第5話
やはり集団から遅れて渡った襷は、15位で引き継がれた。
タイム差は2分24秒。
やはりトップはかなり早いペース展開だ。
例年のこの順位なら、よほど遅くない限り2分以内で襷が渡るはずなのに。
この状況で15位、結構厳しい順位だな……。
そこにいる誰もがそう思った。
画面は快走するトップランナーを映し出している。
しばらくは画面に10位以下の大学が映ってくることは無さそうだな……と思っていた矢先、興奮気味の解説アナウンスが耳に飛び込んできた。
「……大学の須藤、あっという間に4人を抜き去っていきました!!かなりのハイスピードです!」
えっ!
俺たちは聞き間違いかと思って、ワンセグの画面にがぶりついた。
そこには、いつものごとく涼しい顔をしながら走っている卓が映し出されていた。
画面下に、15位→11位と書いてある。
まだ襷を受け取って5分と経ってない。
第三集団から抜け出すような形で順位を上げたようだ。
みるみるうちに、抜いた選手を引き離しているのが分かる。
そばに居た他の大学の連中が“須藤って、あの須藤か!”と話しているのが聞こえた。
インターハイでの活躍ぶりは、相当有名らしい。
にわかに戸塚がざわめき始める。
抜かれた選手が、焦って自分のペースを乱してしまうことがあるからだ。
実際、第三集団から抜きん出た卓を追いかけて、急にペースを上げた選手がいた。
一時は卓に追いつく勢いだったが、横浜駅が見えるころには無理なオーバーペースが祟って、かなり順位を下げてしまった。
卓はその後も全くペースを崩すことなく次々に先を行くランナーを追い越し、コース半(なか)ばで遂に第二集団を捉えた。
その時点で順位は8位。
4人が団子状になりながら気忙しく順位を入れ替えている中に、卓は切り込むように入り込んでいく。
もうすぐ第一の山場、権太坂に差し掛かるというところで、卓のペースが更に上がった。
ダラダラと続く坂を一気に駆け上がっていく。
第二集団の選手たちが、一様に驚いた表情でその背中を見送ったのをカメラが捉える。
「素晴らしい走りです!これで順位は4位に上がりました!」
……すごい!すごい!何だよ、オマエ、カッコよすぎるよ……。
しばらく卓の姿を映していた画面は、再び独走態勢のトップ走者に戻る。
戸塚まであと5km地点のタイムが速報された。
トップ通過から28秒過ぎて2位、32秒で3位が通過する。
「……あっ、卓!」
3位を見送って振り返ったカメラに、卓の姿が映った。
相当スピードが乗っているのか、あっという間に画面に近づいてきて、その横を通り過ぎた。
トップとの差が41秒。
ラスト3kmは、通称“戸塚の壁”と呼ばれる上り坂の連続だ。
長距離を走ってきて、最後の最後で叩きつけられる試練。
かなりのスピードでここまで来た卓は、大丈夫だろうか。
俺たちの心配をよそに、苦しそうな表情で懸命に走っている3位ランナーの横を、悠々と抜き去っていく卓が画面に映る。
卓の背後から構えたカメラは、すぐ間近に2位のランナーの後姿も映し込む。
「……っ、これも抜くぞ」
記録担当の先輩が興奮しながら拳を握りしめた。
「須藤、追いつきます、追いついて……追い越しました!13人抜き!」
解説アナウンスが抑えきれない様子で叫ぶ。
俺たちも一斉に歓声を上げた。
「まだ余裕があります、須藤!」
あと1kmというところで、トップランナーの遠く背後に卓の姿が見え始めた。
後ろから来るぞ!とトップの大学監督が叫んでいる。
1kmのタイム計測係からの連絡で、トップとの差は20秒らしい。
およそ100mの差が付いている。
トップはチラリと後ろを振り返って、更にペースを上げてきた。
卓もすごいが、このランナーもこれだけの余力があるとは。
二人の差は縮まらない。
あと300mあたりで、トップが襷に手を掛けた。
もうすぐ選手が戸塚中継所に滑り込んでくる。
トップを走ってくる大学の3区ランナーがスタンバイした。
そのすぐ横で、俺たちの大学も待機する。
こんなに早く襷が運ばれてくるとは思ってなかった。
3区は、4年のベテラン先輩だ。
最後の駅伝に、力のすべてを注ぎたいと言っていた。
俺は大判のタオルを手に抱えて、卓を待った。
トップランナーが襷をつないだ。
入れ替わるように、4年の先輩がスタンバイする。
トップから遅れて17秒、卓の手から先輩に襷が渡った。
弾かれるように駆け出した先輩の横で、卓は急激に失速する。
「……卓!」
俺はタオルを広げて卓に駆け寄り、その身体を全身で受け止めた。
「……あーー、一番乗りしたかったのになーー」
崩れ落ちそうになる足を踏ん張りながら、卓は俺を見上げて笑った。
「2位まで順位を押し上げたんだ、すごいよ、十分だ」
ふらついている肩をグッと掴みながら、待機場所に向かう。
卓はもう一度ハハッと笑って、そのままうつむき加減に黙り込んだ。
気が付くと、卓の右手が俺のベンチコートをギュッと掴んでいる。
「優、俺……」
「卓!すごい、頑張ったね!!」
何か言いかけた卓の声に、駆け寄ってきた百合音の声が重なった。
「あ、百合音。ありがとうな、優から聞いたよ」
汗にまみれた顔を上げて、卓はタオルを額に引き寄せながら言った。
え、何?
百合音は俺の方を見て不思議そうに尋ねる。
あのアドバイス、オマエからだったんだって教えたんだ、と答える。
「あはは、ゴメンね、分かったような事言っちゃって。……ホント、卓すごいよ」
感動のあまり涙ぐんでいる。
こんな百合音、初めて見た。
卓はニコッと笑ってもう一度ありがとうと言うと、再びゆっくり歩き出した。
Cチームの部員たちが、次々に満面の笑みで迎え入れる。
それに笑顔で応えながら、シューズを脱いで待機場所のシートの上に座り込んだ。
「須藤、入ってすぐで悪いけど、少し休んだらオマエは芦ノ湖に向かわなきゃならないんだ。大丈夫か?」
先輩の問いかけに、ポカリを飲みながら頷いて応える。
落ち着いたところで、今の状況をワンセグで確認する。
先輩は、頑張って2位をキープしているようだ。
俺たちは待機場所を引き払えるように、卓の周りを片付け始めた。
卓も一緒に片付けようとする。
「いいから、オマエはちょっと休んでろって」
そこに居た部員たち全員が、口々に制する。
卓は照れたように笑って、じゃあ、遠慮なく……と寝ころんだ。
そこまでリラックスするのもどうかと思うほど、奴はお構いなしにゴロゴロしている。
終いには、4年に“もう起きろっ”とたたき起こされてしまった。
結局、往路の順位は4位だった。
5区の最後で、後ろから追い上げた2校に抜かれてしまったのだ。
それでも、この大学には歴代最高順位だ。
芦ノ湖で往路ランナーたちは部員たちに周りを囲まれ、その快挙を称えられた。
この順位に導いた功績者は、区間新記録まではいかなかったものの、2区の区間賞を取った。
テレビのカメラが卓のインタビューを撮りに来て、いろいろと質問をし始める。
ここで、卓の意外な一面が明らかになった。
だいたい選手のタイプは2種類に分けられる。
マイクを向けられて、熱っぽく語るタイプと淡々と話すタイプだ。
卓は後者であったが、それがあまりに極端だった。
どんな質問に対しても、ハイかイイエでしか答えず、ごくたまにそれ以外の言葉を発するときもたった一言で黙りこくってしまう。
全くの無表情で答えるその様子に、俺たちはハラハラした。
インタビュアーも、取り付く島もないほどのそっけなさに、張り付いた笑顔を辛うじて保っている。
あまりにも会話が続かないので、インタビューは早々に打ち切りになった。
カメラが止まると同時に、卓はほうっと息を吐いた。
「……すみません、緊張しちゃって」
途端にはにかんだ笑顔を見せながら、申し訳なさそうにインタビュアーに謝っている。
そのあまりのギャップに、マスコミはもちろん、俺たちも驚いた。
須藤、オマエ全然違うじゃねえか、カメラにもっとアピールしろよっ。
先輩たちが容赦なく小突いている。
わ~~、先輩やめてください~~~。暴力反対です~~。
屈託なく人懐こい様子に、さっきまで憮然としていたマスコミも思わず笑みがこぼれた。
このアンバランスな性格と、端正な容貌。
そして陸上選手として申し分のない実力。
どれも卓だけど、どれも違う顔だ。
激しいギャップが、奴を思いのほか魅力的にみせていた。
インタビュアーとカメラマンはチラッと目配せして、その場を離れていった。
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