2部ー第8話:兄妹

 黒を深く纏い光を拒みながら廃ビルに到着する。

 太陽の光を見納めるように眺めてから中へ入ると、光は拒まれ闇が広がる。電灯をつけるとむき出しの鉄筋やコンクリートが落ちた様が視界に入る。

 ルミノールを吹きかければ、世界が一面発光するだろう血に塗れた場所。

 久しぶりに訪れたそこは、誇りっぽかった。那由多に清掃を頼んでおけば良かったとヒカゲは後悔しながら、那由多と並び歩く。


「てっきり待ち伏せされていると思ったが、そんなこともないんだな。いや、爆弾をあらかじめ設置していて、どっからかオレたちを見ていて、ビルごと叩き潰すつもりとかはあるか」


 那由多はむき出しの鉈を担ぎながら、油断なく周囲を隙なく見渡している。

 異変はないが、一網打尽にする手段を行使してくる可能性はあると警戒している様子だ。


「いや、それはないよ」

「人が出入りした痕跡がないからか?」

「違うよ。僕たちの信頼関係があるからさ」

「純度百パーセントの嘘か?」

「酷い」

「オレにも理解できるように言え」

「お互いにわかっているんだよ。僕とイサナはこれでも付き合いが長いからね。いくらイサナが本性を隠していたとしてもだ。小細工に意味がないと知っている。何より、アゲハはともかく、イサナの目的は僕を永遠に閉じ込めておくことだ。僕はイサナを遊んで殺したい。つまり、爆弾を仕掛けることに意味はない」

「あぁ……そりゃ意味はないが、レースの兄は別だろ?」

「レースの兄だって殺人練習を繰り返したんだ。直接その手で那由多を切り刻みたいよ」

「あっそ」


 那由多は興味がなさそうだった。レースを奪うものとして認識しているが、殺される可能性は一ミリも危惧していない。

 それはそうだろうとヒカゲも思う。

 篠原由乃の兄である彼は、ごく一般的な平穏な家庭で育った。

 那由多のように少年時代から人殺しをしていた人間とは違う。

 まともな感性をもち、まともに生きてきた。それこそ、ヒカゲが高校時代の夢だった、一流大学に入学して、一流企業に就職して安定した生活を送れる人だ。

 そんな平和な人が那由多を殺すためにどれほど鬼になったとしても、もとからの鬼には勝てない。


「お互いの目的が、相手をただ意味もなく殺すだけなら手段は問わなかっただろうけどね。アゲハならそれができる手段があるし」

「今更だが、兄がヒカゲこれだとはいえ、アゲハもまともな道を歩んでいないのに血筋を感じるよな」

「本当に今更だな。逆に今更過ぎてびっくりだよ」

「お前らの兄妹エピソードに興味ねぇからな。とはいえ、お互い理解しているって意味の信頼関係ならオレも異論はない。イサナに関しても助手だったしな」

「そういうこと。だから、つまらない手段はとらないよ」

「お前にとっちゃ遊びか?」

「まさか」


 楽しみな出来事ではあるが、真面目である。イサナに傷つけられた時の痛みは忘れていない。

 快楽を我慢してきた。その快楽が目の前に落ちているのだ、本気だ。


「さて、椅子に座って休憩でもしようか」

「マイペースすぎるだろ」

「まだいない人たちを思って落ち着かないでいても意味はないよ」

「そりゃそうか」


 那由多もパイプ椅子を手にして広げることにした。ヒカゲがパイプ椅子の上にハンカチを置いているのを見た那由多は、眉を顰めていた。掃除もしていないパイプ椅子に直接座るのこそヒカゲは理解できない。

 だが、結局椅子に座ることはなかった。招待客以外足を踏み入れることのない廃ビルの扉が開かれた。太陽の日差しを取り込む。


「やぁ」


 ヒカゲが気軽に友達の来訪を歓迎するように手をあげる。

 三人の来訪客のうち一人は、いつみてもまるで鏡写しのようにそっくりな妹のアゲハ。

 ヒカゲが童顔なのも相まって、一緒に並べば双子と間違えられる。

 セーラー服を元にしているような黒の服に、髪留めには真っ赤なリボン。ヒカゲも今髪に止めているのとお揃いだ。まだ仲良しだったころ、お揃いでつけた赤いリボン。


 もう一人は、ヒカゲに復讐するために性別まで変えて、仮面を被り演技し続けたイサナ。

 本名、京叶かなどめきょう

 イサナを演じていた時の柔らかな印象の服とは異なり、皮ジャンにTシャツとジーパンを組み合わせたスポーティーな姿をしている。以前とは違っているが、イサナとしての美しさは損なわれていない。鋭い眼光はヒカゲの好みであった。


 そして、最後の一人。レースの兄。

 緩やかなウェーブがかかった茶髪に、温厚で人畜無害の表現が似合う顔立ちに眼鏡をかけ、ひざ丈のカーディガンを羽織っている。


「やぁ、アゲハにイサナ。久しぶり。そちらは初めまして

「由乃? 誰だ」


 那由多は見知らぬ名前に首を傾げた。せっかく場を盛り上げようと両手を広げたのに茶々を入れないでほしかった。


「篠原由乃。レースの本当の名前だ」

「うるせぇ。名前なんて興味なかったんだよ。レースは、レースだ」

「ま、那由多が無関心なのは知っているけどな」


 那由多はレースの本名に興味がなかった。正確にいえばレースの過去に興味がない。執着と所有欲によって、レースがレースではない何かを見せるのを嫌っている。

 だからヒカゲは、リハビリも兼ねてレースの兄のことを調べたことを那由多には伝えなかった。その過程でレースの本名を知ったことも、彼女がどこの高校に通っていたかも。何も伝えなかった。案の定、那由多から興味の色は見えない。


「由乃はどこにいますか?」


 一歩ナツが前に出て、柔らかい笑顔で尋ねてきた。不自然なほど顔になじんだ笑顔だった。


「お前の妹は、那由多の家にいるよ」

「そうですか。貴方がボクの妹を誘拐したのですね」

「いや、僕じゃなくてこっちね」


 ヒカゲが那由多を紹介するように指をさす。

 ナツはわかっています、とばかりに柔和に微笑んでから刃物を那由多へむけた。洗練された滑らかな動き。だが、既視感があった。

 ――あぁ。アゲハが少しばかりナツを鍛えたか。

 右側のもみあげだけが少し長く鮮やかな金髪に、星形のピアスを両耳にして赤いパーカーを羽織った那由多は、殺意を込めたナツの言葉に笑いながら返答した。


「そうだ。レースはオレのものだからな。だから、お前がオレからレースを奪おうとするのなら容赦はしない」


 殺意のお返しに、那由多は鉈を向けた。何人も解体して切り刻んだ血がしみ込んだ凶器。

 廃ビルが殺意の満たされるのをヒカゲは笑う。

 快楽の気配に、身体が興奮する。空気のぴりついた感覚が心地よい。


「アゲハ、イサナ。僕たちは上へ行こうか。ここは彼らの邪魔をしてしまう」


 両手を広げたまま悠々と歩き、二階への階段を上っていく。アゲハとイサナが背後から拳銃で撃ってくるとは思っていない。


「ナツ。那由多は任せたわよ」

「えぇ。むしろ誰にも奪わせませんよ、ボクはこの日のために、たくさん、練習してきたのですから!」


 背後の会話も、ヒカゲは興味がない。

 那由多は相棒として共犯者として、これからもヒカゲの死体を処理する。

 ただ一人の友人への心配は不要だ。


 二階は殺人のために最低限のものが置かれていない一階とは異なり、那由多が主に死体を後始末するための必要な道具などが置いてあるので、物が整然と並んでいる。配置は特に変えていないから、イサナも見知ったままだ。

 事務机に、無数の金庫に、本棚に、掃除用具入れ、洋服ダンスまで暇つぶしから着替えに必要な道具を隠しておくものまで揃っている。


「こうして正面から会話をするのは久しぶりだな、イサナ」

「……えぇ、久しぶりですねヒカゲ」


 正面から向き合う。薄暗い中でもイサナの美貌は保証されている。

 京叶はイサナの顔を作って返答をしてくれた。

 服装が変わっても演技をすれば優美な雰囲気は恰好関係なく満ち溢れてくる。

 ヒカゲは放置してある事務机に近づき、銀色のナイフでペン回しをする。


「隣で虎視眈々と狙っている人物がいるとは夢にも思わなかった! おかげで怪我をしてからは憂鬱メランコリーな日々を送る羽目になったよ」

「それだけ私の演技が完璧だったということですね」

「ああ。完璧だった」


 それでも最後の最後で不安にかられたイサナは失敗を犯した。

 あともう一年でも一緒にいれば、ヒカゲはイサナを完璧に信頼して相棒としていただろう。

 イサナもあれだけ執念深く復讐の機会をうかがっていたのだからあと一年は容易で待てたはずだ。

 不確定要素さえ、なければ。イサナは全てを完璧にこなせた。


「まったく。出利葉いでりはさんや天喰あまじきがいなければ、私は完璧に自分の目的を達成することができたというのに。世の中上手くいきませんね。私がどれほど代償を払ったかしらないのか。運命は」

「払った代償と、引き受ける代価のつり合いがとれてしまったんじゃないかな」

「あぁ……たしかに私は人を殺しはしませんけれど、沢山見捨てましたからね。それでプラマイゼロか」

「そういうことだ」

「なら、仕方ありません。納得はしませんけど」


 事務所で探偵と助手兼事務員としていたころの関係のように和やかに会話がすすむ。

 けれど、両方が生き残って和解する可能性など奇跡が起きたってありえない。

 全員にとっての大団円は存在しない。


「アゲハも意外だったよ」

「何がよ」


 冷たい声色でアゲハが応じた。


「お前がそこまで僕が殺した男に入れ込んでいたことだ」

「出利葉よ。兄貴は殺した人の顔も名前も覚えない。けど、出利葉のことまで忘れないでちょうだい」

「覚えていたとしても、それはそれで不快なんじゃないの?」

「そうね。兄貴の記憶にひとかけらでも出利葉のことが残っていると思うと苛立たしいわ。でもね、それ以上に兄貴の記憶にまったく残っていないのは、この上なく腹立たしいのよ」

「こうしてみると本当に」


 イサナが会話に割って入ってきた。イサナは空気を読むことに長けているからヒカゲとしては意外だった。


「あなたたち兄妹は本当にそっくりなのですね」

「ちょっとイサナ心外なんだけど?」

「そっくりでしょう。結局、ただ一人をみつけたらそれに執着するところとか。ヒカゲは天喰に。アゲハは出利葉さんに。それぞれ忘れられない思い出を作ってしまっている」

「……そうね。だって仕方ないんじゃないの。嬉しくないけど、わたしと兄貴はどうしたって似ているもの」


 実際、そこはどれほど嫌っていても認めるしかない部分だと、ヒカゲもアゲハも理解している。

 だが、相違があるなとヒカゲは気づく。

 ヒカゲもアゲハのことは好きではない。けれど、嫌いの比率はアゲハが兄に向ける感情の方が大きいのだ。昔はそこまで差がなかった。

 ヒカゲの記憶にはないに等しい出利葉が、アゲハを変えたのだ。


「でも、自分のことを棚にあげているわよイサナ。おまえだってそうやってイサナの演技を続けている時点でおかしいもの」

「あぁ、そんなことは重々承知さ。真っ当なら、復讐なんてやめて生きている事実に感謝して、前を向いて生きているに決まっているだろ」


 かなどめとしての姿でイサナは吐き捨てるように答えた。


「さて。無駄話に花を咲かせていても仕方ないな。イサナ。僕に快楽を頂戴」


 イサナとアゲハは同時に拳銃を構えた。

 ヒカゲはそれより早く動く。アゲハは猫を彷彿されるような動きで、ヒカゲと距離を詰めてきた。




 那由多とナツは真正面に見据える。


「あぁ。本当に良かったです」


 喜びと憎悪と悲しみを一緒に混ぜて料理したかのような表情に、那由多は眉を顰める。


「ボクが殺してきたことは無駄じゃなかったことに安堵しました」

「はっ随分と練習したようだな」

「えぇ。練習は、とても楽しかったですよ」

「どの顔がいうんだか」


 那由多は吐き捨てる。

 ナツの殺してしまった人への罪悪感、罪の意識、殺した感触が心を苛み、耐えきれなかったものが表面へとあふれ出ている。

 そんなやつのどこが楽しいとほざくのかと、那由多は上階にいるヒカゲの姿を思い浮かべる。

 本当に楽しい奴は、恍惚しながら人を殺し、悲鳴を堪能し骨の髄まで快楽に浸る殺人鬼ヒカゲのような振る舞いをする。

 ナツのように顔と心が一致しない奴のことではない。


「まっ、別にどうでもいいか」


 那由多は思考を切り替える。目の前の男はレースを悲しませるから殺したくはなかったが、レースとの日常を邪魔する存在は排除するだけだ。レースは誰にも渡さない。奪おうとする意志があるやつは全員殺す。

 那由多は鉈を右手に構えて走り出す。


「負けませんよ、この日のために、一杯。一杯。練習してきたんですから!」


 ナツは涙を流しながら笑った。

 ナイフと鉈が幾度衝突して音を奏でる。


「お前、本の虫のような外見して案外素早いな!」


 那由多が鉈を振り下ろすが、寸前のところでナツが回避した。

 外見に反して動きは素早く、けれどヒカゲのように手数で攻めるわけではなく一撃一撃に重みがある。


「確かに読書は趣味ですけど、運動も嫌いじゃありませんので」


 律儀にナツが答えたので、那由多はおかしくて笑った。

 横からの切り付けを那由多は鉈で押さえる。重たい一撃が手首に響く。

 ナツが横腹に蹴りを入れるのを、那由多は足に力を入れて踏ん張りながら、空いている左手で顔面を力任せに殴る。ナツは後方に下がり、左手で頬をぬぐった。唇からは血が流れている。


「痛いです」

「こっちだっていてぇよ」


 唾をぺっと那由多が地面に吐き捨てる。ナツの動きはヒカゲに似ている。素早い。だが、決定的な違いは一撃の重さだ。


「アゲハに教えてもらったのか?」

「えぇ」


 那由多の疑問に、ナツは渋ることなく答えた。素直な優等生、そんな印象が増えていく。

 走り出し距離を縮める。

 鉈が振るわれるのをナツは一つ一つ捌く。

 毛先が宙を踊り、無数の小さな傷が那由多に刻まれ、ナツは腕から血を滴らせている。痛みに表情を歪めながら隙を伺っていると、銃声が響いた。

 那由多は思わず上階に気を取られる。ヒカゲの安否を一瞬気遣ったのが、致命的なミス。ナツ以外に気を取られるべきではないのに、油断した。

 ナツが好機と那由多の視界から姿を消し踏み込んできた。

 ヤバいと那由多が焦ったときには遅い、振るわれる刃を防ぎきることはできない。

 ならばせめて致命傷は避けようと判断を切り替える。

 だが、振るわれたナイフはさらなる音に妨害される。


「やめて!」


 那由多を殺しかけた一撃は途中で止まった。那由多は一歩後方へ飛ぶ。

 その声は、廃ビルに響いた声は――聞こえてはならないものだ。

 那由多とナツは、驚愕で彩られた瞳でお互いを見つめ合っていたが、やがて機械のような動きで声の主を同時に見た。

 真っ白に染まった髪のもみあげは長く、片目には治療用の眼帯をした細身の少女レースが廃ビルの入り口で両手を握りしめて震えながら立っていた。


「やめて――お兄ちゃん」

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