第8話 闇の大穴

 サルマの船は再び海の上を、帆いっぱいに風を受け、カモメとうから南東に向かって進む。

 天候は灰色の雲が空を覆い、波も昨日よりは少し高くなっている。


 船の後方に座っているアイラがサルマに声をかける。

「ねえサルマさん。それで、昨日の夜コンパスをお宝に詳しい人に見せて、何かわかったの?」

「あぁ……いや、それが……何もわからずじまいでな」

 サルマは少しバツの悪そうな顔で、アイラから目を逸らす。

「そうなの……。次の島では何かわかるのかな? カモメとうから南東……どんな島があるんだろう。……ん? ねぇ、サルマさん!」

「? どーしたよ」

「メリスとうから北西に進んでカモメとうに着いて、そこから南東に進むってことは……またメリス島に戻ってくるんじゃないの⁉」

「ああ、方角的にはな。ほら見な。あの前に見えてるちっぽけな島がメリスとうだ」

「あっ……! ホントだ!」

 アイラは船から身を乗り出して前を見る。

「でもよぉ、これで旅が終わりってことはねぇだろ。たぶんメリスとうを越えて進むんじゃねぇか?」

「うーん……でもメリスとうって確か、地図の右下の端っこあたりにあるよね。その先って何かあったっけ……」

「……地図には全部の島が載ってる訳じゃねぇぜ。俺にはひとつだけ心当たりがあるが……。とりあえず、メリスとうに一旦立ち寄ってまたコンパス見りゃわかる…………ん? なんだこの音は」


 耳を澄ますと、かすかにドドドド……というような音が聞こえる。

 二人が音のする方――来た方を振り返ると、遠くから高波……黒い色の高波が、こちらに向かって押し寄せてくるのが見える。

「な……何だありゃ‼ もしや……闇の大穴のうねり⁉ つってもこれは尋常じゃねぇぞ……‼」

「な、なんなのそのうねりって……!」

「つべこべ言わずにさっさと逃げるぞ! あんなんに巻き込まれたら……」

「に、逃げるって言ってももう波がそこまで……うわぁっ! お……押し流されるよ!」

「うわああああああああ‼」


 サルマはかじを操作して、波に流されながらもなんとかやりすごす。

「転覆は防いだが……おい、大丈夫か! 柱にしっかり掴まっとけ!」

「うん。でも、後ろからまた次の波が……さっきのより大きいよ! あれが来たら次こそひっくり返りそうだよ!」

「くっ……どこか船をとめられる場所は……」

 サルマが辺りを見渡すと、近くに少し大きめの岩が、海上に顔を出しているのが見えた。

「……よし、あそこにロープを引っ掛けて船を繋ぎとめるぞ」

 そう言って腰に巻いている布をずらすと、そこからロープが現れる。サルマはロープの先端に輪をつくり、ひゅんひゅんとロープを振り回した後、岩に向かって輪を投げつける。ロープの先の輪が岩の先に引っかかる。

「よし! 後はこのロープを手繰たぐり寄せてあの岩まで近づけりゃ、少しは船も安定するだろう」

「……う、うん……」

(な、なんかすごいな……。というかサルマさん、腰にずっとロープ隠し持ってたんだ……)

 アイラは今の一連のサルマの動きを呆気にとられて眺めている。

「ほら、第二波が来るぞ! ボケっとしてねぇで柱に掴まって踏ん張れ!」

「う、うん‼」


 第二波がどっぱーんと船に打ちつける。黒くて少しどろりとした、とろみのある海水が甲板にまで入ってくる。

「くそっ、波かぶっちまった。気色悪い色しやがって、船が黒く汚れちまうじゃねぇか。だが、海は落ち着いてきたみてぇだな……。おい、次の波は来そうか?」

「サ……サルマさん」

「ん? 何だよ」

「波が来た方……水平線の向こうから……」

 サルマはアイラの指差す方を見る。

「な……なんだありゃ⁉」


 水平線の向こうから、大型帆船の集団がこちらにやってくる。どの帆船も船体から帆に至るまで真っ黒な色をしており、ギザギザした形の船首と大きな大砲を持っている。甲板には黒ずくめの服を着た人……と思われるものがずらりと並んでいる。

「あれは……そうだ、あっちは確か、『闇の大穴』の方だ……! 闇の大穴から……真っ黒い船が続々と……」

 サルマはかがんで船のへりより下に体を隠す。

「オマエも突っ立ってないで隠れろ! あいつらと目が合うとやばい……気がする!」

「う、うん!」


 二人が息を殺してじっと隠れていると、その横を黒い帆船が次々と通り過ぎていく。

「……? 幸いこの船には目もくれてねぇようだが……。なんなんだアイツら。一体どこに向かって……」

 サルマは顔だけ船のへりから出し、辺りをうかがう。それから突然立ち上がり、船から身を乗り出す。

「あ、あいつら……メリスとうに向かってるんじゃねぇか……?」

「え……? あっ…………‼」

 アイラは全ての黒い帆船がメリスとうに向かっていくのを目撃する。


 アイラは体をガクガクと震わせ、なんとか声を絞り出してサルマに言う。

「……サルマさん……船を…………船を……! メリスとうに進めて‼」

「なっ……⁉ ばッ……バカ言え‼ そんなことしたら……」


 サルマが言い終わらないうちに、ドオオオオンと轟くような音が聞こえてくる。

 メリスとうを見ると、大きな赤い炎があがっている。もう一発ドオオオンと轟く音がし、あっという間に島全体が炎に包まれる。


「メリスとう……あいつらに攻め入られてるのか⁉ 炎が燃え広がって、まるで、炎の島みたいになってやがる……」

「そんな…………そんな‼」

 アイラは体をぶるぶると震わせ恐怖におののいた表情で島を見ていたが、サルマの方に向きなおり、もう一度言う。

「サルマさんっ……‼ 早く……船をっ‼」

「気持ちはわかるが……行っても無駄だぜ」

 サルマはアイラの方を見ず、メリスとうを見つめたまま言う。

「もう……メリス島は炎に包まれちまった。そのうえ、あの黒い服のやつらが続々と侵入してるみてぇだ。となると…………残念ながら手遅れだろう。あいつらの目的が何なのかは知らねぇが、行っても殺られるのがオチだろう。幸い波……いやうねりも静まったようだし、ここはさっさと引き上げた方が賢明ってもんだぜ」

 アイラはサルマから目線を外し、再びメリスとうを見て呟く。

「……サルマさんはそうかもしれないよ。あの島の出身でも何でもないんだから。でも……わたしにとってはメリスとうは大事な故郷だし、大切な人たちがあそこにはたくさんいるのに……」

 アイラはサルマの方を振り返り、キッと睨みつける。

「なのに、黙って見過ごすなんて……わたしにはできないよ‼」

「…………じゃあ見な」

「……えっ……?」

 サルマは先程のロープを腰に戻し終え、帆を張っている柱に体を預け、腕を組んで言う。

「……コンパスを見な。もしメリスとうを指していれば……約束したからな、連れて行ってやらんでもない。……ま、ヤバそうだったらオマエ置いてって俺は逃げるぞ」


 アイラはコンパスを取り出し、手の上に置く。

「メリスとうを……指して…………ない……」


 針はメリス島を越えて――――さらに南東を示していた。


「……ほら見ろ。あんな敵だらけの炎の島に飛び込めってほど、コンパスは馬鹿じゃねぇみたいだな」

「……でも」

 アイラはまだコンパスを見つめている。サルマはアイラに背を向ける。

「つべこべ言わずにさっさとずらかるぞ」

「……でもっ‼」

 アイラはサルマの前に立ちふさがり突っかかる。サルマはアイラを見下ろして、静かに言う。

「……ミンスと約束しただろうが。そのコンパスを信じて、コンパスの示すとおり進む……ってな」

「……!」

 アイラはサルマの目をしばらく見つめた後、うつむいてコンパスを見る。

「………………うん」

「……行くぞ。こっちに気づかれて巻き込まれないうちに、さっさと通り過ぎねぇとな」

 そう言ってサルマはかじの方へと向かう。


 アイラは振り返って、炎に包まれたメリスとうをもう一度見る。

「……ミンスさん…………ユタ……みんな…………」


 アイラの目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。

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