アンの秘密と悩み事

※本編のネタバレを含んでいます。

(『アイラと神のコンパス』本編を全話読まれた方向けに書いています。)

※すっかり本編の話を忘れていて読んでもいまいちわからない…という方は、ディール島編や、「エピローグ」の冒頭部分にあるアンとラビの会話をざっくり読んでから来てもらえると、理解しやすい感じになるかと思います。


主な登場人物

アン:ディール帝国の皇帝。

ラビ:絨毯乗りとして、かつてアンに仕えていた少年。アンの数少ない友人でもある。

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「……前から聞きたかったんだけど、アンって本当に……子どもなの? 僕より年下……なんだよね?」


 ずいぶん前に言われたその言葉を思い出し、ドリー朝ディール帝国の皇帝である、アンディルラシア=ドリー――――縮めて「アン」は、どきりとする。

 その言葉を放ったのは、アンの数少ない友人の一人である、ラビという名の少年だった。



 無数の空飛ぶ絨毯が飛び交う光景が有名である、魔法の力で栄えた大国「ディール帝国」。

 その皇帝たるアンは、太くて短い眉、深みのある紫色をした、見つめると吸い込まれそうな大きな瞳、透き通るように白い肌、それに対して真っ黒で毛量の多い髪、額には金色こんじきに輝く輪飾り――――と一度見たら忘れられないような、印象深い容姿をしていた。


 しかしそれ以上に人々を驚かせるのが、頭でっかちで足の短い、幼い子どものようなその体型であった。

 そのような、ずいぶん体つきの幼く見える少女が、大国の皇帝として玉座にちんまりと座り、堂々たる態度を見せる。その様が、人々をたいそう驚かせるのだった。


 そんなまだまだ幼い少女のように見えるアンであるが、アン自身には、何歳、といった年齢のような概念自体がそもそもなかった。

 というのも、ディール帝国の皇帝は代々神秘的な存在とされており、公には年齢も、生まれ年も公開されない。秘密裏に出産され、やがて皇帝の後を継ぐ皇太子であると正式に定められてから、初めて国民にお披露目されるのだ。


 前皇帝である、アンの父親が急逝した際には、アンは皇太子という段階もすっ飛ばし、幼い姿でありながら、いきなり皇帝として国民の前でその存在を公開された。

 その存在は人々を驚かせ、こんなにも幼い少女に皇帝という大役を任せて良いのか、と物議をかもした過去もあった。

 しかし今では、幼いながらに堂々たる皇帝であると認識され、人々から尊敬されている存在となっている。



 そんなアンには長らく抱えている秘密であり、悩みとも言えるものが一つある。それは、自分の体がいつからか、成長を止めてしまっているようである、という信じられないような事実であった。

 ディール帝国の皇帝には年齢の概念がないとはいえ、これまでの皇帝は子どもから徐々に大人の姿へと成長し、ほとんどは大人の姿になってから皇帝に即位している。何年たっても子どもの姿のままである、というのは皇帝といえど異例の出来事だった。


 しかし唯一の例外として、このディール帝国を建てた、建国の祖であるディールも、アンと同様、ある時から見た目が年をとることがなかったらしい。

 そのためアンの姿が変わらないといった点はむしろ「偉大なる創始者ディールの再来だ」などと噂され、人々から畏敬の念を得るのに一役買っていた。


(人々から崇められること、皇帝には必要だ。それは、わかっているのだが。しかし、ディールの皇帝は神秘の対象だというが、神でも何でもない、ただの人間だ。偉大な祖であるディールだって、神業のごとく様々な偉業を成し遂げたが、実際は神などではなく、人間だというに)

 アンはそんな自分を取り巻く状況を、心の中では不服に思う。



 そもそもディール帝国は、アンの遠い祖先の、魔法科学者ディールが建てた国である。


 ディールは様々な魔法を自由自在に扱えることから、当時、ディール帝国がおこる前のこのディール島において、神のように崇拝された。

 しかし魔法の力というのはこの世界において、空のどこかにある天界におわす神、もしくは海の底にある闇の世界に潜む魔王、そしてその二者に仕える特別な役目の者だけが、生み出せるものであった。そのため、ディールは魔法の力を一から生み出せるわけではなかった。


 ディールは元はというと、学者の集う「賢者の島」から異端とされ、追放された過去を持つ魔法科学者であり、神が地上に遺したもの――聖遺物を集める収集家であった。

 そして集めたものを組み合わせ、様々な魔法を開発したり、魔法道具を作り上げることが得意であり、それがディールの魔法の力の源であった。

 そんなディールは生涯で作り上げた魔法や魔法道具を、アンのいるこの宮殿の宝物庫に多数遺し、数百年もの間生きた後、この世を去った。


 つまりディールは、様々な偉業を成し遂げ、この国を創った偉大なる人物には変わりないのだが、それでも神の持つ魔力を借りていただけにすぎない、一人の人間だったのだ。

 しかしその事実は、この国の国民には知らされていない。王族のみで共有されている、始祖ディールの真実であった。



(一国の皇帝とはいえ、私が持ち得た力は、祖の遺した数々の宝の賜物にすぎぬ。もしも、ディールの宝物庫の中身が全て盗まれた日には、この国も終わることだろう。……とはいえ、宝物庫には、ディールの仕掛けた魔法の罠がいっぱいだ。かつてわが近衛このえ兵らを翻弄するほど、すばしっこい動きを見せたあのサルマとて、わが宮殿の宝物庫に盗みに入った日には、ひとたまりもないだろうな)

 アンは前に出会った、サルマという名の盗賊の存在をふと思い出す。それと同時にサルマの連れであった――アンにとってもう一人の友人である、アイラという少女の顔を思い出し、笑みを浮かべる。


(……アイラもラビのように、しばらく会わぬ間に成長しているのだろうか)

 そう考えたアンは、突然少し寂しい気持ちになる。

(将来、アイラが大人になり、輝くように美しい女性になっていたとしても、私は、この姿のままなのだな。私の亡き母は、絶世の美女だと言われていたそうだから、私も、美しき女性になれるものだと、昔は思っていたのだが。……どうやら、それが叶うことは、ないのだな)


 アンは、深くため息をつく。

(私自身の姿も……そして、独自の魔法の技術を外に漏らさぬため、他国を疎外してきたこの国の体制も、いい加減、変わればよいのに)

 そう思ったアンは、ふと前皇帝であった、自分の父親のことを思い出す。

(思えば、この点に関しては、父上とはどうも考えの相容れぬものがあった)


 アンの父親である前皇帝は、変わりたいと願うアンとは逆の考えの持ち主で、ディール帝国について、始祖ディールの頃からの変わらぬ繁栄を、未来永劫、継続することに強いこだわりを持っていた。


 魔法科学者であるディール亡き今、その叡智を記した書物は宝物庫に厳重に保管されているものの、それは魔法科学の天才であるディール自身にしか解読できないほどに難解なものであった。

 そしてディールのように新たな魔法を作り出せるような能力を受け継ぐことのできる後継者も、残念ながら現れなかった。そのためディールの遺産を守り、上手く活用してゆくことが、ディールの子孫である今の王族の役目となっている。

 それゆえ、「我々が新たな魔法を生み出すことはできないが、それでもこの国を祖、ディールの時代から衰退させるわけにはゆかぬ」というのが、アンの父親である前皇帝の考えていた使命であった。


 前皇帝は最期の時まで、自分自身についても変わらず政務に励み続けることを望み、病にかかってしまいそれが叶わなかったことを相当に悔いていた。その死の間際、「お前は絶対に死んではならない、必ず生き永らえよ」とアンは父親である前皇帝に念を押されていた。


(……真実はわからぬが、私の姿が変わらぬことは、父上が仕組んだこと、なのかもしれぬ。もしそうだとすれば……もしかしたら、あの時言った言葉が、父上の決断を促してしまったのかもしれぬな)

 一つだけ、アンには成長しない体になってしまったことについての心当たりがあった。それは幼い頃、この国特有の「空飛ぶ絨毯」に乗れるのは子どもだけだと教えられた時に、父親に「嫌だ、絨毯にずっと乗りたい」と駄々をこねたことだった。それに対して父親は、「お前がそう望むのなら、そうしよう」というような意味の言葉を言っていたような――――かすかな記憶があった。

 幼い日のアンの言葉を真に受けて、アン自身も変わらないことを望んでいるのだと思われ、まだその正体を知らない、何やら不変の魔法と思われるものをその身にかけられたのかもしれない。真実はわからぬままだが、アンは時々そう思うのだった。



(そういえば、ラビの言葉に対しては確か、まだ絨毯に乗れるから子どもなのだろう、と答えたな)

 アンは、再びラビに、本当に子どもなのかと言われた時のことを思い起こす。あの時ラビは、「そっか……じゃあそうだよね」と納得してくれた。


 この国の空飛ぶ絨毯は、子どもしか乗ることができないため、まだ絨毯に乗れるという事実は、アンが子どもであることを信じさせるには十分の事実だった。

 しかしあの時――――自分は成長しない体を持っているだけで、おそらくラビより年下ではないし、ラビの思うような「子ども」ではないのかもしれない――――といった、本当のことを言うべきだったのではないか、とアンはあれからずっと、心の中では後悔していた。


(……しかし、言ってしまっては、今までの関係が、全て壊れてしまう。そんな気がする。それだけは……嫌だ)

 アンはそんなことを考え、ラビとのこれまでに思いを馳せる。


 父親がアンの友人とするために連れてきた、空飛ぶ絨毯にお客を乗せる「絨毯乗り」を仕事とする少年、ラビ。ラビは当時、アンら王族の所有する奴隷という身分であり、育まれたのは身分違いの友情であった。

 そのためラビはアンの父親である前皇帝の言いつけ通り、アンに会うためには人目を忍んで、今アンが考え事をしている場所――かつてアンの父親がラビと一緒に遊ぶ場として用意してくれた「秘密の中庭」にて何度も密会し、数少ない友人として、ここで一緒によく遊んでいた。

 ラビはこの中庭までは、通気口のような子どもが辛うじて通れる小さな抜け穴から、アンに会うためにかよっていた。

 しかしこの頃ラビは成長し、背がぐんぐん伸びている。そのためそろそろ抜け穴を通れなくなりそうだ、という機に、アンはラビを自身の奴隷の身分から解放し、自由の身にしたのだった。


 それでも二人の友情は続いている――――のだが、奴隷から解放されたラビはここ最近、子どもながらに新たな仕事を始めるために奔走し、忙しくしているようだ。そのため、しばらくの間ラビとは会えていなかった。


 しかしこの間、ラビがアンに対し久々に、謁見を申し込んできたのだ。そうしてラビとはこの後、会うことになっている。

 そのため今日一日、ラビのことをずっと考えていて――――今日こそ自分の抱えている秘密について、ラビに言うべきなのだろうか、と考え、終始そわそわとしているアンであった。



「アン、久しぶり」


 アンの背後から、突然声が聞こえてくる。知らない声に呼ばれてぴくりと反応するアンだったが、後ろを振り返り、はっと息を呑む。

 知らない声だ、と思わず警戒したものの、通気口のような狭い通路から中庭にやってきたのは――――紛れもなく、ラビであった。


 ラビは、照れくさそうに笑って言う。

「あ、ごめん、驚かせて。僕、突然声、低くなっちゃって」

「……声変わりしたのか、ラビ」

「うん……」

 ラビは頷く。声は少し低くなったものの、その喋り方は、紛れもなくラビのものだった。


 アンは一安心したものの、自分とは違って大人に向かって次第に変わりゆくラビを、どこか複雑な思いで見ていた。


 その視線をいぶかしげに思われていることを悟ったアンは、コホンと咳払いし、口を開く。

「ラビ。確か、約束したのは謁見の間ではなかったか?」

 その言葉に、ラビはいたずらっぽく笑う。

「謁見の間って、僕ら二人が話をする場所にしては堅苦しいじゃないか。アンと会うのが目的だったら、今まで通りここでやるのもいいかなって思って。もしかしたらアンがいないかなって、ちょっと覗きに来たんだ」

「全く……おまえは、もう小さくはないのだから、体が通路の途中で詰まって出られなくなっても知らぬぞ」

「大丈夫だよ。背は伸びたけど、横幅はまだつっかえたりしなかったし」

 得意げにそう言うラビを見て、アンは軽くため息をつく。それからラビの姿を見て、ぽつりとこぼす。

「おまえは声も変わり、背も伸びて、しばらく見ぬ間にも、みるみる成長しているのだな。……しかし、この私の姿は、変わらぬままだ。ラビ、おまえは……それを疑問に思ったことは、ないのか?」

 その言葉に、ラビは首をかしげて少し考えた後、アンに言う。

「うーん、別に?」

「だが、いつだったか、私のことを、本当に子どもなのか、と聞いたことがあっただろう」

「ああ、あれはアンがあまりにも大人びてるから、すごいなって、そう思っただけだよ」

「………………」

 アンはラビの言葉を聞いて、思わず押し黙ってしまう。


 そんなアンをしばらく見ていたラビは、アンが何か言うより先に、口を開く。

「大人でも子どもでも、アンはアンだよ。僕の大事な友だちってことには変わりないだろ?」

「…………そうだな」

 アンは頷き、ラビを見る。

「……ならば、おまえが大人になった時に、私が子どもの姿のまま、なんてことがあったとしても、おまえは友だちでいてくれるのか?」

「当たり前だよ」

 考える暇もなく口に出した、ラビのその真っ直ぐな言葉に――――アンは、救われる思いがした。


(今、ここで、真実を話すべきかとも思ったが……ラビがそう思ってくれるのであれば、私が本当は大人なのか子どもなのか、なんてことはどうでもよいか。自分にかけられた魔法の正体がはっきりした時にでも、改めて話をしよう)

 アンはそう思い、この場で自分の秘密についての話題は終わらせることに決めた。


「ところで、ラビ。おまえ、近々この島を出る、と言っていただろう。いつ出発するのだ?」

「うん。そのことで、アンに謁見を申し込んだんだ。実は、明日には行こうかなと思ってる。声変わりもしちゃって、僕、もうすぐ絨毯に乗れなくなるかもしれないからさ。まだ少しでも乗れる間に、外に行きたいと思って。僕の絨毯乗りの能力はちょっと落ちてきて、今までみたいにお客さんを絨毯に乗せる絨毯乗りの仕事をできる自信はなくても、今ならまだ、多少は自分の移動手段として使えるしね」

「そうか……。寂しくなるが……私はいつも、おまえのこと、応援しているぞ」

「うん。アン、ありがとう」

「では……達者でな、ラビ。またここにも、遊びに来い」

「もちろんだよ。旅から戻ったら、アンに一番に旅の話、聞いてもらうからね!」

 ラビはそう言って、笑ってアンに手を振る。


(変われぬこの身としては……変わりたい、と思うことは多い。だが、ラビとの友情のように、決して変わらぬものがある、というのも……良いものだな)


 秘密の中庭から去っていくラビの背中を見て、アンはそう思うのだった。



「アンの秘密と悩み事」 完


 

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アイラと神のコンパス ほのなえ @honokanaeko

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