第30話:快楽殺人の果て

 ヒカゲは物陰に隠れて、左手にナイフを握りしめながら一瞬だけ階下から上階まで響く断末魔の甲高い少女の悲鳴に耳を澄ませ夢見心地に浸る。

 那由多はレースを食べて殺してしまったのだと伝わってくる。

 異様な執着を持たれているレースをこの場に招いたら面白いことになると思って、地図と金銭を渡した。その結果を耳でとらえられてほくそ笑む。

 レースの顔立ちは可愛いよりで、美人が好きなヒカゲの好みからは外れるが、濃厚な悲鳴は胸に染みてくる。

 もっと悲鳴を堪能して愉悦の海に浸りたいと舌なめずりしながら、イサナとアゲハがいるだろう場所へ神経を集中する。


「僕を殺したくなくて閉じ込めておきたいくせに、拳銃を持ち出してくるってひどくない!?」


 笑いながら物陰から物陰へ移動すると、足音に反応した銃声が響く。


「当たり前ですよ! ヒカゲを殺すつもりはありませんけど拳銃でもなきゃ、勝ち目がないですからね!」


 イサナの声で、銃声の負けず叫ぶ。


「あはっ」

「それに大丈夫ですよ。致命傷じゃなきゃ、銃弾浴びった頑張って手当して生かしますから」

「あははっ酷いなーもう!」


 ヒカゲは楽しく笑うので、薄暗い室内と物陰に隠れたその姿は見えずとも表情が容易に想像できてイサナは舌打ちする。


「随分と楽しそうですね!」

「当たり前だ。殺人は、快楽だからな。イサナも楽しそうな顔をしたらどうだ?」

「私にそんな趣味はありません」

「なら見物人バイスタンダーがいたら盛り上がった? 残念」

「……は?」


 眉を顰めながら、続けて発砲する。弾切れに素早くリロードしてヒカゲが距離を詰められないよう警戒する。


「二階までわたしたちを連れてきたのは、ナツと那由多の邪魔をしない以外に意味があったのね」


 アゲハが周囲にもはや整理整頓された形がなくなり並んでいるだけの障害物を忌々しそうに蹴りつける。がん、と小気味よい音が響く。


「僕を生け捕りキャプチャーにしたいって言っても、戦力差を考えれば拳銃を持ち出す可能性ポッシブルは大いにあったからな。復讐者アヴェンジャーのイサナが約五年の歳月をかけて計画プランを立てても、実行に移すための力は鍛えるわけにはいかなかっただろうからね。筋肉ムキムキだったら僕に警戒される。何より女性らしさの演技、表情を変えない演技力アクティングアビリティー、僕と付き合っていくだけの精神が必要だから、必然正面からぶつかった場合、僕には勝てない。ならば勝てるための武器を用意するのは当然だし、僕がそれを警戒するのも当然だ」

「相変わらずお喋りなこと」

「ふふ。それにアゲハはアゲハで、僕の実力を知っているからな。そう考えれば、何もないところでナイフを拳銃相手に振るうほど僕は馬鹿フールじゃないよ」


 元来用意されていたインテリアが障害物となりヒカゲの隠れ場所を無数に作り出す。 


「本物の馬鹿なら、快楽殺人鬼が何年も野に放たれたまま快楽を貪りつくせるわけないでしょう」

「死体がないからね」


 死体は全て那由多が食べてくれるからヒカゲは楽しく殺人ができる。

 那由多は殺さなくてもヒカゲが死体を用意してくれるから楽しく食べることができる。

 一人でも殺して死体の始末はできるし、食べるために殺害して死体をつくることもできる。

 だが、二人でいたほうが効率よく己の欲求を満たすことができるから、ヒカゲと那由多は一緒に行動を共にする唯一の友達なのだ。

 本棚の後ろに隠れながら、イサナとアゲハの足音に耳を澄ませてきき現在位置のおおよそを脳内で建物の地図に当てはめてから飛び出す。

 視界には双子のように瓜二つの顔立ちをしているアゲハがいた。

 そこだったか――と、飛び出してきたヒカゲに焦りながらもアゲハは拳銃を向け引き金を引こうとするが、それより早く迫ったヒカゲのナイフが拳銃を横払いする。誤射と共に拳銃が転がる。


「運悪く当たったら危なかった」

「運悪く当たって死ねばいいのに」

「それじゃ僕を生け捕りキャプチャーにはできないね」


 ナイフが振るわれる。アゲハは埃舞う床に身体を倒し避ける。勢いを殺さずに転がって立ち上がりナイフを取り出して振りかざすのを、器用にヒカゲが受け止める。

 イサナが素早くヒカゲへ狙いを定めようとしたが、ナイフの応酬で常に二人の位置が入れ替わるので照準が定まらない。

 アゲハが引き出しへとび乗ると、ヒカゲが蹴りをかまし引き出しが崩れる勢いで、アゲハは事務机の上に飛び乗る。


「ちっ」


 イサナは舌打ちしながらアゲハの後ろへ並ぶ。事務机の上から流れる動作でアゲハがナイフを投擲するが、ヒカゲは命のやり取りさえ楽しいとばかりに笑みを浮かべてはじく。

 イサナが引き金を引くが、ヒカゲは咄嗟に地面へ伏して転がるように本棚の位置まで移動し隠れる。

 ニ対一のはずだが、ヒカゲのほうに余裕があるように見えるのがイサナには腹立たしかった。

 アゲハは拳銃を拾おうと思ったが、思った以上に距離があった。隙を見せるくらいならナイフの方がいいと予備のナイフを取り出して構える。

 一瞬時が止まったかのような静寂な空間が訪れたのち、ヒカゲが本棚を倒す。


「なっ!」


 アゲハは後ろへ逃げる。本棚と一緒に詰まった本が落下して倒れ、埃を巻き上げる。


「けほっ馬鹿なの」


 埃を吸い込んで蒸せながらもアゲハはヒカゲの姿を探す。

 自分が成長したらあの顔になるんだと思わせるほど造詣の似た、兄の顔。

 真横にいた。

 迫ってくるナイフから咄嗟に急所を外そうと両腕を眼前で構えると、肉が切れる鋭い痛みに襲われる。

 肌から生ぬるい感触が流れる。後退する。


「兄貴……!」


 アゲハが睨みつける。


「最初にアゲハから片付けておかないとね」


 アゲハがナイフを振るうより早くヒカゲが腹部を蹴りつける。後方に下がり受け身も取れず壁に激突する。呻くのをヒカゲが楽しそうに笑いながらアゲハの太ももにナイフを突き立てた。痛みの悲鳴をかろうじてアゲハは我慢するものの全身の痛みが身体を支配して思うように動けない。ヒカゲは興味を失ったかのようにナイフを抜き取り、イサナの方と向き合った。


「さて、これで一対一だね」


 イサナは舌打ちしながら拳銃の引き金をひいた。

 弾丸が横をかすめていくのを気にも留めずヒカゲは距離を詰めイサナをとらえる。

 イサナが距離を取ろうとするがヒカゲはそれを許さない。右肩を切りつけてから、足払いする。痛みで足元に警戒が向かなかったイサナは床に勢いよく倒れ、ヒカゲが馬乗りに座る。

 イサナが足掻こうとするが、ヒカゲはそれを許さない。


「――イサナ」


 本名を、過去の人生を全て捨てて復讐のためにだけにイサナメグリの人生を歩んだかつての助手を甘い声色で呼ぶ。


「なんですかね」

「僕はイサナを殺せる日をずーっと楽しみにしていたんだ。イサナに足をやられてから完治するまでずっと誰も殺さないでいたんだよ。快楽のない日々はスペアタイムだった」


 幼子が嬉しい出来事を親に報告するような無邪気さでヒカゲが語る。


「一生快楽のない無為な日々を送らせてあげますよ」

「お前の計画プランは僕がだいなしにするスポイル。だから無理だ。天喰が自殺した日以降、誰を殺しても楽しくなかった。楽しいのに、楽しくなくなる。けど、イサナなら――楽しく遊べるよね」


 ナイフを手に恍惚するヒカゲをイサナはあざ笑って言葉を投げつける。


「それこそ無理なことですよ。ヒカゲ。お前はもう二度と心から楽しいは訪れない」

「――なんでさ」

「私はヒカゲを知っているからです」

「そんなことはない。待ちに待ったこの日が訪れたのだから、楽しいハッピーに決まっている」



 アゲハは全身の痛みを感じながら、満喫していてこちらの動向に注意していないヒカゲを視界から外し、手を伸ばしてナイフを拾う。ナイフの重さすら身体に痛かった。

 イサナの苦悶が耳に聞こえながら思う。

 また失敗した、と。

 兄を殺したいほど憎んでいるから、兄を殺したい相手を探して出利葉と手を組んだ。

 その出利葉はヒカゲを殺せず自害した。

 また復讐相手を探そうと思っていると、ヒカゲの助手のイサナがアゲハにコンタクトをとってきた。

 イサナがヒカゲの命を狙っていると知り――正確には生かして閉じ込める――手を組んだ。

 けれどそれも失敗に終わった。

 二人かかりでも、拳銃を持ち出しても、ヒカゲは意気揚々と殺人ができるほどに強くて殺せなかった。

 敗北感が胸に宿る。

 ヒカゲがアゲハを先に殺さなかった理由など明白だったから笑う。

 ヒカゲは快楽殺人鬼で美人を甚振って殺すのが大好き。

 だから、自分と同じ顔立ちを殺す趣味がないだけ。

 それが偶々妹だっただけ。

 逃走が成功する確率は零ではない。イサナでお楽しみ中のヒカゲなら、逃亡に気づかない可能性がある

 一階を通らなければいけないからそこも鬼門だが、不可能と決まっているわけではない。

 無事に外へ脱出できたら、またヒカゲを殺したい人間を探せばいい。


「けど……でも……それは」


 アゲハの脳裏には笑う出利葉の姿がよぎった。利用するはずだったのに、出利葉が親切で、自分を大切にしてくれて、笑う顔は優しくて、復讐を望まなければ幸せであった日常が何よりも楽しくて、感情移入をしてしまった、その感情がアゲハの胸の内にこみあげてくる。

 復讐する人を探してヒカゲに挑ませればいつかはその刃が届くかもしれない。

 けれどその刃を届いたときには、数多の死体がアゲハの前に築き上げられている。


「それじゃ、そんなんじゃ……兄貴と、一緒じゃない」


 一緒にはなりたくない。

 一緒になってしまえば、出利葉との思いでが汚れる気がした。それは嫌だった。

 でも、逃走して兄のことを考えないで生きるのは無理だった。

 ――出利葉……おまえを、利用して、ごめんなさい

 ならばとアゲハは手にしたナイフを自分へ向けた。



 ナイフが身体へ沈んでいく感覚が、真っ赤な色合いが、悲鳴を我慢しようと唇をかみしめる姿が、快楽を我慢してきた反動で、どうしようもなく楽しかった。


「あはははっ!」


 イサナの悲鳴よりもヒカゲの高笑いが響く。

 人を甚振るの久々の快感に酔いしれる。


「っ――どうしようもなく殺人鬼だな!」


 苦悶で顔を歪めながら精一杯声をイサナが振り絞る。憎悪の瞳がヒカゲを射抜くのでますます血沸き肉躍る。


「知っている。僕が一番知ってるさ!」


 ヒカゲが楽しく笑って甚振っていると、ふとその手が止まった。イサナが荒い呼吸を繰り返す。


「あれ……?」


 ヒカゲは首を傾げる。

 今まで楽しくて楽しくてたまらなかったのに、突然楽しさが薄れた。

 首を傾げながらナイフを振るうと、手が狂ってとどめを刺してしまった。

 悲鳴が途切れた。揺さぶっても動かない。

 立ち上がって、見下ろす。自分好みの美人だ。


「……楽しく……ない、なんで」


 思考は途中で快楽を快楽と認識しなくなった。

 天喰が自殺したあの日から、美人を殺して楽しいはずなのに不快になるのと同じ現象が襲った。

 快楽を我慢した殺人は最高の夜になるはずだった。

 それなのに――そうならなかった。

 物足りない。満たされない。足りない。楽しくない。殺したい。

 ヒカゲはナイフを眺める。真っ赤に染まって元の色すら判別できない血濡れた色。


「足りない。殺したい。……妹を殺す趣味ホビーは、別にないけど……」


 殺したい顔立ちではないけど、でも殺したかった。

 そうすればきっと愉悦に浸れると思って、覚束ない足取りでアゲハの元へたどり着くと、妹はナイフで白い首元を切り裂いて死んでいた。

 力を失ったかのように、座り込む。


「……どうして?」


 首を傾げる。答えが見つからない。答えが欲しい。

 何故天喰が死んでから殺しが楽しいのに満足できない。

 殺しても物足りなくて満たされない。

 何故だ。何故だ。

 ――殺したい。

 ――けどいない。誰もいない。


「あ、まだいた」

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