第28話:再会

 黒を深く纏い光を拒みながら廃ビルに到着する。

 太陽の光を見納めるように眺めてから中へ入ると、光は拒まれ闇が広がる。電灯をつけるとむき出しの鉄筋やコンクリートが落ちた様が視界に入る。

 ルミノールを吹きかければ、世界が一面発光するだろう血に塗れた場所。

 人殺しに暫く使わなかったから、汚れがたまっているなと埃の塊を見てヒカゲは思う。


「てっきり待ち伏せされていると思ったが、そんなこともないか。いや、爆弾をあらかじめ設置していて、どこからか俺たちを見ていてスイッチを押してビルごと叩き潰すつもりとかはあるか」


 那由多はむき出しの鉈を担ぎながら周囲を隙なく見渡す。

 異変はないが、一網打尽にする手段を行使してくる可能性はあると警戒する。


「いや、それはないよ」

「人が出入りした痕跡がないからか?」

「違うよ。僕たちの信頼関係があるからさ」

「純度百パーセントの嘘か?」

「酷い」

「オレにも理解できるように言え」


 眉間に皴を寄せながら那由多が言及するとヒカゲは肩を竦める。


「お互いにわかっているんだ、小細工をすることに意味がないと。アゲハはともかく、イサナは僕を永遠に閉じ込めておきたい。そして僕はイサナを遊んで殺したい。つまり、爆弾ボムを仕掛けることに意味はない」

「あぁ……そりゃ意味はないが、レースの兄は別だろ」

「レースの兄だって殺人練習を繰り返したんだ。直接その手で那由多を切り刻みたいよ」

「あっそ」

「お互いの目的パーパスが相手をただ意味もなく殺すだけなら手段は問わなかっただろうけど、その場合はお互い警戒をしているだろうから、仕掛けをした段階で相手はやってこなかっただろうさ。結局、仕掛けをしてもお互い殺せない危険リスクが生じるから、その場合も何もしなかったと思うよ」

「まぁ確かに、お互い理解しているって意味の信頼関係ならあるか。お前とイサナは探偵と助手で、お前とアゲハは兄妹なんだから」

「そういうこと!」


 にんまりとヒカゲは笑った。

 快楽殺人鬼が快楽を我慢していたから、これから存分に堪能できると舌なめずりしている。


「さて、椅子に座って休憩でもしようか」

「お前はマイペースすぎるな」


 殺し合いを控えているとは思えない能天気さに那由多は呆れる。

 椅子に座る前にアゲハたちが来ればいいのにと考えていると願いが通じたのか、さぁ椅子に座ろうとヒカゲがパイプ椅子を開いたとき扉が勢いよく開かれた。

 ヒカゲを幼くして性別を変えれば瓜二つの双子に見える黒づくめに真っ赤なリボンが特徴的な少女と、皮ジャンにTシャツ、ジーパンにスニーカーという以前の女性らしい服とは異なり動きやすさを重視したスポーティーな格好のイサナが並んで姿を見せ、後ろから柔らかい笑顔の男性が現れる。緩やかなウェーブがかかった茶髪に、温厚で人畜無害の表現が似合う顔立ちに眼鏡をかけ、ひざ丈のカーディガンを羽織っている。


「やぁ、アゲハにイサナ。久しぶり。そちらは初めまして、


 ヒカゲが両手を広げて不気味な笑顔で迎える。


「由乃? 誰だ」


 那由多は見知らぬ名前に首を傾げた。


「……お前がレースって名付けたレースの本来の名前だろ」


 誘拐した本人が本名を何故知らないとヒカゲは失笑する。


「うるせぇ。名前なんて興味なかったんだよ。レースは、レースだ」


 那由多はレースの本名に興味がなかった。

 それはレースのものであり、那由多のものである名前ではないから。だからレースと名乗り、本名を名乗ることは許さなかった。

 故に知らず、故にヒカゲにも教えていなかった。

 探偵として無駄に高いスキルを使って、リハビリと称し外出しているときにレースの本名と素性を調べ上げたのだろうと那由多は舌打ちする。


「由乃はどこにいますか?」


 一歩ナツが前に出て、柔らかい笑顔で尋ねる。不自然なほど顔になじんだ笑顔だった。


「お前の妹は、那由多の家にいるよ」

「そうですか。貴方がボクの妹を誘拐したのですね」


 ナツが鋭利な刃物を那由多へ向ける。

 右側のもみあげだけが少し長く鮮やかな金髪に、星形のピアスを両耳にして赤いパーカーを羽織った那由多は、殺意を込めたナツの言葉に笑いながら返答する。


「そうだ。レースはオレのものだからな。だから、お前がオレからレースを奪おうとするのなら容赦はしない」


 殺意のお返しに、那由多は鉈を向ける。何人も解体して切り刻んだ血がしみ込んだ凶器。

 廃ビルが殺意の満たされるのをヒカゲは笑う。快楽の気配に、身体が興奮する。


「アゲハ、イサナ。僕たちは上へ行こうか。ここは彼らの邪魔をしてしまう」


 両手を広げたまま悠々と歩き、二階への階段を上っていく。ヒカゲに上られては追うしかないとアゲハとイサナはアイコンタクトを取ってから駆け出す。


「ナツ。那由他は任せたわよ」

「えぇ。むしろ誰にも奪わせませんよ、ボクはこの日のために、たくさん、練習してきたのですから!」


 練習のために他人を犠牲にしてきた。

 眼鏡をはずした視界から顔は認識できなかったが音は、空気は、態度は伝わってきて記憶に刻みつけられていた死が蘇り、瞳から涙をこぼしながらナツが嬉々として答える。


「それもそうね。それじゃあ」


 アゲハはナツの背中をたたく。

 イサナは無言のままナツを横目で見るだけにとどまった。

 言葉は不要。お互い己の目的のために手を組んでいるに過ぎないのだから。

 階段を上り切り、広々とした空間に出るときイサナとアゲハはヒカゲが攻撃を仕掛けてくるとは考えていないため警戒はしなかった。

 勢いよく飛び出す。二階は一階以上に人が手を加えなかった結果、埃にまみれている。

 ただし、殺人のために物が最低限しか置かれていない一階とは異なり、此方はヒカゲと那由多が死体の後始末をするための空間なため、物が整然と並んで存在していた。

 事務机に、無数の金庫に、本棚に、掃除用具入れ、洋服ダンスまで暇つぶしから着替えに必要な道具を隠しておくものまで揃っている。


「こうして正面から会話をするのは久しぶりだな、イサナ」

「……えぇ、久しぶりですねヒカゲ」


 カナドメキョウはイサナの顔を作って返答をする。服装が変わっても演技をすれば優美な雰囲気は恰好関係なく満ち溢れてくる。

 ヒカゲは放置してある事務机に腰かけ、銀色のナイフでペン回しをする。


「全く、僕が愚かだったよ。まさか隣で虎視眈々と狙っている人物がいるとは夢にも思わなかった! おかげで怪我をしてからは憂鬱メランコリーな日々を送る羽目になった」

「それだけ私の演技が完璧だったということですよ」

「ほんと、イサナの変容メタモルフォーゼ完璧パーフェクトだ」


 和やかに話をする雰囲気はとてもこれから殺し合いをするとは思えない。

 けれども、イサナもヒカゲも、出利葉を殺されたアゲハもお互いを殺すと決めている。

 両方が生き残って和解する可能性など奇跡が起きたってありえない。


「アゲハも意外だったよ」

「何がよ」


 冷たくアゲハが尋ねる。

 元々冷え切った兄妹関係だが、出利葉を殺されたことでアゲハの中には兄に対する感情は殺意しか残っていない。


「お前がそこまで僕が殺した男に入れ込んでいたことだ」

出利葉いでりはよ。兄貴は殺した人の顔も名前も憶えない、けどね――出利葉のことまで忘れないでちょうだい」

「覚えていたとしても、それはそれで不快なんじゃないの?」

「そうね。兄貴の記憶にひとかけらでも出利葉のことが残っていると思うと苛立たしいわ。でもね、それ以上に兄貴の記憶にまったく残っていないのはこの上なく腹立たしいのよ!」


 覚えられていること以上に、覚えられていないことは苛立たしかった。


「だから、わたしはイサナと手を組んだのよ」

「だろうね。出利葉に入れ込んでいなければ、アゲハは直接僕を殺しにこない。またどこかで別の僕を殺したい人間を探すだけだ。それをしないってだけでアゲハの思いは伝わってくるよ」

「でしょうね」

「貴方たち兄妹は本当に、面白いくらい仲が悪いですよね」


 イサナのままクスクスと笑う。お互いに殺したいほど仲の悪い兄妹。そして実際に殺しあう兄妹。


「おまえだって、そうやってイサナの演技を続けている時点で、どこかおかしいけれどね」


 アゲハが正直に告げる。ナツもイサナもおかしいからヒカゲと那由多を殺そうとしている。


「あぁ、そんなことは重々承知さ。真っ当なら、復讐なんてやめて生きている事実に感謝して前を向いて生きているに決まっているだろ」


 カナドメとしての姿を見せてイサナは答える。

 復讐のためにすべてを捨ててイサナとなった男の答え。


「じゃあ、無駄話をいつまでしていても仕方ない。僕に――殺させておくれ! ずっとずっと我慢していたんだ。だから、僕に快楽を頂戴」


 ヒカゲが恍惚としながらナイフを向ける。

 イサナとアゲハは同時に拳銃を構え、狙いを済ませる。先に動いたのはヒカゲだった。猫を彷彿させる素早い動きで走り出す。




 那由多とナツは真正面に見据える。


「あぁ。本当に良かったです」


 ナツは歓喜する。喜びと憎悪と悲しみを一緒に混ぜて料理したかのような表情に那由多は眉を顰める。


「ボクが殺してきたことは無駄じゃなかったことに安堵しました」

「はっ随分と練習したようだな」

「えぇ。練習は、とても楽しかったですよ」

「どの顔がいうんだか」


 那由多は吐き捨てる。

 ナツの殺してしまった人への罪悪感、罪の意識、その殺した感触が心を苛み耐えきれなかったものが表面へとあふれ出ている。

 そんなやつのどこが楽しいとほざくのかと那由多は上階にいるヒカゲの姿を思い浮かべる。本当に楽しい奴は、恍惚しながら人を殺し、悲鳴を堪能し骨の髄まで快楽に浸る快楽殺人鬼ヒカゲのような振る舞いをする。

 ナツのように顔と心が一致しない奴のことではない。


「まっ、別にどうでもいいか」


 那由多は思考を切り替える。目の前の男はレースを悲しませるから殺したくはなかったが、レースとの日常を邪魔する存在は排除するだけだ。

 那由多は鉈を右手に構えて走り出す。


「負けませんよ、この日のために、一杯。一杯。練習してきたんですから!」


 ナツは涙を流しながら笑った。

 ナイフと鉈が幾度衝突して音を奏でる。


「お前、本の虫のような外見して案外素早いな!」


 那由多が鉈を振り下ろすが、寸前のところでナツは回避する。外見に反して動きは素早く、けれどヒカゲのように手数で攻めるわけではなく一撃一撃に重みがあった。


「確かに読書は趣味ですけど、運動も嫌いじゃありませんので」


 律儀にナツが答えたので、那由多はおかしくて笑った。


「ははっ! 運動大嫌いみたいな顔しているくせに!」

「それは偏見ですね。それにボクは中学高校と陸上部ですよ」

「は!? まじかよ、同じ部活かよ!」


 横からの切り付けを那由多は鉈で押さえる。重たい一撃が手首に響く。ナツが横腹に蹴りを入れるのを那由多は足に力を入れて踏ん張りながら空いている左手で顔面を力任せに殴る。

 ナツは後方に下がりながら、左手で頬に触れると、痛みがじんじんと伝わってくるし口内を鉄の味が満たしてくる。


「痛いです」

「こっちだっていてぇよ」


 唾をぺっと那由多が地面に吐き捨てながら、走り出し距離を縮める。

 鉈が振るわれるのをナツは一つ一つ捌く。

 毛先が宙を踊り、無数の小さな傷が那由多に刻まれ、ナツは腕から血を滴らせながら、痛みに表情を歪めながら隙を伺っていると、銃声が響いた。

 那由多は思わず上階に気を取られる。

 アゲハとイサナは、ヒカゲを殺すための銃を持ち出したかと思考してしまったのが致命的なミス。

 ナツが好機と那由多の視界から姿を消し踏み込む。

 ヤバいと那由多が焦ったときには遅い、振るわれる刃を防ぎきることはできない。ならばせめて致命傷は避けようと判断を切り替える。

 だが、振るわれたナイフはさらなる音に妨害される。


「やめて!」


 廃ビルに響いた声に、ナツと那由多の顔が驚愕で彩られ双方の動きが停止する。

 その声は、この場にはいてはいけない存在の色合い。

 那由多とナツが同時に声の主を見る。

 真っ白に染まった髪のもみあげは長く、片目には治療用の眼帯をした細身の少女が廃ビルの入り口で両手を握りしめて震えながら立っていた。


「やめて――お兄ちゃん」

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