第16話:三人称神視点の書き方(中岡潤一郎先生)

 地の文の人称の書きわけについてよく質問が来ます。

 ちょうど昨日、また質問が来たのでキャスでご説明することにしました。



http://twitcasting.tv/guym_haga/movie/287193155

※前半20分は無駄話


http://twitcasting.tv/guym_haga/movie/287218587


http://twitcasting.tv/guym_haga/movie/287231374



 その際、プロの小説家さんも参加して、キャスの参加者の方々の質問に答えています。

 その中で、20年以上小説家を続けられている中岡潤一郎先生が、キャスでの説明不足を気になさって、三人称神視点について丁寧に補足文を起こしてくださいました。

 掲載する場所を求めていらっしゃったので、こちらに転載させていただきます。


 以下、原文のままです。


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■人称についての補足


 昨日、ツイキャスで触れた話題について補足します。あまりにも説明不足であると思ったので。


 さて、三人称神視点というものがあるだとすれば、それは作者の視点であり、作者の意志が込めやすい視点とも言えるでしょう。

 以下に簡単なサンプルを記します。


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 信長は、桔梗の旗印を見て驚愕した。

 まさか、このタイミングで、光秀が叛旗を翻すとは思わなかった。兵を動かすのであれば、信長が秀吉の支援に赴いてからであり、毛利と歩調を合わせて、織田軍を挟撃すると考えていた。

 孤立無援の叛乱はとうてい合理的とはいえず、信長の発想にはなかった。

 実際、光秀も、もう少し余裕があれば、事前に毛利と接触し、勝てると判断してから叛旗を翻していた。信長が京を離れてしまえば、畿内は空白地帯であり、秀吉が京を制したところで、毛利、長宗我部が西から攻めたててれば、信長は危機的状態に追い込まれたに違いない。

 だが、時が許さず、光秀は強引に兵を動かさざるをえなかった。

 彼の行動は非合理的だったが、それ故に、信長の罠をかいくぐり、逆に本能寺で追いつめることに成功した。


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 信長は、息を呑んだ。

 桔梗の旗印が揺れている。五〇、いや、それ以上か。

 土壁の向こう側は、兵でいっぱいだ。

 馬鹿な。なぜ、光秀の手勢がここにいる。

 こんなところで、兵を挙げても、勝ち目はない。

 たちどころに、秀吉、勝家、一益、信孝の軍勢がいっせいに襲いかかって壊滅するわけで、京を抑えたところで、何の意味もない。

 おかげで、せっかく組みあげた罠が無駄になった。こちらが備中に赴けば、光秀が動くであろうから、面倒な京の公家もろとも葬り去ってやろうと思ったのに。

 あれほど手堅い差配を見せる男が、こんな後先を考えぬ返り忠を討つとは。

 信長は読みの甘さに腹をたてながら、声を張りあげた。

「鉄砲をもてい!」


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 上の三人称神視点では、作者の判断として、本能寺の変が成功した理由を記しています。こういう理由があるからこそ、本能寺の変は成立したのであり、本来だったら、光秀は別の形で討たれて、信長の天下が成立していたという考えですね。


 一方、キャラに寄せた三人称では、叛乱に驚く信長を書いているだけで、背景についてはいっさい触れていません。信長にはわからないのですから当然といえば当然ですが、その分、信長の心理に関しては深い描写になっています。


 三人称神視点が俯瞰に向いているのは作者の視点だからで、自由に対象をチョイスして、キャラの心理に左右されず、自分の思ったような文章を書くのに向いています。

 その一方、神視点は、作者の視点ですから、突然、キャラの視点に移したりすると、混乱すると読みにくくなります。それは、普通の三人称でいきなりキャラの視点を変えるのと同じでしょう。


 もし、神視点がうまくいかないのだとすれば、それは作者の視点がしっかりしていない可能性があります。

 ナレーションのように誰にも入れ込まない形で書くのか、それとも一方のキャラに集中して細かく描いていくのか、あるいは全体を俯瞰して、この場面はこういう局面で、おのおのキャラはこのように考えているのだということを明快にするのか、そのあたりがぶれると、読みにくさが出るかもしれません。



 と、まあ、ここまで書いてきましたが、実のところ、三人称神視点も、そうでないものも三人称であることには変わりないので、確たる定義はなく、どのように書くこともできると思います。そのあたりは芳賀さんも書いておられますね。

 たとえば、前記の例で言うと……。


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 信長は、桔梗の旗印を見て、驚愕した。

 まさか、このタイミングで、光秀が叛旗を翻すとは思わなかった。

 光秀が兵を動かすのであれば、信長が秀吉の支援に赴いてからであり、毛利と歩調を合わせて挟撃すると考えていたのに。

 それが、こんなところで。

 予想外もいいところだ。

 信長は読みの甘さに悔いながらも吠えた。

「鉄砲をもてい」

 一方、攻めかかる光秀にしても、今回の叛乱は計算外の所があった。

 本来ならば、毛利と連絡を取り、十分に準備を重ねた上で、兵を動かすつもりだった。

 実際、信長が京を離れれば、畿内は空になるので、十分に勝算はあった。

 それができなかったのは、公家が彼に時間を与えなかったためだ。

 完璧な作戦にはならんとは。

 光秀は悔いを残しながらも、兵を起こさざるをえなかった。

 互いに狂った計算が、信長がまったく反撃できないまま本能寺に追い込まれるという異様な事態を作りあげた。


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 信長の視点に近い描写をした上で、光秀の心情にも触れているので、キャラの心情を書きながら神視点も維持できています。

 神視点はこうでなくてはならないという定義はないので、技術さえともなえば、あるいは作者の個性であれば、心情を深く書いても成立するのではと私は見ています。


 書くときには、あまり縛られないで、終わってから読み返して、変だなと思ったら、視点を考えるぐらいでいいのではないでしょうか。


 以上、ツイキャスの説明を補足しました。

 人称については、もう少し調べてみます。私も気になるところが出てきたので。



中岡

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