そして僕らは友達になる3

 ヒカゲは意識を取り戻し、呻きながらもうっすら瞼を開ける。眩しさはなく薄暗い。

 床に寝かされているのか、冷たい。思わず身震いをする。

 薄暗さに目が慣れてくると、そこはよくある体育館だと判断できた。どこの体育館かまでは判断ができない。唯一わかるのは自分が通っていた学校の体育館ではないことだけだ。

 天井のライトは消され、分厚い遮光カーテンで外の景色は閉ざされている。犯人が用意したとしか思えないランプが床にいくつか置いてあり、それが頼りなくも頼もしい灯だ。


「っう」


 頭がいたい。殴られたようだ。手を当てようとして腕が動かない。縄で縛られているが、あまり強くないのか手首は痛くない。見渡す限り、ヒカゲを誘拐した人物は見当たらない。


「……どういうつもりだ?」


 縄で手首は縛られて後ろに回されているが足は無事だ。手だけ縛れば問題ないとたかをくくられている。まさか囮だとは夢にも思っていないようだが、残念だったな、とヒカゲは予め服に仕込んでいた細い針を指先につまんで縄に切り目を入れていく。

 後は力で引っ張れば抜け出せるというところで針を床に落とす。

 怪談のように並べられたランプのうちの一つの近くにはボストンバックが二つ並んでいた。

 黒と黄色だ。黒はチャックが閉まっているが、黄色の方は開いたままで、ボストンバックの形状もしっかりしておらず、中に何が入っているのかが気になった。ヒカゲが手を使わず立ち上がって見に行く。空っぽだった。

 殴られた痛みは治らないし、体育館の冷たくてかたい床で気絶していたせいか、それとも乱暴に放り投げられるなどして扱われたのか身体の節々も痛い。災難だ、とヒカゲは嘆息する。

 妹のお願いをきいてしまったせいで危険な状況に陥ってしまった。早く妹が来てくれればいいが、気絶していた時間は不明にしろ、現在妹が傍にいないことから考えるにすぐには駆けつけられないのだろう。

 ふかふかのベッドで横になりたかったし、またワックスの匂いがする床へ横になりたくはなかったが、犯人が戻ってきたときに油断されないと困るので諦めて横になる。


「あぁ、全く今日の星座占いは最下位だったか」


 状況は整理するまでもなく、いくつか不明点もあるものの明白だ。

 この状況から早く抜け出したい。危険に陥れば陥るほどに、人を殺してしまいそうで不安になる。人を殺したくない。人を殺したい感情や欲望、欲求は理解している。だが、その欲望にははしりたいない。

 危ないことはしたくないのに、なんて馬鹿な行動をしたのだろうか。アゲハの気持ちなんて無視するのが正解だった。

 ところどころに何故があるが解決する必要もないだろう。どうやってこの状況を切り抜けるかの方が重要だ。

 瞼を瞑る。視界が暗くなる。早くアゲハが来ないかな、と思っているとき本来ならばこの時間には空かない体育館の扉が開いた。

 目をつぶって気絶から目覚めていないふりをする。人が近づいてきた。荒い呼吸が聞こえる。アゲハではない。

 目を閉じていても相手が興奮しているのがわかる。ヒカゲを殺そうとしている。

 あぁ。と思った。殺されかけたらアゲハが助けるはずだったのに、間に合わなかった。計画が狂ってしまった。

 殺されたくはない。殺される予定も計画もない。

 ヒカゲがパチリと目を開けると、見知らぬ男が興奮しながらナイフを振り上げようとしていたのが嫌というほど視界に映った。

 口が裂けそうな笑顔と、起きていたとしった驚愕の瞳が一緒に現れてピエロのようだと思いながら、押さえつけられていなかった身体を転がしてナイフの先端を避ける。振り下ろされたナイフは、床にあたって音を立てた。舌打ちが聞こえた。ナイフを振るわれる前に、切り目を入れた縄を力任せに破って、両手をついて身体を浮かして油断している男に蹴りを入れる。

 力が入りきらなかったから相手のバランスを崩すだけで終わったが十分だ。

 ヒカゲはそのまま左足は床にしっかり重心を置いたまま、右足で相手の顎を蹴る。脳を揺さぶる動きに相手は昏倒した。あっけないものだ、と腕に残っている切れた縄を外す。


「全く人を殺そうとするなんて言い度胸だ。大体、僕は男だ。狙う相手を間違えているぞ、馬鹿なのかな」


 男を睨みつけると、昏倒した時の衝撃か、鼻血が流れていた。

 血液。血。真っ赤な液体。ぞわぞわと身体が痺れて思わず両腕を握りしめる。

 男の顔は直視すれば整っている。黄金比のように美しくて、端正な顔立ちから漂う何処か中性的な甘い雰囲気。線が細く、染みのない顔。手入れのされた黒髪。モデルのような身長。

 甘美な匂いが漂っている。ヒカゲは慌てて目を逸らす。あれは見てはいけない顔だ。

 ヒカゲは殆ど無意識のまま両手が自由になったので黒い方のボストンバックを開けると、人を殺すための道具が詰められていた。中には買い物袋があるのが非現実的。

 魔力に引き寄せられたように鈍く光る折り畳みナイフを取り出す。鏡のようにヒカゲの瞳を映し出す。

 ――試してみたい。

 思わず浮かんだ誘惑を打ち消そうとするのに気づかないうちに時間がたったのか昏倒していたはずの男が襲いかかってきた。


「っい」


 ナイフがヒカゲの腕を掠める。鋭い痛みがおそう。気絶した男からナイフを奪うことをしなかったのは失策だ。男の顔を見たくなくて、その指先すら見たくなくて近づいてはいけなくて逃げていた。


「余計なことをしてくれたな!」


 耳に響く声。憤怒に彩られた、誘惑的で蠱惑的な美声。


「殺されかけているのに無抵抗で死ぬわけないでしょ、馬鹿か」

「殺させろ」

「嫌だね、僕に殺されたい願望はない!」


 魅了にかかったように顔から眼が離せない。その間に、腕を掴まれた。力で押し倒されてしまっては敵わない。咄嗟に脛を蹴る。

 痛みで手の力が弱まったので無理やり剥がすように距離をとってナイフを投げると太ももに刺さった。

 痛みで男は悲鳴を上げながらも、形相歪めて襲い掛かってくる。


「っ――」


 痛みと必死さが混ざり合った顔にヒカゲは顔を歪める。鈍痛は収まらない。身体を今度こそ力任せに倒されそうになる。

 ヒカゲは呻きながら一度地面へ倒れる選択をする。力加減を間違えて男はバランスを崩したのを見て、ヒカゲはそのまま太ももに突き刺さったままのナイフを抜き取る。血しぶきが上がる。綺麗な色だ。染め上げるならば赤が好きだ。

 ナイフを抜き取った太もものところに爪を当てる。傷口の内側へ入ろうとする不快感と異物感に男は絶叫する。男とは思えない甲高い悲鳴。

 耳障りなはずのノイズは綺麗でとろけるように心地よい。

 苦痛にまみれた絶叫をもっと上げて叫んでほしい。

 楽しさを快感をくださいと抉りながら空いている右手で左足をナイフで突き刺す。

 望んだ悲鳴が上がった。楽しい。

 恍惚しながらヒカゲはナイフにこびりついた赤と、男の涙にぬれた顔を見る。


「あはっ」


 このまま甚振ってしまえ。

 この男は――と、思ったところで寸前のところで高まっていた気持ちを抑える。心臓が痛い。自分の胸を掴む。


「違う、僕は人を殺したりはしない」


 呼吸を整える。興奮が収まらない。自制できない。男は懇願している。

 殺さないで、やめて、と悲鳴を上げているのが右から左へと流れて落ち着きたい気持ちを変えそうになる。


「やめろ、うるさい。騒ぐな」


 殺したくなる。


「お前の顔は、駄目だ。お前の顔は、美しいから駄目だ」


 ナイフがあるからいけない。振るえる右手を左で押さえつけながら血の付いたナイフを床に置こうとしたとき悲鳴があがった。

 ヒカゲを殺そうとした男ではない。

 悲鳴を聞いたのは初めてだが、聞きなれた声色だ。

 虚ろな瞳と億劫な首を動かすと、開けっ放しだった扉を支えにして同級生が立っていた。足はガタガタと恐怖で震えている。


「――黒月、お、お、お前」


 震えながらも辛うじて聞き取れる声で、同級生は女装をしたヒカゲに声をかけた。


「な……なんで、お前がここにいるの」


 ヒカゲは怪訝な顔をしながら一歩踏み出そうとしたが、それを拒絶するように同級生が恐怖で顔を歪めて引き下がろうとして失敗して転んだ。


「つ、通報しなきゃ」

「待て!」

「黒月が、人を殺す場面何て、見たくなかった」

「ちがう!」


 勘違いだ。人を殺そうとはしていない。殺されかけた。

 だが、現状だけを見たら誰がどう思うかなんてわかりきるほどには、理性を失ってはいない。

 正当防衛を言うにはやりすぎだ。過剰防衛。

 ヒカゲは殆ど外傷を追っていないのに対して、男は床に倒れて痛みでのたうち回っている。

 賢い同級生の勘違いを加速させるのに女装も一役かっている。

 目撃者がいても女だと勘違いされて捜査をかく乱するためだと信じて疑っていない。

 恐怖で話を聞いてはくれないし、何を言ったところで信じてはもらえないだろう。

 ――あぁ、駄目だ。

 ――この展開は駄目だ。

 鞄の中から慌てて携帯を取り出したのが見えた。通報しようと震える指先がボタンを押す。

 咄嗟にヒカゲは床に置こうとしてまだ手に持っていたナイフを投げた。

 ナイフは真っすぐ飛んで、ヒカゲの狙い通り同級生の手首に当たった。

 悲鳴が上がると同時に携帯が床に落ちた。ヒカゲは駆け出して携帯を踏みつけて壊す。まだ電話はされていなかった。安堵する。犯人は相手だとは言え、この状況で警察を呼ばれたら困る。

 困る理由があった。

 同級生はしゃがみ込んでナイフが突き刺さった手首を抑えている。ナイフを抜こうとしないのは血があふれるのを懸念してか――いや、痛みでそれどころではないだけか。

 涙を浮かべている同級生を見下げる。


「どうして、どうしてこんなことをする」

「お前が通報しようとしたからだ。いっておくけど、僕は人殺しじゃないよ」

「嘘だろ。だったらなんでこんな状況なんだ」

「誤解だよ」

「誤解じゃないだろ。犯人だってもう少しまともな嘘をつく」


 会話が通じないのがうっとうしくて、ヒカゲが蹴飛ばすと面白いくらい転がった。

 まな板の鯉に同級生が見える。怯える瞳。逃げようとして足がもつれて何もできていない。ゆっくり歩いていたはずなのに、距離がつまった。

 つき刺さったナイフが痛そうだったので抜いてあげた。

 血しぶきが上がった。傷つけてはいけない血管も傷つけていそうな勢いで吹き上げる。

 痛い、痛い、痛い、痛いと悲鳴を上げている。傷ついた手首を踏みつける。潰れたような悲鳴が上がった。楽しい。面白い。

 悲鳴は好みの旋律じゃないのに、泣きわめく顔は望んだ美貌じゃないのに、とても楽しかった。

 顔を殴りつける。鼻血が出た。前歯が折れた。


「あはっ」


 手が止まらない。ナイフで切り付ける。赤。零れる鮮血。綺麗な色。

 やめてと懇願する声が心地よく感じられた。だから、とまらなかった。

 気づいたときには悲鳴が上がらなくなっていた。しまったと気づいてナイフを握る力が消えて床に落下する。


「あぁああああ」


 両手は、黒の手袋をしていたはずなのに真っ赤だった。

 頬についた血を拭う。赤い。

 嘗て同級生だった男は、死んでいた。


「――嘘だろ。起きろ、起きて、起きてくれ」


 胸元を掴んで顔を起こすが、反応は一切ない。呼吸もない。腫れあがった顔は、赤く染まった身体は生命活動を終えている。


「嘘だ、嘘だ」


 現実を否定したいのに、眼下の景色は変わらない。


「お前が死んだら困る。僕が、何のために――お前と一緒にいたと思っているんだ」

「なんのために一緒にいたんだよ」


 答えがないはずの叫びに返答があった。死体ではなく悪魔の声だ。

 振り返る。体育館の倉庫側の扉に那由多が腕を組んで佇んでいた。那由多は最初から体育館にいて気配を消して様子をうかがっていたのだと理解して、舌打ちをする。気づかなかった。気づいても良かったのに、思考がそこまで回らなかった。


「そんなの簡単だ」

「なら、教えてくれよ」

「僕が人を殺さないために決まっている」

「どうしてそいつが人を殺さないためのピースとして必要なんだよ」

「この男の顔は、僕の好みじゃないから」


 懇願が悲鳴が、苦痛に歪んだ顔が、絶望した色が、泣きわいたその涙が、いやだという言葉がヒカゲを興奮させて快楽に浸らせる。

 顔が――顔が美しいと殺したくなる。

 その顔を歪めて悲鳴をあげさせたい。甚振りたい。常々抱えていた衝動であり欲望。

 抑えるためには、この真面目で平々凡々で美人でも美形でも美女でもない、眼鏡の同級生がありがたかった。だから一緒にいた。


「この男の顔なら、殺したいと思わないからだ」


 ヒカゲを友達だと親友だという物好きの同級生の顔は、殺したい衝動を抑えてくれる――はずだった。


「ははっ! 愉快だ、傑作だ、滑稽だな! 随分とそいつは不運な理由で傍にいることを許容されたんだな、ま

ぁ結局最後は好みではない顔ですらお前の欲望を抑えきれないみたいだが」


 那由多の言葉が槍のようにぐさぐさとヒカゲの心に突き刺さる。


「お前はどうしてこんなことをした、どうして僕を嵌めようとした」


 通報されたら困る理由は、那由多が今回の件にかかわっていると途中で知ったからだ。

 この場にいない那由多に下手な工作をされる恐れがあった。そうなったら手詰まりだ。


「はめた? 冗談。オレは手伝っただけだよ、ヒカゲが人を殺すのを」


 てくてくと那由多は運動靴を滑らせながら、四人の少女を殺した男の縋るような手を退かして腹部を踏みつける。どうしてと叫んだ困惑は潰れた悲鳴で消える。

 ぐりぐりと那由多が甚振るように男を踏みつけるから、ヒカゲの顔が面白いほどに歪む。


「あぁ、この男の顔は、お前好みか。羨ましい嫉妬したくなるほどのイケメンだもんなぁ」

「――」

「なら、殺したらいいだろ。そんなお前好みじゃない男をいつまでも愛おしそうに抱きしめてなんていないでさ! 殺せよ! 好きな顔を! その方が楽しいぜ!」


 役者のように那由多は言う。ヒカゲはそれでも踏みとどまろうとした。

 まだ、まだ一人だけだ。これは不可抗力だ。

 そんなヒカゲの悪あがきを見抜いたように那由多は笑いながら、踏んでいた足を退かして男の髪の毛を掴んで、ヒカゲに顔がよく見えるようにした。

 造形が整った顔。

 瞳は泣きすぎて真っ赤だし、鼻水は垂れて、口からは涎が零れている。それでも美形で、もうやめてくれという顔は――凄く、興奮した。

 那由多が髪の毛を掴んでいる左手はそのままに、右手でクルクルと鋭利な刃物を弄ばせながら、男の顔に近づけると、恐怖で歪んだのが、ヒカゲにはよく映った。目をそらしたいのに、逸らせない。瞼を瞑ればいいだけなのに瞬きを忘れてしまったかのように何もできない。

 那由多が遠慮なく顔は避けて肩にナイフを突き刺す。悲鳴が上がる。

 質の悪い拷問映画でも魅せられているような気分になる。なのに高揚する。


「やめろよ」

「嫌だね。だってヒカゲはもう少しでこっち側にきてくれそうじゃん。どうして、それをここでやめられる? 崖の前に立っている人間は、突き落とすものだろ? 綱渡りしている人間の背中はおすものだろ」


 男はただ嬲られるだけ。刃物で身体に穴をあけられていく。


「――うるさい、僕は人を殺さない」

「もう一人殺したんだから同じだよ。同じ同じ、一人殺したって二人殺したって、人殺しには変わりない。大体、こいつなら四人殺している犯人だからまだしも、同級生君は完全な被害者だろ。お前に余地なんてねぇよ。どちらにしろ地獄に落ちるのならば、楽しんだらどうだ」

「僕は、普通に大学に進学して、企業に就職して、暮らすんだよ……」

「欲望を消化することなく、ため込んだまま普通に生きて楽しいのかよ。少なくともオレはそんな人生まっぴらごめんだ。ほら、よくいうだろ? 在り来たりで陳腐だけど最高な言葉。一度しかない人生楽しまなくちゃ損だって。いいよな、あの言葉。オレは好きだぜ」

「いや、だ。犯罪はいけないことだ」

「今更今更。同級生は生き返らない。そもそも、お前の顔、めっちゃ殺したいって言っているぞ? それを発散しないで、お前はこのまま同級生を殺した男として警察に捕まりたいのかよ。捕まったらもうお前の望んだ普通の大学に進学して普通に就職も無理だな! ははははっ!」


 嘲るような言葉に、ヒカゲは言葉を詰まらせる。


「戻る道なんてねぇさ。なら、快楽のままに生きたほうがいいだろ――友達になろうぜ、ヒカゲ」


 甘い。悪魔の甘言。甘さが壁を崩壊させていく。一度崩れ落ちたものは戻らない。


「――那由多」

「お、初めてオレの名前をよんだな。忘れているかと思ったよ。なんだ?」

「友達になるなら、僕にその男を殺させて。好みの顔なんだ」


 男の引きつった絶望に満ちた顔も好みだった。端正な顔が歪む様は心地が良い。


「いいぜ」


 那由多は嬉々として男をヒカゲへ手渡した。男は嫌だ、と喚いたが、那由多の手にあっても悪夢には変わりないだろと思って笑う。


「あぁ――」


 ヒカゲが恍惚する。美人を殺すのはなんて――楽しいのだろう。



 男と同級生の死体を那由多が鉈で分解していく様をヒカゲは壁を背もたれにしながら眺める。鉈は黒のボストンバックに入っていた。細切れにされた死体はパックに移されて空っぽだった黄色のボストンバックの中に入っていく。


「お前……こういうシーン平気なんだな」

「別に。もう死んでいるだけだし。楽しいとは思わないけど」


 アゲハが犯人をおびき寄せるためにコーディネートした服は赤く染まった。ワンピースは黒だからまだ目立たないがリボンタイのブラウスは赤くまだらに染められている。特に手元が酷い。着替えはあいにくない。外に出たらいくら夜だとは言え、アウトだ。ヒカゲは着替えが欲しいなと思っている間にもどんどん黄色のボストンバックの中身が詰まっていく。

 那由多が食べる死体。食べない残った部位だって、那由多が魔法のように消滅させるだろう。コツコツと鍋で煮込んだ先は果たして何になるのか。


「肉塊になっていく過程は別物だと思うけどな、まぁいい」


 指先をパックに入れる。丁寧で、粗雑さのある那由多と同一とは思えなくて思わず笑う。


「那由多……お前が今回仕組んだことの回答合わせをしたい」

「いいよ。どうせお前が考えた通りだ。オレの浅知恵じゃそんな難しいことは思い浮かばないしな」

「そうだね。何度も僕を出し抜けるわけではない」


 ただ、今回は那由多が人殺しの先輩だったから企めた計画に過ぎない。


「お前は僕に人殺しをさせたかった。そこに丁度舞い降りてきたのが、中高生の少女を狙う殺人犯。だが、それだけでは僕を人殺しにさせる理由はない。僕は男だし、相手が狙ってくる理由もなかった。でも、幸運の女神は那由多に振り向いた。お前は僕が女装をしてその男を探していることに気づいた。だから、お前は殺人犯に接触をした。類は友を呼ぶとでもいえばいいのかな。いや違うか。お前は最初から殺人犯の正体を知っていたのか」


 どうして、と苦痛の中でも驚いた男の顔が――蘇らなかった。

 美形だったことは覚えているのだが、目の前の肉塊はもう顔の原型をとどめていないため主出すための材料にならない。


「那由多は人殺しをしてくれる相棒を探していた。だから、最初からこの男の存在を知っていた。でも那由多のお眼鏡にはかなっていなかったから、これまで接触はしなかった」

「正解。あいつはいずれ捕まる。だったら接点はない方がいいからな」

「けど、今回僕が男を探しているから利用することにした。男に近づいて、オレが死体処理をするといって言いくるめた」

「大正解。その通り。人を殺しすぎて警察の目がしんどい。だから死体を処理するのに男は困っていた。オレの存在を利用しない理由がなかった。誘いにのった男が街を徘徊していると、好みを具現したようなヒカゲが現れた! もうオレはニヤニヤがとまらなかったね!」

「アゲハのコーディネートのお蔭だね。犯人好みにまったく仕立て上げてくれたものだよ」

「そうだな。あいつはお前が男だってことすら知らなかっただろう」


 ヒカゲは男に誘拐された公園を思い出す。振り返った先にいたのは那由多だった。そのせいで一瞬油断をしてしまった。

 那由多でなければ、こんなことにはならなかった。公園で気絶することもなく今頃、アゲハが復讐を果たしていた。


「そして僕の護身術なら、男を返り討ちに出来ると確信していた」

「そうそ。今回はうまい具合にオレに運が向いてくれた。宝くじでも買えばよかったかな?」

「那由多はもう一つ手を打ったんだ。同級生に僕が人を殺す場面を見せる。真面目な同級生は警察に通報をする。そしてそれを僕が止める。那由多の目論見は大成功だ! まぁ、予定外があるとすればその時既に男は死体となっているはずだったってところかな」

「正解花丸百点満点だ。流石に殺す寸前で思いとどまるとは思わなかった。転がり落ちる坂の途中でなんてとまれない。まぁ、どっちにしろ構わないけどな」

「僕が道を踏み外せばよかったから。同級生という目撃者を作らせた。僕が同級生を殺さなくても用が済んだら殺すつもりだったんでしょ。もしこの作戦が失敗しても次があると那由多は踏んで。何せ僕は那由多を通報しない、ならチャンスは一度きりじゃない」

「同級生君はいい仕事をしてくれた。だからビーフシチューにでもしてやるつもりだ」

「手向けの花のつもり? 質が悪くてびっくりだ」

「ヒカゲを食べることがあったらそうだな……その時はパンケーキの素材にしてやるよ」

「人をどうやってパンケーキとくっつけるのさ。そんなことして召しあがられたくないね。パンケーキに対する侮辱だ」

「オレは複雑なことをやる頭はねぇけど、笑えるくらいうまくいって良かったよ。本当に今回は運が良かった。お前を狙って虎視眈々と周辺を嗅ぎまわっていたかいがあるってもんだ」

「最悪のストーカーだ」

「ははっ! あぁそうだヒカゲ。お前の友達を減らしてしまって悪かったな」


 全く悪くなさそうな口ぶりで那由多は片目をつぶっていう。


「別に、構わないよ」

「どうでもよさそうだな。まぁ一方通行の友達なんてそんなものか。同級生君にとっては友達でも、お前にとっては人を殺さないための予防でしかなかったわけだし。可哀そうだな。あ、そうだ、そうだ。忘れるとこだった、ヒカゲに一つ聞いておきたいことがあったんだ」

「何?」

「こいつの名前なんていうんだ? 隣のクラスだからオレしらねぇーんだよ」

「……知らない。誰だっけ」


 尋ねられて名前を答えようとしたが出てこなかった。この間まで名前で呼んでいたはずだが出てこない。

 半分くらいなくなった同級生の身体を見る。同級生だったことしかわからない。


「は? お前のクラスメイトで一応は友達だったんだろ」

「そうだよ。そのことは覚えている。でも」

「……でも?」

「こいつの顔も名前も声も覚えていない」


 冷たい言葉に、那由多は、ははっと腹を抱えて笑った。鮮烈な笑みだった。


「なるほど、興味がない対象は記憶から抹消するって? はっ! 愉快だなお前! まぁいいけど。ここには誰も来ないし、暫くはくつろげるから色々話そうぜ! 語りあかそう」

「楽しそうなところあれだけど、人は来るよ」

「は? 警察がか?」


 通報はさせてないし、ヒカゲが通報をするはずは万に一つもない。那由多が怪訝するとヒカゲは肩を竦めた。


「僕の妹」

「あぁ……でも、この場所にまでは」

「来るでしょ。友達の敵うちを、復讐を企んでいた妹が」

「そりゃまずいな。ヒカゲの妹を殺すつもりはない。さっさと食材をしまってでるか。いや、準備してきているオレはともかく、お前は無理か」

「そうだね、どうせ僕を人殺しに誘うなら着替えくらい用意してもらいたかったものだ」

「そこまでは頭が回らなかった」

「ホント中途半端で成功したのが奇跡に思える杜撰さだ」

「オレの家から着替え持ってくるから待ってろ」


 黄色いボストンバック一杯になった死体を一度外へ運び出してから、那由多は戻ってきて黒のボストンバックの中身を体育館の倉庫に隠して空になったそれに残りの死体を詰めていく。


「じゃ、とりあえず後程」


 男一人分の死体を軽々と担いで那由多は出て行った。体育館の二重の扉が両方空いた一瞬だけ冷たくて新鮮な風が入り込んできた。

 ヒカゲは眠いな、と欠伸をして那由多の戻りを待っていたが、それよりも早いタイミングで再び血なまぐさい空間に安らぎの風が舞い込む。

 那由多は間に合わなかった、とヒカゲは思った。つくづく今日は運が向いていない。


「兄貴!」


 アゲハがやってきた。アゲハは濃厚な血の香りに一瞬だけ眉をひそめてから、ヒカゲに近づく。


「アゲハ。遅かったね」

「仕方ないじゃない。車で移動されたら追いつくまでに時間がかかわるわ。GPSって案外役に立たないわね、早くバイクの免許でもとらないと」


 妹に見られたのに何でもない様子でヒカゲは話しかける。

 アゲハも返り血塗れのヒカゲを気にした様子はなく、周りの方が気になるようで視線をさ迷わせて目当てがなかったことに落胆する。


「……兄貴。私の友達を殺した殺人鬼は」

「死んだ。僕が殺した」

「そう、わかったわ」


 アゲハは踵を返して、こんな血なまぐさい場所にいるつもりはないと背を向けた。ヒカゲは声をかける。


「悪いね、アゲハが殺したかったのに。僕が横取りしてしまったよ」

「いいわよ、別に。生きていないのならばそれでいいわ」

「そう。そうだね、生きていてもいいのなら警察が逮捕するのを待ったよね、アゲハは。待てないから僕に女装を頼んだ。死刑になるにしたって、一年以内に速攻死刑になるわけじゃないなら、自ら手を下した方が早いし確実だよね」

「えぇ、そうよ。この手で殺せなかったのは残念だけれども死んでいればいいわ。二度とこの世を謳歌できないのならば、それでいい。でも兄貴」

「なんだい?」

「兄貴は最初から最低だったけれど、でも人殺しはしないで踏ん張っていたのに、もう越えちゃったのね」


 少しだけ寂しそうな顔をしたアゲハに、ヒカゲは


「そうだね。越えちゃった」


 簡単に答える。


「――死ねばいいのに」

「じゃあ頑張ってアゲハが殺してみたら」

「そうね。いずれはそうするけれど、でも今はやめておく。兄貴を殺すよりも友達に犯人死んだよって報告しないといけないからね。それじゃ、兄貴――ありがとう。そして、ごめんね」

「何? 僕が人を殺す間接的な原因になったことをアゲハは悔いているの? 珍しいね。兄が嫌いなせいなくせに」

「そうよ。嫌いよ、大嫌いよ。でも、私のせいだったら流石に申し訳ないと思うじゃない? 今晩くらはごめんなさいって謝るわ。ところで、一つ聞きたいんだけれど」

「なんだい?」

「兄貴がこれ全部やったわけじゃないわよね? 死体処理。死体がないのに血まみれで立っている理由も特にないはず。共犯者は誰? あの、不良っぽい人? それとも真面目な顔の眼鏡?」

「不良っぽい方。那由多。人を食べるんだって」

「最悪ね。那由多さんがここにいなくて兄貴だけが暇そうに突っ立っているってことは、血まみれじゃ外に出られない兄貴の着替えでも持ってくるのかしら?」

「そうだね、その手はずだ」

「なら私は帰るわ。必要なら洋服くらいは届けようかと思ったけれど、それもいらないみたいだし」

「早く帰って、墓前に報告しな。おやすみ」

「えぇ、おやすみ」


 アゲハは背中を向けてひらひらと手を振って去っていく。那由多とすれ違いになった。アゲハも那由多もお互い無言のまま通り過ぎる。


「間に合わなかったか。妹は大丈夫なのか? 通報は? 警察は?」

「大丈夫だよ、心配ない」

「へぇ、お前が変なだけかと思っていたけど、妹も存外変なんだな」

「そうだね。アゲハは人殺しまではまだしていないはずだけど、別に死体くらいでは動じないよ。那由多が変に横やりをいれなきゃ、殺人犯を殺すのはアゲハだったわけだし」

「……お前の妹まだ中学生だろ? 人殺しはまずいだろ」

「僕らは高校生だけど。大体、那由多は高校デビューで人食ったわけじゃないんだろ? なら今更だ」

「まぁそれもそうか」

「アゲハの友達が殺された、アゲハは相手の命を求めていた。それだけの話。それにさ、大体、僕の妹だぞ。僕と血のつながった妹なんだ。僕とそっくりな、妹だよ。――ねぇ那由多」

「なんだ」

「僕はもっと、僕好みの人を殺したい」


 もう戻れないのならば、快楽と欲望のままに。

 人を殺して、楽しみたい。


「おう! そうこなくっちゃな!」

「これから僕らは仲間で友達だね。宜しく、那由多」

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