第23話:繰り返す練習
「ボクの由乃っていたり、僕の天喰っていったり、オレのレースっていったり、男どもは、ぼくの○○って言わないと死ぬのか?」
イサナが結んでいた髪を解きながら言う。
「おまえも男でしょ」
椅子替わりにしていた木材から立ち上がり、撤退の準備を始めながらアゲハは呆れた声色で返答する。
何処をどう見ても女にしか見えないイサナだが、過去に闇医者の手術を受けて全身整形と性転換手術を受けて見た目も性別も女に変えている。
男とくくるのならばイサナも含めるべきだ。
「見た目は女だから除外で。大体俺は、俺の何々なんていわねぇ」
「そう? 俺の獲物って意味で俺のヒカゲっていう可能性はあるわよ」
「気色悪い。絶対使わない。死んでも使わない」
「それもそうね。わたしも自分で言っていて気味が悪かったわ」
「だろ?」
「えぇ……ところで、出利葉はそんなこと言わないわよ」
「じゃ、殺人鬼特有の言わなきゃ死ぬ病で」
「ならいいわ」
殺人現場へ犯人と一緒にいた痕跡を丁寧に消し終えてから、死体の横で沈痛な面持ちで罰を望むかのように伏せているナツの元へゆったりと近づく。
アゲハとイサナが手を組んで直面した問題は那由多の存在だった。
姿をくらましたヒカゲが何処にいるかは想像がつく。
ともに快楽を満喫している那由多の元だ。
そこで療養して怪我が完治するのを待っている。そこを襲撃すれば問題解決できたのだが、那由多が何処にいるかまでは足取りが追えず、ヒカゲの姿を発見できていないのだ。
ヒカゲと一緒に行動をしているとなれば、那由多の存在は目の上のたん瘤。
一人でも手に余る相手なのに、二人に増えられては勝ち目がなくなる。
そこで、那由多を殺すための協力者を探し出すことにした。
物騒な荒事にたけていてかつ、那由多を殺す確固たる意志のある人物が、都合よく見つかるとは思わなかったが、恨みが服を着て歩いているような那由多の御かげで、求める条件に合致する人物が見つかった。
それが
薄茶髪はふんわりと緩くウェーブがかかり、やや垂れ目な瞳と相まって優しげで温厚な雰囲気を醸し出している。優等生、真面目、誠実、といった言葉が似合う容貌に、線の細い身体には、膝丈の灰色カーディガンを羽織り、中には薄いニットをきて、茶色のズボンを履き、眼鏡をかけた姿は理知的で、虫も殺せぬ顔をしている。
彼は、那由多が殺さず可愛がっているレースの兄であった。
レースの名前は那由多がつけたもので、彼女の本名は
妹を探しナツは当てもなく彷徨っていた。
そして、妹を誘拐した犯人は絶対に許せないから殺害すると決意した彼が選んだ行動は、殺すとき躊躇しないように他人の人間を殺して練習することだった。
迷いが、誘拐犯に対する情けが殺意を揺らがせたくない。絶対に殺したい。その思いを灯し続けるためには、殺して、殺して、殺して、練習するしかなかった。
練習を重ねているうちにナツは、人を殺すのが楽しくなった――実際には楽しいと思い込もうとしているだけだが――練習も出来て、楽しみも味わえる、いいことづくめだ、と思い込ませようと必死になっている。
そんなナツのことをアゲハとイサナは、彼が練習しているときに見つけて共闘の話を持ち掛けた。
妹を誘拐した犯人は那由多という人物で、彼が人を食材として食べていることを、けれど妹は存命して一緒に暮らさせられていることを、彼の元には今快楽殺人鬼の男が一緒にいることを告げた。
快楽殺人鬼と那由多が一緒に行動していると厄介で、どちらか片方を殺そうとすれば、片方がおまけでついてくる。それは鬼が二人とも金棒装備で襲い掛かってくるようなものだ、離す必要があるから一緒に行動しないかと提案する。
ナツは話が本当か唇に指を当てながら吟味したが、二人が嘘を言う必要はない。
ましてや、やみくもに人を練習で殺し続けて殺害の腕が上昇しても名も知らぬ誘拐犯の元へたどり着けなければ意味がない。
彼女らは犯人の名前を知っていた、妹が存命であることを――希望を与えてくれた。
ならば、一緒に行動したほうが確実で利があると判断し、右手を伸ばした。
以降、ナツはアゲハ、イサナと一緒に行動をすることとなる。
そして、練習は欠かさなかった。
アゲハがもう十分殺しに慣れていると以前ナツへ言ったが、その時ナツは『練習の面もありますが、楽しいから殺すんです』と泣きながら言葉を返した。
「では、移動しましょうか」
「えぇ、長居して目撃者が現れたら困るわ。折角わたしたちの痕跡を消したのが無駄になってしまう」
「その時は、ボクが殺しますよ」
泣きはらした真っ赤な瞳で、ナツは微笑む。
「そう。けど、殺す前に悲鳴でも上げられたら面倒だわ、さっさといきましょう」
「わかりました。一度に楽しみすぎてもいけませんものね。楽しみは、少しずつ。苺は最後に」
口調とは裏腹に安堵した表情をナツは見せる。周囲に誰も人がいないことを願って早歩きで歩く。
見つかれば、殺してしまうから、見つからないでくれと切に願う歪な行動にイサナは眉を顰める。
「全く、理解できないな。殺したくないのに、殺して、楽しくないのに、楽しいっていうのが」
先頭を歩くナツには聞こえないよう、イサナがアゲハに会話を持ち出す。
「楽しく思い込みたい、だけでしょう。そうじゃないと、人を殺せないのよ。ナツは、生粋に殺人を楽しめる兄貴とは違うし、食材として食べる那由多とも違う。ただの普通の人よ。だから殺せる理由が必要」
アゲハ淡々と言葉を返す。
「――まぁ、そうでしょうね。普通、楽しく人なんて殺せないですからね」
路地裏に出るとイサナは口調を変える。まだ人の気配はないが、誰に見られても違和感がないように、かつてと同じように女性として振る舞う。
女性の演技をするのは、身体に身についているからお手の物だった。
「男口調も、女口調も、今、おまえのことを知ったあとだとどちらも気持ち悪くすら思えるわね」
率直な感想をアゲハが漏らすので、イサナメグリの皮を被って上品に笑った。
◇
ニュースから目が離せないレースは、そこだけ時間の流れから切り取られたように微動だにしない。
「おい、お兄ちゃんってどういうことだ!?」
ニュースの声は右から左へ聞き流していた那由多だが、レースの言葉まで流すことはできなかった。
那由多の声に、停止していたレースの身体が動く。
「えっとあの、その」
「おい、レースどういうことだ」
那由多の言葉にレースの思考は詰まる。
何か言わなければならないのだが、下手なことを言えば殴られると思うと怖くて言葉が出てこない。
それが逆効果で黙っているのもよくないことだとわかっているのに、言葉が発せられない。
口がパクパクと開閉を繰り返す。
「おい、レース」
「あ、あ」
身体が震える。那由多の怒りが肌で感じられて怖い。恐怖が余計に言葉を失わせる。
那由多がレースの骨と皮しかないような肩を掴み揺らす。
「あ、あの、その……ご、ごめんさい」
言葉をと切羽詰まったレースが辛うじて絞りだせたのは、ごめんなさいの言葉だった。
何に対して謝っているのかはわからない。わからないけど謝らなければと思った。
「別に誤ってほしいわけじゃねぇよ」
「あ、ご、ごめん、ごめんなさい、許して」
「だから!」
「おーい。那由多、お前が怖くてレースが震えているんだからやめたらどうだ」
レースがガタガタ震えているのを面白そうに眺めていたヒカゲが口を挟む。
「なっオレが怖いって」
「いや、どう考えても怖いだろ。そんな切羽詰まった――お気に入りの玩具を奪われまいと独占欲を見せる奴なんて、恐怖以外何になるのさ」
「……その言葉そっくりそのまま返してやりてぇ……」
那由多は眉を引きつらせながらもヒカゲの言葉に従い、肩から手を放してソファーに座っているレースと目線を合わせるようにしゃがんだ。
「レース。お兄ちゃんってどういう意味だ」
レースの気持ちが落ち着くまで那由多は辛抱強く待つことにした。
沸点が低い、気に入らないことがあれば容赦なく手を出す那由多にしては珍しい現象だ、とヒカゲはアルカを呼び寄せ膝に抱えながら眺める。
「ひまわりの、手毬……ニュースに出てたあれ……ぼくの、お兄ちゃんが昔……ぼくと、遊ぶのに作ってくれたのと……重なった」
「じゃあ、連続殺人犯は兄なのか?」
「わからない……ぼくの、直感が、そう思っただけ。でも、違うよ。お兄ちゃんが……人を殺せるわけない。虫も殺せないようなお兄ちゃんだから。お兄ちゃんは、優しい人」
レースは首を横に振る。
兄との思い出と重なったのは偶々、偶然だ。
兄は、虫も殺せないような優しい人だった。温厚で誰に対しても分け隔てなく優しかった。妹の自分を可愛がってくれて、熱が出たら一生懸命看病だってしてくれた、幸せだった兄妹のエピソードには事欠かないほど思い出がある。
だから、何人もの人間を無残に殺している姿は想像ができない。
よくよく考えなくてもわかることなのに、何故『お兄ちゃん』だなんて口にしてしまったのだろうとレースは自嘲するものの、何か胸に嫌なものが残る。
「違うよ、ならそれはお前の兄だろ。そして那由多の
違うと断言するそれを嘲るようにヒカゲが声高に否定をする。違うと声に出せなくてレースは首を横に何度も振る。
「どうしてだ?」
レースの代わりに那由多がヒカゲへ訪ねる。
「虫も殺せないような優しい兄だったんなら、那由多を殺そうとして、殺す瞬間に躊躇したら困ると思ったんだろ。一瞬の戸惑いで、致命的なミスを犯すこともあるよ。それを排除しようとして、練習するのに
「いや……流石にそれはないんじゃねーか?」
那由多が呆れた目をヒカゲへ向ける。いくら何でも理解が出来なかった。
殺そうと思って躊躇することは何となくわかるが、本命を殺すための予行練習はわからない。
「レースの兄が、優しかったというのなら、いや優しくなくてもだ。オレを殺そうとするのは百歩譲るとしても」
「譲らなくても普通殺したくなるけどな。実の妹が人間を食わされていたと知って激昂しない兄はいないだろ」
「実の妹が人間食わされても激昂しない
「あーしないね」
「おい。で、だ百歩譲るとして、どうして他人で練習する必要がある? 躊躇? 戸惑いを払拭するため? 馬鹿だろ、そんなことする理由がわからない」
「一度道を踏み外せば後は転がっていくだけ、だから道を踏み外したんだよ」
「――だとしても、だ。それ以降連続殺人を繰り返す必要はないだろ、一度殺したら、もう道を外しているタガが外れているんだからな」
「真面目なんじゃないかな? ほら、ピアノだって練習しなかったら腕が鈍るだろ、それと一緒で殺し続けなければ――殺しの腕が鈍るじゃないか」
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