二部
第21話:Until kill you
◇
出勤前の朝七時、那由多は慌ただしく動きながら朝食の準備をする。
一人分の朝食をテーブルの上に置いてラップでくるむ。
次いで車いすに座るヒカゲの、女子でも珍しい長さの三つ編みを解いて、ブラシで梳かしてからお団子頭にして赤いリボンを最後に着ける。
「なんで朝の出勤前の時間がない時にてめぇの頭をお洒落してやらなきゃなんねーんだよ……」
「おろしたままじゃ、車椅子に絡むかもしれないから仕方ないよ」
「ぱっつんに切ってやろうか」
「やめてー」
「なら坊主」
「ヤメロ」
「大体なんで野郎がこんなに髪伸ばしているんだよ。願掛けでもしてんのかよっ……たく」
「願掛けはしていないな。でも切らないよ、髪を切ったらアゲハとお揃いになるだろ、それは嫌だ」
「双子にしか見えなくなるな」
「僕の方が年上の顔立ちしているよ」
「童顔だから怪しいなっと」
那由多がヒカゲの背中を押す。前のめりになって、ヒカゲの身体が冷蔵庫に激突しそうになったのを笑ってストレス解消してから那由多はリュックサックを左肩にかけて部屋を後にした。
「いってらっしゃーい」
ヒカゲが呑気にリビングで見送る。
那由多が偏愛を向けているレースはベッドで就寝中だ。
「アルカ、おいで」
ヒカゲがソファーの上で寝転んでいた猫のアルカに声をかけると起き上がりヒカゲの膝まで飛び乗る。アルカを大切に撫でると喉を鳴らして嬉しそうに左右で異なる瞳を微笑ませてくれる。
「ふふ、アルカは今日も可愛いな」
黒猫の、闇に埋もれる毛から見える黄色と青の虹彩異色症と紫色の首輪がヒカゲの心を癒してくれる。
朝食をとろうと、膝にアルカを乗せたまま車いすを器用に動かしながら食器棚にしまっているカップラーメンを取り出し、お湯を注ぎ三分が経過したのでヒカゲのために椅子をずらしてあるテーブルで食べ始める。
「あつつ」
出来立ての熱さに軽く舌をやけどしたので、氷がたっぷり入った水で喉を潤す。
伸びてしまうが、少し冷ましてからにしようとアルカの背中を撫でる。
テーブルの上にはカップラーメンのほかに禍々しい朝食が置いてあるが、視界にはなるべく入れたくすらなかった。
イサナメグリ――本名、
ベランダから眼下を見下ろせばマンションの敷地内にある桜が満開に咲き誇った姿を見せてくれる。
此処は那由多の自宅。イサナの手によって怪我をしたヒカゲは、那由多が適当に見つけた金で解決する闇医者に掛かり治療を受け、完治するまでの間――特に太ももの傷が酷かったので――車いすで生活をすることになった。
自宅をイサナに教えていないとはいえ、問題が発生したらこの身体では対処のしようがないと、那由多の自宅へ猫のアルカを連れ転がり込んだ。
結果としていつか合わせてくれと頼んでいたレースと会うことにも成功した。
身体の自由が利かないため、イサナの動向をあの日以降掴んでいないが、恐らく妹のアゲハと行動をしていると推測している。
アゲハとイサナの利害は一致している。ならば、冷淡なイサナがそれを利用しない手はないし、ヒカゲに死んでほしいと願っているアゲハがその手を取らないはずもない。
尤も、アゲハは兄の死を望むのに対して、イサナは無の生を与えようとしているところで目的が異なって入る。
しかし、それもアゲハにとっては誤差の範囲だろう。
快楽殺人鬼が表に出なければこの世が悪くなることもない。
アゲハとイサナが療養中のこの場を襲撃してこないのは、突き止められていないからだ。
那由多の自宅もイサナとアゲハは知らないし、彼の仕事場――創作料理専門とする料理店で働いていることは知っているが――知らない。一つ一つ創作料理店をしらみつぶしに探すには、数が多すぎる。
その間にヒカゲも怪我を完治させてからイサナを殺すつもりだ。
イサナを殺すまでは快楽に浸るのはお預けしている――そもそも、この身体ではまともに殺人を犯せるとも思わない。
証拠の後始末も思うようにできないありさまでは、跡がついて警察に逮捕される未来が容易に想像できる。
快楽を我慢しても、隣に猫のアルカがいてくれると思うと心が安らぐし落ち着くからさしたる問題はなかった。
「アルカ」
名前を呼べばアルカはヒカゲの車いすをつたってちょこんと頭に乗った。
「ちょっと重いってー」
猫と戯れているとレースが寝室から起きて姿を見せた。
「おはようレース」
「ん……おはよう」
レースはくっきりこびりついて取れない隈に、どこか死んだような瞳をこする。
真っ白な髪はもみあげだけが長く後は短い。元々は黒髪だったが、那由多と生活するようになってから白髪が増えたので、ならばいっそのこと白く染めようと無理やり染められていた。
身体のラインが隠れるだぼっとしたハイネックとズボンをはいており、上から手で触れるとその身体が皮と骨しか残っていないのではないかと思えるほど痩せていることをヒカゲは知っている。
何より特徴的なのは、右目に医療用眼帯をしていることだ。
レースは歩くのもおっくうな動作で、洗面台で顔を洗ってからリビングへ戻りソファーに座る。
那由多が用意していった朝食兼昼食の入ったタッパに手を付けて一口食べてからすぐにごちそうさまする。
「食べないと力が痩せる一方だぞ」
神経性無食欲症を疑うほどに食事をとらないレースに、ヒカゲは声をかけるが、首をフルフルと力なく横に振られる。
「お腹空いていない」
「まぁ、そんなもの食べたいとは思わないから仕方ないけど」
そんなもの、と指さしたのは那由多がレースのために作った料理だ。
人間を食材として見ている那由多が作る料理は人肉に限らずあらゆる人間の部位が活かされている。
普段はヒカゲが殺した人間の死体を用いて調理するが、怪我をして療養中のヒカゲでは殺人を犯せないので那由多自らが食材を選んで殺している。
人間一人を食材として使おうと思えば消費までに結構な時間がかかるので、冷凍保存でも食べきれない部分は、那由多が務める創作料理専門店の那由多オリジナル料理に混ぜて提供されている。
まさか人間が食材に使われているとは夢にも思っていない客は、舌がとろけるような絶品料理にリピーターや口コミで新規顧客も多く訪れていた。
那由多が殺人犯、しかも食人趣味で料理にも人間を混ぜていたことが発覚すれば一大事、連日マスコミを騒がせること間違いなしで、自殺する人さえでるかもしれないとヒカゲが思ったところで気分が下降する。
自殺は天喰が最後に選んだ手段であり、夕焼けを背景にしながら消えていく姿が脳裏に浮かんで、頭上にいたアルカを胸元までおろしぎゅっと抱きかかえる。
「……もう。慣れたよ」
人間を食材とした料理だけをひたすら食べさせられ続けたレースはやつれた顔で端的に答える。
「慣れたようには到底思えないけどな。諦めた、が正しいだろ」
「……」
「まっ、慣れも諦めどちらでもいいが、
「……?」
「あ、そうだ」
ヒカゲは何かを思いついて両手を叩いた。
レースは興味なさそうにソファーへ力なく横たわった。
生きる気力もなければさりとて死ぬ気力ももはや失ってしまい一日を無為に過ごす。横になって一日をつぶす。動きもしないが食べもしない。
ただ、食事をとらないと那由多が殴ってくるので少しは食べるようにしている。完食しなくても食べていれば殴ってこない。
那由多は沸点が非常に低い。少しでも気に入らないことがあればすぐに暴力という手段に出てくる。
彼がレースは怖くてたまらない。那由多の怒りに触れないように過ごしている。
最初は暴力に屈せず抵抗していたが、徐々に気力を奪われた。
今では那由多に暴力を振るわれた痣は残ってはいないが、それでも思い出すだけで身体が震える。
「ところでレース、決めたか?」
ヒカゲは一人だと話し相手が欲しくてレースに話しかける。
突然現れた居候はレースによく話しかけるので、億劫ながらも返答する。
「……まだ」
「そうか。いつでもいいよ、とはいっても僕がイサナを殺したあとだけれど。レースが死にたいなら僕が殺してあげるよ」
にっこりとヒカゲが微笑む。
レースはヒカゲの好みからは聊か外れていたが、那由多のお気に入りで死を渇望しているのが明確に読み取れたがゆえに、出会った初日に声をかけたのだ。
当然、それは那由多の逆鱗に触れ、ヒカゲの傷が今より酷く痛むのを気にせず、ヒカゲを殴り飛ばした。
他人が殴られる光景は、過去をフラッシュバックさせレースの身体が自然と震える。
死にたいと口にした、あの瞬間を――助けようとしてくれた闇医者が那由多の手で殺されていく光景が脳裏に過り泣き叫びたくなる。
自分のせいで誰かが殺されるのはごめんだった。
だから、ヒカゲにも死んでほしくない――那由多に殺されてほしくはないのだ。
死をもたらしてくれる欲求に抗いながら、死にたいと口にすることはできない。
時間を消費していると、昼間インターホンが鳴った。
ヒカゲが待っていましたとばかりに上機嫌で、猫のアルカを膝に乗せたまま巧みに車いすを動かし、電話の横にある財布を手に取ってから玄関まで向かう。
玄関で会話が聞こえたのがレースの耳に入り、またヒカゲが出前を取ったのだろう。那由多の食事を口にしたくないヒカゲは主にカップラーメンと出前生活を送っていた。
レースの予想は正解で、ヒカゲの左手には寿司桶があった。テーブルの上に寿司桶を置く。
「レース、寿司だ」
「そう」
そっけなく返事をしながら軽く視線を向けると、特上でも頼んだのだろうか、寿司の具一つ一つが輝きを放っている。
眩しさが、羨ましいと純粋な欲望をかきたてたので目を瞑って現実を逃避する。
ヒカゲが割りばしを割る音が聞こえる。
「レース、目を開けてくれ」
「なに――っむぐ!?」
レースが言葉を発しながら瞼を開いた瞬間、口に中に何かが押し込まれた。
口の中に広がる味わいはいくらの寿司だった。
思わず吐き出そうとするが、無理やり食べさせることになれているヒカゲに抗う術はなかった。
涙がこぼれてくる。寿司の味は美味だった。
涙がこぼれてくる。那由多の手料理以外食べることを許されていないのに、食べてしまった事実が恐ろしかった。
那由多に殴られる、那由多に暴力を振るわれる。レースは怖くて身体が震える。
ガタガタと歯が音を立てるし、涙が止まらない。
うれしさと怖さが混ぜこぜになって感情の整理が追いつかないで混乱する。
「泣くほど嬉しかったか、美味しいだろ!」
ヒカゲが満面笑みを浮かべる。
「ど、ど、どうし……どうして、ぼ、ぼく……ぼく、は」
「レースだって那由多の料理なんて食べたくないだろ、ほらもう一つ食べればいい、何がいい? ウニか? マグロか? それともアワビか? どれでもやるよ」
「い、いらない、やだ」
「やだって何故だ」
「な、那由多が……那由多に……ダメって言われている、だからヤダ。許して、許して」
レースが首を横に振る。涙がこぼれる姿がヒカゲの加虐心をそそる。
「大丈夫だ。だって僕が無理やり食べさせたんだ。問題ない! 那由多にばれなければいいのさ」
悪魔の微笑みを浮かべたヒカゲが、嫌がるレースにウニを食べさせた。
口の中で広がるウニの純粋な味と、米が混ざりレースの心が歓喜すると同時に、次から食べなければいけない人を思い出すと吐き気がこみ上げてくる。
小食のレースに一度に食べさせすぎるのもよくないだろうと、ウニを食べさせたところで残りの寿司はヒカゲが完食する。
寿司の桶を廊下においておけば後で回収しにくる。
レースを監視するための盗聴器の類は全て外してあるから、ばれることはないだろうとヒカゲは高をくくっていた。
那由多が仕事から終わって帰ってくると扉が勢いよく絞められた。その音に驚いたアルカがくつろいでいたヒカゲの膝から逃げる。
「那由多、嫌なクレーマーでも来たか?」
ヒカゲが呑気に訪ねた瞬間、鬼のような形相をした那由多の顔が映り、瞬時に違うと気付いたときには顔面を力任せに殴られ車いすと共に地面へ倒れ放りだされる。
床に倒れたヒカゲに馬乗りして、那由多はヒカゲを殴りつける。
「ふざけんなてめぇ! レースに、寿司を食わせたな!!」
ソファーで座っていたレースは那由多の言葉にガタガタと震え、涙が条件反射で零れてくる。次に殴られるのは自分だと身体を縮こまらせる。
「どうしてわかった?」
那由多の手がやんだ隙にヒカゲが純粋な疑問を訪ねる。
「お前がレースを
「そうだな。てめぇ相手に盗聴器つけていても外されることくらいわかっているよ、だからお前が絶対に調べない場所へ、設置したんだよ」
勝ち誇った笑みを那由多が浮かべた瞬間、ヒカゲは己の失態を自覚する。
「つっ――! 料理の中か!」
「ご名答だ!」
勢いをつけて一発殴るとヒカゲが苦しそうに呻く。
「お前なら、絶対に触らないだろ?」
那由多の料理は視界に入れたくないほど嫌っているがゆえに、料理の中まで調べようとは思っていなかった。無意識のうちに盗聴器の可能性を排除していた。
「防水加工してあるやつを仕込んでおいたんだよ!」
「はぁ……そこまでしてレースを
「うるせぇ。天喰を監禁していた奴には何も言われたくないな」
「天喰はもう、僕の手にはいないよ……」
一瞬寂しそうな顔を浮かべたヒカゲが苛ついたので、完治していない太ももを殴ると今までで一番痛かったのだろう我慢しきれなかった悲鳴が零れた。
「ちょっと傷が悪化したらどうする」
「お前がオレに殴られるようなことしかしないからだろ」
「自覚はあるけど自然と口と身体が動く」
「はっだろーな」
「全く、車いす生活だと思うように那由多の拳を交わせないから嫌になるね。早く那由多を刺し返したいよ」
「……オレは流石にお前を鉈でぶった切ってないけどな」
「ナイフくらいハンデハンデ。腕力じゃ那由多に勝てないし」
「その分すばしっこい奴が何をいうんだか」
殴って沸点が下がった那由多が、もう一発だけヒカゲを殴ると満足したのか、ヒカゲから退ける。
「はぁ……もう本当、短気だ。まぁ今回は僕の
ヒカゲは上半身を起こす。痛みで脳をダイレクトに刺激しているが、盗聴器を全て発見したと思いあがっていた自分が愚かだったと反省する。
那由多の料理には近づきたくないと確かめもしなかったのは間違いだった。
しかし、そうなると今後那由多の目を盗んで食事をレースに与えるのは無理だなと思った。
別にレースの境遇に同情したわけではなく、那由多のお気に入りだから構いたくなるのだ。
レースが涙を流していたのを那由多が優しく抱きしめる。
那由多に殴られるとばかり思っていたレースは肩を震わせた。
「流石にオレだってヒカゲに無理やり食わされたやつを殴ったりしねぇって」
「本当か怪しいものだけどね」
ヒカゲがツッコミを入れるとうるせぇと怒鳴られた。再び怒りが頂点に達して殴られたらたまらないと肩をすくめながら口を紡ぐ。
レースが泣き止むまで那由多は優しく頭を撫でる。
やがて緊張が途切れたのか、レースは落ち着きを取り戻す。
「……ストックホルム症候群になりそうだな」
その様子を黙ってみていたヒカゲが、那由多とレースには聞こえない音量で呟く。
那由多は思い出したように倒れた車いすを立て直し、ヒカゲを車いすに座らせた。
「全く、那由多に殴られて僕の寿命が尽きそうだ」
「だったら少しは言動を慎め」
「努力する」
「あ、そうだ、ヒカゲ。仕事を貰って来たから、仕事しろ」
「え、ヤダ」
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