2部ー第6話:回想Ⅱ
闇医者が少女の言葉を叶えてあげたいと思ったのは同情か、憐憫か、それ以外か、判断する要素は持ち合わせていない。
それほど少女と会話を重ねたわけではない。少女は常に涙を流す人形のようだったし、闇医者から話しかけるほどの言葉も持ち合わせていない。
それでも風が吹けば飛んでいくような夢として、望まれたら――叶えてあげたいと思った。
何度も那由多に殴られ続ける少女。
最初に出会ったときは眼球を抉られていたものの、まだ残された瞳には僅かながらの光があった。
けれど、今、その残滓はない。
自殺に何度も失敗して、那由多に殴られて、ボロボロになって。それを何度も繰り返している。
そして闇医者は少女を死なせないために那由多に呼ばれる。
治療を繰り返し、少女は自殺未遂を繰り返すだけの関係。
少女が死にたいことを理解していながらも、仕事だから治療し続けた。
そこに、抱くものはなかったはずなのに、ただ一つの望みを言葉にされたら叶えたい思った。
だから拳銃を手に取った。
一番優しく殺せる方法だと思った。
痛みはあっても、那由多に殴られるよりは、ましだ。ちゃんと急所を貫けば、死が訪れるまではわずかな時間で済む。
闇医者の手が僅かに震える。
同情も、憐憫も、抱いていないはずだ。
そうであったのならば、両手で足りるかわからない程度に彼女を治療し続けてきたりはしないはずだ。
ただ、果たして殺してあげるよりも少女にとっていい未来があるのではないか、とういう迷いが生じた。
その刹那が決定的な間違いだった。
勢いよく扉が開かれ、那由多が鉈で襲いかかってきた。闇医者は咄嗟に交わす。白衣が破れる。壊れる、音がした。
「てめぇ! 何、レースを殺そうとしているんだ!」
「――悪趣味が!」
外にいた那由多が、状況を明確に把握して襲い掛かってきたということは、どこかに監視カメラを仕掛けていたということだ。闇医者は舌打ちした。
レースに対する異様なまでの執着を理解していたはずなのに、監視している事実にまで思考が至らなかった。
執着を、見誤った。
ただ少女を治療して帰っていった。知っているのはボロボロの少女の姿だけ。
だから周囲に関心など寄せなかった。
それでも――躊躇しなければ、少女は死ねた。少女を、殺せた。
那由多が鉈を振り回すのを狭い室内で回避しながら、拳銃を構える。それは狭い室内で振り回すべきものではない。
肝を冷やしながら回避を寸前でする。銃で応戦するしかないが、狙いが絞れない。もとより護身用で持ち歩いているだけだ。動いている人間を的確に当てられる自信がない。
この部屋には、少女もいる。下手な場所に当てらただ苦しみを増させるだけだ。照準を定められない。
「レースはオレのものだ! 奪うことは許さねぇ!」
「くそっ」
右腕を鉈がかすめた。痛みで拳銃を手放してしまった。
致命的なミスと気づいたときにはすべてが遅い。鳩尾に衝撃がはしった。那由多の右手がのめりこんでいる。壁に激突して倒れかけた身体は、しかし頭皮への激痛とともにとまった。那由多が、髪の毛を掴んでいた。
「ふざけんじゃねぇぞ、闇医者」
引っ張られるまま仰向けで絨毯の上に倒される。流れるような動作で那由多が鉈を手首に突き立て、足で鉈の柄を踏みながら手首を切断した。
あまりにも躊躇や戸惑いがなさに、恐怖はなかった。痛みは猛烈だったが、唇を噛みしめることで最低限、闇医者は悲鳴を緩和できた。
那由多は一切の躊躇なく、暴力を――執拗なほどに浴びせてきた。
激痛が、右から左、上から下へと次々と闇医者の身体を移動していく。悲鳴を上げる暇さえない、とさえ言えた。
「レース。どうして殺してなんて闇医者に頼んだんだ」
那由多の怒りは、それでもなお収まっていない。短気な那由多は怒りが収まるのも早いが、予想以上に逆鱗に触れたようだと闇医者は自嘲したくなった。
ただ、少し迷っただけで――すべてを惨状に変えてしまった。好転する奇跡はない。
髪を掴まれ、ベッドの上に放り投げられた。もはやその程度では痛みすら感じない。レースがベッドの上でただ震えているのが見えた。
「あ、あの、あのその」
「――お前を逃がすわけねぇだろ」
「ぼ、ぼくが、殺してと頼んだ……だけだから」
馬鹿な子だ。と闇医者は思った。
「だからなんだ? 承諾したのは闇医者のせいだろ?」
闇医者が気づいたときには、視界が半分になっていた。レースが口元を両手で抑えている。折れそうな細い足を見て、まだ治療が途中だったこと思い出した。
「食べろ」
闇医者の半分を見ていた眼球を那由多がレースに差し出した。
「食べろ」
高圧的な、横暴な態度で那由多が無理やりレースの口に押し込んだ。
「――あぁ」
声が漏れたのは、闇医者かレースか。
「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」
「いや……俺が悪かった」
躊躇しなければ、殺してあげることができた。その後、闇医者が那由多に殺される未来は変わらなかったとしても。
人を食べたくなくて、死にたいだけの少女を――死なせることができなかった。
世界が真っ暗になった。
「殺してやれなくて、悪い」
少女は、これ以降、死に憧れたまま、死を望むことを諦めるのだと闇医者は最期に思った。
***
「あれ以来、レースは自殺もしないし、オレの料理も食べるようになったから、結果としてはよかったな」
出会いを語り終えた那由多は満足そうにそう締めくくった。ヒカゲは途中から手が寂しかったので、髪の毛を三つ編みにして遊んだ。枝毛が見つからなくて良かった。
「人に話を求めながら、なんでてめぇは暇そうにしてんだよ!」
「暇ではないよ。ただ、何もすることがなかったから。闇医者の死体はどうしたの」
「食べた。レースと一緒に仲良くな」
「最低だよホント。闇医者ほど便利な医者はいなかったんだ、何も殺さなくても良かっただろ」
「は? 生かして帰せと? できるわけねぇーだろ」
「なら監禁でもすればよかったじゃん。知識と、その腕と、瞳が必要なんだから。手首を切り落とさず、両目も抉らなければいいだけの話だし。足くらいなら、なくてもいいと思うよ。耳は音が必要かもしれないからなしだけど」
「てめぇのほうが酷くねぇか?」
「闇医者が生きていたら、僕の世話だってもうとっくに那由多はしなくてよくなっていたはずだし」
「世話されている自覚があるなら、世話されている相応のしおらしい態度を求めてぇな。あと、流石にどんな腕のいい医者でもまだ無理だろ」
「……そうかな?」
「そうだろ。お前の怪我、軽くないんだから」
「まぁ、そうかもしれないけど。でも傷跡は残らなかった。残ったら嫌だろ」
ズボンで隠れている太ももをヒカゲは軽く撫でた。
「傷跡残っても別にいいだろ、第一、年中黒助なお前が肌を露出させて誰かに見せる場面ねぇだろ。見えないとこの傷なんてノーカンだノーカン」
「僕が僕の肌は見るじゃん。まあ、それはいいや。那由多はレースを手放すつもりはないんだよな?」
「当たり前だ。再確認するなんて愚問だな」
「なら、やっぱ那由多の敵はレースの兄だよ。アゲハとイサナ、そしてレースの兄。ねぇ那由多」
ヒカゲは微笑む。
「一緒に僕らの敵を殺そうじゃないか」
伸ばした手を、那由多は乱暴な握手をするように掴んだ。
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