第13話

俺たちの箱根は往路の順位を守り抜いて、総合順位3位で終わった。

初めてトップ3に入った功績に、監督も部員も涙を流して歓喜に沸いた。

大手町のゴール地点で、まるで優勝でもしたかのような熱狂ぶりをカメラは幾度となく捉えてくれた。

表彰式でインタビューに応える監督も、満面の笑みだ。

2区の区間新記録を打ち立てた卓は相変わらずの応答だったが、この頃にはもう“須藤卓はカメラの前ではこういう人”というのが定着していて、インタビュアーも心得ていたようだ。

閉会式を終え、ひとしきりの興奮が納まると大手町も撤収にかかる。


「優、一緒に写真撮ってもらおう」


卓がデジカメを持っていた後輩に撮影を頼んだ。

ガッツリ肩を組んできた卓に応えるように、俺も肩を組み返す。

満面の笑みで写ったそれが、俺たちの箱根最後の写真となった。

周りが慌ただしく片付けている最中、監督が卓に近づいてきた。


「須藤、ありがとうな。オマエが来てくれて、本当に良かった。4年間、お疲れさまだったな」

「こちらこそ、監督にここまで引っ張っていただいて、感謝しかありません」

「優勝、経験させてやれなくて、済まなかった」


この大学じゃなければ、オマエはそれを経験できたかもしれないのに。

監督の小さく呟く声が聴こえた。

卓はゆっくりと首を横に振った。


「この仲間で箱根を走ることができて、俺は幸せでした。優勝よりもずっとずっと価値のある時間です」


監督がギュッと卓を抱きしめた。

4年間、それこそ親のような気持ちで卓の面倒を見てきたのだろう。

卓も満ち足りた笑顔で抱き返している。

真横でそれを見ていた俺も、胸に熱いものがこみ上げた。

それから3ヶ月。

卒業までの間俺は、陸上部自体は引退したものの朝のトレーニングだけは欠かさず続け、残り少ない大学生活を謳歌し、たまに百合音を訪ねて槙に会いに行ったりした。

箱根が終わった後、生まれてすぐの槙を病院で見たときは、正直サルみたいだなと思ったが、日増しにその顔はスッキリと整ってきて、会うたびに赤ちゃん特有の愛らしさを見せた。 

一方卓は、朝トレを俺と一緒にやって、そのあとは授業を受けたり百合音と槙の所に行ったりしていた。

もう新居の手入れも終わって住めるような状態になっていたようだが、やっぱりけじめだからと、卒業まで寮を出ずに俺たちと一緒に過ごしていた。

槙が生まれてからは、百合音に会いに行くのもちゃんと一人で行くようになり、2週間に一度ほどの割合で俺も一緒に、と誘ってくれた。

槙を抱く卓の顔は穏やかで、優しい父親振りを見せていた。


「アタシよりも抱くのが上手いのよ」


百合音が柔らかな笑顔で話す。

俺は、まだ首の据わっていない赤ん坊が怖くて、傍で見ながらそのぷっくりした頬をつつく程度くらいしかできなかった。


「可愛いだろ、優。さすが、俺たちの子だな」


ありふれた親バカを見せつけられて、苦笑する俺の横で百合音がクスクス笑っている。

卓は槙を溺愛していた。

良かった。

箱根の前までは正直、コイツは家族を顧みない奴になってしまうのではないかと懸念していたのだ。

百合音の幸せそうな顔も見ることができて、俺は満足だった。

卒業後、俺は実家に戻ってそこから会社に通う毎日となった。

一番最初に派遣された学校は、そこそこの実績を持つ高校で、若いパワーに圧倒されながらも楽しい日々を過ごした。

卓は予定通り、百合音の親が用意してくれた新居に移った。

企業に就職した卓はそこの陸上部に在籍して、仕事の傍らトレーニングに明け暮れていたようだ。

早速企業対抗マラソンなどの選手にも抜擢され、入社3年目の頃からは企業のTVCMの顔として、その姿を画面で見るようになった。

多分卓の要望だったのだろう、CMは奴がただ黙々と走る姿にナレーションが入るという形だった。

こんなんで企業の印象が良くなるのか?と心配になったが、卓は世間にかなり好意的に受け入れられていた。

大学時代インタビューでぶっきらぼうな受け答えをしていたのを、最初は失笑気味で捉えられていたようだが、カメラオフになった途端の変貌ぶりがどこからかネットで話題になり、瞬く間にファンが増えた。

イケメンはこういう時、得だなと俺は思ったものだ。

俺たちは全く違う生活をしながらも、2週間に一度は須藤宅に呼ばれて夕食を一緒に食ったりした。

大学時代の様な密接さは無くなったものの、程よい距離感で俺は須藤家の3人と付き合い続けることができていた。

槙は3歳の頃から合気道をやり始めた。

俺はてっきり陸上をやらせると思っていたから、どうして武道?と不思議に思った。

百合音に聞くと、体験させたら喜んでやったから、と答える。

陸上やらせればいいのに、コイツ足速そうだぞ?と言ったが、百合音は曖昧に笑うだけで結局陸上を始めさせることは無かった。

卓にも聞いたが、俺は陸上やらせたいけど、百合音がどうしても武道って譲らないんだよな、と答えていた。

それに俺は何事も槙の自由にさせてやりたい、槙には槙の人生をしっかり生きてほしいんだ、と話していた。

親からの抑圧に耐えながら高校までを過ごした卓の、子供に対する一番の願いだったのかもしれない。

そういう卓は、すでに実家とは音信不通の状態になっていた。

槙が生まれた時も、連絡はしなかったようだ。

CMに映る卓を見て、親はどう思っていたのだろう。

百合音も、実は会ったことも話したことも無いのだと言っていた。

めぐる季節を変わらず過ごした俺たちは、ずっとこのまま続いて行けると思っていた。

あの日、泣きながら電話を掛けてきた百合音の声を聴くまでは。


 

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