旅立ち編

第1話 お宝のニオイのする少女

「よし、おつかい終わり!」


 やや癖っ毛の強い黄金こがね色の髪の少女が砂利道を駆けていく。手には編みかごをぶら下げている。

「今日はミンスさんがりんごパイを焼いてくれるって言ってたっけ。楽しみだなぁ、早く帰ろっと…………ん?」

 少女がふいに立ち止まる。目線の先の海岸には人だかりができている。

「なんだろ。海辺の方で何かあったのかな?」



「し、死んでる…………!」

 倒れている男の顔をのぞき込んだ少年がごくりと唾を飲み込み、恐怖におののいた表情でそう呟くと、周りの人々がざわめきだす。

 少年の隣にいる中年の男が倒れている男の脈を調べ、少年を小突いた後、周りで遠めに見ている人々に向かって首を横に振る。

「いんや、生きてるよ」

「ちぇっ。なーんだ」

 周りの人々が安堵の表情を浮かべる中、少年はつまらなさそうな顔でそう言うと立ち上がり、倒れている男の傍から離れる。

「ったく、この島はほんとおもしれーことねーよなー。何か事件があると思って来てみたら、船と人が流れ着いただけだしよぉ」

「しっ! どうやら気がついたみたいだぞ」


 倒れていた男がゆっくりと起き上がる。頭と腰に布を巻き、黒髪を後ろで小さく束ねたその若者は、周りを見渡して呟く。

「こ、ここは……」

「おまえさん、大丈夫かい?」

「ここはメリスとうよ」

 周りの人々が男に近づいて心配そうに声をかける様子を、男はぽかんとした表情で眺めている。

「メリスとう……」

 男はその言葉を聞いて、はっと我に返ったようになる。

「そ、そんなこたぁわかってるよ。俺様はここを目的地にして来たんだからな!」

 男の言葉に、周りの人々は揃って首を傾げる。

「この島に用があんのか? 珍しいヤツもいるもんだねぇ」

「そいじゃおまえさん、なんだって船を難破させるような目にあったんだい? ここいらの海は穏やかで、船が難破するなんてこたぁほとんどねぇ。今日だって、いつも通りの穏やかな海だってのに……」

「う、うるせぇな」

 倒れていた男はバツの悪そうな顔で周りの人々から目をそらす。

「そーだよ。航海中この辺りの海は退屈すぎるくらい穏やかだったよ。……それがなぜか……もうじきメリスとうに着くって時に、なにやら黒い波……いや、海がその……どろりとして渦巻いてるというか、うねったようなものが……」

 それを聞いて周りの人々がざわめく。

「う、海のうねり……」

「それってもしかして……」

「いや、そんなことはありえない……」

「……ん? 何なのそのうねりって」

 さっきの少年だけが不思議そうな様子で周りの大人たちを見上げる。

「……気にするな。たいしたことじゃ……ないんだ」

 そう言って少年の肩に手を置いた中年の男の顔が青ざめている。

「ふぅん。よくわからねーけど……どうせマヌケだったから難破させちまっただけじゃねーの?」

「な、なんだとこのガキ‼」

 倒れていた男は、少年の方に胸ぐらでも掴もうかといった様子で詰め寄る。

「あれ、本気で怒っちゃって……おっさん案外コドモだね」

「………………」

 男はそれを聞いて黙り込み、少年に背を向ける。

(くっ……しまった俺としたことが。ガキの言葉なんかに反応しちまって……。てかおっさんってなんだよ! オマエよりは年食ってるとしてもまだまだ若いんだぞ……)


 男は少年の方をチラリと見る。少年はもう男の方に見向きもせず、今向こうからやってきた黄金こがね色の癖っ毛の少女の方に駆け寄りながら何やら話している。こちらを指さしているところからして、今の状況を教えているのだろう。

(俺はガキの相手しにこの島に来たわけじゃねーんだ。ほーらグズグズしてっと別のガキが来やがった。ここは、関わり合いになる前にさっさとずらかって……)


「……⁉」

 男は急に目を見開いたかと思うと、勢いよく後ろを振り返る。

(……なんだ、今……ものすごい強烈な…………)

 振り返って目に付いたのは、先程向こうからやってきて少年と話している少女だった。

(もしや……!)


 男はじりじりと少女の方に近づくと、少女の肩を勢いよく掴む。

「‼」

 少女が驚いて振り返る。男はまじまじと少女の顔を見ている。

「おいおっさん、アイラに何してんだよ」

 少年がいぶかしげにその様子を見て言う。それを聞いた男は一瞬少年の方に目線を移すも、再び少女の顔をじーっと眺める。

(アイラ……この女のガキの名前か? それにしても……)

「…………ニオう」

「え……?」

 それを聞いて戸惑う少女。男はアイラと呼ばれたその少女の周りをぐるぐる回りながら何度も言う。

「ニオうニオうニオうニオうニオう…………‼ ものすご~くニオうぞオマエ‼」

「に、匂う?」

 そう言われて自分の匂いを嗅いでいる少女……アイラの問いかけを無視して男は何やら考え込んでいたが、おもむろにアイラの手をむんずと掴む。

「わっ! ちょっと、何するの⁉」


 男はアイラの手を掴んだまま自分の船の方に引っ張っていく。先程の少年や周りの人々がそれを見てざわめく中、黙ってひたすら抵抗するアイラを引きずっていた男だったが……自分の船の前まで来ると、思わず大声をあげる。

「……うげっ⁉ 俺の船があああぁ‼」


 船はあちこちひび割れぼろぼろで、帆は破れ、さらに帆を張っていた柱は……根元のあたりからポッキリと折れている。


「あー……これじゃあ船は出せねぇな。それよかおまえさん、その子を連れて一体どこへ行こうとしてたんだい?」

 周りで見ていた中年の男がそう言って男からアイラを引き離す。

「こ、これはその……ちょ、ちょっくら間違えて……だな。ってそんなことより俺の船! どーしてくれんだよッ! 帰れねーじゃねーか‼」

「ど、どうしてくれと言われても……」


 男は唐突にアイラの方を振り返る。

「おい! そこのガキ!」

「わ、わたし?」

「この島で船を修理できるヤツはいないのか⁉」

「え、えーっと……森の奥に住んでるログさんなら、だいたい何でも直せたと思うけど……船は……どうだろ」

「……ふうん。よしオマエ! そいつのとこまで案内しろよ」

「え? うん……まあいいけど。こっちだよ」


 そうしてアイラと男が向こうに歩いて行く様子を、周りの人々は不安そうに見ている。

「ねえ……行かせていいのかしら」

「あの男、一瞬アイラちゃんをさらおうとしてたように見えたんだけど……」

「え……⁉」

 少年はそれを聞いて血相を変える。中年の男が少年の頭にぽんと手を置く。

「心配するなユタ坊。そんなたいしたことしでかすヤツにも見えなかったし、大丈夫だろ」

「この平和な島で、そんな物騒なことは起こらんよ」

「うねりがどうってのも……おそらくあの男が寝ぼけてただけだろう。この島の人で、今日そのうねりを見たって人はいないんだし……」

「そうね……。きっとあと何百年……もうしばらくの間は、何も起こらないわよね……」


 大人たちがそんな話をしている中、ユタと呼ばれた少年は、アイラの持っていた編みかごが砂浜に置き去りにされているのを見つけて手に取る。

 そしてしばらくそれを眺めた後……意を決したように、アイラたちの行った方へと駆け出していった。

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