第7話:「坊主が浄土で上手に僧侶でプリースト~第一話」(サンプル小説)



――成仏した。




 不動明王呪を納めし、九鬼くがみ一門の退魔師【天道】は、目の前に広がる花畑を見て、そう悟った。


「おお。ここが浄土か……」


 白と桃色の愛らしい花々が広がる広々とした大地は、まさに極楽の風景。

 彼はその地平が見える大地と、芳醇な花の香りに、感動のあまり一滴の涙を流した。

 錫杖を片手に、編み笠をあげて、柔らかな日差しを受ける幸福感。

 つい先ほどまで、恐ろしき魔物と戦いを繰り広げていたなど、嘘のようだと感じていた。


「よきかな、よきかな。このようなすばらしき地に至るのならば、死して悔いなし。これも御仏の慈悲……むっ!?」


 天道は、背中に走ったむずがゆさに身を震わす。

 そして、ただならぬ邪悪な気配に視線を向けた。

 そこにいたのは、巨大な物の怪だった。

 一〇〇メートルほど先のため、よく観察はできないが、それは大きなカマキリに見えた。

 細長い全長はゆうに、普通の人の二倍はあるだろう。

 さらに鎌の数が多く、四本ほどあるように見える。

 そして、その緑の鎌を振りおろそうとする先には、人の姿が見える。

 黒い外套に身を包み、必死の形相で逃げまどう小柄な体格。


「なんと浄土で、このようなことが……。もしや、拙僧の務めはまだ終わっておらぬのか……」


 逃げる人影が花畑に埋もれるように転んだ。

 周りに花びらが飛び散る。

 立ちあがる雰囲気はない。

 とは言え、とても今から駆けつけられない。

 彼は、錫杖を投擲槍のように構えた。

 そして、力いっぱいに投げる。

 それは、風を切り裂く。

 まさに、迅雷。

 カマキリの物の怪が、頭上にあげた鎌を振りおろすよりも速く、その体を貫く。

 錫杖は腹部に深く突き刺さり、そして反対側に半分以上が突きだした。

 巨大な複眼をもつ頭を左右に振りながら、物の怪はキーと高い気勢を上げて暴れだす。


「ふむ。まだ息絶えぬか。さすが物の怪」


 そう言った天道は、すでに少女の前に立っていた。

 錫杖を投げた後、自分も同時に走りだし、たった五歩の歩みでそこにいたのだ。

 彼は一度、合掌する。


「殺生は好まぬが、我を守護するは憤怒の明王。成仏なさい」


 物の怪が苦し紛れに振りおろした鎌が、彼の頭上を襲う。

 しかし、彼は落ち着いて体を斜めにし、その鎌の側面を裏拳で外受けする。

 小袖から覗いた腕の筋肉が、グインッと隆起してふるえる。

 弾かれた鎌が、衝撃で中央からひしゃげながら、大きく外に開いてしまう。


「ふんっ!」


 彼は一九〇センチはある巨体を軽々と飛びあがらせた。

 そして、丸太のようだと仲間内から揶揄された脚を鞭のようにしならせて、回し蹴りを放つ。

 その勢いに、カマキリの物の怪のか細い首は、ほぼ抵抗できなかった。

 勢いよく、巨眼のついた頭が呻くことさえ許されずに、蹴鞠のように弾かれる。

 天道は、そのまま軽やかに着地する。

 すると、物の怪の体も力なく、その場に横倒れした。

 しばらく新緑色の巨体がピクピクと痙攣するように動くが、もう絶命していることは間違いないだろう。

 彼はそれを確認すると、背後で襲われていた人物を見た。

 しりもちをついたまま、おびえているのか、体を縮めて小刻みにふるわせている少女だ。

 黒い外套に包まれた彼女は、泣きじゃくった後の赤い眼を天道に向けていた。


「ふむ。可哀想に。大丈夫だ。もう邪悪は去った」


「いっ……いやっ! いやよ! お願い、食べないで!」


「…………」


 今年、二九になる天道は、人生で一番傷ついた。


   ◆


 その少女は、天道から見れば、まだまだ少女に見える。

 たぶん、中学生か高校生ぐらいだろう。

 ただ、その服装は変わっていた。

 黒い膝小僧まで隠れるマントと、先が勾玉のように曲がっている木製の杖を手にしている。

 まさに、「魔女」と言わんばかりの姿だ。

 その様相が本物か、はたまた世に言う「コスプレ」かと、天道は悩んだ。

 彼は大きな戦いの中で、魔術師や呪術師、超能力者とさえも共闘したり、戦ってきたりしていた歴戦を持つ。

 その中には、このようにいかにも魔術師然とした服装をしている者もいたのだ。

 少し相手の雰囲気を探り、彼は彼女が「本物」だと判断する。


「ふむ。お主は魔術師か。我が名は、天道と申す」


 少女の体の震えは止らない。

 鮮やかな青い髪が一緒に振動し、グレーの瞳が今にも水滴が垂れてきそうなほどに潤んでいる。

 はてさて、困ったなと辺りを見まわすと、先の尖った黒い三角帽子が横に転がっていた。

 まずまちがいなく彼女のものだと思い、彼はそのがっしりとした手で、それを拾いあげた。


「安心しなさい。私は食人などせん。……ほれ。これはお主のだろう。受けとりなさい」


 そう、なるべく優しく言いながらも、彼は内心で自らの言葉に少なからず傷ついた。

 だが、それは修行が足らぬ証拠だと、自らを戒め厳つい顔を崩さない。

 本当は微笑んであげるべきなのだろうが、前に仲間から「おまえが微笑すると、むしろ怖い」と言われたことがある。

 そのため、微笑はしないと決めている。

 だから、せめて口調だけは柔らかくなるよう気をつけた。


「…………」


 すると、その心が通じたのか、彼女が帽子を受けとった。

 そして、怖々と上目づかいで、天道の顔を見る。


「す、すいません……。最初、人語を解するオーガかと……」

「オーガ……それは知らぬが、我は御仏の心に近づこうともがく、詰まらぬ一人間。ただの坊主に過ぎぬ」

「あっ! す、すいません……。いえ、確かにお顔は人間だったのですが、あまりにその動きが人外でしたので……」

「人外……」

「あっ! す、すいません! 人外は言い過ぎでした! 格闘家の方ならそのぐらいの動きはなさいますし……本当にすいません!」


 彼女は平伏するかのように頭をさげる。


「いやいや。頭を上げなさい。我は修行を積んでおり、確かに少々、一般人よりも動ける事も確か。気にすることはありませんよ、娘さん」

「あっ! す、すいません……。名のっていませんでしたね。わたくしは、【フィカ・ウェーネ】と申します。すいません……」

「フィカ殿か。怪我はないかね?」

「すいません。ありません。すいません……」

「いやいや。ないのならば、よし。謝る必要などないのだぞ」

「す、すいません……」


 誤解は解けたはずなのだが、妙におどおどされてしまい、天道は言葉を続けにくくなってしまう。

 彼は清浄なる土地である、この西方浄土に、なぜ魔物がいるのか聞きたかった。

 しかし、この様子では質問しただけで土下座し始めてしまうかもしれない。


「あ、あのぉ……」


 すると、都合よく相手から口を開いてくれた。

 天道は「なにかね」と、なるべく相手を刺激しないように応じる。


「あ、はい。すいません……。テンドー様は、『ボーズ』と仰っておりましたが、それはいったい?」


 最初、天道は質問の意味を計れなかった。

 だが、すぐに気がつく。

 相手は、日本語が達者なようだが、容姿から異国の者とわかる。

 なるほど、「坊主」を知らぬこともあるだろうと思いなおす。


「我は御仏に使える者。……僧侶と言えばわかるかな?」

「ああ、すいません! 僧侶さんでしたか! てっきり格闘家の方かと……。では、職種クラスは、【プリースト】ですか?」

「……む? クラスとは、よくわからぬが。まあ、プリースト……うむ。少し違うが、そのようなものかもしれぬ」


 とたん、今までうつむき加減だったフィカの顔が上がり、喜びに充ち満ちた。


「ああ! この出会い、女神に感謝を!」


 突然、彼女は両手を組んで天を仰ぐ。

 魔術師の中には、確かに女神の力を使う者もいるが、感謝を捧げるのは珍しいことだ。

 そう思いながら、天道は角張った顎を撫で、その様子をほほえましく見ていた。


「……あ。すいません! 一人で盛りあがってしまって」

「いや。かまわぬ。感謝を忘れぬことは、すばらしいことだ」

「はい。すいません!」


 なぜか彼女は謝る。


「テンドー様に、ぜひお願いしたいことがございます」

「ほう。人助けも仏道の一つ。事情をお聞きしましょう」

「すいません。ありがとうございます! 実は、我がパーティのプリーストがやめてしまっていて、ちょうどメンバーを探しているところだったのです!」

「パーティ……というのは、この場合はチームと考えればよいかな?」

「え? あ、はい。すいません。そうです。そこで、テンドー様に我々の癒やし役になっていただけないかと」

「なるほど。癒やし役……。ところで、そのパーティの目的は?」

「目的? ……ああ、そうですね。とりあえず、魔物退治とか……」

「ふむ。魔物退治……なるほど、見えてきました」


 天道は、なんとなく察した。

 この浄土は今、きっと穢土からの汚染が始まっているのではないだろうか。

 そして、このフィカを始めとする、御仏に選ばれた者達が、浄土を元に戻すために魔物を退治しているのだろう。

 そのような厳しい戦いをしているのならば、確かに癒やしも必要になるはずだ。

 苦しい胸の内の聞き役になったり、御仏の教えを伝えて心を癒す役目を担ったりし、正義のために戦う者達の心を救わなければならない。

 その役目を天道は、彼女から求められていると感じた。

 だが、同時に気がついた。

 これこそが、天道が死後に御仏から託されたお務めなのではないかと。

 まだ悟りの開けぬ自分に、平和な浄土は早すぎるのだ。


「……事情はわかりました。その役目、喜んで引き受けましょう。みなの心の重荷を取りのぞき、我ができるかぎりの癒やしを与えましょう」

「あ、すいません! 本当にありがとうございます! すいません!」


 謝っているのか、礼を言っているのか、彼女の反応は天道にはよくわからなかった。

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