第46話 旅立ちの時、再び

「本当か? アイラ、本当に……それでいいのか?」


 サルマはアイラの言葉を聞くと、アイラの肩に両手を置き、腰をかがめて目線を合わせ、じっと見つめる。アイラはサルマの目をまっすぐに見、ゆっくりと頷く。

「うん。わたし……もう自分のせいで誰かを犠牲にしたくない。メリスとうの時みたいに……」

 アイラは少し言葉を詰まらせるも、話を続ける。

「もしあの時、わたしが神になることでメリスとうを救えたのなら、迷わず神になる方を選ぶよ。今回もそれと同じ……。メリス島のみんなはもういないけど、サルマさんやオルクさん、リーシさんにアルゴさんたち、アンとラビ……。地上にはまだ、わたしにとって大切な人たちがいる。それに、旅をしてきてわたし……この世界が好きだって思った。だからこの世界を闇の賊のものにしたくないし、この世界を……みんなを守るためなら、わたし……頑張れるから」

 サルマはアイラの言葉を静かに聞いていたが、やがて頷いた。

「アイラの気持ちは……よくわかった」

 サルマはそう言うと立ち上がり、頭を掻きつつ、深くため息をつく。

「まいったな……。俺一人でいろいろゴネちまったが、結局、アイラはガキのくせに一番大人で、神になるのを受け入れる気でいて……俺一人のわがままだったわけか。俺が、その……アイラと別れたくないって……そればっかりに」

 アイラはそれを聞いて笑みを浮かべ、首を横に振る。

「ううん、でもサルマさんの言葉……わたしのことを一番に考えてくれて、嬉しかったよ。それに、わたしもサルマさんと別れたくないよ。もっと一緒に……この世界中を旅したかった」

「ああ。俺もそう思う」

 サルマはアイラの言葉を聞くと、笑みを見せる。

「がんばれよ、アイラ。俺は、オルクの爺さんにいろいろ教わって……今後もオマエの付き人として、離れていてもオマエのことを助けるからな!」

「うん、これからもよろしくね、サルマさん……!」


「……よく決心してくれました。ありがとう、アイラ……そしてサルマも」

 その様子を見ていた神が、二人のもとにやってきて礼を言う。

「ではアイラ、天界へ行きましょう。……サルマ、今度は羽衣を渡してくれますね」

 それを聞いたサルマは羽衣を見つめ、まだ神には渡さずに尋ねる。

「ちなみに、この羽衣は何なんだ。ニオイからすると、これもお宝だろ、身につけると一体どんな効果があるんだ?」

「ええ、これは神の羽衣……。端的に言えば、神になる資格のある者がこれを着ると……神になります。神としての聖なる力が最大限に出せるほか、神としての心構えを自然と持ち、神として何をすべきか……その全ての知識もここに記憶されています。また、これを着ることで、アイラが天界で暮らした記憶、そこで学んだことも全てを思い出すことでしょう」

「なるほどな。着ると自動的に神になるから……一番にこれを着せようとしたわけか」

「……その通りです。アイラの意思を聞く前に神にしてしまう……そうすることで、アイラの気に迷いが生じたり、この世界との別れの際に悲しい気持ちにならないように、という配慮のつもりでもあったのですが……間違ったやり方でしたね」

 神はそう言ってうつむく。サルマはそれを聞いてフン、と鼻を鳴らす。

「ま、いいさ……終わったことだ。ちなみに……これを着たらその他に変わることはねぇよな? 例えば……その、地上の俺たちのことを忘れるとか……」

「それは問題ありません。現に私は、地上で経験したこと……オルクとの旅の記憶が残っていますから。この身が果てるまでずっと……忘れることはありません」

 神はそう言ってオルクを見る。祭壇の方で姿を映されたオルクも、感慨深い様子で神を見つめている。


「それを聞いて安心したぜ。……ほらよ」

 サルマは神に、先程奪い取った羽衣を差し出す。神は羽衣を受け取ると、その場で綺麗に広げる。

「さあ、アイラ……羽衣を」

 神はそう言って、アイラの肩に羽衣をかけようとする。


(今思えば、アイラからもお宝のニオイがしたのは、アイラの行くべき場所にお宝があるからだと、ずっと勘違いしていたが……アイラが神の子だから、神の気に反応していたんだな。しかし、これを着たら……アイラも、本当に神になっちまうんだな……)

 そんなことを考えながら、白く光輝き、透き通った、この世の物とは思えないくらい綺麗な羽衣……それをまとったアイラを想像したサルマは、ふとあることを思いつく。


「ちょっと待った」


 神は羽衣を羽織らせようとする手を止め、いぶかしげにサルマを見る。


 サルマは、ずっと頭に巻いていたターバンをほどき、広げたかと思うと、アイラのそばに寄り、アイラの首元にそれを結ぶ。

「小汚いターバンで悪いが、地上の……俺との旅の思い出の品として、やるよ。羽衣とやらを身につけて、頭からつま先まで白く光ったりして……あんまり神様っぽい見た目になっても俺が緊張するからな。これもつけとけよ」

「サルマさん……」

 アイラはサルマの頭に巻かれていた、自分の首元に結ばれたターバンを見る。サルマの匂いが少しする、その見慣れたターバンを見ると――これまでの旅の出来事が次々と思い出されるようだった。

「……ありがとう、大切にする! 肌身離さずつけとくね! サルマさんの首のコンパスみたいに」

「……ああ。そうだな、このコンパスをやろうかとも思ったが……これは悪いがやれないんでな。航海の必需品ってのもあるが……」

 サルマは自分の首にかかっているコンパスを手に取り、見つめる。

「……数少ないオヤジの形見なんでな。ずいぶん前にオマエに聞かれた時は、別に大切なもんじゃねえって強がっちまったけどな」

「……そうだったんだね」

 アイラはそれを聞いてサルマの心境の変化を感じ取り、優しく微笑む。


「そのターバン……神としては相応しくないですが……仕方ないですね」

 神は少し不服な様子で一連の流れを見ていたが、ふっと溜息をつき、ターバンを首元に巻くことを認める。

「では、アイラ……羽衣をかけますよ。しばらくは様々な記憶が押し寄せ、混乱することでしょう……。心が落ち着き次第、天界へ向かいます」

 神はそう言ってアイラを見、アイラが頷いたのを確認すると、羽衣をアイラにサッと羽織らせる。


 アイラはまず、力が内々から湧き出てくるような、奇妙な感覚を感じる。それから過去の記憶や神の持つ知識、神としての心の変化――――どっといろいろなものが溢れだしてきて、立っているのが精一杯という状態になる。


 そんなアイラの様子を神、サルマ、オルクの三人は、しばらくの間黙って見つめていた。

(アイラの様子がおかしいが……無理もねぇか。これから神なんてものになっちまうんだからな、相当色々な変化が起きているんだろう)

 サルマは祈るような思いでアイラの様子を見守る。


「……レイラ」


 サルマの後ろから声がする。初めて聞いた名だと思いつつサルマが振り返って見ると、オルクが神に声をかけたようである。

「アイラちゃんの様子が落ち着いたら、すぐにでも天界に旅立つのだろう。そしてその後、お前は力を全て使い、果てるだろう……。おそらくこれが、わたしたちの最後の時間だ。今……この時だけでも、話をする時間を……私にくれないか」

(この神……レイラって名前なのか)

 サルマは神――レイラを見る。レイラは無言のままゆっくりと頷くと、オルクの姿が映されている祭壇の方に歩み寄る。

「最後の時と言ったが……きっとしばしの別れだ、レイラ。お前が果てたとなれば、私の命を延ばしているお前の加護の力も無くなり、私にもじきに寿命が来よう。私もすぐに後を追うから、死後の世界で待っていてくれないか」

「神にも死後の世界なんて……あるのかしら」

 レイラはそれを聞いて、ふふっと笑う。

「久々にレイラの笑顔を見たよ。お前はあまり笑わないからな」

 オルクはニヤっと笑ってレイラを見る。レイラは少し恥じるような表情を見せ、緩んだ頬を元に戻す。

「私の人生の中で、お前と別れてからの時間の方が圧倒的に長くなってしまったが……あの旅をした一瞬の時間が、我が人生において最も大切なひと時だった。一緒に旅ができて、今までお前を支えることができて……本当によかった。ありがとう、レイラ」

「こちらこそ、ありがとう……オルク。神になってから、あなたには一切顔を見せなかったし、これまでも思いを伝えることなんて苦手だったから、本当に今更だけど…………私も、本当に感謝してる。私は、神になってからも、あなたのこと……ずっと思っていたわ」

 レイラは少しうつむき、顔を赤らめる。

「私もだよ……レイラ。お前のことを一時も忘れたことはなかった」

 オルクはそう言ってにっこりと微笑む。

(俺とアイラも今、ここで別れるが……おそらくこれからも水盆を通じて話をすることはできるみたいだ。だが、この二人は、これが今生の別れになるのか……)

 サルマは後ろでされている会話を耳にし、自分たちと重ね合わせふいに感情が揺さぶられる。


「……母さま」

 アイラの声がして、三人はハッとし、アイラを見る。アイラはレイラの方を見ていて――――そう口にした自分に少し戸惑った様子を見せる。

「あ、えっと……産みの母親は、他にいるんだよね。だから母さまって呼び方はおかしいのかもしれないけど、昔そう呼んでたから……」

「記憶を取り戻したのね。気分はどう? アイラ」

 レイラがアイラの元に駆け寄る。

「うん……大丈夫だよ」

 アイラがレイラに向けて微笑む。昔の記憶を取り戻したせいか、アイラは先程よりも親しみを込めた様子で、レイラと接しているように見えた。

「では……天界へ行きましょう、アイラ」

 神は洞窟内の光が射している場所まで行き、アイラに手を差し伸べる。


 アイラは頷きつつも、まだその場にとどまり、サルマの方を振り返る。

「サルマさん……行ってくるね。今までありがとう」

「アイラ」

 サルマは神の羽衣を着てもなお、いつもと変わらぬアイラに安堵する気持ちと、ついに別れるという気持ち、これまでの旅の記憶……様々なものが押し寄せてきて、思わず涙し――――気付いた時にはアイラのもとへ駆け寄り、アイラをぎゅっと抱きしめていた。

「もう一緒にはいられねぇが……これからも、天界と地上で……一緒に頑張ろうぜ。辛い時は、いつでも俺に言えよな。アイラとの旅のこと……ずっと忘れねぇからな……っ」

 サルマは泣きじゃくりながらも、アイラに多くの言葉をかける。アイラはうん、うんと何度もサルマの腕の中で頷く。


「サルマさん、わたし……行ってくる!」

 ついにサルマの言葉が途切れると、アイラは顔を上げ、サルマの顔を真っ直ぐに見つめて言う。

「おう、行ってこい!」

 サルマはそう言うと、涙目のままアイラに笑いかけ――――そしてトン、と背中を押して、最後に言う。


「気をつけてな」


 アイラはサルマの方を振り返って頷くと、レイラの立っている、光が射している場所まで駆け出してゆく。


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