2部ー第4話:信じる
那由多がありえないと露骨に顔を顰めた。
「いや……流石にそれはないんじゃねーか? いくらなんでも理解できねぇよ。オレを殺そうとして、殺せる場面で躊躇するつーのは、わかる。一応。けど、本命を殺すために予行練習をするってのはおかしいだろ? そのために、兄が無実の他人を殺して回っているって? アホか」
「そんなわけそれこそないさ。練習は大事だろ? 本番の時に失敗したら困るんだから」
「ねぇよ。オレが倫理を説くわけじゃねぇけど、他人の命は大事だろ」
「那由多の発言過去一面白いかも。バレンタインのチョコだって、本命に渡すのに手作りで失敗したら困るから練習するでしょ。それと同じだ」
「甘酸っぱいものと殺伐としたものを同列に出すんじゃねぇよ! お前の実体験か? 本命誰だよ!」
「実体験でもないし本命はいないよ。大体、失敗するかもしれない程度の腕前なら、手作りより有名ブランドのチョコを買って渡した方が喜ばれるだろ」
「オレは手作りの方が好きだけどって、バレンタインの話じゃねぇよ脱線しすぎだ!」
「うるさいなぁ」
ヒカゲが耳を軽く塞ぐと、那由多が盛大にため息を吐いてから、レースと再び向き合った。
「……で、レース、お前の兄なのか? 本当に、そうなのか? オレを殺したいから他の人を殺しているのか?」
尋ねられたレースは、瞳が落ち着きなく動き返答に迷っている。
「ゆっくり、お前が思ったことを伝えてくれればいい」
那由多が、レースの骨と皮しかないような肩に手を伸ばすと、彼女が震えたので恐怖だと受け取り、手を自分の膝に乗せ辛抱強く待つ。
静寂な時間が流れ、やがてレースがおずおずと口を開いた。
「違う。お兄ちゃんは、人殺しなんて残酷なことはできない」
はっきりとした口調で、レースは断定した。暗い瞳に、縋るような希望が映る。
「お兄ちゃんは、優しいよ……仮に、ほんとうに、もしもだけど……誰かを殺したいと、思っていても、そのために他の人を犠牲にしようなんて、お兄ちゃんは思わないよ……ぼくの、お兄ちゃんは……そんなこと、しない」
「違うよ」
ヒカゲはレースの言葉を上から重ね塗りする。
撫でてくれないと拗ねたのか、アルカはヒカゲの膝から飛び降りて上品な足取りで移動した。
「あ、ちょっとアルカ」
ヒカゲは手を伸ばしたが、猫のアルカはそのまま別室へと移動していった。
「お兄ちゃんは、人殺しなんて残酷なことはできないよ」
レースの瞳から大粒の涙が絶え間なく零れ落ちる。
「違うよ。残酷にならなければ那由多を殺せないから、殺人という罪に身を染めたんだ」
「違う違う違う」
賢明に、今までで一番生気溢れる形でレースが否定してくるのは、相手がヒカゲだからだろうか、とヒカゲは思った。
那由多が怒鳴りながらであれば、否定は途中で肯定へと変わったことだろう。
「違わないよ――だって――ってげほっ」
ヒカゲは視界に火花が散ったような衝撃とともに、床に転がった。那由多に殴り飛ばされた。
「ちょっと流石に今日、僕に暴力振るいすぎだろ!」
「てめぇが今日一日で殴られそうなことしかしねぇからだよ!」
「お前、僕になら何をしてもいいと思っているんじゃないのか?」
「は? 何を今さら」
「うわ、最悪だ。こいつ」
「殴りたいときに殴れるサンドバックは楽だな」
「酷い。黙ってほしいなら言葉でいってよ」
「はぁ? 言葉でいうより殴ったほうが早いだろ」
「そんなことばっかしているからレースに怖がられるんだよ」
「ぐ……」
流石にこれ以上、殴られたくないので那由多が咄嗟に言い返せない言葉で反論をした。
レースを怖がらせたくはないと思っている証拠だ。馬鹿だなと、思った。それがヒカゲの感想だ。
那由多はティッシュを取り、レースに渡した。骨のような手でレースは受け取り、涙をぬぐった。
「今日は少し休め」
優しい声色にレースは驚いたように那由多を見上げた。
「うん……」
こくりとレースは頷いて、今にも倒れそうなおぼつかない足取りで自室へと戻った。閉められた扉の先で、レースは布団をかぶって縮こまり泣いていることが想像に難くない。
「話は後だ」
ヒカゲと那由多だけになったリビングで、那由多は言った。扉が閉められた程度では、会話は遮断されない。レースが眠りにつくまで那由多は待つつもりだ。辛抱とは無縁の生活を送っているような那由多が、とヒカゲは笑う。
「いいよ。その代わり早く僕を車椅子に戻してくれ」
「ちっ」
那由多は舌打ちしながらも乱暴にヒカゲの身体を持ち上げて座らせた。
「少しは優しくできないのか」
「てめぇに優しくしてなんの得があるんだよ」
那由多が家事を始めたので、ヒカゲは暇だからアルカを呼びに行ったが、アルカは拗ねたようで寝ていた。
仕方ないので読書をする。テレビでバラエティ番組を見るのでも良かったが、音がうるさいと那由多に文句を言われることは目に見えている。
片づけを終わらせた那由多はシャワーを浴びた。その後、ヒカゲも続き、長い髪の毛を那由多にドライヤーで乾かしてもらう。那由多の舌打ちはいつものことなので無視する。
ひと段落が付いたので、ヒカゲがゆっくりとレースの部屋を除くと、彼女はベッドで丸くなりすやすやと寝息を立てて眠っていた。静かに扉を閉める。
那由多は冷蔵庫から缶ビールを取り出し、手に持ったまま椅子へと座りヒカゲと向き合う。
「飲むか?」
「いらない。那由多相手に酔うつもりないし」
「残念。で、本当にヒカゲは、巷を騒がせている連続殺人犯が、レースの兄だと思っているのか?」
ヒカゲを見る真っすぐな瞳には、感情は宿っておらず淡々と事実を那由多は確認している。缶ビールの蓋を開けて、一気に那由多は飲み干した。
「思っているよ」
端的に、ヒカゲは答える。
「どうしてだ、証拠はないだろ」
那由多は追加の缶ビールを開けた。
「うん。けれど断言できる。レースが直感で兄だと思ったんだ、それが外れているとは思えない」
「それは……そうだが」
レースの否定は、事実を受け入れたくない現実逃避だ。レースも奥底では兄だと確認している。
「向日葵の手毬なんて特徴すぎるものだからね。わざと現場へ残すってことは、誰かへのメッセージだ。その矛先はレースであり、誘拐した那由多だと考えるの普通のことだ。そして」
ヒカゲは言葉を区切る。脳裏をよぎるのは、妹の姿。
「時期的に、アゲハが絡んでいる。そう考えれば全てが繋がるだろ?」
「……イサナ」
「そう。僕を殺したいイサナ。けれど、イサナには那由多が誘拐した少女の身元を調べる技術はないだろう。というわけで、ここで登場するのが僕の妹というわけだ。アゲハが繋げた。那由多への対抗戦力として、レースの兄を選んだのさ」
「……オレがてめぇと一緒にいるからか」
「うん。そして那由多は僕の味方だ」
「うわっぞわっとするなその単語。まあ、でも否定はしねぇ。ヒカゲが死んだらオレは都合よく死体を用意してくれるやつを新たに探さなきゃならねぇ。警察に捕まるような馬鹿は論外だしな。なら、ヒカゲの味方をした方が簡単だ」
「でしょー。だから、アゲハは最適な
「オレのレースを奪うやつは誰だって許さねぇよ」
那由多の瞳に殺気が宿った。ビールはすでに三缶が空だが、酔った様子はない。
「レースは、オレのだ」
「兄は、お前を殺す瞬間躊躇しないため、関係ない人間を練習台としての
「……けど、向こうからヒントを散りばめているだけじゃ、いつまでたってもオレにはたどり着けないぞ」
意外な言葉に、ヒカゲは目を見開いた。レースは自分の物だと主張する独占欲。邪魔する人間は容赦なく殺すような男が、自分からレースの兄を見つけ出すことはしないと宣言したようなものだ。
那由多に悟られないように、ヒカゲは観察する。那由多ほど横暴な人間はほとんど知らない。この場を立ち去り、どこにいるかもわからない相手を探し回るくらいは平然とすると思っていた。
それをしないのは、単純に――レースを溺愛しているからだ。兄を殺せばレースが悲しむ。悲しむことはしたくないと、那由多は無意識に思ってしまっている。
だが、那由多が抱いている思いは叶わない。結局のところ、那由多は感情制御が下手だ。この場では、殺さない選択肢を選んだとしても、対面すれば殺す。那由多とはそういう男だと、高校時代からの付き合いでヒカゲは把握している。
ならば、那由多は味方のままで問題がない。これで下手な情をレースの兄に抱くようであれば――困るところだった。
「これで、イサナはアゲハと、レースの兄という手札を手に入れた」
「……色々言いたいことはあるが、わかった。信じる」
「レースの兄はこれからも人を殺し続けるよ。腕が鈍らないために、決意が消えないためにね」
「……兄が、殺人鬼だってことはレースには黙っていろよ」
「気づいているよ。否定したいと願っているだけだ」
「だとしてもだ。逃避しているなら、それでいいだろう」
優しさ未満の言葉だ、とヒカゲは思ったが了承した。レースをからかって遊びたい気持ちもあるが、今の状況で那由多を本気で怒らせれば、まともな抵抗ができない。流石に、友人に殺されたくはない。
「那由多。ちまちまとお前とレースの話は聞いているけど、折角だ。二人の昔話でも聞かせてくれ」
「聞いて何になるんだよ」
「暇つぶしだよ。それ以外に何がある?」
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