エピローグ

空が高くなり、街路樹の木々も色づき始めた10月半ば。

もうすぐ卓の3回目の命日が来る。

俺は、自分の指導を聞き漏らすまいと真剣に耳を傾ける、目の前の槙を感慨深く見つめた。

卓、槙はあの頃のオマエにそっくりだよ。

オマエが槙に託した願いは、ちゃんとコイツの中で生きてるぞ。

コイツは今、精一杯自分の人生を歩いてる。

自分で決めた道を、自分の力でな。

俺は、ほんの少しだけ手助けしてるよ。

なあ、聞いてくれよ、卓。

槙にも、俺とオマエみたいな友達がいるんだぜ。

コイツ等を見てると、オマエとの日々を思い出すよ。

今という時間が、どんなに煌めいてコイツ等の心に残っていくんだろうな。

眩しいな、卓。

オマエと過ごした日々も、眩しいよ。

眩しすぎて、目が痛いよ。


「……コーチ」


気が付けば俺は、泣いていた。

部室で二人きりの指導の中、自分の想いにふけりすぎてしまったようだ。

慌てて袖口で目尻を押さえる。

槙の声が、そっと静かに響いた。


「優さん」


槙の手が、目を押さえる俺の手に触れる。

冷たい手だ。

冷たい……


「……卓っ!」


思わず俺は、目の前の槙を思い切り抱きしめた。

涙が後から後から溢れて止まらない。

槙は俺に抱き着かれたまま、身じろぎもせずに立ちすくんでいた。


「……優さん、俺、槙だよ。父さんじゃない」


戸惑うような、槙の声が耳に届く。

ハッとして息を呑んだ。


「……ゴメン、そうだよな。槙、ホントに済まない……」


俺はそっと抱きしめていた腕を解いて、もう一度涙を拭いた。


「いいよ、そんな。謝ってほしいわけじゃないんだから」


槙は困ったような笑顔で俺を覗き込んでくる。

……やっぱり卓に似ている。

再び涙が溢れてきてしまう。

参ったな……、命日が近いせいかよ……。

コーチの威厳、形無しだ……。


「優さん、泣きたいときは泣いていいんだって。でも、いっぱい泣いたら前を見て」

「槙……」

「って、克也に言われたんだ、俺」

「猪瀬?」

「うん。俺が辛くて苦しかった時にね。この言葉、優さんにもおくるよ」


そうか……。

猪瀬、しっかり槙を支えてくれてんだな……。


「槙、良かったな。猪瀬に出会えて」

「ん……。克也がいたから、ここまで来られた」

「……そうだな。猪瀬を、大切にしろよ?」


槙はニコッと笑って、小さくうなずいた。

そして、キリッとした目つきで俺を見る。


「コーチ、指導の続きをお願いします」


晴れ晴れとした笑顔だ。

俺も、グッと唇を引き締める。


「須藤、オマエの弱点は、先(ま)ずな……」


グラウンドからホイッスルの音が響いてくる。

カタン、と小さな音がして、部室のドアを誰かが開ける気配がした。

机の上のノートがパラパラとめくれる。

俺の左手の甲を冷たい風がフッと通り抜けて……。

ああ、卓、今ここにいるよな?

分かるよ、オマエの気配。

心配すんなって、俺はしっかりコーチするぞ。

泣いちまってゴメンな。


「……以上だ。がんばれよ、須藤」

「はい、コーチ。ありがとうございました」


深々と礼をして、槙はドアを開けて部室を出ていく。

開け放った先に、猪瀬が槙を待っているのが見えた。


「お待たせ、克也!」


槙は嬉しそうに駆けていく。

その後姿をぼんやりと見つめながら、俺は右掌で左手をそっと温めた。

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