第22話:キミとボクの思い出
ヒカゲを一発殴ったあと、那由多は彼の柔らかい餅のように伸びる頬を引っ張って遊んだ。
「ほにゃはにゃせ」
「居候のくせに注文が多いんだよ。最初だって髪を洗いたいとかいうから親切心で洗面台に頭つっこんで洗ってやろうと思ったらシャンプーにケチつけやがって」
引き延ばしてから離す。
ほんのり赤くなった頬を撫でながらヒカゲは当然だと抗議する。
「リンスインシャンプーなんて使うからだろ? しかもレースと共用とか信じられない。
「なんでだよ」
「女の子なんだからシャンプーとトリートメントくらい分けて用意しろ。洗い流さないトリートメントとかさ、今色々うっているんだから」
「洗わないってなんだよ……知らねぇよそんなん。あとお前ブラシにもケチつけていたよな。ちゃんとレース用のブラシは用意したってのに」
「プラスチック製だからだ。静電気で髪が痛む。木製のとか用意するだろ」
「ならねぇよ。髪とかせりゃなんだっていいだろ」
「よくない」
「お前マジうるせぇ。髪洗う前に一度髪とかせとか文句つけるし」
「当たり前だ。髪を洗う前にブラシで梳かすと汚れが取れるしいいんだぞ? 髪の手入れは大切だよ」
「女子かよ……」
はぁと那由多は文句を散々つけられたときのことを思い出して頭痛がしてきた。
頭痛がするのはヒカゲのせいだと一発殴ろうと拳を振るったが手のひらで防がれた。
尤も、ヒカゲが言った通りのものを渋々用意したら、レースの髪が見違えるように綺麗になったので内心感謝しているのだが言葉にするのは自信満々の憎たらしい笑みは見たくないのでしていない。
「で、仕事はするのかよ?」
「……内容は?」
「目下警察が捜査中の殺人犯を見つけること」
億劫な素振りをヒカゲは見せたがすぐに、ニヤリと笑みを浮かべた。
「じゃあ容疑者じゃない人間を全てピックアップして、容疑者じゃない人間じゃなかったやつが犯人だ。はい、
「は?」
「犯人じゃないやつを集めたら、最後に残るのは犯人だけだろ? 顔も性格も動機も見る必要はないってことだ」
「なんだよそれ」
「ヘンペルのカラス」
「は?」
「つまり、全てのカラスが黒いことを
「あぁ! もういい、もういい喋るな。どうせ理解できねぇからいい!」
「理解しなよ」
「てめぇとは頭の出来がちげーんだよ」
綺麗に染めてある金髪を指さす。
「同じ高校だろ」
「学年主席と赤点ぎりぎりの奴を同類としてくくるな、馬鹿」
怪我の治っていない太ももに拳を一発入れようかと考えよし実行に移そうと思った那由多の気配を察知したのかヒカゲが話題を戻す。
「で、その依頼は正式に受けた奴なのか? 僕が探偵だということを話して。だとしたら、那由多――殺してこい」
「……いや、話してはいねぇ。正確には依頼を受けたわけじゃない。常連の話を聞いてそれをヒカゲが解決したら報酬が手に入るだろうなって思っただけだ。いいとこの人だからな。どうして殺して来いって物騒な話になる?」
「当たり前でしょが。殺人鬼を見つけるってことは即ち、警察と関わり合いになる
「あっ!」
「常連が復讐のために殺したい、というのならば引き受けても構わないけど、法の裁きに任せたいというのであれば引き受けるわけにはいかないよ」
「それもそうだな」
「僕の探偵事務所は探偵として看板を掲げていないし、殆どの依頼人は警察と関わり合いになることを拒む奴らだ。稀にまっとうな依頼もくるが――それすら、警察に頼るとは思えないし、僕のことを知っている時点で依頼は引き受ける」
嘗て自殺した妹が自殺ではないと断言する姉の依頼主がいた。
其れだって元を辿れば彼女に探偵事務所の存在を教えたのは裏で犯罪行為に手を染めている人物だ。
「けれど、僕のことを知らない人間に売り込みにいくつもりはない。昔とは違う」
「前は探偵として確立するためにやばいところに乗り込んで強引な売り込みしたもんな」
「昔は金を稼ぐ必要があったからね、あと今後の人脈。けどそれはもう必要ないからな」
快楽殺人鬼に目覚めたヒカゲは、大学進学を予定していたのを辞めて、己の頭脳を駆使して稼げる探偵になることを決めた。
裏社会を歩いているような人を見つけ、相手が救いの手を探していることを調べては自分を売り込み解決して信頼と金を得る。
時には脅迫をして探偵と依頼人という関係を作り出した。
非合法な存在は、非合法なことをしても公的機関を頼ることはない。
「探偵事務所に依頼人が来るのは構わない。けれどそうじゃないのはお断りするよ。それに僕は
「わかった。オレが浅薄だった」
以前は毎日のように足を運んでくれた常連の足が暫く途絶え、今日になって沈痛な顔をして現れた。
どうしたのだろうと話を聞いたとき探偵を紹介しましょうかと先走らなくて良かったと安堵する。
ヒカゲが仕事をしたくないから口八丁で適度に矛盾のない納得のできる内容を作り上げている可能性はあるが、しかし警察と関わり合いになる可能性はゴメンだったので引き下がる。
「ところで純粋な興味。どんな殺人事件だ?」
「オレもお前もニュースとか世間の情勢興味ねぇからな……なんかずたずたに死体をナイフで抉って殺す連続殺人事件が起きてるらしい」
「世の中物騒になったものだよー。早く警察が捕まえないと大通りを闊歩してあるけない、怖いね」
「快楽殺人鬼だけには言われたくねぇ台詞だな」
「えーひどいー」
「で、常連の恋人がその殺人犯の被害にあったんだ。悲しくてずっと引きこもっていたんだが、引きこもってばかりじゃ体に悪いって友達に諭されて、好きなものを食べにうちまでやって着た」
「身体に悪いものを食って帰ったわけか」
「ぶん殴るぞ」
「殴ってからいうな!」
「うるせぇ。あぁそうだ、ニュースをつけたらやっているかもな見るか?」
殴られた頬を痛そうに触りながら頷く。
那由多がテーブルに放置してあるリモコンを手に取り、電源を入れるとバラエティー番組がやっていた。これじゃないと舌打ちしながら適当にチャンネルを回すと殺人事件のニュースをセンセーショナルに報じている番組を発見した。
「早く
ヒカゲはテレビが見やすいように車いすを移動する。
横になって会話だけを聞いていたレースも興味はなかったが目線だけテレビへ向けた。
那由多はダイニングテーブルの椅子に足を組んで座ったが、ニュースを真剣に見るつもりはなく右から左へと流しながら今晩の献立を思案する。
『犯人は、現場に手製の向日葵柄の手毬を置いており、なんらかの』
ニュースキャスターが告げる声に、レースの瞳がみるみる見開かれる。
脳裏を刺激するのは、幸せだったころの記憶。
「――お兄ちゃん?」
向日葵柄の手毬は、小さいころ兄と一緒に作って遊んだ思い出の品を彷彿させた。
◇
「楽しいですね、人殺しは、楽しいですよね?」
問いかけるように、ナイフを振るい臓器を傷つけていく。
あははっと笑いながら、既に絶命している身体に透明な雫が零れる。
何度も何度も、死者が蘇ることを恐怖するかのように、切りつけていく。
頬から溢れる多量の涙が、視界を曇らせるが元々人の顔すら判別できない。
言動と表情が矛盾する青年を背後にある木材を椅子替わりにしながら、イサナは頬付けをつき、アゲハは足を組み興味なく眺めている。
「死んだら殺し続けたところで、生き返らないのにね」
「そうだな」
丁寧な口調を取り払ったイサナは、以前の女性らしい格好とは異なり、動きやすさを重視した、ジーパンにTシャツ。上には革ジャンを羽織り、靴はスニーカーだ。
肩までの髪すら邪魔なのか、後ろで一つに纏めている。
もう蘇らないと青年は満足したのか、外していた眼鏡をかけて、鞄から手のひらサイズの手製手毬を傍に置く。ひまわりの柄のそれは、かつて妹と遊んだ思い出の品だった。
妹の目に、届くように、犯人の目に、次はお前の番だと知らしめることができるように、その証を置いていく。
「犯行現場に自分が犯人だと証明する証拠を残すのは賢いとは思えないけど……あ、そうそ、イサナ。手に入れといたわよ」
「サンキュ」
紙袋に入った拳銃をイサナは受け取る。
「これがあれば、兄貴を仕留められる物ね」
自分が持ち歩いている拳銃を取り出し、愛おしそうにアゲハは撫でる。
「拳銃に全幅の信頼を置き過ぎじゃないか?」
懸念してイサナが訪ねる。
ヒカゲの実力は助手として今まで間近で見てきたのだから痛いほど知っている。
殺したい相手は、不運にも強かった。
正面からぶつかれば確実に負ける相手だ。
仮に闇医者を頼って性別をかえなかったとしてもヒカゲに勝てる面といえば身長と腕力くらいなものだっただろう。
「そうね。兄貴は強いわよ。苛立たしいことに妹だから知っているわ。けど、兄貴は人間よ。別にファンタジーの住民ではないわ、拳銃の威力には、物理的に勝てるとは思えない。尤も、懐に入られたりしたら無理だから距離を置く必要があるけど……力勝負になったら勝てないしね」
「ヒカゲなら力勝負でも勝てると思うが」
「いくら細っこくて素早さで頑張っているとはいっても、男よ? 勝てるわけないじゃないの」
「……それもそうか。以前男を抱きかかえていたし……」
「抱きかかえる状況が想像できないところだけれど」
「まぁドン引きする光景だったな。拳銃を使うのはいいが、仕留めないように気を付けないとな」
「それが懸念材料よね。うっかり殺しても仕方ないとは思うけど、まぁ、快楽殺人鬼が快楽を失って生きるなんて残酷で滑稽な状況を気に入ったから、わたしはイサナと手を組んだわけだし殺さないようには注意を払うわ」
「頼んだ」
「で、満足したかしら? ナツ」
アゲハが今まで人を殺していた青年ナツに声をかける。
「えぇ、とても楽しかったですよ」
涙声で、大粒の涙を流しながらナツは答える。
言葉と裏腹、言動と感情が一致しない。矛盾溢れるちぐはぐに壊れた男。それがナツ。
「早く、ボクの由乃と再会したいです」
ナツは笑った。
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