そして僕らは友達になる2

 テストは無事に終わり、答案用紙が返却された。

 途中、那由多の妨害が度々あったものの、努力の結果は裏切らない高成績が取れたので、満足のできだった。

 教室で同級生とテストの結果を見せ合ったが、ヒカゲの勝利だ。

 カフェに誘われたので途中まで同級生と一緒に歩いていると、横断歩道を渡って此方へ近づく少女に気づいて歩みを止める。同級生は少女の姿に気づいて驚いた。ヒカゲにそっくりな少女だった。

 双子のような相貌だが、しかし少女の方がやや幼く中学生くらい。

 男子高校生とは思えないヒカゲの赤いリボンとお揃いのチェックが入ったそれを少女は髪止めにしている。

 長髪のヒカゲに対して、少女は肩で真っすぐに切り揃えてあり。瞳は黒く沈んでいて憎悪と喪失感が合わさって混じっている。黒のセーラー服に、黒いタイツを組み合わせいる姿はまるで喪服のようだ、と同級生は思った。

 一方のヒカゲは少女の目的が自分であること判断していぶかしむ。


「兄貴。久しぶりね」


 心を全く許していないような冷たい声色に、兄妹かなと思った同級生は予想外の粗雑さに驚いた。てっきり「お兄ちゃん」と呼ぶものだと思っていた。


「久しぶり、で、一体どういう要件? アゲハが僕のところへ来るなんて珍しい。台風の季節にはまだ少し早いよ」


 ヒカゲは心底めんどくさそうに赤いリボンを指でクルクルと遊びながら尋ねる。

 見えない火花が散っているような空気に、同級生はこの場から立ち去りたいと思ったが、真面目だから失礼な態度は取れなかった。

 これが那由多なら、その場で「じゃっ」といなくなっただろう。


「わたしだって来たくなんてなかったわよ。でも兄貴に用事があったのだから仕方ないじゃない」

「用事ねぇ……お前が僕のところへ来るなんてろくでもない要件しか思い浮かばないけど」

「…………」


 アゲハが言葉に詰まっているのではなく、意図的な無言と、切羽詰まっている瞳を見てヒカゲは嘆息する。


「ん、わかった。僕の家で話そう。ごめん、というわけで今日は妹と帰るよ」


 事の成り行きにハラハラと肝を冷やしていた同級生にヒカゲが告げる。


「あぁ、わかった。また月曜日学校で」

「うん、それじゃ。行くよ、アゲハ」


 同級生はまだ分かれ道ではないが方向を転換する。空気が読めるので、兄と妹の邪魔はしない。

 ヒカゲとアゲハはたから見れば仲良しのお揃いリボンを付けた兄妹にしか見えない横並びで歩く。



 同級生はカフェの予定が崩れたので、本屋によって参考書でも買おうと歩道を進んでいると、真面目とは正反対の、何かの間違いでうっかり進学校に来てしまった那由多が近づいてきた。


「よ」


 偶々遭遇しただけだ、と思った顔を合わせないようにしようと思った同級生を逃さないように那由多が気さくに声をかける。

 帰宅した後なのか、私服に着替えている。フードは灰色だが、それ以外は真っ赤なパーカー。中の白いTシャツは英語のロゴが描かれていて、主張が激しい。ジーパンに黄色の運動靴を履いている。替えるのが面倒だったのかスクール鞄のままだ。


「えっと」


 真面目な同級生は不良が苦手だ。那由多は出来ることなら関わりたくない人種。

 沸点が低くて椅子を蹴飛ばして問題を起こしたこともあると、隣のクラスの同じ委員会の人から聞いたことがある。

 成績も赤点はぎりぎり回避しているようだが、ケアレスミスをすれば赤点の位置にいる。


「そう警戒しなくてもいいだろ、オレがお前に害を加えるつもりはねぇよ。ま、お前がオレをムカつかせなきゃ、だけどな」

「……うん、それは、嬉しいな」


 何て答えればいいのかわからず、あいまいな返答をする。気に障った様子はなくて同級生はほっと胸をなでおろす。


「お前に聞きたいことがあったんだ、前から気になっていたんだけどさ」

「なんだい、名桐君」

「お前、ヒカゲの友達なの?」

「え――?」

 

 予想外の言葉に、同級生は目を丸くする。


「少なくとも俺は友達、いや親友だと思っているけど……黒月がどう考えているかまでは……」

「ふーん、なるほどね。なら」


 那由多は腕組をしながら思案する。導き出される結論がいいことだとは思えなくて、早く帰って勉強をしたい気持ちでいっぱいだった。何故、寄り道をしようと思ったのか、少し前の自分を恨めしくさえ思う。


「よし! 決めた。面白いことを教えてやるからさ。今日からオレとも友達になろうぜ」


 有無を言わさない脅迫が多分に含まれた笑顔で、左手を差し出された。

 友好的な気配を全く感じさせないが、喧嘩が強いともっぱら噂の、自分より見るからに腕力があり身長もある男相手に取れる選択肢など一つしかない。仕方なく同級生は握手した。

 お金をよこせと言われたらよこすしかないし友達になれと言われたら友達になるしかない。


「よし、短い間だけど宜しくな!」


 参考書を買う予定も、勉強をする予定も捨てなければいけなくなった。



 ヒカゲとアゲハは道中無駄な会話をするつもりはないと、無言のまま歩く。ヒカゲが一人暮らしをするマンションに到着し、エントランスで鍵を取り出しオートロックを解除して中に入る。エレベーターで三階に上がり、角部屋へと進む。玄関で靴を脱いで黒いスリッパに履き替え、短い廊下を進み、アゲハからリビングへ入る。

 アゲハが我が物顔で黒いソファーに座ると予想に反して、真っすぐ背筋を伸ばしたままヒカゲと正面から向き合った。


「……アゲハ、一体どういう要件で僕の元へ? クラスメイトには聞かせたくない話だったんだろ? いや、違うか。道端で話したくない内容か。アゲハが自分で解決せずに僕を頼るような案件はあいにく思いつかないんだけど」


 普段は連絡すら取りあわない仲だ。お互い連絡先は辛うじて交換しているが、その程度。


「友達が、殺された」


 知らない間に妹には友達が出来ていた。

 そして知らない間に殺されていた。


「いつの間に友達が出来ていたのさ」

「兄貴の知らないところでよ」

「でもアゲハの友達が殺されたことと僕は関係ないよね?」

「そうね、わたしの友達は兄貴とは縁もゆかりも全くない人間だわ」

「殺されたってことは、殺人事件でまだ犯人も見つかってないってことか?」


 アゲハはこくりと頷く。

 ヒカゲの脳内に身近な殺人鬼の那由多が脳内でピースサインを浮かべたが、死体を生のままもしくは料理をして煮込んで彩って食べるやつだ。事件化には至らないはずだ。


「その物言いは知らないわね。……兄貴ニュース嫌いだものね」

「嫌いだね、殺人事件のニュースは特に見たくない。そんな物騒なものと僕は切り離して生きていたいからね」

「ニュース嫌いの兄貴に教えてあげるわ。今、女子中高生を狙った殺人事件が起きているの。連日連夜周辺は騒いでお祭り状態よ。……わたしの友達は四番目の被害者」

「へぇ、じゃあアゲハが五番目になるのかな。お前、見目は悪くないし、狙われそうだ」

「わたしじゃないわ。兄貴が狙われるのよ」

「は? 僕は男だけど」

「兄貴が女装をして犯人に狙われて殺されかけてほしいの」

「実の兄貴に死ねとか酷い妹だ」

「別に死ねとはいっていない。殺されかけてっていっているだけ」

「殆ど一緒だよ」

「兄貴なら死んだってかまわないしね。わたしの良心は痛まないわ」

「僕に頼むまでもなく、お前が囮になればいいじゃないか。まさか自分が殺されかけることが怖いなんて臆病な性格をお前はしていないだろ」


 妹の性格ならば、大嫌いな兄に頼むことなく自分で囮になって犯人を捜す。それが手に取るようにわかる。仲が悪くても兄妹だ。


「それができるならそうしているわよ」

「……もしかして髪?」

「そうよ」


 囮になれない理由が、兄に頼むしかない理由がアゲハにはあった。

 アゲハとヒカゲは、はたから見れば双子のような顔立ちをしている。

 光を拒絶するような黒黒とした髪と瞳。色白の肌。細身で肉のない体つき。

 アゲハの方が年齢差から、顔立ちや雰囲気が幼いとはいえ、殺人犯のターゲットが中高生ならばその枠から抜けない。

 ヒカゲとアゲハの違う理由が必要。

 明確に違いがあるのは――髪の毛の長さだった。

 ヒカゲは三つ編みにしてさらにお団子で結い上げているから、降ろせば太ももまでの長さはある。一方アゲハは肩で切りそろえているショートヘアーだ。


「そう。わたしの友達を殺した犯人は、長髪の女子を殺すの。それも腰より下まであるような子を狙っている変態。好みの服まであるわ、最低最悪よね」

「髪の毛の差異程度ならカツラを被ればいいだろ」

「兄貴に言われるまでもないわ。毎日カツラを被って深夜徘徊したわ。人気のある場所も人気のない場所も。被害者が殺された近辺も、界隈も。でも駄目だった。カツラはお求めじゃないみたい。本物か偽物かの区別がつくのよ。もっとも、わたしの元に現れてくれなかったから、わたしの顔じゃ駄目とか警戒をして殺していないとか他の要因があるかもしれないけど、とにかく――わたしじゃ駄目だった。だから兄貴に女装をしてもらうのよ」

「だからに帰結するのはおかしい気がするんだけど。大体僕は男だし、女装なんてしたくないよ」

「大丈夫よ、女装しなくても兄貴は女みたいな顔をしているから常時女装みたいなもの」

「酷い。僕は男なのに」

「その顔立ちで何をいっているのかしら。兄貴が女装をすれば完璧よ、憎たらしい程血の濃さを感じる妹が保証をしてあげるわ」

「嬉しくないな。そもそも僕がアゲハのために何かしてあげる必要はないよね。僕はその子と友達以前に顔見知りですらない」

「ねいわね。でも囮になって」

「僕は危ないことをしたくない。危ない橋を渡りたくない。普通に大学にいって普通に就職して普通に暮らすつもりだ。アゲハの友達を殺した犯人だっていずれ警察に捕まる。司法の手に任せておけばいい」

「それじゃ、駄目よ」


 数秒の間さえない程の断言。その瞳は復讐の色を宿している。

 アゲハが何をしたいのか、ヒカゲは理解してはいたが、明確な意思として主張をされるとは思わなかった。

 アゲハは凛とした顔を屈辱に歪めながら、大嫌いな兄に頼み事をする苦しさよりも、友達への思いが上回って、頭を下げる。


「お願い。兄貴。囮になって」


 アゲハから真正面から頼みをされたのは果たしていつ以来だろう。

 それはまだ兄と妹が仲良かったころまで遡らなければならない気がする。昔は仲良しの兄と妹だった。その時、お揃いの赤いリボンを付けた。今ではリボンは外したら負けな気がしてお互い意地になってつけているけれども、純粋な時代だってあったのだ。「兄貴」と慕ってきた妹の姿と重なって懐かしいと思った。


「――わかったよ」


 断ろうと思っていたのに、真剣に頼みごとをされて頭まで下げられてしまっては受け入れたい気持ちが勝った。

 危ない橋は渡りたくない。囮なんて危険な真似はしたくないのに。手伝ってあげるだなんて愚かだと自覚しているのに、思考は負けた。


「ありがとう。兄貴」

「……どういたしまして。でも僕は女装なんてしたことないし……男だと気づかれたらどうする?」

「気づかれるわけないでしょ」

「そこまで自信満々に言われるのは、なんか納得できないんだけどなぁ」


 ヒカゲは腕を組んでいまいちな顔をしたが、アゲハからすれば鏡を見て出直してこいという気分だった。


「さて、女装をする服を買いに出かけましょう」

「アゲハが適当に見繕うのじゃダメなの? わざわざ買いに行かなくても……」

「駄目よ。兄貴を完璧にしないと。誰が見ても殺したくなるように仕上げないといけないのだから」

「その仕上げは遠慮したいんだけどなぁ……」


 万が一、逆に殺してしまったらどうするとヒカゲは言いたかった。道は踏み外したくない。


「お茶でも飲んだら行きましょう」


 アゲハは冷蔵庫から冷たいお茶を取り出して、グラス二個を用意して注ぐ。ヒカゲへ一つ渡す。

 飲み干してから洗い物は後回しにしてヒカゲとアゲハは女装道具を購入するため外に出ると、エントランスを出たところで那由多が待ち伏せしていた。

 凶悪な笑顔で手を振られたのでヒカゲは無視しようとしたが、あ? とけんか腰で睨まれたので仕方なく会話をすることにした。


「お前は僕のストーカーか? 気持ち悪い」

「これから遊ぼうと思って、ヒカゲどうだ?」

「断るよ。これから妹と出かけるんだ、見ればわかるでしょ」

「そっくりだな。血の繋がりを感じるよ」

「血のつながった兄妹だからね。だから邪魔をしないでくれるかな?」

「兄妹水入らずに余計な人間を入れたくないってか――それは親切?」


 妹に殺人鬼を合わせたくない、という言葉に出していない音を読み取ってヒカゲは淡々と答える。


「そんなわけないじゃん。妹に頼みごとをされたから、さっさと終わらせたいだけだよ。お前と一緒にいる時間はない、行くよアゲハ」

「えぇ」


 那由多を無視して通り過ぎる。

 那由多はヒカゲの横で露骨に舌打ちをしたが、殴りかかってはこなかった。流石に妹の前では自重するだけの精神があったことに内心拍手をした。

 那由多の姿が見えなくなり、駅に到着する。電車に乗ってアゲハが普段買い物をしているデパートにまで移動する。


「協力はするけどずっとは無理だからね、僕にも学校があるし。……一週間。一週間でその殺人犯が僕を狙わなければ髪以外の要因があったことにする。それでいいね?」


 エスカレーターに乗りながら会話をする。


「えぇ。無期限にやっていても可能性が下がるだけだわ。その代り、夜は出歩いてね」

「夜に一人歩きとかさ、囮捜査だって思われないかなぁ」

「警察は囮捜査なんてことしないでしょ。対象が女子中高生ならそもそも囮を何処から調達するというの。成功しても失敗しても世間は非難するわ」

「それもそうだ。アゲハも友達のために考えているんだね」

「馬鹿にしないでくれる? ねぇ……兄貴は家に戻らないの? 父さんが心配しているわよ」

「戻るわけないでしょ。戻ると思っているの?」

「それもそうね」


 アゲハももとより期待はしていなかった。ヒカゲは父親と一緒に暮らしたくないから、高校進学を期に一人暮らしを始めた。アゲハからすれば、兄は嫌いだから戻ってこなくて全く困らないし清々しくて悠々とした毎日が送れるのだが、それはそれとして父親が心配しているのならば戻ってきてほしいと思う。

 妹は父親が大好きで、兄は父親が大嫌い。それが顔は似ているし、好物がパンケーキで同じな兄妹の明確な違いで、仲が悪い根柢にある原因だ。

 四階に到着する。

 若者向けに展開していて比較的お手頃な価格で買える店が多い。アゲハが普段、利用している店舗も多く迷うことなくヒカゲを女装するための見繕いを始める。

 着せ替え人形のように遊ばれている気分だが、費用はアゲハもちなので、文句は言わない。

 文句があるとすれば、男が着せ替え人形なのに誰も奇異の視線を向けてこないことだった。

 アゲハは手を抜かず、今まで被害者になった人の傾向から犯人の趣向を推察し、ヒカゲをコーディネートしていく。アゲハが被害者の情報を得るための壁は高かった――未成年じゃなければもう少し簡単かつ詳しく手に入っていたのだろう。

 だが、収穫がなかったわけではない。

 ある程度三人の被害者について知ることができたし、四人目はなんといっても悲しいことに友達なのだ。情報はたくさん知っていた。仲の良い友達。学校だけじゃなくて外でも遊ぶし土日だって遊んだ。遊園地までいったこともある。三時間外でならばされたけれど会話は尽きなかった。アゲハは悔しい気持ちでたまらない。

 狙われたのが自分ならば返り討ちに出来る自信があったのに、と。何故彼女が殺されなければならなかったのか。


「これじゃないわね……そう、こっちの方が好きそうだわ。わたしなら……」


 ぶつぶつといいながら服を合わせていくアゲハに、ヒカゲは苦笑する。

 アゲハは犯人に遭遇したくてたまらない。アゲハでは効果がなかった。だからヒカゲにかけるしかない。一切の妥協は許されない。真剣な熱意が伝わってくる。


「よし、これね!」


 着せ替えたヒカゲの出来は満足いくものだった。これに後は軽く化粧を施して血色の悪い色白の肌に色味を加えれば問題はない。

 紙袋を分けて持ちながらデパートを後にする。電車に揺られてヒカゲの自宅へ戻ると、アゲハはリビングの絨毯に服を一枚一枚皴がつかないように広げる。ハンガーが欲しかったので寝室から未使用のハンガーを勝手に取り出す。


「改めて見ると買いすぎじゃないか」


 リビングを彩る女装の品々は、数日、色々組み合わせて着こなせそうだ。


「えぇ、だって毎日同じ服を着ていたら怪しまれるかもしれないでしょう? 兄貴のことが気になっても様子見をするかもしれないのだから」

「はいはい」

「一日で終われば最良だけれどもね、その運が発揮される保証はないわけだし。この地区で四人の人間を犯人が殺したから、そう遠くへ移動したとは思えないけれども……」


 アゲハの本気に、友達とは果たしてそれほどいいものなのだろうか、とヒカゲは首を傾げる。


「兄貴は友達いないの?」


 ヒカゲの心境を見抜いたようにアゲハが言うので、ヒカゲは肩をすくめる。


「いるよ?」

「誰」

「クラスメイト」

「へぇ、友達なの? あぁ、あの一緒にいた真面目が取り柄っぽい子?」

「そうそう」

「あんまり友達って感じしなかったけど」

「友達だよ。親友だよ、だってあいつがそういっていた。言っていたから友達なんだよ」

「――は? まぁいいわ」


 ヒカゲは友達だと思っていなさそうな口ぶりだ。なのに友達はいるというのは不思議なものだとアゲハは思ったが尋ねない。

 髪の毛が長くて赤いリボンをして黒の手袋をした男子高校生は確かに浮くかもしれないが、友達ができない程、変人ではない。だから、ヒカゲは単に友達を作るのが下手なのだ。

 だが、兄の交友関係には露ほども興味がない。一人、一生寂しくやっていても別にいいし、その方が世間のためだとすら思っている。

 仲が悪くとも兄が妹のことを熟知しているように、妹も兄のことを熟知している――兄が美人の顔が好みで、人を殺したいのを抑え込んで生きようとしていることも。


「じゃあ、兄貴着替えて」

「わかったよ」


 時刻も出回るのにちょうどいい塩梅だ。

 ヒカゲは男子高校生の証である制服を脱いで、アゲハが用意した服に着替える。アゲハはそれを眺めて違和感がないかを確認していく。驚く程違和感がなかった。

 高校生という年齢も功を奏した。

 大学生になっていたら駄目だったかもしれない。これから、急激に成長期がくるかもしれない。そして男らしい顔立ちと、長身を手に入れたら女装は無理だ。そんな兄は想像ができないが、父親は身長もあって男らしい顔立ちをしているからその息子であるヒカゲが遺伝子を継いでいないとは言い切れない。


「うん、いい感じね」

「犯人はこういったのが趣味なのか」


 黒いワンピースに、ハイウエスト部分をワンピースと同色のベルトで軽く締めて、白のリボンタイブラウスを組み合わせる。夜はまだ肌寒いので、薄いケープを羽織る。

 清楚でレトロな雰囲気があるコーディネートだった。

 ヒカゲが軽くターンをすると、Aラインのワンピースがふんわりと綺麗な形を保ったまま揺れる。中のパニエが静かに存在を主張しながら黒タイツをはいたヒカゲの脚を見せる。


「そうね。レトロとかアンティーク系の雰囲気が好きみたいね。明日はこっちのチェック柄を来てね」


 チェック柄ワンピースの方は膝上までの丈で、それにフリルがついたブラウスが一緒にコーディネートされてハンガーにかけられた状態で渡された。


「用意周到すぎる」

「それとこれは三日目」


 三日目はややボーイッシュな感じだが、チェック柄のブラウスにハイウエストの黒いスカート。それに黒い帽子が組み合わせてあり少女らしさもあった。


「それと」


 アゲハのコーディネートの説明が始まったのを苦笑しながら聞いて、クローゼットの中に全て皴にならないように入れる。


「あぁ。そうだ、それ終わっても返さなくていいわよ。兄貴がきた服を着たくなんてないし」

「中古の服屋にでも売りに行けば多少お小遣いは戻ってくるんじゃないの? 高級店って程じゃなかったけど、一着そこそこのお値段はしたよ」

「大丈夫よ。お年玉でまかなえたもの。それに兄貴に投資した服を売るなんて真似もしたくないし」

「僕のクローゼットで箪笥の肥やしになるだけだけどね」

「女装したくなったときに着ればいいじゃない」

「どういうときだよ。嫌だよそんなときは」


 そんなときなんて、今回くらいしかないだろとヒカゲは思った。

 ヒカゲはお団子を外す。サラサラと髪の毛が零れるように落ちる。三つ編みを解くと若干ウェーブがかかっていた。アゲハは洗面所から水ふきとブラシを持ってきて、ヒカゲの髪を整える。黒く、光沢のない髪は手入れがしっかり行き届いている。真っすぐのストレートに整えると、太ももくらいの長さがあった。ストレートで髪を下している姿が犯人の好みだ。


「さて、私は適当に兄貴を付けるわね。でも、ストーカーが増えてもどうしようもないし、携帯のGPSを辿って一定の距離を保つわ。携帯だけじゃ心もとないからもう一つ付けて」

「わかっているよ」

「それじゃ、兄貴。宜しくね」


 アゲハの望みはわかっている。

 それを叶えることはきっと兄ならば止めるべきことなのだろうと常識ではわかるが、別にどうアゲハが復讐をどういった手段で果たそうとも興味はなかった。

 とめるつもりがあるのならば復讐に手を貸さないし、常識というのならば那由多のことをとっくに通報している。

 いくら死体を食べているからといってどこにもその証拠がないわけではないはずだ。

 例えば死体を解体した時の包丁やまな板は? そこにルミノール反応がついていればいい。例えば、死体を持ち帰るときの入れ物は? キャリーバックにしろそこに遺留品があればアウトだ。殺人事件だと捜査され、かつ那由多が犯人であるタレコミがあれば――自体は急転直下に解決するだろう。事件として認識されているかどうかまでは知らないが。

 だから那由多を通報しない時点で、アゲハがどんな復讐をしようが構わない。

 ただ、ヒカゲにとっての不安要素は、犯人に殺されかけた時だ。

 適当にあしらえる自信はあるし、殺されない自信もあるが――下手に美形だったり下手に抵抗してきたら殺してしまわない自信がない。それが、不安。

 不安を抱きながら、ヒカゲは夜の街を歩く。

 夜の街に視線を巡らせてみれば、殺人鬼の話題で持ちきりなのか人気が少ないように感じる。あまりヒカゲは夜を出歩かないので、普段との差異を明確に実感は出来ないが。夜はパンケーキの店も大抵は店じまいなので、外にいる理由がないのだ。

 血なまぐさい話題はなるべく脳内から切り離しておきたいから、ヒカゲはニュースも新聞も基本的には読まない。リビングにあるテレビは殆ど置物のような状態だ。

 見回りする警察官を見つからないようにヒカゲは雲の流れのようにゆらゆらとつかみどころなく動く。

 人を避けながらも、姿を消してしまっては虎視眈々と獲物を狙って巡回しているだろう犯人に遭遇できないのも困るので、ほどほどの割合で立ち止まったりコンビニに寄ったりもする。

 身長の関係上――男子の平均身長には満たないとはいえ、女子の平均身長よりはあるのでヒールがある靴を履くと高い――ペタンとした靴を履いているので歩きやすい。散歩がはかどる。

 赤いブーツは目立ちヒカゲの存在を主張する。夜風が吹く。ヒカゲの黒髪が靡き、蝶の髪止めのスワロスキーが街灯の光で輝く。

 静寂で冷たい空気は、美味しいと思いながら空を眺める。新月だった。

 暗いのに夜の街を明るくする街灯だけは光っている。ヒカゲは夜道を歩きながら、まるで恋人との待ち合わせをしているようなそぶりで人気のない公園の方までいく。


「いつもならきっとこの公園も恋人で溢れているんだろうな」


 正解か妄想かわからない想像をしながらヒカゲは呟く。誰もいないかと思ったが、一人いた。酔っ払いがベンチで横たわって豪快な鼾を立てている。


「鞄、盗まれたら一体どうするつもりなんだろう」


 大事そうに抱えてはいるがそれでも無理やり奪い取っても正常な思考が働かず翌朝まで気づかなさそうだ、と思った。

 誰もいない公園ならば犯人に目を付けられていたら絶好の場所かと思ったが、人がいるなら不適切だ。

 他の場所でも探すか、とヒカゲは砂場を見ながら考える。少し歩き疲れたが、ベンチに座って休憩はしたくない。移動を考えていた時、じゃりっと、公園の砂を踏む足音が聞こえた。酔っ払いはまだ寝ている。

 犯人か、それとも新たな酔っ払いか――違う可能性が高い。不規則だが覚束ない足取りではない。

 近づいてくるのはわかるが、ここで反応をするわけにはいかない。下手に気づいた素振りをしても意味がない。ヒカゲは携帯を取り出して待ち合わせ風を装う。妹にでも連絡するか、と思ったところでポン、と肩に嫌いな温もりがあった。

 油断を装っていたとはいえ、まだ距離はあったはずだ――とヒカゲが焦りながら素早く足の位置をずらしいつでも蹴り飛ばせるようにしながら振り返る。


「え――?」


 予想外の顔がそこにはあって、混乱の隙をつかれてヒカゲは昏倒した。

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