第26話:悪い
闇医者が少女の懇願を叶えたいと思ったのは、同情か別の感情かは不明。
何度も執拗に那由多に殴られ続ける少女は死さえ許されず生かされている。
それを闇医者は少女の望みに逆らって、治療し命を繫ぎ続けている。
逆らうことに罪悪感があったのかも謎だ。けれど、切実に死を望む少女を殺してあげたいと思った。
望まれるならこの手で現実に終止符をもたらそうと思った。
だから拳銃を手に取った。
闇医者の手が僅かに震える。殺してあげたいが、果たして殺してあげるよりも少女にとっていい未来があるのではないかとういう迷い。
その刹那が決定的な間違いだった。
勢いよく扉が開かれ、那由多が鉈で襲い掛かってきた。闇医者は咄嗟に交わす。白衣が破れる。
「那由多!」
「てめぇ! 何、レースを殺そうとしているんだ!」
「――悪趣味が!」
熾烈な怒りを露わにする那由多の瞳には少女を殺そうとした闇医者を生かしはしない、明確な殺意が宿っていた。
闇医者は舌打ちする。外にいた那由多が状況を的確に把握して襲ってきたということは、監視カメラを少女の自室に仕掛けていたということに他ならない。
死を許さず、食事を共にし、気に入らなければ暴力を振るい、怪我を治す異様なまでの執着を目の当たりにしていたはずなのに、少女を監視している事実に思い至らなかった自分自身のミスを後悔する。
迷いがなければ、少女を那由多から救ってやることができた。
死が救いとは思えないが、しかし少女にとって死は救いだった。
そのチャンスを棒にしてしまった。
けれど――まだ闇医者は諦めていない。那由多を殺せば、少女を殺さずとも死の渇望から救うことができるのだと思考を改める。
那由多が怒りに任せて鉈を狭い室内で振り回す。
物が破壊される。治療道具を入れていた鞄が真っ二つに裂けた。
闇医者は少女へ矛先が向かないように鉈を回避しながら拳銃を構える。サプレッサーを付けた拳銃の引き金を引くが、那由多には当たらず壁に穴をあけた。
闇医者は舌打ちする。那由多の動きが見た目と裏腹に機敏で標準を当てにくい。
「レースはオレのものだ! 奪うことは許さねぇ!」
「彼女は、お前のモノ、じゃねぇよ」
「オレのに決まってるだろ!」
那由多の怒りを纏った鉈が闇医者の右腕を掠める。痛みで引き金を引けない。那由多が距離を詰めて拳銃を叩き落とし、鳩尾に拳を叩きこむ。壁に激突して倒れる闇医者の髪を掴んで引き寄せる。
「ふざけんじゃねぇぞ、闇医者」
鉈を手首に突き立て、足で鉈の柄を踏みながら手首を切断する。
強烈な痛みに、けれど闇医者は悲鳴を上げず噛みしめた唇から血が流れる。
「ふざけてなんか、いないさ」
闇医者は那由多を睨みつける。
それが那由多の怒りを冷ますどころか加熱することになるとわかっていても、闇医者は激痛を我慢し挑発的な笑みを浮かべる。冷や汗が頬をつたう。
「ざけんな!」
那由多は切断面を蹴りつける。猛烈な痛みが衝撃として襲ってくるが、悲鳴を上げてたまるかと固く口を閉じる。
身動きできなくなるほど闇医者を痛めつけ後、那由多は彼を引きずりながらベッドに上がる。
「レース。どうして殺してなんて闇医者に頼んだんだ」
少女は逃げ出したいが、足が震えて逃げ出せなかった。
「あ、あの、あのその、あっ……ああぁ」
「――お前を逃がすわけねぇだろ」
「ぼ、ぼくが、殺してと頼んだ……だけだから」
闇医者を殺さないで――懇願は掠れて言葉にならない。
血に塗れて、息も絶え絶えな姿は痛ましく、悲鳴を上げたいほど痛いはずなのに少女を怖がらせないためか、我慢する姿に涙があふれてくる。
「だからなんだ? 承諾したのは闇医者だろ」
那由多は闇医者の目玉を抉る。少女から悲鳴が漏れる。
「ひぃっ!」
「食べろ」
少女は首を横に振るが、那由多は拒絶を許さない。
「食べろ」
無理矢理口の中に殺してと懇願した相手の目玉が入ってくる。涙が止まらない。口と鼻をふさがれ、息苦しさから飲み込んでしまう。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさっ」
泣きながら、少女はひたすら謝る。涙が留まることを知らない。
殺してと懇願しなければ、こんな事態に闇医者が陥ることはなかった。
自分で死ねないから他人に殺してもらおうと思ったから、こんなことになった。
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいっ」
「いや……私が悪かった」
片方の瞳を失いながら、弱弱しく闇医者は少女へ言葉を向ける。
躊躇しなければ、殺してあげることができた。躊躇したばかりに殺してあげることができなかったばかりでなく、人を食べたくないのに食べさせてしまった。
だから少女は悪くないと微笑む。
那由多は怒りが一周して冷静になった。冷酷で残虐な表情で、那由多は残った片方の瞳を無情に抉り、自分の口に含む。堪能するように、瞳を食らうありさまを少女に向けるように咀嚼する。
光が失われた闇医者は、激痛に耐えながら少女の方を向いて最後の言葉を発する。
「殺してやれなくて、悪い」
那由多が闇医者の身体を切り離すたびに襲う激痛に我慢する力すら失ったのか悲鳴が上がる。少女は両耳を塞いで遮断したかったが那由多がそれを許さなかった。
生きたまま、闇医者は死ぬまで那由多に食べられ、少女は殺されていくさまを見せつけられながら、闇医者を食べさせられた。
以降、少女は死に憧れ生を諦めながら死を望むことを諦めた。
◇
「最初、闇医者がレースを殺そうとしたときは腹が立って仕方なかったけど、あれ以来レースが自殺しないしオレの料理を食べるようになったからまぁ良かった面もあるよな」
缶ビールを飲みながら那由多はヒカゲに一通りの話を聞かせる。
ヒカゲは那由多の話を聞きながらも、手が寂しかったのかお団子にしていないで残っている髪の毛を三つ編みにして遊んでいた。
アルカがいればよかったのだが、まだ心地よく寝ていた。自分の膝で寝てくれればよかったのにと寂しさがある。
「人に話を求めながらてめぇは三つ編みして遊んでいるとかいい度胸だよな」
「いや、手持無沙汰だったんだもん。アルカはすやすや寝ているし」
「連れてくるか?」
「ダメ。アルカが寝ているのを邪魔しちゃダメだ」
「……ホント、オッドアイだから入れ込んでるな。猫が可愛いのは認めるけどよ」
「アルカは一番可愛い! 世界で一番可愛い猫だ」
「はいはい」
幸せそうに微笑むヒカゲの表情は、しかしどこか寂しさが溢れていて那由多はため息をつく。
「それにしてもホント、那由多は酷いなー。闇医者程便利な医者はいなかったのに。闇医者が生きていたら僕はきっともう飛んだり跳ねたりできたはずだぞ」
車いすをヒカゲは叩く。
「流石にどんな腕のいい医者でもまだ無理だろ」
「まぁ、そうかもしれないけど。でもナイフの傷跡とか残ったら嫌だろ」
「女じゃねぇんだ傷跡残っても別にいいだろ、第一、年中黒助なお前が肌を露出させて誰かに見せる場面ねぇだろ」
「まぁないな。……那由多はレースを手放すつもりはないんだよな?」
「当たり前だ。再確認するなんて愚門だろ」
「だよな。なら、レースの兄は那由多の
ヒカゲは不敵な笑みで微笑む。伸ばした手を那由多はつかんだ。
「そうだな。じゃあ、まずはヒカゲの回復を願って乾杯するか」
「
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