第8話

最終学年の5月下旬。

俺は珍しく百合音に呼び出された。

それも俺が寮から出やすいように、わざわざ土曜日の夜だった。

実家近くの公園に来てほしいと言われて、俺は実家に帰りがてら公園に寄った。

薄暗くなって街灯がともった公園のブランコに、百合音は小さく揺れながら座っていた。


「よ、どうした?」


俺はもうひとつのブランコに腰かける。

百合音は無言のまま、ブランコを揺らし続けていた。


「なんか、あったのかよ」


俺は前かがみになって、百合音の顔を覗き込んだ。

その顔は暗がりのせいなのか、少し青ざめて見える。


「……優、アタシ……」

「ん?」

「赤ちゃんができた」


キィーキィーとブランコ特有の、鎖の軋む音が響いた。

街灯が一瞬ぶれて見える。


「え……」

「子供が、できたの。卓の」


俺は一瞬何を聴いたのか、理解ができなかった。

卓の子ども?

途端に、カッと頭に血が上った。


「オマエ、何やってんだよっ。アイツ今大事な時だろ?!」


卓は功績を買われて、陸上部に力を入れている大企業から就職内定が出ようとしていた時期だった。

箱根の他にも駅伝公式戦を抱えて、卓自身、最後の学年を精いっぱい陸上に注ごうとしていた矢先なのだ。

しかし。

これは百合音のせいだけじゃない。 

卓だって悪い。

俺は冷静になろうと息を呑んだ。


「卓には話したのか?」


百合音はゆっくり首を横に振った。


「まだ……。どうしよう、どうしたらいいと思う?」


どうしたらいいって、俺にそんなこと分かるわけないだろ……っ!


「なんでオマエら気を付けなかったんだよ。って言っても、今更遅いよな。オマエ、どうしたいんだよ。俺は、正直諦めた方がいいと思う」


涙をいっぱいに溜めた目で、百合音は俺を振り返る。

何か言いたげだけど、言葉にならないようだ。


「だってオマエ、大学だって続けられないだろうし、卓だって困るんじゃねえの?」


その目から、大粒の涙が溢れだした。

……くそっ、俺だってこんなこと言いたくねえよ。

大体、本人よりも先に俺になんか相談するなよな……。


「どっちにしろ、卓に話せ。今すぐここに呼び出して」

「明日……。明日、家に来るから、その時……」


うろたえながら、百合音は震える声で呟いた。

その様子が痛々しく、俺はブランコから立って百合音の肩に手を置いた。


「……明日、な。卓に話せたら、俺にも連絡しろよな」


俯きながら小さく頷く百合音をゆっくり立たせる。

泣いてるとおばさん心配するぞ?

まだ言ってないんだろ?

道中言い聞かせるように話しながら、俺は百合音の肩をそっと抱いた。

家に送り届けるころには百合音の涙も辛うじて止まり、俺は明日の連絡を落ち着かない思いで待つこととなった。

翌日、昼前に卓が突然家に来た。

百合音からの連絡を待っていた俺は、一人で訪ねてきた卓に驚きつつも、努めて笑顔で迎えた。

そんな俺に、いつも通りの表情で奴は玄関を上がった。

あまりに普通なので、まだ何も聞いてないのか?と訝しげにチラ見する。

部屋に入るなり、卓は口を開いた。


「優、百合音から聞いた」


……聞いてたのかよ。

それなのに、この様子か?ずいぶん落ち着いてるじゃねえか。


「ったく……。どうするつもりだよ、オマエ」

「どうするつもりって、決まってるよ、結婚する」

「……は?」


思いがけない言葉だった。

ケッコン?結婚って、オマエ……。


「……責任とってって事か?オマエ、甘いこと言ってんじゃねえよ。俺たちまだ学生だ。それにオマエは、認めてもらえるのかよ、広島の実家に」

「それは、難しいだろうな」

「そんな状況で幸せになれるのかよ、オマエも百合音も。今回は諦めろ。諦めるように、説得するのがオマエの誠意だと思う」

「それは嫌だっ!」


突然卓は、俺の言葉を遮るように怒鳴った。


「諦めさせるのは、嫌だ。俺、百合音から話聞いたとき、真っ先にこの子に会いたいって思ったんだ。この子に会うためにどうすればいいかって考えたら、結婚だなって思ったんだよ」

「卓……」

「幸い俺は就職できそうだ。別に今更親に認めてもらおうとか思ってない。責任とるためじゃない、結果的にはそうかもしれないけど、俺の中では絶対違う」


いつもののんびりした卓ではない、キッパリと意志を伝えてくる。

切れ長の目が睨むように俺を見た。

しばらくの間、時間が空白になる。


「……そこまで思ってるなら、俺はもう何も言うことは無い」


俺はそっと顔ごと目を逸らして、呟くように言った。

卓がどんな表情をしているのか分からない。

しかし、小さなため息が聞こえたな……と思った瞬間、逸らした顔の反対側の肩に、卓が額を摺り寄せてきた。


「呆れてるのか?俺、やっぱり甘いのかな……」


くぐもった声が聴きとりにくい。

そうだよ、甘いんだよ、と言いたいところをグッと堪(こら)えた。

その代わり。


「オマエ、寂しかったんだもんな。あったかい家族、欲しかったんだろ?」


いつの間にか、そんなセリフが口をついていた。

弾かれたように、卓が顔を上げる。


「呆れてるよ、正直。でも、オマエが決めた事だ。俺は……、もう応援してやることしかできないよ」


俺は卓を振り返った。

そんな切なそうな顔、してんじゃねえよ。

オマエ、父親だろ?

百合音は大学を辞めることになるだろう。

こんな形で結婚するコイツを、企業は受け入れてくれるだろうか。

そもそも、百合音の両親が許すだろうか。

次から次へと心配事が溢れてくる。


「優……、ゴメン、大事にするって言ってたのに」


再び肩に頭を乗せてくる。

俺は諦めにも似た気持ちで、フッと笑った。


「頑張れよ、父ちゃん」


頬に触れる髪をクシャクシャとかき回しながら、仕方ない、俺はふたりの味方になってやろう……と心を決めたのだった。


  

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