第7話 針のないコンパス

「んー! おいしかった! 魚飯さかなめしって初めて食べたよ!」


 アイラとサルマは宿でヤシの葉に包まれた、白身魚のまぶさった炊き込まれた飯をたいらげている。

「そうか。魚飯はカモメとう名物の食べ物の一つだ。他にもこの島の市場には美味いもんがいっぱいあるぜ。特にカモメ島の朝市は、新鮮な魚介類が手に入ることで有名だからな。……そうだ、明日そこへ連れてってやるから今日のところは早めに寝な。朝市行くってんなら早起きせにゃならんからな」

「うん、そうだね……ご飯食べたら眠くなってきちゃったし、そろそろ寝ようかな」

 そう言ってアイラは寝床の上に横になる。

「おう、そうしな。あいにく沐浴場もない安宿だが、部屋や寝床はなかなかだろ。おかげで今日はぐっすり眠……」

 サルマが夕飯の後片付けを終え、アイラの方を振り返ると、アイラは布団も被らぬ間にもう寝息をたてていた。

(お? もう寝やがったのか。早いもんだな)

 サルマはアイラの方をちらちらと気にしつつ、アイラの荷物の中からコンパスを探し出し、取り出す。

(あった……! これがお宝の……。悪いが、もらってくぜ……!)


 サルマはニヤリと笑ってコンパスを表にして見るが、途端にその表情が険しくなる。

(って……なんだよこれ! 針がねぇ……だと⁉ んな馬鹿な! アイツが持ってるのを見たときは確かに針が……。……そうか。これは持つ人によって針の様子が変わるんだったな。てことは……)

 コンパスを握りしめたサルマの手がかすかに震える。

(……俺には行くべき場所、居るべき場所なんてねぇってことなのかよ! ちくしょう、ふざけやがって!)


 サルマは思わず壁に向かってコンパスを投げつけようと腕を振り上げるが、窓に映った自分の形相を目にして思いなおす。

(……何やってんだ俺は。こんな針なんかに惑わされやがって。危うくせっかくのお宝を傷つけるところだったじゃねーか)

 サルマは針のないコンパスを再び眺める。

(俺がお宝を求めてるんだから、針がお宝のある場所を示してくれるもんだと思っていたが……どうもそうではないらしい。かといって、使いモンにならないニセモノってことはないはずだ。何しろ俺様の鼻が強烈に反応したんだし……)

 サルマはコンパスを隅々まで眺めまわす。

(てことはだ……このちっぽけなコンパスそのものが、価値のあるお宝……てことか……?)

 サルマは窓のそばに行き、窓から下に広がる町灯りを眺める。

(そうだとすれば……確かめてみようじゃねぇか。この島には確か、宝の鑑定士がいたはずだ。もしそこで高値がついたら……このコンパスは、すぐさま売っぱらってやる!)



 賑やかな市場の裏道の少し寂れた通りに、紫色の布の幕が入口前にかけられている一軒の店がある。


 その前にサルマは立ち、幕に取り付けられている金色の呼び鈴をチリンと鳴らす。中から少ししゃがれた声が聞こえてくる。

「……鑑定だね?」

「おう」

「……お入り」 

 サルマは布の幕をくぐり抜けて中に入る。


 その部屋の壁は、紫色の布で一面覆われている。重厚感のある高めの木の机があり、そこに紫色の風変わりな装束を着て紫色の丸い小さな帽子をちょこんと頭に載せ、黒ひげをたくわえ前髪が目の下まで覆っている男が座っている。

 男の後ろには紫色のカーテンがあり、その隙間からちらりと大量の書物や宝箱らしきものが覗いている。


「いらっしゃい」

 鑑定士の男は顔の大きさほどある特大の虫眼鏡のようなものを取り出し、サルマを見る。

「おっ、アンタとは以前に会ったことがあるネ。確か、鼻がきく盗賊の……」

「おう、そのサルマだ。その節は世話になったな。で、今回は、前よりすごいお宝を手に入れたんだが……見な」

 そう言ってサルマは机の上にコンパスを置く。鑑定士は虫眼鏡を近づけ凝視する。

「ほう……これは、コンパス……かネ? 針がないようだが……。ふちには美しい彫刻が彫られている……金色をしているが、これは果たして金なのか……真ん中の綺麗な石はダイヤのように見えるが、これも果たして……」

「……それがだな、特別なんだよな。このコンパスは」

 鑑定士がブツブツと呟き続けるのを遮ってサルマが言う。鑑定士の男はコンパスから目を離し、サルマを見る。

「……特別……?」

「おう。このコンパスはな、手に持った人の行くべき場所を針が示すらしいんだ。そんなコンパス、見たことも聞いたこともねぇだろ? どうだ、アンタも手に取ってみな」

 鑑定士はコンパスを手に取るが、すぐに首をかしげる。

「……特に針も……何も見えないネ」

「なッ⁉ そんなはずは……‼」

「本当ネ。そう言うお前さんはどうだったんだネ?」

 サルマは鑑定士から目をそらし、うつむく。

「そういや……俺も、針が見えなかった……」

「…………騙されたんだネ、お前さん……」

「ちっ……違ぇよ!」

 サルマは勢いよく身を乗り出し、鑑定士に反論する。

「俺はあるヤツが持っているのを見たが……確かに針があって、一つの方向を示していたぞ!」

「……ふうん……どうにも信じがたいがネ。でも……」

 鑑定士はコンパスに虫眼鏡をあて、じっくりと眺める。

「その話はともかく、コンパスそのものについて見ると……なかなかのものだよ」

 サルマは机に手をつき再び身を乗り出す。

「ほ、本当か⁉ これは価値のあるお宝か⁉」

「うーん、価値は正直わからんネ。針がないうえに、金でできてるようで金ではないふちだったり、ダイヤのようでダイヤではない石……素材については不思議なところが多いネ。ただ……装飾や見た目の美しさ、そして何より独特のオーラが感じられて、私は気に入ったネ……。これならワタシの宝のコレクションに入れてやっても構わないが…………」

「……で……いくらだ?」

「そうさな、金貨三枚……いや、五枚でどうさネ? 悪くないだとは思うのだがネ……」

「………………」

 サルマはコンパスをじっと見つめる。

「確かに……コンパスひとつでその値は……悪くない。悪くは……ないんだが……。だが俺の鼻は……もっと強烈に反応したんだ」

 サルマは顔を上げ、鑑定士をまっすぐに見る。

「金貨五枚くらいじゃ足りないくらいの、ものすごいお宝の予感がな……!」

「……そうかい。ワタシもあんたの鼻を疑っとるわけじゃあないネ。前には一見お宝には見えないが、実は価値の高いお宝を見つけ出してきてくれたわけだしネ。ただ、ワタシとしても、価値が保証されていないものだからこれ以上は出せないネ。残念だが、この話はなかったことにするかネ?」

「……いや……」

 サルマはコンパスを手に取りじっくりと眺める。

「今日のところは一旦帰って考えて……売るとしたら、また明日ここに来ることにするよ」

「そうかい。では、また明日来てくれることを祈っているよ」

「……ああ。ありがとな」

 サルマはそう言って鑑定士の男に笑いかけ、店を出て行く。



 サルマは宿に戻り、泊まっている部屋の前の廊下を、コンパスを眺めながら歩いている。

(試しに何人かに針が見えるかどうか聞いてみたが……誰にも針なんて見えなかった。何故なんだ……。アイラとミンス……あいつらにしか針は見えねぇのか……?)

 サルマは泊まっている部屋の前まで来て、扉を見上げ、立ち止まる。

(どうするか……。このコンパスは、本当に金貨五枚以上の価値があるのか……)


 すると、突然ガチャリと扉の取っ手が回り、サルマの目の前でいきなり扉がバターンと勢いよく開く。

「うわぁッ⁉」

 サルマは驚きおののいた後、アイラが出てくるのを見て、急いでコンパスを背中に隠す。

「あ! サルマさんっ‼」

「な、なんだよ急に……驚かせるな…………ん?」

(あれ……この強烈な宝のニオイは……? 背中のコンパスからじゃねぇし……)

 サルマはアイラの頭の上から部屋の中を覗く。

(この部屋から……するのか? 一体何が…………)

「……サルマさん?」

 アイラがサルマに声をかける。サルマがアイラの方を向くと、例のニオイがフッと風に乗って鼻までやってくる。

(‼ そうだ、これは…………!)

 サルマは、アイラと初めて会った時のことを思い出す。


――――なんだ今……ものすごい強烈な……もしや……!――――――――――


(……今……思い出した。ニオってたのはコンパスだけじゃねぇ。コイツも……コイツからも、お宝のニオイがするんだった……‼)


 サルマはアイラを見る。アイラは何も言わないサルマを不思議そうに見ている。

(初めてコイツと会った時は、宝らしきものも持ってなくて手ぶらだったし、コイツが何か絡んでるとしかわからなかった。そしてコイツの家にコンパスがあって……いつの間にか、コイツの家にあったからニオってるんだとしか考えなくなっていた……。……でもそうじゃないんだ。コンパスからも、コイツ自身からもお宝のニオイがする……。そしてコイツがコンパスを持つと、コンパスは行くべき方向を針で示す……。そう考えたら、コイツの行くべき場所にお宝があって……コイツの力を借りないと、そこへ行くことができないんじゃないか……)


「サルマさん」

 サルマは、アイラが何やら思いつめた表情でこちらを見ていることにようやく気がつく。

「……ん? 何だ?」

 アイラの目から涙が溢れ出す。

「……う……ぐすっ…………」

 サルマは突然泣き出したアイラを見て慌てふためく。

「⁉ な……何泣いてんだよ! もしかして、もう家が恋しくなったのか⁉」

「違うの……。あの……ね……ぐすっ……」

「なんなんだよ! 泣いてないでちゃんと言えよ‼」

「う……あの……物音がして、目が覚めて……それで気がついたんだけど……。わたしのね……わたしの……大事なコンパスがなくなっちゃったの‼」

 サルマはそれを聞いてぽかんとしている。

「……え……?」

「……部屋の鍵は……ちゃんとかかってたのに……。どうしようサルマさん‼ ミンスさんにもらった大事なコンパスなのにっ‼ うわあああああん‼」

 そう言って大声で泣き出すアイラを、サルマは口をぽかんと開けたまま見ている。

(コイツ…………俺のことは、全く疑ってねぇのな…………)


「ふっ」

 サルマはそれに気づいて思わず笑う。それを耳にしたアイラは泣き止んで振り向く。

「え、今笑った……? 何で笑ってるの……?」

(……ここまで信用されてちゃ、血も涙もない盗賊サルマとてやりづらいもんがある……。しょーがねぇな、ったく……)

 サルマは、アイラの方にコンパスを見せて笑いかける。

「悪いな。……俺がちょっくら借りてたんだ」

「え…………?」

「ほら、人の行くべき方向を示すコンパスなんて聞いたこともなかったからな。この島にいるちょいと宝に詳しいヤツに見せて、本当かどうか確かめてみたくてな」

「……じゃあ、サルマさんが持ってたってこと?」

「おう。悪かったな、黙って持って行って。ほらよ」

 サルマがコンパスを手渡すと、アイラはしばらく固まったままコンパスを見ていたが……戻ってきたことを実感してホッとしたのか、ようやく笑顔になる。

「なぁんだ、そうだったの。よかったぁ! 本当になくしちゃったかと…………ん?」

 アイラはコンパスをしげしげと眺めている。

「ん? どうした。どこかおかしいか? 壊した記憶はねぇが……」

「違うの、サルマさん。コンパスの針が……くるくる回らなくなってるの」


 サルマはアイラの手の中を覗き込み、コンパスの針の示す方向を確認した後、自分のコンパスで方角を確認する。

「……本当だな。針が差しているのは……南東……だな」

「どういうことだろ。この島に来てからまだ何もしてないのに……どうして行き先変わっちゃったんだろ」

「………………」

(この島に来て何か変わったこと……あるとすれば、俺がコンパスを奪わず、お宝のためにコイツについていく事を決めたことくらいだろう。……もしかしたら……)

 サルマはごくりと唾を飲み込む。

(……俺にそうさせるために、コンパスはこの島を指したんじゃねぇか……)


「…………おい、明日はどうするよ。もう少しここにいるか、それとも針の示す方へすぐ出発するか……」

 アイラは少し考えた後、サルマの方を見て答える。

「……コンパスの言うとおり出発するよ。この島の市場ももうちょっと見たかったけど、コンパスの示した方にはできるだけ早く行ったほうがいいかもしれないし」

「……そうだな。じゃ、明日の朝出発するぞ。そういうことならもう寝ないとな」

「うん」

「……そうだ。それともうひとつ」

「なぁに?」

 サルマはアイラの方を振り返り、ニヤリと笑う。

「……俺はこれからもオマエと……オマエのコンパスについて行くぜ。どこまでもな」

 そう言ってサルマはくるりと背を向ける。

「以上だ。就寝! 灯りを消すぞ!」

「? う、うん……」


 サルマは灯りを消して寝床に入り布団に潜る。アイラも別の寝床の布団に入りながら、不思議そうにサルマを見ていたが……自分も横になると、すぐに寝息をたてて眠りに落ちた。

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