ではアイツにも感謝してる」

 リンカはそう言った後、キリッとした強い視線でサダカを見る。

「でも……次のおさになるのは、私たちの子供なんだから。血筋だと順当にいけばソマルの子供になるんでしょうけど、実力と人望で負けないように育ててみせるわ! たとえ生まれたのが女の子でも、剣術を磨いて男に負けないくらいになれば、きっとおさになれる可能性もあると思うの。サダカの血を引いてたら、剣術が得意な子が生まれるかもしれないでしょ?」


 サダカは相変わらず向上心の強いリンカの大きな目標――――とりわけ「女の子でも」おさにするという途方もなく大きな計画を聞いて呆気にとられる。

(相変わらずだな、リンカは。でも、兄貴がリンカに対してできなかった分まで……俺が、これからはリンカの望みは何でも叶えてやろう)

 サダカはふっと微笑み、そんなことを密かに決意する。



 そうしてサダカは長年憧れていたリンカと結ばれることになり、兄のソマルに息子ができたのと同じ年――――リンカにそっくりな、玉のように美しい女の子を授かることになる。


 そして――――後々にではあるが、サダカが兄の跡を継いでおさになったことで、リンカの「おさの妻になる」という夢も叶うことになるのだった。



「カモメの鳴く島で」 完


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